
たら本常連の皆様、お待たせしました。
たらいまわし本のトラックバック企画、第45回を開始いたします。
たら本常連の方は、≪たら本とは≫をすっとばして、早速≪お題≫にお進みください。
≪たら本とは≫
ここで、たら本とは何事?って方のために、何が起きているのかをさくさくとご説明します。
たら本とは、「たらいまわし本のトラックバック企画」の略称です。
AZ::BlogのoverQさんが元締めを務めていらっしゃいまして、今回で45回目になります。
これまでのお題は、
こちらでごらん下さい。
たら本の主催者は毎回変わります。
手順としては、まず主催者が何らかのお題を決めて、お題に即した本の紹介記事をブログに書きます。
参加者は、やはりお題に即した本の紹介記事を書き、主催者の記事にトラックバックを送信します。
主催者は参加した人の中からどなたかに次回主催者をお願いして、以下、無限ループ(?)というのが大まかな流れです。
前回、第44回の「種子を蒔くもの、花と緑の物語」にこっそりと初参加してみたら、主催者だった
GREENFIELDSの美結さんから思いがけず次回主催者のお話を頂いてしまいました。
ってことで、2回目でいきなり主催者です。
こっそりだったのに、隠し事って難しいものです。
「天網恢恢疎にして漏らさず」は本当でした。
≪お題≫
今回のお題は、「ご老体本。」です。
本に出てくる魅力的なご老体、また、ご老体の書いた本、ご老体のための本、これからご老体になる人のための本、などなど、老人や老犬、老猫、老木、ほか、年老いたものに関する本をご紹介ください。
正にご老体なバナーを作ってくださったoverQさん、ありがとうございました。
≪参加方法≫
興味があってブログをお持ちの方は、記事を書いてこちらの記事までトラックバックしてください。
もしも、ブログじゃないけどやってみたいって方がいらっしゃいましたら、コメント欄に「書いたよ」記録を残していただければと思います。
参加するのに期限はありません。
5分後でも半年後でも、思い立った時にご参加ください。
このブログは1ページ15件なので、すぐに流れてしまいますが、当分(少なくとも1ヶ月)は右にたら本用のリンクを用意しておきます。
では、皆様の振るってのご参加をお待ちしつつ、まずは私のセレクトから。
『黒龍とお茶を』(R・A・マカヴォイ 早川文庫)
ご老体と言って、まず浮かんだのが『黒龍とお茶を』のマーサ・マクナマラ。
この人とミス・マープルと「天空の城ラピュタ」のドーラを足して3で割ったような老婦人になるのが夢なんだけど、再読してみたらマーサさん、50歳でした。全然ご老体じゃない・・・。
まあ、この人、70歳になっても80歳になっても絶対このままだし、再読してもやっぱり逸材だったので、挙げておきます。
バンドのフィドル弾きを生業とするマーサは、厄介事に巻き込まれたらしい娘に呼ばれて、サンフランシスコにやってくる。
偶々知り合った初老の男性と共に、行方不明の娘を探すマーサに、思わぬ災難が降りかかる。
好奇心旺盛で率直なマーサには、言葉では説明しにくい不思議な魅力がある。
例えば、理屈ぬきで本質をつかんだり、人の話に耳を傾けて、本人が気付いていない真実まで引き出したり、悪循環を正しい方向に戻したり、常識に囚われず、物事をありのまま受け入れてみたり、そう言ったことが無意識に出来てしまう。
それなりの苦労はしているし、今だって傍から見れば苦労の多い生活に見えるだろうが、本人はそれが苦労だとは思っていない。他人と自分の人生を引き比べて、ランク付けするって発想が多分、元から欠けている。
色々なものから自由な人なんだろう。
小説としては特に好きではないんだけど、このマーサを読む度、思い起こす度、敵わないなと苦笑いして憧れる。
「からしつぼの中の月光」
(ジョーン・エイキン 竹書房『心の宝箱にしまう15のファンタジー』より)
こちらは正真正銘の老婦人。
母親の病気で一人暮らしの祖母のもとに預けられた少女と、祖母の物語。
独自の人生観を持つおばあちゃんがとても素敵だ。
