花かんむり(小説です・長いのでさらっと目を通したい方は他のをどうぞ。。)
首から上だけの女神は白い石膏で出来てありました。私が見つめていたのに気づいた大叔母は、
「それはね、デッサン用なの。あなた、眠るときにこれがあると怖い?どかしましょうか」
と言いました。女神の頭にはドライフラワーの花かんむりが乗せられていて、実は私はそれが気になっていたのです。
「この石膏像はあたしが学生のころ買ったのよ。学生のころ!遥か昔のことだわね?これ、泣いているようにも、笑っているようにもみえるのよね。ではおやすみなさいね。」
大叔母はそう言って寝室から出て行きました。
初めて泊まるこの部屋は本で埋もれていました。大半は海外の推理小説のようです。ここはアトリエではないのに、微かに油絵の具の匂いもします。私はベッドのなかに入って花かんむりの石膏像を眺めていました。眼球のない、悲しそうな、泣いているようなその目は何を見ているのでしょう。
花かんむり。
思い出すのは姉のことです。確かよう子という名前でした。生まれてから、五歳まで病院で生きました。私が生まれたのはその亡くなった二年後です。仏壇の写真の幼女は頭髪がなく、チューブを鼻に通していましたが、目を細めてにっこりこちらを見て笑っていました。
(よう子はねえ、幼稚園の先生になりたいの)
生前そんなことを言っていたそうです。姉は幼稚園には通えない身体でした。
(幼稚園にはたくさんコドモがいるでしょ。それで花畑にピクニックに連れて行くの。コドモを。よう子は先生だから色々教えてあげるの。みんなに、花かんむりの作り方教えてあげるの。)
姉はお見舞いでもらった花で花かんむりを作るのが得意だったそうです。医者や看護婦にしょっちゅう花かんむりをプレゼントしていた、と母に聞きました。わたしにももちろん作ってくれたから、病院から家まで、電車のなかでもそれを被って帰ったこともある、とも。姉のことを話す母の目はいつも虚ろで、でもあの子は自分では花かんむりは被らなかった、と私に聞かせたときなど、骨が透けて見えるほど痩せてしまっていました。
思いついて私は立ち上がり、かばんのなかからスケッチブックを取り出し、ボールペンで石膏像をデッサンしだしました。夜は深く、時間をどこまでも潜っていける。そうやって描いていて、インクで手が黒ずんだところで、もう遅いから寝なきゃ、と気づき、スケッチブックを閉じて再びベッドに入り、眠りにつきました。
眠りのなかで、私は幼稚園の先生でした。子供たちを引率して林の中を歩いていました。夢では私はすっかり大人で、姉が生きていたら達していたであろう年齢でした。背後の子供たちの話し声は何かの楽器のようできらきらと響きます。開けた花畑に着きました。私たちは座り込みました。辺りを見回すと、花も、草も、子供たちも太陽を反射して光っています。深呼吸をすると私はここではちゃんと呼吸ができるんだ、と知り、空気を吸い込み、息を吐き出すことを丁寧に丁寧に繰り返しました。
(ねえせんせ、花かんむり作って)
女の子が私に言いました。よく見るとそれは写真で見た姉でした。私は不思議に思って言いました。私は自分を姉だと思っていたから。
(よう子ちゃん、あなた、先生になったんじゃなかったの?)
