2017/8/17  7:28 | 投稿者: 時鳥

『人月の神話』という本を読む。
人月は、にんげつ、と読む。
作業量を見積もる時に、一人でひと月かかるなら1人月、一日かかるなら1人日と見積もる。
一種の単位だが、人と月が掛け算で計算できるように見えるのが曲者だ。
4人月の作業を4人でやったら1ヶ月で終わりそうに見えるが、実際にはそんなことは滅多になくて、個人的な感覚では4人なら2ヶ月はかかる。
作業には順序があって、同時進行できないことが多い。また、人が増えればそれだけコミュニケーションのコストがかかる。
それを無視して、人と月が交換可能であるかのように思わせる「人月」は、「間違った危険な神話」だと著者は言う。

ブルックスの法則
「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、さらにプロジェクトを遅らせるだけだ」

人月の神話も、ブルックスの法則も、あまりにも的を射ていて、苦笑する。
笑った後にがっくりとするのは、これが1970年代に書かれた本だと言うことだ。
40年経っても、状況はほとんど変わっていない。
技術の問題ではなく、人間の問題なのだ。

プロジェクトが遅れたとなれば何か解決策を模索しなければならない。要員追加は部外者にもわかりやすい解決策だから、それが解決にならないかもしれなくてもついつい手を出してしまう。
どうしてプロジェクトが遅れたかと言えば、それは見積もるときに楽観的であったり、上司や顧客の圧力に負けたり、また作業中に病気やミスで一日ずつ地道に遅れて行ったりするためである。
つまりは、人間らしい理由で遅れて、人間らしい埋め合わせ方をする。
技術は変わっても、人間の考え方や振る舞いなんかはそんなに変わらない。
だから何十年たっても同じことが起きる。
2

2017/8/14  23:41 | 投稿者: 時鳥

渋谷のBunkamura Galleryで富田菜摘さんの個展を見る。
立体作品を作る作家さんで、材料は廃材、作るものはいつも動物。
今回は、楽器の廃材を使った新作を中心にした個展だった。
バイオリンやビオラが胴体になったウサギ、マンドリンがお尻のふくらみにもなっているタヌキ、口の中が鍵盤になったワニ、亀の子だわしが尻尾になった熊、傘の骨や布をつかったコウモリなぞがそこかしこにたむろしている。
誰も彼も、とても機嫌の良い顔をしている。
最終日だったので、プレートの多くには売約済みの赤ピンが立っていた。
こういうご機嫌な子達を身近に置きたい人はやっぱりそれなりにいるらしい。
ゴミだったものがご機嫌な動物になって、望まれて迎えられる。
そーか、そーか、幸せにおなりよ。
子供時代から知っている近所の子が結婚するみたいな気分で心の声を送る。
触ってよければ、頭をなでてるところだ。
2

2017/8/11  22:02 | 投稿者: 時鳥

外出先でトイレに入る。
ペーパーホルダーに「Quintette」と書かれているのに気付く。
予備のトイレットペーパーが4巻格納できるタイプのペーパーホルダーだった。
だから五重奏で五人組なのだ。
これなら、頻繁にペーパー補充に来なくても紙切れが起きない。

2巻格納できるタイプはよく見かけるけど、4巻はあまり見ない気がする。
いったい、上限は何巻くらいなのだろう。
ペーパーホルダーを延ばせば何巻でも格納できるけれど、清掃員の手が届く高さに収めなければならないし、延ばせば途中で故障する可能性がそれだけ高くなる。紙詰まりが起きた時に取り除けないと大変だから、腕を差し込んで届かないほど長くも出来ない。
とすると6巻くらいかなあ。

天井から水道管みたいなのを下ろして、足りなくなったら補給センターから自動的に補充されるようにしても面白いと思う。
管の中をトイレットペーパーがごろごろと転がっていく。
ふと気付いたのだけど、レバーを押し下げると新しい巻が降りてくる、今のペーパーホルダーって、作りとしては缶飲料の自動販売機とよく似ている。
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2017/8/8  21:53 | 投稿者: 時鳥

