2008/5/16

モンダビ氏逝去  ワインメーカーのお話

今日、一つの歴史が幕を閉じました。
カリフォルニア・ワイン界の先駆者、ロバート・モンダビ氏が
お亡くなりになりました。

彼がカリフォルニア・ワイン界に残した偉大な功績は、計り知れません。
謹んで哀悼を捧げます。


クリックすると元のサイズで表示します 在りし日のモンダビ氏
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2008/2/2

モンダビ兄弟 その光と影  ワインメーカーのお話

“モンダビ”と言えば、日本でもすっかりおなじみの、カリフォルニアを代表する
華麗なるワインメーカーの一族。

お兄さんのロバート・モンダビ氏のワイナリー Robert Mondavi Winery と、
弟さんのピーター・モンダビ氏のワイナリー Charles Krug Winery があるのですが、
先日飲んで美味しいなと思ったのは、ピーター氏の系統のワイン。

2006 Charles Krug Napa Valley Sauvignon Blanc / $18

クリックすると元のサイズで表示します 詳細はこちら♪

チャールズ・クルッグ・ワイナリー Charles Krug Winery は、
かつてはロバート・モンダビ・ワイナリー Robert Mondavi Winery の後ろに隠れて
目立たない存在でしたが、今世紀に入ってからの台頭が目覚しく、
良質のワインを、リーズナブルな価格で提供してくれるのは
いまやこちらのワイナリーと言えます。

クリックすると元のサイズで表示します Charles Krug Winery


このモンダビ・ファミリーの歴史は、とってもドラマチック☆

今から150年ほど昔の1861年、チャールズ・クルッグ氏によって
ナパに初めての商業ワイナリー、Charles krug Wineryが設立されました。
しかし禁酒法時代のあおりを受けて、経営は低迷。
そんな歴史的なチャールズ・クルッグ・ワイナリーを、
チェザーレ・モンダビ氏が購入したのは1943年のことでした。

クリックすると元のサイズで表示します Original Cider Press

父親のチェザーレを、ピーター&ロバート兄弟が脇から盛り立てる形で、
ワイナリーは間もなく、ナパを代表するビッグネームに成長します。

しかし1959年に父親が他界すると、兄弟間のギクシャクが表面化。

ロバートが目指したのは、フランスに負けない高級ワインの製造。
片や、ピーターが目指したのは、毎日家庭の夕食のテーブルに乗るような
親しみやすいワインを造ること。

ロック・グループの解散理由によくあるような、“方向性の違い”から
果ては有名な殴り合いの喧嘩(fistfight)となり、兄弟は決裂。

父に代わりワイナリーの社長となった母親によって家を追い出されたロバートは、
1966年オークビルの南に、自らの名を冠したワイナリーを設立します。

クリックすると元のサイズで表示します Robert Mondavi Winery貯蔵室

その後70年代に入ると、ロバートは、Charles Krug Wineryから
キックアウトされたことで自らが受けた損失を訴え出るという行為に出、
家族間でのドロドロ裁判が始まります。

裁判の結果は、ロバートの勝ち。
チャールズ・クルッグ・ワイナリーは、この時点から、長きに渡って
ロバートに毎年大金を支払わなければならなくなります。

ワイナリーの収益を、新しい器具への投資等に回せなくなった為に、
そこそこのものしか作れず、苦しい時代が始まったピーターを尻目に、
ロバートはカリフォルニア・ワイン界のスーパースターとして活躍します。

クリックすると元のサイズで表示します ロバート・モンダビ氏(2006年撮影)

しかし、栄光の道を歩み続けるのはたやすい事ではなく、
Robert Mondavi Wineryは、2004年、
大企業のコンステレーションに売却されます。

皮肉な事に、ロバートへの支払いを終え、ワイン製造に資金を投入することが
出来るようになったチャールズ・クルッグ・ワイナリーでは
今世紀に入ってから、手頃な価格帯で、良質なワインを世に送り出すようになり、
着々とその栄光を取り戻しつつあります。

