今でこそ方向感覚のいい方だと自負しているが、確か、中高生の頃までは方向音痴まで行かないにしても、それほど方向感覚がよくなかった記憶がある。社会人になって、地図を使ってあちこち歩くようになってから、簡単な案内図で目的地にたどり着いたり、勘で方向をつかんだりがそこそこできるようになったようだ。
だから前々から、方向音痴というのはある程度、経験や訓練の問題ではないかと思っていた。
そもそも「方向オンチ」とは何なのか?能力なのか?
そこから本書は始まっている。いわれてみれば、地図を利用して初めての場所にたどり着けないのも、何度も行ったことがある場所なのに迷うのも、駅を出た途端、進む方向がわからなくなるのも、同じように方向音痴と呼ばれるが、それぞれで使う能力は異なっているように思う。
本書では、方向感覚に関する先行の研究の紹介やエピソード、著者たちが行った実験や観察の結果など、方向音痴に関係する様々な話題を取り扱っている。
その上で著者たちは、「方向オンチ」とは移動能力に劣っている人ではなく、外部にある情報を適切に利用するのが苦手な人のことをいうのだと結論付ける。
コンピテンス(能力の有無)の問題ではなく、パフォーマンス(能力の発揮)の問題なのだそうだ。
それから、地図に問題がある可能性もあるという。
街角の案内図には確かに頭の中でひっくり返さないと正しく動けないものも多い。
世の中ではそれが当たり前で、それが出来ないのは方向感覚に問題があるように思われがちだが、ここは逆切れしてもいい。反転しないといけない地図が悪いのだ。見る人全員に余計な頭を使わせている。
自分には当たり前のことが、他の人には当たり前でないことに気づく。
例えば、言葉で道案内する場合、私は、必ずランドマークを使う。
「ローソンのある角を曲がって、歩道橋の手前の十字路を右に曲がって、門の上にシーサーがいる家の向かい」のような案内をするけれど、世の中には、特に男性には、東西南北と距離で案内する人がかなりいるそうだ。
私はそういうのはほかに目印がないから仕方なくやっているだけで、「高架の手前の横断歩道」よりも「東に50メートルほど行ったところの横断歩道」と言われた方がぴんと来る人がいるとは思ってもみなかった。
そういえば私は、○○から何軒目とかもほとんど覚えていない。目的地の外観をフィーリングで伝えることのほうが多い。
また、ビデオを使った道案内の実験が取り上げられていたのだけど、成績上位者と下位者では、同じ道を通っていても注意しているものが面白いように違う。
上位者は最初から店舗名や道路の形状など、道を覚えるのに役立つ情報ばかり拾っているのに対し、下位者は信号を渡っている歩行者や天気なんかを気にしている。まあ、道を覚えるのが目的じゃないのなら、そのほうが正しいような気もするけど。
道を覚えて、自力でたどりなおすには3つのプロセスがある。
1つ目は、移動するその場所から、後で役立つ情報を拾いあげる注意プロセス。
2つ目は、拾った情報を記憶して、認知地図を作る記銘プロセス。
3つ目は、認知地図を適切に利用して、実際の道のりと照合する利用プロセス。
注意が上手くされなければ曲がり角の目印を見落とすし、覚え違えば後で使えない。
なお、道に迷いやすい人を観察すると、覚えるべきものを上手く絞り込めていないために、余計なものを覚えて、必要なものを覚え損ねているケースもあるらしい。
また、せっかく覚えても、実際の街角で取り出せなければ結果として迷う。
どれもある程度は技術の問題なので、これらのどこかが不足している人が「方向音痴」とされるならば、訓練次第で何とかなりそうだと思う。
方向音痴軽減講座があったらいいかもしれない。
ただ、人によってどこに注意しやすいかとか、何で記憶しやすいかは違うから、そこは一律ではどうにもしにくいかもしれない。
記憶とか注意ってベクトルに個人差があって、図に向く人、文字に向く人、数字に向く人、それぞれがいるから。
一人が見ているものを、同じ場所にいる別の人が見ていないことは、しばしばある。
でも、読んでいると、そういうこともあると言うより、むしろ、違うことのほうが自然なことのように思えてくる。
現実に困っている人には、最後の「6-2 街をうまく移動するための知識と技術」に役立つアドバイスが詰まっているかもしれない。
読んでさくっと実行できるくらいなら、最初っから方向音痴になっていない気もするが。
『方向オンチの科学 迷いやすい人・迷いにくい人はどこが違う?』
新垣紀子・野島久雄 講談社ブルーバックス

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