アンデルセンのナイチンゲールの話をオペラで聴いた。
中国の王様がナイチンゲールの声に魅せられて、丁重に遇するが、ある日、日本からの使者が本物そっくりに歌う機械仕掛けのナイチンゲールを献上するとそちらに心を奪われる。
ナイチンゲールは森へ去り、王様は何度でも同じ歌を聞かせてくれる機械の小鳥を愛でるが、ある日、機械は壊れてしまう。
喜びを奪われ、死の床に就いた王様の枕元に死神がやってきて連れ去ろうとするが、そこへナイチンゲールが飛び入り、歌って死神を退散させる。
日本の殿様だったらまずありえない展開なのではないかと思う。
鳥というのは、思い通りに鳴かないところに醍醐味があるものだろう。
機械の鳥にも良さはある。殿様の中には、風流より機械に興味があって、機械の鳥の方がずっと興味をそそられる人もいたかもしれない。
しかし、機械の鳥と本物の鳥を同じ平面で比較し、思い通りに鳴くからという理由で機械の鳥を愛でるような無粋な殿様がこの日本にいたとは思えない。
どっちにも興味を示さない、筋金入りの堅物ならともかく。
生き物の鳥は鳥で、いつどこで鳴くのかわからないのを夜通し待つものだし、機械の鳥は鳥で好きな時に聴いては精巧さを楽しむ。
どちらが本物とか上等とかいう問題ではなく、単に違うものなのだ。
しばらく前、雑誌の記事で読んだのだが、日本は鳥を飼う人が世界で2番目に多い国なのだそうだ。人口における割合なのか、絶対数なのかは書いていなかった。
そして、第一位は中国だと言う。
中国にこんな王様がありえるのか、私は知らない。
でも、それだけ飼い鳥が身近な国で、生き物と機械を同じ平面で比較する人は、やはりいないんじゃないだろうか。
勝手ながらそんな想像をする。

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