クリックすると元のサイズで表示します ピーター・モンダビ氏

ロバートとピーター、両氏がワインカントリーに描いたそれぞれの夢は、
現在、息子から孫の世代へと受け継がれています・・・。


Charles Krug のワインをグラスにそそぐ時、
そういえば、こんなストーリーがあったっけ…
なんて思いだしながら味わうのも、楽しいかな?と思って書いてみました☆
(長〜い話をかなり端折ってますが、お許しを〜。)
90歳を過ぎて人間が丸くなったのでしょうか、06年初頭には、公の場で
仲良く集う両氏の姿が見かけられました♪

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2007/7/27

アメリカン・ドリーム 〜 ガーギッチ・ヒルズ物語 最終回  ワインメーカーのお話

裸一貫でアメリカに移民したマイク・ガーギッチ。
彼がナパ・バレーの中心地、ルーサーフォードに、その夢を実現したのは、
今から30年前、1977年7月4日の事でした。

当時コーヒー・ビジネスを売却し、ワインビジネスに乗り出そうとしていたヒルズ氏と、
共同で資金を出し合い誕生したのが、ガーギッチ・ヒルズ。
遂に彼は、自身のワイナリーで、ワインメーカーとして腕を振るう事になったのです。

クリックすると元のサイズで表示します
Grgich Hills Cellar の鍬入れ式を行うヒルズ氏とマイク(右)1977年

「マイクと働くのは、とても楽しい事です。彼は仕事に全身全霊を傾け、
常にワイナリーにいて、細かい所まで目を光らせています。
彼はワインメーカーとして素晴らしいだけでなく、社交術にも長けています。」
と語るのは、パートナーのヒルズ氏。

葡萄園を持たずに出発したガーギッチ・ヒルズですが、
勤勉なマイクは着々とワイナリーを成功へと導き、
現在ではナパの5つの葡萄園、366エーカーを傘下におさめ
シャルドネ、カベルネ、メルロー、ジンファンデル、ソーヴィニョン・ブラン
そしてデザートワイン、合わせて6万ケースを造り出す
有数のワイナリーとしてその存在を誇っています。

クリックすると元のサイズで表示します

マイクの人柄を語る、面白いエピソードがあります。
まだ駆け出しの頃、とある葡萄園が、マイクの心を惹きました。
オールド・ジンファンデルが植えられた畑の中には、オーナーの家があり、
その向こうにセント・ヘレナ山が見渡せる葡萄園です。

「その風景を見ると、故郷にいるような気持ちになるんだ。」と語るマイク。
若くして離れた故郷、クロアチアの山を連想させるこの場所を、なんとか手に入れたいと
思っていた彼は、5年前の2002年、遂にあこがれの葡萄園をその手にしました。

ゴールを定め、努力してそれを実現するのが彼のスタイル。
どんなに時間がかかっても、夢をあきらめないのです。

クリックすると元のサイズで表示します ワインメーカーJeamaz氏(左)

ガーギッチ・ヒルズの次世代を担うのは、一人娘のViolet嬢と
甥であり、クロアチア出身のIvo Jeamaz氏。
Jeamaz氏はバイオダイナミック農法を率先して取り入れているほか、
クロアチアにワイナリーを設立し、現地のワイン水準を高めるなど、その活躍ぶりは
かつて、R・モンダビ氏がナパを牽引していた姿を彷彿(ほうふつ)とさせます。

ナパのシャルドネ、ここにありと世界に知らしめたワインメーカー、
マイク・ガーギッチ氏。
「My dream came true」と語るように、彼はアメリカン・ドリームの体現者なのです。

長い物語を大分端折って訳しました。ブレイクの記事はこちらをどうぞ♪

クリックすると元のサイズで表示します
サタデーナイト・フィーバーの夜(7月7日)のマイク・ガーギッチ氏

全ての葡萄を自家ヴィンヤードで栽培するようになったのに伴い、
ガーギッチ・ヒルズ・セラーは、今年2007年に
ガーギッチ・ヒルズ・エステート (Grgich Hills Estate) とその名を改めました。

