2018/8/12  21:48 | 投稿者: 時鳥

一週間以上前に豆苗を買った。
茎と葉はもう食べてしまって、残った種と値を水につけて、2回目を育てている。
トレーに置いて朝晩水をかけ、根がつかる程度に水を張る。
在宅時は邪魔にならないよう電子レンジの上、朝は明るい窓際に置いてから出かける。
芽がひょろひょろと伸び上がり、巻きひげのある先端がクエスチョンマークを緩くしたようなカーブを作る。
数十本の苗が、全員、同じ方向を向いている。
植物性のミーアキャットのみたいに。
2

2018/7/24  22:22 | 投稿者: 時鳥

手の届く位置に扇風機を置いている。
ずいぶん長い時間あたってから、扇風機を止める。
止めた途端、全開にした窓からわずかに風が入った。
扇風機の安定した風量よりもよほど涼しく感じる不思議。
涼しさって、きっと、瞬間の感覚なのだろう。
寒いと暑いは持続する感覚。熱いは瞬間、冷たいも瞬間。
1

2018/7/16  21:24 | 投稿者: 時鳥

図書館の行事カレンダーをもらった。
A4、両面印刷。右端に以下の注意が書いてある。
「裏面もご覧ください」
裏返す。
右下の隅に以下の注意が書いてある。
「裏面もご覧ください」
一体全体、どちらがおもて面なのか。
首をかしげる。

理解する。
今見ている側が常におもて面なのか。
一理、ある。
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2018/7/14  8:41 | 投稿者: 時鳥

LIXILブックギャラリーが今月20日で営業を終了する。
あ。ついにここまで来たか。
ニュースを聞いてまず思った。

LIXILブックギャラリーは銀座のLIXILビルの1階にある小さな本屋だ。
LIXIL出版の書籍がそろっているのはもちろん、デザインや建築、工芸、動植物の本も面白い品揃えで、本を選ぶセンスがとても気に入っていた。
LIXILの直営店なのでつぶれる心配はほとんどしていなくて、それだけに今回の閉店はかなりショックだった。
紙の本の時代が終わりに近づいていることを、あらためて実感する。

紙の本が電子書籍やWEBの何かに置き換わりつつある。
ロードマップはカーナビに、時刻表も電話帳もWEBサービスに、語学書は音声、図鑑には動画もつくようになった。
20年前は紙に印刷して出版する以外、選択肢がなかった情報がどんどん電子化されて、紙と印刷の領域から逃げ出している。
紙の本が印刷されなくなる日が来るとは思っていない。
紙であることに意味があるものは残り続けるだろう。
ただ、何でもかんでも紙に印刷して出版していた時代は終わろうとしている。
墨と筆が標準的な筆記用具でなくなった今も、筆で書く人はいるし、馬が標準的な輸送手段でなくなっても、競馬や乗馬や馬車は存在し続ける。
それと同じように、紙の印刷物は主流から外れて、縮小して残るんだと思う。
情報の新しさが求められるビジネス書や流行の実用書は紙より電子書籍に向いているし、売れるかどうかわからない本はまず電子書籍で出版してみて、売れるなら紙でも出版するという流れになっていくだろう。
紙の本の出版点数は減って、部数も減って。
おそらく20年後には、紙の本をたくさん置いた書店というのは、一種の専門店になっているだろう。
カード専門店やキッチンツール専門店、書道用品専門店と同じように。
紙の本は注文するもので、大量の本を手に取って選べる場所は贅沢な空間になる。

通りすがりにふらっと書店に入って、きのこの写真集をぱらぱらめくる。
それだけがどれだけ豊かなことだったか、後で気づいて、きっと愕然とするんだと思う。
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2018/6/29  22:17 | 投稿者: 時鳥

結膜炎は治ったのだが、今度は左のまぶたの裏にできものができた。
眼医者に行くと、結膜炎でもらった目薬を注し続けるように指示された。
それも、結膜炎の時は日に4回だったのを、6回に増やせと言う。
目薬は2種類あって、それぞれの目薬は5分以上の間隔をおいて注さなければならない。
ということは、一日に8回、目薬の時間があるわけで、割と一日中、
頭のどこかで目薬のことを考えることとなる。
2種類は順不同で使えるが、同じ目薬ばかり注さないよう、さっき注したのがどちらか、
覚えておかなければならない。
私の場合は2種類だから混乱はないけど、これが4種類だったら必ずどこかでわからなくなるだろう。
秩序を守るための仕組みが必要になる。