夢で姉は幼い姿なのです。
(だって花かんむりが作れないんだもん)
仕様がないから私は摘んだ花を懸命に輪にしようとしましたがどうしてもできない。花は生きているかのように私の膝の上を這って逃げていくのです。散った花びらはひらりと羽ばたいて飛んでいってしまうのです。
幼女の姉は泣き出しました。しゃくりあげてあんまり泣くので私はどうしていいか分からずにおろおろしました。
(ああん、あああ、終わっちゃうよお)
終わる?そこで私はここが夢だって分かりました。いつだって夢のなかには終わりという概念がないのです。終わりに守られていないというべきでしょうか。では姉はここが現実なのでしょうか。
とにかく姉の涙は止まらない。あふれて頬をつたい、次々と・・・。
次の日私は大叔母の用意したさっぱりとしたワンピースに着替えました。
「そんなに緊張することないのよ。椅子に腰掛けているだけでいいんだから。」
靴を履くときに見た、玄関の姿見に写るのは五歳の幼女でもない、幼稚園の先生でもない、いつもの私でした。
大叔母の運転する車で、普段は自治会館として使われている教室に着きました。大叔母の昔からやってる絵画教室です。すでにお弟子さんたちが私たちを待っていました。私は絵画のモデルとして呼ばれたのです。お弟子さんたちは中年の女性ばかりで、にこやかに迎えてくれました。
中央の椅子に腰掛けると、みんなイーゼルで私を丸い形に囲みました。キャンバスを前に、鉛筆や絵筆を握って。みな大叔母を見つめる。私はこのとき、大叔母を美しいと感じました。若さとかお化粧とかあるいは美人云々では演出できない、それは大きな猟犬がときどき見せるような優美さに似たもの。まっすぐ前を向いて。
「では二十分のポーズ。はじめ。」
大叔母の声。みなはめいめいに私とキャンバスを交互に見て手を動かします。下書きをしない人はパレットに絵の具を絞ります。私はただ一点を見つめます。大叔母はゆっくりと歩き、一周。そして二周。三周目に入ると一人一人に指示を与えだしました。
「腕の関節が細すぎるわ」
「無理に画面に収めなくていいからもう少し長く」
「背景の色、すごくいい」
「この首のつき方だと、頭が転がり落ちてしまうわ」
「手は、実物より大きいほうがいい、なんて言うくらいなのよ」
先生、と言って質問する人もいました。
「どうやって形をとらえたらいいんですか?」
私の正面の人です。やってきた大叔母はその人のキャンバスをしばらくにらみ、
「でも素敵よ。何かを考えているような顔、表情をしてる。みなさん、そういうことも大切ですよ」
一瞬、静止。全員が私の顔を見ました。
私は、と思い、そして思考が二の句をつなげなくなったのを感じました。ええと、私は・・・。そもそも「私」の、意味が分からない。夢がまだ続いているようでした。
でもそれは本当に一瞬。全員また手を動かし始めました。みな、私が何を考えているのかを、描きとろうとしているんだ。私が、感じ、考え、想う。でもそれって、その「私」って「あの子はこう感じ、考え、想うんだろうな」というみなの空想ではないだろうか。「私」なんていなくて。こうやって輪になって囲んで、真ん中の人物を受け止める。受け止めはするけど、同じように見えては、いない。受け止めては、いない。もしかしたら輪の中心には何もないのかもしれない・・・。「私」は、いないかもしれない・・・。少しずつ、透明に消えていくような感じ・・・。
「はい、五分休憩」
大叔母の大きな声。頭の芯を弾かれたようにはっとしました。お弟子さんたちに、疲れない?とか体、こりない?などと聞かれましたが、首を振るばかり。まるで首を振ることしか出来ないような人形のように。
お弟子さんたちは談笑しながらお互いの絵を覗き込んでいました。そして五分後、大叔母が手をぱんと叩きました。ざわめきが沈殿して、また大叔母の声。
「みなさん席について。二十分ポーズ、始め。」
大叔母との別れ際、ホームで電車を待っていると、
「あなたは昔、人形に遊んでもらってるのって言ってたわねえ」
と言われました。
「あの人形は私があげたのよ。きみちゃん−あなたのお母さんね−それ見て泣くの。よう子が人形に乗り移っているみたいって。きみちゃんも未だにお人形さんみたいなものね。誰が所有されている人形かって分かればあんな病院出れるんだろうけど」
そんな意味深なことを言って、大叔母はきみちゃんによろしく、と付け足しました。母はちょくちょく入院するのです。姉が亡くなってからだと聞きました。
「あなたは最近描いてるの?」
いいえ、と言ってから思い出し、かばんからスケッチブックを出して昨日のデッサンを見せました。大叔母は目を細めて眺め、
「ふうん、いいじゃない」
と言いました。
改めて日光のなかでそれを見て私は、涙がこぼれました。
伏目がちな花かんむりの女。姉が生きていたら、こんなふうだったのかもしれない。・・・否、これは、姉だ。絶対に、花かんむりを被った、姉だ。
でも私は、だからといって特に深い感慨も感じてはいなかったのです。ただ、夢のなかの姉の涙を、いま私がにこの現実の世界で代わりに流しているのだと思いました。
今日はとても晴れています。向かいあわせにいる大叔母は逆光を背負って、影のように黒い。そしてその黒い影になった大叔母が、
「笑ってるわよ、この絵の女」
と言うのでした。
終わり
※これはフィクションです。
花かんむりをくれた人に。夢のなかで会う人に。looneyより。