ワイン・トレインが停車すると、率先して客のもてなしに当たるというマイク。
「私がいると、売り上げが上がるんだよ」と、元気にその魅力を振りまいています☆


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2007/7/26

アメリカン・ドリーム 〜 ガーギッチ・ヒルズ物語2  ワインメーカーのお話

“汚れた靴下のような匂い”のワイン。
現在では、このようなワインがあったことさえも忘れがちですが、
60年代においては、ワインの製造過程でいかにバクテリアの繁殖などを抑え、
品質を管理するかが大きな問題でした。

当時、ガロ・ワイナリーの研究所では、無菌の微小孔フィルターの実験が行なわれていました。
BVのワイン醸造家であったTchelistcheff氏の息子、ドーミトリーはガロで働いており、
このシステムについて、彼がBVに耳打ちしたところ、
早速マイクも、新しいフィルターを導入した「ろ過システム」を考案し、
革新者としての評判を高めます。(このフィルターは今日でも多くのワイナリーで使われています)

クリックすると元のサイズで表示します 30歳のマイク

「目標が無ければ、達成できない」と語るマイクのゴールは、自分のワイナリーを持つ事。
しかしBVにいては夢を達成できないと考えた彼は、68年、R・モンダビ・ワイナリーに移ります。

当時、カリフォルニアワインの牽引役であり、時代の先端を行っていたモンダビ・ワイナリーは、
より良いワインを造るために、盛んに機械の導入を行なっていました。
表向きには長男のマイケルが公式なワインメーカーであったものの、
それら最新技術の機械を使いこなす事を求められたのは、マイクでした。

4年後、ナパの誰よりもすぐれた最新知識を持つようになった彼は、
ワイナリーに不満があったわけではありませんが、自分の夢を実現するため、
モンダビを後にします。

クリックすると元のサイズで表示します Judgment of Paris(76年)

1972年、南カリフォルニアのジム・バレット弁護士が、新ワイナリーの
ワインメーカーの座と、資産の一部を所有する機会をマイクに提供します。

この二人のタグによって生まれたのが、シャトー・モンテリーナ。
Chateau Montelena's 1973 Chardonnay
73年のシャルドネは、パリスの審判(Judgment of Paris) で
ブルゴーニュを破って一番の座につき、ナパの名声を世界的に広めます。

しかしその成功は、かえって二人の間の亀裂が深まるのを早めました。
現在に至るまで、どちらもその件について多くを話したがりませんが、
この成功が誰に寄与するのかを問う前から、既に二人の袂は分かたれていたようです。

去年(2006年)、ナパのCopiaが開いたパリス・テイスティングの再試合。
バレット氏は主催者に、マイクとは同席したくない旨を伝え、
どちらかひとつを選ぶよう迫られたCopiaは、モンテリーナを選択。
遂にマイクは招待されませんでした。

「マイクは確かにとても優秀なワインメーカーだ。しかし、あのシャルドネは
ナパ・バレーが生み出した賜物で、成功は“ナパ・バレー”に寄与するべきだと思う」
と語る、バレット氏。

歴史的な成功からまもなく、マイクはモンテリーナの自分の持分を売却します。
しかし、それだけでは、やはり自身のワイナリーを始めるには
充分な資金ではありませんでした。

富と名声への道は、決して平らではなかったのです。

クリックすると元のサイズで表示します ガーギッチ・ワイナリーの夕日☆

ブレイクの英文元記事はこちらからどうぞ♪
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2007/7/23

アメリカン・ドリーム 〜 ガーギッチ・ヒルズ物語1  ワインメーカーのお話

トレードマークのベレー帽がお似合いの、マイク・ガーギッチ氏。
今から30年前、「パリスの審判 (Judgment of Paris)」で、みごと優勝の栄光に輝いた
シャトー・モンテレーナ(Chateau Montelena)のシャルドネを造ったワインメーカーです。

これは彼のアメリカン・ドリームの実現と、成功の物語です。


クリックすると元のサイズで表示します

ミリェンコ・ガーギッチは、クロアチアの小さな村で、11人兄弟の末っ子として生まれました。
子供には親戚の名前をつけるのが村の習慣でしたが、何せ子沢山。
使える名前が尽きてしまった両親が彼につけたのは、郵便配達人の名前でした。