パンくずリスト、と呼ばれるものがある。
WEBページの先頭に「TOP→最新記事一覧→2017年8月5日の記事」みたいな感じでついている。
深い階層まで潜ってサイト内をさまよっている時でも、これがあれば大通りや入り口までスムーズに戻れる。
サイト内迷子の道案内をしてくれる、ありがたい存在だ。
名前の由来は間違いなく「ヘンゼルとグレーテル」だけど、でもあの子達って、パンくずを撒いたがために帰れなくなった子達ではなかったか。
小鳥さんに食べられないようにするなら白い小石にしておくべきだが、「白い小石リスト」ならここまで一般的な呼び名にはならなかっただろう。
意味の正確さよりも意味の通りやすさの方が大事なこともある。
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2017/8/4  23:18 | 投稿者: 時鳥

借景、という言葉を頭の中で転がしていた。
基本的に、景色というのはみんな借り物なんじゃないだろうか。
よほど広い庭や山を持っている人を除けば、家から見える景色は自分のものではない。
今、素晴らしい夜景の見える高層マンションだって、来年には見える景色が変わるかもしれないし、そうなったって文句の言える立場ではないのだ。
そう考えると、家の敷地の外にある周辺環境は、全部借り物だとも言える。
急行の止まる駅、すぐ近くにあるコンビニ、大きなスーパーマーケット、閑静な住宅街。
そういうものに魅かれて住まいを決めるけれど、ほんとはそれらは自分のものではない。
買ったつもりのものが買えていない。
物事が自分の予想外の方向に動き出した時、初めてそのことに気付く。
ひとしきり嘆いた後、考える。
あれが買値ではなく借り賃だったことを、次第次第に理解する。
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2017/8/1  22:55 | 投稿者: 時鳥

銀座のエルメスには、「ル・ステュディオ」という小さなプライベートシネマがある。
休日のみの上映で、入場は無料だが予約しないと入れない。
演目は毎月変わり、上映の3週間前からWEBで予約が出来るのだが、最近、この予約が妙に取りにくい。
どうにか予約を取って行ってみると、場内は満員と言うこともなく、空席が結構ある。
金曜日の夜あたりに予約状況を確認すると翌日の空席があったりするので、予約をして直前でキャンセルする人がまあまあいるらしい。
本当に急用が入った人もいるだろうから、キャンセルは別にいい。
不思議なのは、どうしてこんなに混みはじめたのかだ。

今日、たまたまめくった夕刊で理由の一端を知った。
新聞の夕刊に、展覧会情報などと一緒にル・ステュディオの情報が掲載されていた。
なるほど、これは人が集まるわけだ。

私がル・ステュディオの存在を知ったのは、メゾンエルメスのギャラリーでだった。
そこで案内のフライヤーを手にしたのだけど、ギャラリーに来る人間は限られている。そして、エルメスでお買い物をする人とはあんまり重なっていない。
新聞ならもっと幅広い人の目に留まるし、新聞を取っていて夕刊の文化面を眺めている人なら、エルメスでお買い物する可能性はそこそこあるだろう。
お客さんになりそうな人を集めることが目的だとしたら、効果は高い。

さて、その記事によると、来月9月の演目は、マイケル・パウエル監督の「血を吸うカメラ」だそうだ。原題は「PEEPING TOM」。
・・・のぞき魔が主人公の、ホラー?
お客様予備軍を集めるためという仮説が崩れていく。
今月は「たそがれの女心」、先月は園子温監督の「ひそひそ星」だった。
ベル・エポックのパリ社交界の優雅な駆け引きと、畳敷きの宇宙船が星間を旅する静謐なSFの後に、これ。
振れ幅の広いラインナップ。
好きな種類の映画ではなさそうだけど、怖いもの見たさで行っちゃうかも。
自分では選ばないけど、人が選ぶなら見てみようかって心理で。
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2017/7/30  22:52 | 投稿者: 時鳥

かんかん照りの歩道の真ん中に、雀が倒れていた。
目ははっきり開いている。
動こうとしているが、身体がうまく動かないらしく、ころんと倒れてしまう。

足か翼が折れているのなら、どうしようも出来ない。
外出先だし、大したものは持っていないのだ。
だが、ここにいたら自転車にひかれたり歩行者に踏まれる恐れがある。
脱水症状で動けないのだとしたら、ここでは悪化するばかりだ。

