2018/7/19

サッカー(ワールドカップ)7  川柳

ベルギーのゴール近くから正確なパスが出されて、日本が大慌ての追走をするが、さらにそれを離す横パス。

2点のリードがあっけなく覆って、週刊誌では選手の年俸の違い、その大きさが為させたーーと言わんばかりの視線があった。

全力疾走で自陣に帰る、あるいは敵のパスを消そうとする姿を観ながら、監督の交替がもっと早い時期に在れば、それなりの対速攻が在り、2点差リードの後半での、自陣の攻守と其のポジション取り、などの方策が3つや4つ、ベンチと選手に行き渡っていただろうと思った。

この意味で、前監督と選手間での相互理解の問題、数十日前に急な監督交替を決めた上層部の面々の猛省こそ、次回への速攻、第一弾だろう。

三位決定戦や決勝戦、あるいはトーナメントになってからの幾つかの速攻の場面には、攻守ともにサッカーならではの独特の興趣が備わっていた。

そして、例えば、速攻という、伝統的で実にサッカーらしい戦法に対する新しい戦術への模索が其処此処のリーグ、或いは国で行われて、ああ、あの時の日本の逆転負けが、このように新生したか、などと感心し合う、次回のワールドカップで在ってほしい。

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2018/7/14

サッカー(ワールドカップ)6  川柳

日毎のリーグでの名だたるストライカーであり世界的な名手が、絡まれ囲まれて、結果、シュートより、パスを出さざるを得ない様子。
対名手への寄りの速さ。
此れが随所に顕われていて、其々の工夫が感じられる。

ストライカーを囲い込む守備陣も、名うての猛者なのだろう、総てに速い。
スターに寄せる二人、或いは三人の、数秒間の挟撃が、今回のワールドカップの特殊性の筆頭かもしれない―――と、ゲームの帰趨は帰趨として、PKの多さを思いながら感じた。
新聞の写真に、イングランドの守備陣のヘッドより高い空中からの、クロアチアのキックの瞬間が載っている。
まさに11人と11人の、点の入りにくさを象徴する瞬間――ここにワールドカップならではの興趣が顕れている。
もちろんゴール前での、ヘッドより高い空中でのキックは、無数に在るだろうが、華麗な、と言われる日毎のストライカーの存在感の低さとともに、ワールドカップならでの特殊な下剋上を思わせて、愉快!

三位決定戦も決勝戦も、日毎のゲームに無いワールドカップならではの特殊な名場面を期待したいが、なにしろ、世界はカネで測られている昨今だからなあ。
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2018/7/8

サッカー「ワールドカップ」5  川柳

「普段は両サイドを上げることはないのですが―――云々」と、解説だかアナウンサーだかが云う声で即座に、テレビ画面に眼を戻した。

現在進行形の好ゲーム、イングランドの攻め、守るスウェーデンと、はっきり攻守の態勢が明らか、且つ、猛スピードで個々人が持ち場に着いて攻守を変更する。

もっとも、鎖帷子の付け替えはないが、ともすればオールドファッションのサッカーと見えて、お馴染みの攻守であり、これが「普段は両サイドを云々」となったのか、両者、凄い頑強さと素早い身ごなしで肉体をぶつけ合う。これを常のこととしているのだ。

みなさんで攻めてみなさんで守りましょう―――式のトータル何とかから見れば一見、凄い旧態だが、いにしえの?騎士道精神が画面に宿されているとしか言いようがない。猛バトルだ。
正面に張られたネット目がけて縦に蹴り込むサッカーだから、小器用な玉回しが少なくて、身体のぶつかり合いが連続、モダニズムの入り込む要素無し!

面白かった。
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2018/7/2

「杜人」258号  川柳

表紙のデザインが素晴らしい「杜人」誌の、今号は色が一色増えて、思わず、やったねえ、と嬉しくなった。紙誌活動の大切さが緩み始めている川柳界の今日だが、優れたデザインのチカラは、揺るがない。

  罪ならばぎりぎり端を歩きます   広瀬ちえみ
  式典にニセアカシアの名札つけ    〃
  三人はすでに三婆雛あられ     小野 善江
  頭突きでもしたらどうかと思います 柴田 美都
  
句会吟より
  スナフキンダスキンナプキン台布巾  久子
  真っ直ぐに行くと夕飯出来てます   せつ子
  長靴を履くと元気になるじじい    せつ子
  子を生めばいい保父さんになれるのに 裕孝
  ふつうですふつうを保つ努力して   みさ子

同人の「エッセイ特集」「夢(part?)」広瀬ちえみ 抜群!


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2018/6/29

サッカー(ワールドカップ)4  川柳

決勝トーナメントが掛かっているゲームだった。
いわばワールドカップ仕様に沿ったゲームの仕舞い方であり、順位も決勝トーナメントへの顔ぶれも決まる―――数分間だった。

この、今回の、ワールドカップという最大の催しの仕様が決められたときに、サッカー面白い、サッカー好きだ、サッカーいいな−−−蹴るのも見るのも大好きである人々の、素朴な、そして根本的な意識が棚上げされて、別の価値を上位にした、あるいは「サッカー」が軽んじられたのだ。

数か月前であったか、テレビの番組で、酷似した球回しの数分間(女子サッカーであったか?)を見たので、それなりの納得があって、時代の相というか時勢にもてあそばれるサッカーの現実が想われたのだが、ワールドカップでやってしまった。

所属リーグ或いは所属チームから離れた国別の大きな大きな催しが、最も大切な、サッカーを好み合うという根源性を、ひと時であれ忘れた様子が世界に撒かれてしまった。
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