「父は毎年、アメリカに渡った私の姉から、一通の手紙を受け取りました。
文盲だった父が受け取った手紙は、あとにも先にも、毎年それ一通だけ。
当時、姉が送ってきた5ドルは、父にはとても大切なものでした。」と語るマイク氏。
彼の父親は、大切な手紙を配達してくれる郵便配達人に感謝の意味を込めて、
息子にミリェンコという名をつけたと言う訳です。

農場で成長したミリェンコは、羊の世話の仕方から、
足で葡萄を潰す自家製ワインの造り方まで、幅広く体得していきます。
14歳になる頃には、従弟の経営する食品雑貨店を管理するようになりました。

しかし、1943年に共産主義がクロアチアを席巻するとともに、店の商品は没収され
彼は共産主義に憎悪を持ちます。


その後、マイクはザグレブのビジネススクールで勉強し、帳簿係となります。
帳簿に囲まれながら1年間働くものの、性格に合わず断念。
ザグレブ大学に入学してワイン醸造学を学び、この頃から
いつかカリフォルニアでワイン造りをしたい…という目標を定めます。

1954年、西ドイツ留学中に、故意にオーバー・スティの身となり
ニュルンベルグの難民キャンプに収容されます。
ここでアメリカのビザが下りるのを18ヶ月待ちますが、中々許可が下りません。
痺れを切らした彼は、友人からカナダへ移住する方が容易であることを聞き、
まずはバンクーバーに渡ります。

カナダで彼はミリェンコの名を「マイク」と替えて、ウェイターから販売員、
製紙工場のエンジニアまでこなして、細々と生活をささえながら、
それでもなんとかアメリカに渡る機会を待ちます。

そして1958年、ワシントン州の聖職者であった甥のツテで、アメリカ入国に
必要とされていた、仕事を保障する手紙を、ナパのワイナリーから受け取ったのです。
当時、貧しさのどん底にいた34歳の彼の手元にあったのは、
一枚のお皿と、1本のナイフだけでした。

クリックすると元のサイズで表示します

マイクの人生に転機が訪れたのは、ロシア生まれのワイン醸造家
Tchelistcheff氏との出会いでした。
ナパに50年暮らす今も、強いアクセントが抜けないマイクの英語。
クロアチア語を話すTchelistcheff氏は、当時マイクにとって大きな慰めでした。

そして2ヵ月後、マイクは彼の推薦により、病気のため穴が開いた
BV (Beaulieu Vineyard) のwine chemistの座につくことになります。
彼のワインメーカーとしての、初めの一歩でした。

こなれない日本語ですみません。
ブレイクのオリジナル記事はこちらでございます☆
いつものように、長いので次回に続きます(汗)
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2007/4/15

ナポレオンの勲章 Dinner for KERMIT  ワインメーカーのお話

自分のいきたい道を見つけて、全力投球でそれに打ち込む。
大変な事ですが、頑張っていれば、努力が報われる時が訪れる…。

先日の金曜日、バークレーのフランス・ワイン輸入業者
カーミット・リンチ(Kermit Lynch)氏の
レジオン・ドヌール勲章 受章を祝う会がサンフランシスコで開かれました。

30年前、ミュージシャンになるか、ワイン界に進むかの岐路で、
ワインの道を選んだ、カーミット

自らの舌をたよりにフランス中を歩き、
「テロワールを体現し、フィルターにかけない、バランスの取れたワイン」を
探し出しては、アメリカに紹介し続けてきました。
(詳しいプロフィールに興味がある方は、Blakeのクロニクル記事をどうぞ♪)

その努力が報われて、レジオン・ドヌール勲章(Chevalier)受賞となったのです。

この勲章は、1802年、ナポレオン・ボナパルトによって創設され
日本人では平山郁夫氏、大江健三郎氏、小沢征爾氏。
米国ワイン界ではR.モンダビ氏、R.M.パーカー氏などの面々が受賞しています。


クリックすると元のサイズで表示します 勲章が光ってますね♪

さて、栄誉ある勲章まで受章した、カーミットのディナー・パーティ。
何が出るか、前日からワクワク、ドキドキ♪
この夜のメニューは、カーミットの親友、シェパニーズのシェフ、アリスの考案