ティッシュペーパー越しにつかんで、近くの植え込みの中に置いてみた。
熱中症か日射病なら、冷やしたほうがいいだろうから、手持ちのペットボトルの蓋一杯分の水をティッシュの上からかける。
ここでは猫に捕られるかもしれないが、路上より多分ましだろう。
しかし、当事者はつかまれても全然動かない。呼吸も速い。
といっても、普段の鳥の呼吸数は知らないけど。

これは駄目かもなあ、と思いながらその場を去り、1時間半後ぐらいにまたその場所を恐る恐る通りかかる。
冷たくなってるとこなんて見たくないなあ、と思っていたら、ティッシュだけが残されていた。
特に血痕だの羽毛だのは付着していない。
猫や他の鳥や人間が襲ったならティッシュごと持ち去られているだろう。
なんとか生き延びたっぽい。事実はわからないが、そう思うことにする。
勝手に駄目とか思っちゃ、駄目なのだな。こういうとき。
3

2017/7/28  23:32 | 投稿者: 時鳥

電車のドアにもたれて立っていた。
ドアには、号車とドア番号を墨字と点字の両方で書いたプレートが取り付けられている。
私の目線よりやや高い位置だ。床から155cmといったところだろう。

これは、手の高さではなく、目の高さだ。
この高さまで手を挙げるのは、あまり自然な動作ではない。
ここにプレートがあると知らなければさわれないだろう。
見えれば、あるとわかるから触れる。が、見える人は触って点字を読む必要がない。
見えなければ、あるとわからないから、たどり着けない。したがって読めない。
背の特に小さな、例えば子供なんかもこの高さでは読みにくい。

これ、必要な人に届かないケースが結構あるんじゃないかな。
2

2017/7/26  23:51 | 投稿者: 時鳥

古い料理のレシピを読むのが、結構好きだ。
読むのは好きだけど、実は作ってみることはほとんどない。
ひたすら想像するだけだ。

料理をするのがあまり好きではないのがひとつ。
作ってみて美味しくなかったとしても、レシピの問題なのか、自分の料理の腕の問題なのかわからない。
作る時間より、食べる時間より、食べる前の時間が楽しいものなのだ。

世の中では、おいしいレシピがいいレシピ、ということになっている。
そうとは限らないんじゃないかと思う。
実際に作ることが不可能なレシピ、どう考えたって不味いレシピの中には、びっくりするような発想力や想像力が詰まっていることがある。
読んで想像して楽しいレシピにだって、「名レシピ」と呼ばれる資格はあると思う。
面白いレシピには、小咄に通じる味わいがある。
3

2017/7/23  23:07 | 投稿者: 時鳥

LIXILギャラリーに行くと、いつもは白い壁の普通の部屋だった場所が、まるごと和紙の洞窟になっていた。
高知県梼原町の和紙職人ロギール・アウテンボーガルトさんと建築家隅研吾さんによる共同プロジェクトで、床を除いて壁も天井も、すべて手漉きの和紙で覆われている。
羊歯が漉き込まれた紙、藍や木の葉や土が混じった紙、柿渋がところどころに塗られた紙。
それぞれに独特の表情を持つ紙が集められ、揉まれ曲げられ重なり合って、豊かな洞窟を作る。
紙の向こうに光源がいくつかある。
ほの暗い光は、紙のしわとでこぼこを通して柔らかく広がる。
原点みたいな場所で、生き物みたいな紙がざわざわしている。
安らぐ空間であると同時に、刺激的でもある。
楽しくて、ちょっと微笑む。
2

2017/7/20  23:31 | 投稿者: 時鳥

無響室、というものがある。
壁も床も天井も完全に音を吸収するようにできていて、入ると耳に綿が詰められているような心地がする。
叫んでも、反響が返ってこない。
窓がないから、照明を消せば自分の身体の範囲すら分からない暗闇に包まれる。

そういう部屋に一人で入って、音響作品を聴く。
荷物を置いて部屋に入ると、中央にある椅子に座るよう促される。
部屋の何箇所かにスピーカーがあるのが見て取れる。
着席すると、いくつか注意事項を述べて係員が出て行き、部屋が暗くなる。