目薬の容器は同じ大きさ同じ形状で、ふたやラベルの色だけが違う。
なら、ちょうど目薬が押し込める太さの筒を作って、注したものは筒の後ろから入れ、
常に筒の先頭にある目薬を使うようにしてはどうだろう。
ファーストイン、ファーストアウト。FIFO。ガチャ玉やラムネ菓子のペッツと同じ仕組みだ。
一般的には、目薬に番号を書き記して、さっき注したのが何番かを覚えておくんだろうけど、
忘れても正しい目薬が注せる仕組みを、何かしら考えたほうがいいと思う。
それがちょっと面白い仕組みならなお結構。
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2018/6/21  21:54 | 投稿者: 時鳥

「疲れてますか?」と内科医に尋ねられて、
「疲れてますねえ」としみじみと答える。

風邪をこじらせて結膜炎を併発して仕事を休んで医者に行く。
喉の痛みが一週間以上続き、妙に治りが遅いのが気になって医者に行ったのだが、結局はただの風邪だった。
この3ヶ月、異様に忙しかったので限界が来たらしい。

『看護技術プラクティス』という看護士さん用の参考書を開いて、「点眼法」のページを熟読してから目薬をさす。
涙嚢に薬液が入らないように、目頭を押さえる必要があるのだそうな。
ベッドでトローチをなめながら、ほかのページもぱらぱらとめくる。
学ぶことは多い。
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2018/5/13  21:14 | 投稿者: 時鳥

『科学道100冊 ジュニア』をめくっていた。
子供向けの科学の本を100冊紹介している冊子で、少し前に書店でもらってきた。
100冊は、文章の説明がついているのが大体30冊ぐらいで、残りは表紙写真と題名、
それに本の大きさと重さしか掲載されていない。
出版社も作者も価格もないのに、大きさと重さはある。
巻末のリストにはすべての本の出版社と作者が載っているが、やはり価格情報はない。

買う時には、価格が重要だ。
でも買った後は、その本がいくらだったのかはほとんど意識しない。
どんな手触りで持ち重りで、大きさなのかの方がずっと重要な情報だ。
持ち運べる本か、居室内限定の本かでその後の扱いや愛着がかなり違ってくる。
売り手と買い手には価格情報は必須、けれど読み手にして見れば、重さと大きさが重要。
この先、わざわざ紙の本を選ぶってことは、書籍の持つ、物としての側面を重視するって
こととだんだんつながってくるんじゃないかと思う。
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2018/5/6  7:42 | 投稿者: 時鳥

3年くらい前から、植木鉢で雑草を育てている。
勢力図は毎年異なり、今年はニワゼキショウが覇権を握っている。
4月19日に最初の花が咲いてから、毎日毎日、20以上も花が咲く。
4月21日にはアカバナユウゲショウの花も咲き始めたが、こちらは多くても一日5つ程度で、5月に入ってからはほとんど咲いていない。
去年、一昨年はクローバーが一大勢力だった。が、去年の春、大量のアブラムシが発生し、クローバーについたため、地表部分は全部捨ててしまった。
アブラムシは最初はカラスノエンドウに付いていて、こちらも花を待つどころではなくなって全部抜いた。
虫が付かなかったニワゼキショウはそっくり残り、そしてこの春の大勢力となった。好きな花ではあるのだが、ちょっと生やしすぎたかとも思う。
ほとんどは花弁が赤紫、根本が黄色の花だが、白っぽい花の咲く株が1株だけある。そちらはもう少し増えて欲しいので、種を取り損ねないように茎に糸を結んでマーキングしている。
別の隅では、イチゴらしき葉が広がっている。去年、東大の構内で萎びたイチゴの実を見つけ、植木鉢に突っ込んでおいた記憶がある。
その横では、小さな三つ葉が生えている。クローバーは捲土重来を図っている。
近所の道端で目をつけていたカラスノエンドウがいよいよ熟し、莢が真っ黒に色付いた。はじける前にいくつか採取する。前回アブラムシがついたあれは、ひょっとしたらカラスノエンドウじゃなかったのかもしれない。
タチイヌノフグリ、キュウリグサ、カキドオシと推定される種も入手する。
ニワゼキショウの花期が終わったら区画整理して、それらを巻く予定。
一昨年に一大勢力だったマメグンバイナズナは、10cmにも満たない低い丈のものが数本生えて、小さな白い花をひっそり咲かせている。
これくらいが個人的には可愛いと思う。
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2018/4/11  23:09 | 投稿者: 時鳥