まず、Hog Island オイスターとのペアリングは、シャンパン・バブリーでスタート。
Veuve Fourny & Fils Blanc de Blancs “Primier Cru”

前菜。美味しいと評判のFra’Maniのハム&サラミのお供は
Domaine Maestracci 2005 Corse Calvi Blanc “E Prove”

メインはラム。Lamb ragout with polentaを飾った赤は
Domaine Tempier 2004 Bandol Rouge
Domaine Les Palliers 2000 Gigondas


ドメイン・タンピエは、その昔、輸入業者としてのカーミット氏を
世に知らしめることになったワイン。
一時は低迷していたものの、2000年にダニエル・ラヴィエ(Daniel Ravier)氏が
ワイン・メーカーとなり、再び脚光を浴びています。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します カーミットを讃えるダニエル・ラヴィエ氏

ドメイン・ラ・パリエーは、カーミット自らがフランスに持つワイナリー。
彼の大好きなワインを体現する、とてもスムースで、バランスの取れたワインでした。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
SFフランス領事が下準備に読んだのは、ブレイクの記事だったようで、随所で記事を引用♪
Thanks!


クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
最後を飾ったのはカーミットの親友、ボズ・スキャッグスのミニ・コンサート♪

宴会がお開きとなったのは、真夜中でした☆
受賞おめでとうございま〜す♪

バークレーのお近くにお住まいの方、カーミットのお店はこちらです♪
Kermit Lynch Wine Merchant
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2007/1/30

新世代・モンダビの新たな出発  ワインメーカーのお話

1970年代。カリフォルニア・ワインここにあり♪と、その存在を世界に知らしめる
牽引役となった、ロバート・モンダビ氏のワインはあまりにも有名。

その後、兄弟の諍いやなんたらでゴタゴタしているうちに、
ロバート・モンダビ・コーポレーションが、巨大企業のConstellationに
買収されたのは、まだ記憶に新しい2004年の事です。

そんな中、先週の水曜日、ロバート氏の息子、ティム・モンダビ氏が
新たなワイン造りに取り組んでいる事を公にしました。

買収劇の直後、ティム氏はコンステレーション社との交渉で、
それまで自分達のものであった、オークビルやスタッグス・リープという
カベルネ葡萄種の一等地ともいえる土地の葡萄を、引き続き買えるようにアレンジ。

そのビンヤードで2005年に収穫されたカベルネ・ソーヴィニョンをベースにしたワインが、
2008年の3月にリリースされるとのこと。

カベルネ・フランク(20%)、プティ・ベルドー (Petit Verdot) (20%)をブレンドした
このワインは、同じビンヤードの葡萄から出来た、ロバート・モンダビ・リザーブとも
オーパス・ワンとも違った味わいのワインだとか。

パパ・モンダビも絶賛の新ワイン、どんなお味になるのか、楽しみです。

クリックすると元のサイズで表示します
モンダビ・ワイナリーに行った時の写真より♪(資料)
ワインボトルの写真が一枚もないことに気づきました。そう言えば、わざわざ写真撮った事なかったなぁ…☆


詳しい事を知りたい方は、SFクロニクルのBlakeの記事をどうぞ☆
Mondavi, the next generation
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2006/12/14

ジム・ムーア氏のワイン取扱店  ワインメーカーのお話

12月8日と10日にUPした、ジム・ムーア氏のワインですが、取扱店をお聞きしました。
「皆様が私のワインに興味を持ってくれて、嬉しいと共に、とても光栄です」とのメッセージです♪

☆ サンフランシスコ (SF)

Castro Village
Oakville Grocery
Plump Jack (Noe Valley)
SF Wine Trading and Vino

☆ バークレー (Berkeley area)

Berkeley Bowl
Vino and Vintage Berkeley

☆ ナパ (Napa Valley)

Back Room Wines (Napa)
Dean & DeLuca (St. Helena)
JV Warehouse (Napa)
St. Helena Wine Center (St. Helena)
The Wine Garage (Calistoga)