暗闇と静寂。
やがて、背後に音が生まれる。
頭の後ろで何かが荒い息を吐いている。
音だけで感触はないはずなのだが、むずがゆい。
梱包財のようなものが身体の回りでがさがさと音を立てている。
まるで、引越し荷物になってトラックに積み込まれているようだ。

「See by your ears」。
あなたの耳で見なさい、という題の、サウンド・プロジェクトの作品だ。
ひとつひとつは日常にありそうな音だが、現実にはありえない組み合わせで、予想外の場所から音が湧いて出る。
気持ち悪くて不安で、とても面白い。

バーチャルリアリティって、こういう方向で使うべきなんじゃないかと思う。
現実に似せること、実体験の代替品としてのシミュレーションを目指すのだけが正解だとは思えない。
そんなことをいくら追究しても、「コピーにしてはよく出来ている」という賛辞が関の山だ。
現実にはありえないことを、現実のように感じさせることが技術には出来て、その魅力は最大限に生かしたほうがいいと思う。
実体験の紛い物ではなく、現実では体験できない別の種類の実体験。

参考:
http://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/our-muse/
Otocyon Megalotis #2 “Chafe”
摩擦の物理現象に フォーカスしたマクロ録音により構成
All Sound Composition, Recording, 3D Sound Programming by evala, 2014
5分55秒
3

2017/7/18  23:54 | 投稿者: 時鳥

拾った言葉。

握れば拳 開けば掌

手は、どちらにもなれる。
決めた瞬間、拳は掌に、掌は拳に変わる。
無防備な掌が固い拳に勝つ、じゃんけんの不思議。
むすんでひらいて、は、目には見えない何かを手の中につかまえたり放したりしている。
あやしい。
2

2017/7/16  22:37 | 投稿者: 時鳥

埴輪を背面から見る。
犬や馬、鹿などの動物の埴輪は、どれも肛門に当たる部分に丸い穴が開いていることに気づく。
その場には5体くらいしかなかったので、偶然なのか、埴輪を作る上でそういうルールがあったのか、あるいは別の理由があるのかまではわからない。
脳内にある今後の調査課題リストにまずは追加しておく。
今度、別の場所で埴輪に会ったら注目しよう。
3

2017/7/14  23:40 | 投稿者: 時鳥

シャンプーボトルのポンプを押したら、力が斜めにかかっていたらしく、ノズルの先が向こうへ逸れた。
ノズルの向きが変えられる構造になっていてほしいけれど、それは押す前までの話だ。
逆に、押し始めたらノズルの向きは変えられない方が良い。
そういう造りにするのって、難しいのだろうか。

違う方向から考えるなら、向きを変えるのに一動作必要という風にしても良い。
普段の位置からノズルをちょっと引き上げないと向きが変えられないとか。
ただ、引き上げるとなると両手で操作しなければならないかもしれなくて、そうなると不便。
片手でスムーズに向きが変えられないと使いにくい。
となると、押し込み始めたら向きが変えられない作りの方が使い勝手が良い。
もうあるんだろうか。なくても近々、現実化しそうな気もする。
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2017/7/11  22:18 | 投稿者: 時鳥

コンビニの乾き物コーナーで酢イカを売っていた。
酢漬けの烏賊だから、酢イカ。正しい。文句のつけようがない。

何も買わずにコンビニを出て、夜道を歩く。
西瓜の替わりに酢イカを買っていった場合に起きることを想像する。
やはり受け取った側としては、ノリツッコミをしなくてはいけない状況ではないかと思うの。

東京近辺では、酢イカは交通系ICカードのSUICAと同じイントネーションで発音する。
自動改札機に酢イカをあててボケてみるという流れもありだ。
通勤通学ラッシュの時間帯にやったら、はったおされるだろうが、それ以外の時間帯なら多分、皆、にこりともしないでスルーしてくれる。
人が多すぎるものだから、隣の人がちょっと変なことをしていてもなかなか気付かない。
たとえ気付いても、こっちに迷惑さえかからなければ基本的に無視する。
言ってみれば、それが一種のマナーになっている。

酢イカを自動改札機にあてても、誰も反応してくれない。
その人の行き場のなさを考えたら、寒々しく物悲しく、だんだん切なくなってきた。
何と世知辛いご時世。
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