最近、目線という言葉を盛んに耳にする。
目線と視線は似ているけれど、意味が違う言葉だと思う。
何が違うのかと考えて、ベクトルだ、と気付く。
視線にはベクトルがある。
視線が向かう方向があり、視線が止まる対象がある。
近くに向ける強い視線、遠くに向ける弱い視線、近くに向ける弱い視線、遠くに向ける強い視線。
遠近と強弱によって、視線に費やされるエネルギーの量が変わる。
視線では、視線の元より先が、向かう方向と熱量が何よりも気になる。
辞書で「目線」を引いてみる。
目線とは視線のことで、元は写真や演劇界の用語との語釈が載っていた。
何年か前は確かにその使われ方が主流だったけれど、最近はもっと広い使われ方をしている。
上から目線、国民の目線、ユーザーの目線、子供の目線。
こうして見ると、目線は位置エネルギーなのだと思う。
目線が向かう先よりも、目線の持ち主の立ち位置に関心が集まっている。
昨今の「目線」は、自分以外の立場から物事を捉えようとする時によく使われる。
これは意味合いとしては「視線」よりもむしろ「視点」に近い。
「目線」が元来の意味から離れてしまった理由は、おそらくこの言葉が映画や写真の言葉だったことにあるのではないかと思う。
監督やカメラマンは「目線」という言葉を使って、被写体の視線をコントロールする。
被写体は指示を受けて、確かにどこかを見る。
けれど監督やカメラマン、ひいては観衆にとって、被写体が本当は何を見ているかは、実は大して重要ではない。
彼らが見るのは被写体の視線の先ではなく、何かを見ている被写体そのものだからだ。
線の到達点より出発点が重要になった時、「目線」は「視線」を離れ、「視点」に近づいた。
それはごく自然な成り行きで、今、「目線」は「視点」の類義語として市民権を得ている。

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