何となく辞書を眺めている時に突き当たった言葉。「あめつちのふくろ」と読む。
平安時代などに女の子が新年の祝い物として作った袋で、幸福が逃げないように上下とも縫い合わされているのだそうだ。
「天地を袋に縫いてさいはひをいれて持たれば思ふことなし」
袋と一緒に、こんなおまじないのような歌が唱えられる。
語釈を読みつつ思う。
じゃあ、その幸いというのは、一体どこから入るんだろう。
幸いというのは、封じ込められても幸いなんだろうか。
私ならむしろ、上下ともに縫わないで、上からも下からも幸いが入るように作る気がする。
この違いは多分、天地の袋を作る人と私との間で幸いの捉え方が違うから生まれているのだろう。
私は、流動物で溜めておけなくて、気負うと逃げるくせに、風通しを良くしていると勝手に集まってきたりするものだと思っているからそういう袋になる。
天地の袋を作る人は幸いをどんなものと捉えていたのか。
少し考えて、不意に気づいた。
もしかしたら、これは人と交換するものなのだろうか。
そこら辺を飛び交っている幸福を捕まえるものではなく、自分のストックの幸福を詰めこんで、色々な人と交換する。
もちろん、自分のストックは減るけど、代わりに他の人の幸福を受け取る。
受け取った分が単に加算されるなら、プラスマイナスでゼロだ。
でも、幸福の場合、乗算って可能性が否定できない。
とすると、減った自前にもらった分を掛けるから、総量は元よりも随分増える。
経済性を考えるなら、少なく渡して多く貰うのが一番利益が大きいけれど、袋に含まれる幸福量は結局のところ、受け取った人が量るものだ。
だから、少なく渡すと、もっと少なくしか貰えない気になるので、逆に損をする。
充分と思えるだけの量を思い切り良く渡すのが、この場合、おそらく一番利鞘が大きい。

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