時計として使っているストップウォッチの電池が切れかけている。
線が消えて、2か3かわからなくなる。
Eに見えるものを眺めて、6か8か考察する。
もう次の電池は購入済みだから交換すればいいようなものだが、はっきり見える時もまだまだ多い。
まるで、寝ぼけていた人がしゃっきり目覚めたかのように感じられる。
人間臭さを勝手に感じているうち、ストップウォッチの調子をうかがうのがだんだん面白くなってきてしまった。

数字がかすれる部分は、よく働いている部分なのかもしれない。
ふとそんなことを思いつく。
デジタル時計が0から9の数値を表示するとき、7本の線のどこを使っているかを調べてみる。
右下の縦棒は2以外の9つの数字で使われていて、いちばんの働き者。
左下の縦棒は2680の4つの数字でしか使われていない、いちばんの怠け者。
調べたけれど。
かすれる部分とは特に関係がなかった。

のんきな研究、おわり。
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2018/4/3  6:35 | 投稿者: 時鳥

宇宙人っぽいしゃべり方をして、と言われた時、私たちはみんな、同じようなしゃべり方をする。
でも、宇宙人にあったことのある人はいないし、宇宙人は日本語を話さない。
「あたくしは知らなくってよ」と言えば、聴き手はお嬢様っぽさを感じとるし、話し手も聴き手がそう感じることを知っていて発言している。実際のお嬢様がそんな話し方をするかどうかは問題にはならない。
そんな、人物像と密接に結びついた話し方を「役割語」と呼ぶ。

2月に国立国語研究所のフォーラムを聴きに行った際、この本の著者の発表があり、そこから興味を持ってこの本にたどり着いた。
この本ではお嬢様語、老人語、宇宙人語といった現実の人物とは落差のある、ピンポイントな役割語に焦点が当てられているが、先日の発表では女言葉をはじめとする幅のある、細かいレベルの設定が可能な言葉について多めに語られていた。
本によると、標準語は誰のものでもない言葉で、すべての役割語の基準になる特殊な役割語だそうだ。
役割語の特徴は、人称代名詞と語尾に主に現れる。
普段話すとき、私たちは場にあわせて語尾や語彙や人称代名詞を選んでいる。
仕事の話体(スピーチスタイル。文体の話し言葉版)に砕けた言葉を混ぜたり、語尾を硬くしたり柔らかくしたり、自分のことを「お姉さま」と呼んでみたり。
そう考えると、私達が話す一言一句はどこかしらに役割語の化粧が施されているのかもしれない。

『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』金水敏 岩波書店 2003年
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2018/3/31  0:05 | 投稿者: 時鳥

改札口にSUICAをあてる。
長年、薄いカードを平らにして、接触面積が大きくなるようにしていたのだが、
まな板に庖丁をあてる要領で立てて滑らせても通過できることに、
最近になって気づいた。
通過する際の感触の心地よさを求めるなら、カード型より刷毛型の方がいい。
薄いカードは収納には便利だけど、あてる際に指先から滑り落ちそうになる。
刷毛かブラシですうっとなでるように通過できたら気持ちがいいと思う。
むにっと柔らかい、ビーズクッションか融けた保冷剤みたいな感触のものでもいい。
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2018/3/19  22:15 | 投稿者: 時鳥

『ベッドサイドの数値表 第2版』には、「ナース・看護学生のための」という副題が付いている。
そういう方々が現場で使う数値の類がわかりやすくまとめられたハンドブック。
縦19cmくらいの普通の単行本サイズなので、白衣のポケットに隠し持つのではなく、詰め所とかロッカーとか勉強机とかに置いていたのだろう。
古本屋の200円均一コーナーで発見し、購入した。
元の持ち主の書き込みがところどころに残る。

出版は1990年。30年近く前の本だが、タグ辞典とは違って、時間の経過が信頼の低下には結びつかない。
人間の腸の長さや死後硬直の起きる時間は30年ぐらいで変わるものじゃない。
「老人看護に必要な数値」の章はデータが古くてあまり参考にならないけど。
使い方としては、実際に困った事態が発生した時より、平和な時にぱらぱらめくることが多い。
自分に適した松葉杖の長さを算出したり、関節稼動域の図に従って身体を動かして納得したりして、のんびりと使っている。
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2018/3/19  22:04 | 投稿者: 時鳥

