2017/7/28

川柳性  川柳

「翔臨」89号をいただいた。編集兼発行人の竹中宏さんは、いま、川柳に居る私が最も畏敬する俳人。

論考の充実は毎号のこと。


  足元を侵しすみれ野はじまりぬ   土井一子
  蟻穴を出で細りゆくエンタシス
  薔薇園の一畝ほどの革マル派

三句に立ち止まった。
一句の、あるいは一句の何処かに、川柳の書き方と等質のものが在り、それが立ち止まらせるのだが。
思い立つ句語の、出て来る順が、おそらく違うのだろうなと思いつつ、読みなおして「侵し」「細りゆく」「一畝ほどの」の句語であったと感得。
これ、俺たち川柳では、川柳性の働きどころ、スプリングボードだが(だから無理にも省略することもある)俳句では、すんなりと出ている、と感じられるのだ。
一句の内包する意味性の軽重の比較ではなく、川柳作句の折りの、言わば川柳性を、一瞬身に感じるトキメキ、其れが、こともなげとはいわずとも、一句を為している其々の句語とほぼ等質で、軽重の差を殆ど留めない―――いや意識されていないのだろう。
それを、わざわざ、かき乱すような読みをするサガが、俺に、俺の川柳に在るぞとの、チンピラ的自己発見を賜った次第。



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2017/6/29

杜人  川柳

「杜人」254号
山河舞句追悼号

何処の大会だったか、まあ、素晴らしい司会振りで、即、誰かに「プロの、現役のアナウンサー」だと教わって納得したのを覚えている。とはいえ、入選句を聞いて、いわば初心の作者が通る月並みだと感じた。
数年後に「杜人」誌上で純然とした社会性川柳を読んで、ああ、あの口調の人が此処に至ったのだと思った。作者個人の存在より言うべきを言う、社会の在り方への批判が書かれた川柳に、なるほどもっともなことだと合点した。同時に、結社で偏りのない活動をされているのだな、編集のちえみさん、いい働き手を得られたなと、なんだかほほえましかった。活字になっている舞句さんの発語に、何時でも明朗の感が在ったのだ。愉しそうだった。
少数での結社活動を護っている杜人の皆さんにとって、舞句さんの訃は、さぞかし、さぞかし。

  スキー板私を離れ先急ぐ       あつ子
  新車にて病の兄とすれ違う      未絵子
  アイロンをかけよう白いブラウスに  千 草
  振り込みをするたび係員が来る    隆 行
  ビタミン剤飲んでトマトを生みました 八千代
  全身で笑いはじめる桜の木      みさ子
  不機嫌な人形がいる上の段      ちえみ
  咲くときは少しチクっとしますから   ちえみ

私は「杜人」の句会吟が好きだ。遠い日、出せるか出せないかの「杜人」誌の危機が何度も在ったと聞く。歯をくいしばって少人数の小規模結社を護り続けた大友逸星、添田星人の、いまから思えば、おっさん二人の前向きのガンバリがあって今日が在るとーー。
お二人の在ったころの「杜人」誌に、頑張り具合の其れは顕れることがなかった。
其処に、私は、先輩お二人の、恬淡を感じていた。
その恬淡が、「杜人」の句会に澄んだ小川のようにいまも流れているのだ。いやいや、「杜人」の句会吟を好むところから本音を言えば、このところ其の恬淡がやや薄れてゆく感があるのだ。
お二人は、其れでいいんだと恬淡―――だろう。ゆっくりと、確実に、結社、杜人はその歴史を積んでいる。




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2017/3/23

渡辺隆夫さんの訃報  川柳

渡辺隆夫さんの訃報!

1937年生まれ。遺伝学の学者で、京都の大学でも教鞭をとられた時期がある。

その川柳については何れ纏めて書きたいが、隆夫が思って居る「川柳」が川柳界では極めて異端に在ったこと、これが単純に、よかったかよくなかったかの分け方から書き始められるところに隆夫川柳の特色が在ったとのみ、此処ではいうにとどめたい。

川柳人隆夫を知るところでは、折々の自分の活動力と活動範囲を極めて的確に把握して、自前の川柳にブレの無い剛腕を発揮、

むろん繊細さも、少し書かれて  


  豚押すと豚がやさしく押し返す
  
  生涯現役というお爺さんには要注意

  坊さんのチクチク頭はるの風

  姉さんのチクチク所あきの風

  不況の町に来た地雷の注文


現代川柳の土塁の一角が崩れた感がある。
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2016/11/16

『然るべく』岡村知昭句集  川柳

『然るべく』 岡村知昭句集より

   バス停や牡蠣食べてより脈早く
   チベットを忘れながらの流し雛
   初出場初優勝チューリップ白
   シクラメンだから三階にはいない
   葱坊主シュプレヒコールとは若く
   初鰹この人握手会帰り
   イルカショー見るまでもなく油照
   みずうみや弁士中止の夏来たる
   むぎわらぼうし始球式撮る係なり
   トロンボーン吹かれて雨の大晦日


私は中卒、すぐに町工場に就職。40年経って退職した。10数年前に岡村さんと初対面、あっ、この人、工場で働く人だと直感。大卒で、かなり孤独な労働の日々だろう、と勝手に決めつけていた。
何が思わせたか。北の句会で同席するたびに、こんないい人物が、インテリが、同じ職場に居て呉れれば、どれほどよかったかと思ったことである。

いい句集が出された。頂いたときに胸がいっぱいになった。めでたい!
   
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2016/10/3

(無題)  川柳

マカヒキは14着よ十月は  柊馬
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