海外では、今の所、カナダとイギリスのみ進出したそうです。
日本は、まだ予定がないそうです。残念〜☆


クリックすると元のサイズで表示します

上記以外のワインショップでも、ショップにお願いすると、お取り寄せが可能だそうです。

ちょっとお手間ではありますが、近くのワインショップに行って
L’Uvaggio di Giacomo が欲しいので、ディストリビューターのGrape Expectations
(電話 510-412-5969)
に連絡して、取り寄せてくれ〜」と言ってみてくださいませ。

Any local merchant can order them for their customers from our Bay Area distributor
- which is Grape Expectations @ 510-412-5969. (ジム氏のメールより抜粋)


お勧めはネッビオーロ(2000年)とロゼ(2005年)です〜!
2000 L’Uvaggio di Giacomo ll Leopardo California Nebbiolo ($24)
2005 ll Gufo Lodi Barbera Rosato ($10)

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2006/12/10

美しいラベルのワイン、ジム・ムーア氏物語(その2)  ワインメーカーのお話

ある日、Blakeが「ナパに取材に行くけど、一緒に行きたい?」と聞くので
二つ返事で「うん!」。取材同行となりました♪

12月3日、日曜日、Hwy101でサンフランシスコを北上。
ナパの中央を走る29号線からTrancas St. を経て、Silverado Trailへ。
程なく見えてきたのは、建設中のBlack Stallion Winery。

取材の約束は11時。家を出るのが遅れた為、少々心配したものの、道路がすいていたので、
ワイナリーの駐車場に着いたのは、11時ぴったり。ぎりぎりセーフ!

“Just on time!” と言いながら、私達を迎えてくれたのが、ジム・ムーア氏でした。

クリックすると元のサイズで表示します 建設中のBlack Stallion Wineryセラーにて☆

ジム氏は一言で表すならば、地に足の付いたタイプのワインメーカー。
彼のイタリアン葡萄種にかける情熱は、この広いアメリカで一番かも☆
フットワークがとっても軽く、3年前にサンフランシスコの拙宅まで、
わざわざティスティングの為のワインを持ってきて下さったのが、初めての出会い。
きさくな、飾らない人柄。そして芸術家でもあります。

彼のワインl’Uvaggio di Giacomoは、美しいアールデコ調のラベルに飾られていますが、
全てご自身のデザインだと聞きビックリしたのは、私だけではないはず☆

絵はシリーズになっていて、味によって、早朝からフクロウの描かれている深夜まで
空の色、登場する動物などが美しく変化します。

例えばArneis葡萄を使った白Colombi は、軽い味に合わせ、早朝に羽ばたく鳥。
Blakeイチ押しのBarberaのロゼGufoは、朝焼けと噴水。
だんだんと味が濃厚になるにつれて、時間が進み…
BarberaとNebbioloを使った赤Lupoでは、狼と沈みかけた月。


クリックすると元のサイズで表示します  クリックすると元のサイズで表示します  クリックすると元のサイズで表示します  クリックすると元のサイズで表示します
ラベル中の噴水は、メリーベルの前にある噴水にインスパイアーされたとか♪

この日は、奥様もランチに参加♪
St. Helena のthe Martini Houseで楽しいひと時を過ごしました。
(the Martini Houseのレポートは、Christyさんのブログでどうぞ♪)

優しい奥様が仰るには、ジム氏は仕事の鬼。
98年の脳腫瘍手術後も、家にいると仕事ばかり気になって、なかなか療養にならない…。
そこで思い切って、ヨーロッパ旅行に連れ出したそうです。
娘さん達も交えての、家族水入らずの旅行。初めはそわそわと落ち着かなかった氏も
しまいには、心からゆったり旅行を楽しみ、リラックスできたとか☆