今では使わなくなった辞典。
仕事でHTMLを扱うようになった頃に買って、自分のサイトを作るときにもタグ辞典を引きながらHTMLを手打ちしていた。
今はWEB検索で調べてしまうから、タグ辞典の出番はない。
同じく仕事で使うJavaScriptやSQLも、かつてはリファレンス本を使っていたが、今はWEB検索しか使わない。
技術がすぐに進んで変わってしまうので、数年前の本がもう役に立たないのだ。
図書館で技術書の棚を眺めることがあるけれど、本を手に取ったらまず、
いつ出版された本なのか確認し、5年前だったら話を3割くらい差っ引いて読むことにしている。
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2018/3/11  20:01 | 投稿者: 時鳥

何十年か前のある日、大学図書館に行くと、カウンターの側に廃棄本のワゴンが出ていた。
背表紙を眺めていると、小さな英語の辞書に目が吸い寄せられた。
ぴっと一本釣りしてきたのが、本日の辞書、
『THE OXFORD MINIDICTIONARY OF FIRST NAMES』だ。

大きさは、縦12.5cm、横8cm。蔵書の中で最も小さな本だ。
版元は、ニューヨークのOxford University Press。
英語圏のファーストネームを約2000種類集めて、意味や由来、読み方、男女の別などを説明している。
裏表紙の説明によると、「子供にぴったりの名前を探すご両親だけでなく、自分自身や他の人の名前に付いてもっと知りたい方のためにも作られています」とのこと。
アメリカでは、命名辞典として使われているのかもしれない。

「『フラニーとゾーイ』のゾーイって、どういう意味?」とか、
「ブリンって、どこの国の名前?」とか調べたいときに使う。
語釈も英語だけど、そんなに難しい言葉で書かれていないから何とか使えている。
なにより、名前を調べて「これ、こういう意味だったのか!」とびっくりする楽しさは何にも変えがたい。ラストネームの辞典もあるなら、欲しいくらいだ。
本や映画の登場人物、アーティストの名前として長年慣れ親しんだ名前が、一瞬にして新しい意味を帯びる。こんな瞬間、他の辞書ではなかなか味わえない。
「ナディア」がロシア語起源の名前で、ナデジダの愛称で、「Hope」という意味だなんてことが一直線に出てきて、「ふしぎの海のナディア」との関係にしばし頭が飛躍する。
昔の漫画や子供番組に出てくる名前を片っ端から引いたら、何かしら面白い結果は出そうだけど、それは意地の悪い揚げ足取りにしかならないので、あまりやりたくない。
つい見つけてしまうのは仕方がないにしても。
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2018/3/7  22:25 | 投稿者: 時鳥

引き続き漢和辞典について。

数千年前の中国で、何を元に考え出された文字であるかは載っている。
漢音、呉音、日本に来てからの訓読みも分かる。
最初はどんな意味で、そこからこんな意味に転じた、という歴史もわかる。
でも今の中国ではどんな音で、どんな意味なのかは載っていない。
それは中国語辞典の役目だ。
ということは、これは日本語の辞典のひとつなんだろうけれど、
それにしては遠慮がちだ。
国語辞典では、最新の言葉を盛り込んだ改訂版が盛んに出版されるけれど、
漢和辞典ではそんな話は聞かない。
過去に焦点が当てられて、歴史的、伝統的な事柄ばかりが書かれている印象を受ける。
今の、この時代を写し取ろうという視点が漢和辞典には希薄だ。

漢和辞典は、一種の外来語辞典なのかもしれない、と不意に気づく。
よその国のものだから、勝手に漢字の意味を変えてはいけない、と、
辞書を作る人は思っているのかもしれない。
でも、外来語辞典には新しい言葉や和製英語がふんだんに入って、
耳慣れない、言ってみれば変な言葉ほど取り上げようとするけれど、
漢和辞典はその点、逆だ。
出典のはっきりした由緒正しい語ばかり取り上げたがる。
単なる思いつきだが、漢文が偉かった時代の感覚が人々の中に残っていて、
漢和辞典を権威と結び付ける固定観念が働いているのやもしれぬ。
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