今日は留守番です。
新宿で楽しくおしゃべりをしたこと(
hugoさんありがとうございました)、
を思い返してみたり、部屋のBGMで中谷美紀が「ベルリンの壁が街に消えた夜 感じた勇気に似て」と歌っていたり、
室生犀星の短編を読んで本をぱたんと閉じたり。
こんな瞬間、すぐに忘れてしまう。そんなときは遠くを見たくなります。何故か、無性に。上手く言えないけれど昔からそうでした。この世界のスケールの大きさを感じたがっているのかもしれない。
でも、窓を開けて空を見てもいつものように気がおさまらない。
すると、「世界(自己)に外がない」とわめいていた私も、なんとなく閉じ込められているような気がしてきます。
・・・でも、だれに?
とにかく「遠く」へ呼びかけたい。だれかに電話してみようかな、と思いました。
そういえば私はもっとずっと幼い頃、電話機で滅茶苦茶な番号を押して遊んでいた。相手が受話器をとる音がするとすぐに切って。
そんな私にお母さんは
「知らない家にいたずら電話はしちゃ駄目。何故かって?たとえば今やっと眠った赤ちゃんがそのコール音で目を覚ましちゃって泣き出して、あやすのに疲れたその若いお母さんがまた困っちゃうかもしれないでしょ」
とよく訳のわからないことを言って私を叱った。
私は赤ちゃんをあやしたことはないけど、母性はあります。
子宮の病気で激痛がして病院に運ばれ、入院二日目の朝にやっと強い痛み止めを点滴して、痛みがなくなったとき。確かに私は喪失感を感じました。泣き喚く赤ちゃんを取り上げられてしまったような。
私が会ったことのない、母方の亡くなった伯母(勝手にシンパシーを感じている)は病気になった際、
「痛みを自分と切り離して考えるの。痛みってなんだろう、痛みって他にどう形容するのかなって」
と言っていたそうです。切り離された痛み・・・。
そう考えていると、なんだか家のどこかに伯母がいるような気がしてきました。
遠いひと。。
ふと思いついて家を出て、近所の電話ボックスに入りました。そして私の家の番号を押してみました。
ぷるるる ぷるるる ぷるるる
もちろん、だれも出ない。やっぱり、伯母は家にいない。(当たり前ですが)
それでも。まだ痛みが遺ってるはずだ。
私は考えてみました。電話口の向こうを。びっくりして泣き出す赤ちゃん。それは伯母の痛み、切り離された痛みです。でもあやす若い母親はいない。だって伯母は死んでしまったのですから。痛みがまだ生きていても。
だれもいない家で、泣く赤ちゃん。無視して部屋に響くコール音・・・。
そうやって想像しながら、いつまでも緑色の受話器をにぎっていました。
伯母さん、私を閉じ込めないで。
空を見上げると雲はすぐ近くで漂っていました。

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