クリックすると元のサイズで表示します 右から奥様、ジム氏、ソムリエのロブ氏、Blake♪

なんと言っても、ワインメーカーは体力勝負。
現在ジム氏は、大病のあとなど微塵も感じさせず、精力的にワイン造りに取り組んでいます。

ジム・ムーア氏のワインHPはこちら♪ l’Uvaggio di Giacomo

クリックすると元のサイズで表示します

残念な事に、ディストリビューター受けのいいワインは、真中のシックなタイプのラベルだとか。
来年リリースされるワインのいくつかは、こちらのラベルにシフトされるようです。
アートなラベルをそろえたい方は、いまのうちに是非〜♪
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2006/12/8

Cal-Italsの魔術師、ジム・ムーア氏  ワインメーカーのお話

カリフォルニア−イタリアン。略してCal-Itals(カル・タル)。
カリフォルニアで造られている、イタリアン葡萄種のワインの総称です。

そして現在、一番美味しいCal-Italsを造れるワインメーカーと言えば、
ジム・ムーア氏(55)をおいて、右に出るものはいません。
彼の造るBarbera、 Nebbiolo、 Arneis種のワインは、アメリカでは最高の出来です。

彼は80〜90年代に、R・モンダビ・ワイナリーでアシスタント・ワインメーカーとして活躍。
その時期、イタリアン種の葡萄達に出会います。
けれども98年、脳腫瘍の手術を受けることに…。

クリックすると元のサイズで表示します 陽気で飾らない、ジム・ムーア氏

幸いにも手術は成功。
術後、再び元気になれたのは“天の掲示”と考え、彼はモンダビを後にし、
自分のワインL’Uvaggio di Giacomo (the blend of James)を創立しました。

しかし、現実は厳しいものでした…。

どんなに素晴らしいワインを造っても、アメリカの消費者は、聞きなれない葡萄を使った
ワインボトルを、買い物籠に入れようとしなかったのです。

娘さんの学資の為、一時はボニー・デューンのアシスタント・ワインメーカーも勤めましたが
やはり自分のブランドに専念するべく、離れます。

それでも倉庫に山積みになって行く、ワイン達…。

再び、お雇い業務に携わるか否かを考えていた2005年、転機が訪れました。
ミネソタ州の小規模事業家が、ナパのOak Knoll 地域にワイナリーを設立。
ジムはBlack Stallion Wineryのワインメーカー、兼、副社長に招かれたのです。

ブラック・スタリオン・ワイナリーでは、只今おしゃれなワイナリーを建設中。
Silverado Trail沿いの建物は、来年の春には、オープンの予定です。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
(現在でもトレーラーを利用して、小さな臨時ティスティング・ルームが開かれています。)

同時期、彼自身のブランド・ワインも、にわかに脚光を浴びはじめます。
火付け役は、ソムリエでした。

4年半で、ようやく200ケース出るか出ないかという状況だった、Vin Santoデザートワインは
ソムリエの目にとまり、わずか2ヶ月程で550ケースを出荷。
2006年にトータルで売れた彼のワインは、2,000ケース。過去最高の販売規模でした。

「ジムのワインは、ここの料理にとても合うんですよ」とは、
St. Helenaにある the Martini Houseのワイン・ディレクター、Rob Renteria氏の言葉。
「バランスがよく、決して主張しすぎない。まさに葡萄が語るワインです」

クリックすると元のサイズで表示します ロブ(左)とジム☆マティーニ・ハウスにて

ムーア氏の倉庫には、まだ何百ケースもの在庫が残っています。
彼にとっては大変な事なのですが、消費者にとってはラッキー。
2000 L’Uvaggio di Giacomo ll Leopardo California Nebbiolo ($24)
6年間ねかせたからこそ、醸し出された複雑な風味。とても芳醇な味わいです。

クリックすると元のサイズで表示します アールデコ調のラベルが目印♪

そして2005 ll Gufo Lodi Barbera Rosato ($10) は、おそらくアメリカで
一番美味しいロゼワインのひとつ。

「来年は、もっといい年になるよ」と、意欲満々のジム・ムーア氏でした。


大分意訳してありますので、クロニクルのオリジナル記事はこちらをどうぞ♪
WINEMAKERS TO WATCH
JIM MOORE: L’Uvaggio di Giacomo A lone voice for Cal-Itals finds an audience


次回はゴマの目から見た、ムーア氏の印象をUPします〜☆

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