『西の魔女が死んだ』に少し似ているけれど、何しろこのおばあちゃんは「一日に二十回は死にかけている」と息子に言われるほど活動的で、小さい身体で朝から晩まで休む間もなく動きまわっている。
家事は勿論、50もある植木鉢にはひとつひとつ話し掛けながら水をやり、市民農園で花と野菜とミツバチの世話、ムクドリには歌のレッスンをつける。
それら毎日の仕事のほかに、家具のペンキ塗りだの蚤の市で掘り出し物探しだのをいとも楽しげにこなし、合間合間に耳に残る言い回しや作業用の詩がぽんぽん挟まる。
ごく普通の毎日なのに、退屈している暇がない。先の息子の言い草を借りるなら、一日に二十回死にかけて、一日に四十回面白いことを見つけている。
理想のおばあちゃんの一人。
ここまで元気な老人になれるとは思わないし、自分の親だったら気が休まらないけど、祖母に持つなら最高だろう。
「サボテンの花」
(宮部みゆき 文春文庫『我らが隣人の犯罪』より)
2人女性が続いたので、今度は男性を。
「サボテンの花」の主人公、権藤教頭。
もうすぐ定年退職という年齢なので老齢ではないが、自分が老いた事は充分に意識している。
さばけた人柄で飄々とした味があり、相手が誰であろうとおかしい事はおかしいと言い、多勢に無勢だろうと尊重すべきものは必ず尊重する人物。
「剪定されないサボテン」である自分を自嘲し、自分を持て余す瞬間もあるが、信条を曲げる気はさらさらない。
権力側には確実に煙たがられる人間なので、別の職業についていればもうちょっと楽な人生が送れたと思う。
でも、この人が教師になってくれて本当によかった。
6年1組の生徒はもちろん、これまでにも、この人が先生だったお蔭で救われた生徒がきっといくらでもいる。
『ねむりねずみ』(近藤史恵 創元推理文庫)
歌舞伎の人気役者を巡る謎を、しがない中二階の瀬川小菊が友人と探るミステリー。
紹介するご老体は、小菊の師匠である女形・瀬川菊花。
老齢で、女形だから当然男性なんだけど、恥じらいや拗ね方が娘らしく、妙に可愛らしい。
「胡桃のような」
(沢木耕太郎 新潮文庫『彼らの流儀』より)
深夜に、八十歳近い老運転手のタクシーに乗り込む。
老運転手が語る、胡桃の殻のように堅牢な毎日に圧倒される。
ほんの5ページの小さな話だけれど、密度の高い金属の欠片が道路の端に居座って、雨でも箒でも動かないような、そんな重さを持って心に残る。
同書に収録された変奏曲、「最後のダービー」も秀作。
『木』(幸田文 新潮文庫)
老作家が老樹を訪ね歩く随筆集。
15編が収録されているが、中でも「ひのき」と題された一編がことさらに印象深い。
夏の山に檜を訪ねた作家は、そこで二本立ての老樹を見せられる。
樹齢300年ほどで高さも太さもほぼ同じ、いわば兄弟のような樹だけれど、片方はまっすぐなのに対し、もう片方は少しだけ傾斜している。
まっすぐな方は材として申し分ないが、傾斜した方は材としてはほとんど使えない。案内した人はそう語る。
傾いで立つため、木はどこかで無理をしている。その無理が木の性質を歪め、材に挽こうとすると癖となって現れる。
こうした木はアテと呼ばれ、最下級の等級にすら入れられないのだそうだ。
生まれ合わせの悪さを努力で補った木が、その努力ゆえに否定される。
自分の不足や歪みを矯められずに老境に至ってしまった自覚がある作家は、アテの一言で否定される檜をどうしても捨て置けない。
無理を言ってアテを挽いてもらうことになるが・・・。
ほかでは、屋久杉を訪ねる「杉」や、宮大工の老棟梁が登場する「たての木 よこの木」、「材のいのち」もテーマに即して味わい深い。
「かめのぞき」
(志村ふくみ 文春文庫『一色一生』より)
最後は、藍のご老体。
染織家の著者は、藍を建て、藍甕で育て、毎日、面倒を見て、色をいただいて糸を染める。
藍は生き物だから、同じ甕でも日毎に色は変化するし、また、銘々違った生を刻んでいる。
あっという間に生を駆け抜ける甕もあれば、静かに老いる甕もある。
瓶覗とは色の名前で、淡い淡い藍色を指す。
それは、健やかに老いた、最晩年の藍が残す色なのだそうだ。

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