「こんばんは」という題の映画を観る。
墨田区立文花中学校夜間学級の毎日を、丁寧に丁寧に拾い上げたドキュメンタリー。
授業は17時半から21時までだから、生徒は「こんばんは」と挨拶して教室に入る。それが題名の由来だ。
生徒は80名、クラスは11クラス、年齢は15歳から91歳、国籍もさまざま。夜間学級に到達した経緯は、各人それぞれに違う。
小さい教室に机を並べて授業を受ける。
字がほとんど読めなかったり、日本語が十分に話せなかったりする生徒もいるので、進度はゆっくりだ。
映される授業は多くが国語の授業で、音読して、字句を説明して、解釈する。その一連の流れは普通の中学校の授業と変わらない。けれど、私の記憶にある国語の授業とは何かが違う。
授業以外の生活風景を見つめて、教師や生徒の語る言葉を聴くにつれて気づいた。
夜間中学校では、答えは生徒の中にあって、教師や学校の側にはないのだ。
普通の中学校では、生徒は学校の希望に沿って学習する。生徒自身の好き嫌いやニーズは抜きに、外側から設定されたバーに到達して、外側の想定通りの答えを出せるようになることが評価の対象になる。
夜間中学校は、生徒の希望に沿って学習する。全部の生徒が具体的な到達目標を心に抱いて入学するとは限らないが、少なくとも本人の意思で入学を決めているため、必ずと言っていいほど核になる部分を持っている。
普通の中学校と夜間中学校は違う。機能が違って用途が違う。どちらがいいとも悪いとも言えない。けれど、多分、異常なのは、普通の中学校のほうなのだろう。他人の出した答えを覚えることが必要で、自分の考えはむしろ邪魔になる。
公立の夜間学級は、全国に35校しかないのだそうだ。これは必要とする人数に対してあまりに少なすぎるので、関係者は長年、増設運動を進めている。
でも、もしも、私が中学生の頃に全国にこの100倍の夜間中学校があったとして、私がどちらを選んでもいいとしても、私はきっと、後ろ髪を引かれながら普通の中学校を選んだだろうと思う。
「夜間中学という鈍行列車」という表現が、映画の冒頭にあった。それは遅いけれど確実で、取りこぼしがない。
だが、世の中には特急列車でスピード競争する人間も必要だ。
速度には何の価値も感じていない子供だったけど、自分がスピード勝負のラインにそこそこ乗っていけることも、そうすれば速度重視の陣営から不当な圧迫を受けないで済むこともわかっていた。そして、気質的な問題でマイノリティにしかなれない生き物なのも知っていたから、当時の私は、身を守るためにもスピード競争からは降りなかっただろう。実際、今でもそのラインに乗りっぱなしで、少数派を通しているし。
「こんばんは」2003年 監督:森康行

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