2018/8/17

友愛という袋の中  
cabさん(@C4Dbeginner)という方が、Twitterで語っておられたどらえもんで語るヒューマニズム表現の話。

                       


いきなり話が飛びますけど、ドラえもんの32巻に「しずちゃんさようなら」という名作があるんですよね。こんなダメな自分ではしずかちゃんを不幸にしてしまうと悲観したのび太が、しずかちゃんに嫌われるためにさんざんロクでもないことをした上に、ついには秘密道具の「ムシスカン」を服薬する話。

「ムシスカン」によって化学的に合成された生理的嫌悪感で、当のドラえもんはおろか、実の母親までがのび太から逃げ出す。その中で、ただ1人しずかちゃんだけが嫌悪感による吐き気をこらえながら、のび太を助けるためにガスの中に突っ込んでくる。

藤子不二雄がすごいなと思うのは、のび太を助け出して薬を吐かせたあとにしずかちゃんが言うセリフが「あなたが好き」とかではないんですよね。「友だちだもの」という。そして激しく怒る。しずかちゃんはのび太が自殺しようとしたと誤解しているんですけど、そのことについて見たこともないほど怒る。

藤子不二雄がこの短編で何を描いているのかというと、のび太は恋愛主義者なんだけど、しずかちゃんはヒューマニストであると書いてるんですよね。しずかちゃんはのび太が好きだから恋愛感情で助けにくるんじゃないんですよ。「友だちだもの」という理性で吐き気をこらえて嫌悪感の中を突っ込んでくる。

                       

去年TLで見かけてほんとに首肯しまくったんだけど、まんがのテーマが恋愛じゃなくて、このしずかちゃんのような「友愛を描いた話」がずっと好きだったんだ。
 でも昔は恋じゃない愛情をテーマにした漫画、特に少女漫画ではそのテの話が少なくて、ぶっちゃけ自分が描いた漫画を人に見せるようになったのって(同人誌や投稿なんかで)そういう話が描きたかったのがとっかかりだったような。

 だから主に学生時代、私はわりとメインに男の子しか出てこない話(アニキやおっさんも含む)をよく描いてたけど、別に恋もセックスもなくて「これはBLじゃないよな?」と惑っておりました。
 男同士にしたのは男女にしたら恋愛と受け取られてしまいそうだから。女の子同士よりあっさり描けて、メンタルより話の流れを追いやすいから。

 と今なら解読できるんだけど、当時はほもも描けなきゃNL恋愛ものも描けない、なのにページ数だけ爆上がりで俺はだめだめだーーーーーーと膝をついていたものです。でも自分がココロ動かされるものやありようを描きたい、となるとやっぱりこういう話になってしまうんだよね…

 cabさんがくだんのTweetの後で書いていた占めがこれ↓


「さすがしずかちゃん、近代主義者だな」という。「自由、平等、友愛」の友愛ってこれですからね。人間という同胞(友だち)であるという理由で好き嫌いを乗り越えて突っ込んで助けにいくという。「自由・平等・恋愛」でもないし「自由・平等・性愛」でもないわけです。


                

 友愛っていうのは「友達と仲良くする」友情ってだけじゃない、他者への誠実さ、見返りを含めない愛情、共感、憐憫、行動する意気などなど、たくさんのものを含んでいると思うんです。それらが一言で表しずらいからこそ、漫画とか小説みたいな「疑似体験で語る」表現にしっくりきやすいんじゃないのかな、とつらつら思った次第。

cabさんの記事まとめ
4

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