2010/2/1
水うまき 川柳
水うまき里あり雪を三里来て
湯上りの児にゑくぼあり桜志野
銅鐸のグワラと一度笑ふのみ
かぎ裂きのままの八月いまも着る
遍路みちトイレの中で鈴が鳴り
植木屋が帰ったあとの丸い空
いま、これらの川柳の書き方を忘れている。いや、川柳性に川柳的発想があり川柳を書けとうながすのだと思えば、いま、まだまだ書けるはずのものを忘れて、放擲して、川柳を狭くしているかもしれない。句集『添田星人』(2009年12月 新葉館出版刊)を読みながら、上記の句に忘れ物を見せられる思いが噴き上がった。
「かぎ裂きのままの八月いまも着る」は作者の思いで、他者が忘れて当然との見方もあるだろうが、実感の強さがこの句のように突き立ってくる川柳を、いま、忘れているとの思いがある。そして、他の五句が、いまもこのような書き方で書けるはずなのだ、忘れているのだ!と迫る。
川柳人は川柳誌に句を出し、川柳の句会に出る。川柳についての個人の認識が誌上に、句会に、個人を赴かせる。赴かせる川柳の魅力の中には、かつて上記のような実感や発想や書き方があったのだが、それを忘れている。外側の状況の変化を、忘れている理由として言うことは簡単だが、川柳性を追求してそれに替るものを得ただろうか。「トレの中で鈴が鳴」るのを聞き逃していないか、「植木屋が帰ったあとの」「空」を見逃していないか。異化や非日常やSFなどに、これらの視線の働く余地がないとは言えない。
ごく単純に忘れているだけとすれば、忘れる因子の理由にまたまた責任回避のような外的状況の変化を言うことになる。そしてその因子を、このような川柳眼(アイ)で見ることも忘れているとすれば、せっかちの杜撰と思わねばならない。
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湯上りの児にゑくぼあり桜志野
銅鐸のグワラと一度笑ふのみ
かぎ裂きのままの八月いまも着る
遍路みちトイレの中で鈴が鳴り
植木屋が帰ったあとの丸い空
いま、これらの川柳の書き方を忘れている。いや、川柳性に川柳的発想があり川柳を書けとうながすのだと思えば、いま、まだまだ書けるはずのものを忘れて、放擲して、川柳を狭くしているかもしれない。句集『添田星人』(2009年12月 新葉館出版刊)を読みながら、上記の句に忘れ物を見せられる思いが噴き上がった。
「かぎ裂きのままの八月いまも着る」は作者の思いで、他者が忘れて当然との見方もあるだろうが、実感の強さがこの句のように突き立ってくる川柳を、いま、忘れているとの思いがある。そして、他の五句が、いまもこのような書き方で書けるはずなのだ、忘れているのだ!と迫る。
川柳人は川柳誌に句を出し、川柳の句会に出る。川柳についての個人の認識が誌上に、句会に、個人を赴かせる。赴かせる川柳の魅力の中には、かつて上記のような実感や発想や書き方があったのだが、それを忘れている。外側の状況の変化を、忘れている理由として言うことは簡単だが、川柳性を追求してそれに替るものを得ただろうか。「トレの中で鈴が鳴」るのを聞き逃していないか、「植木屋が帰ったあとの」「空」を見逃していないか。異化や非日常やSFなどに、これらの視線の働く余地がないとは言えない。
ごく単純に忘れているだけとすれば、忘れる因子の理由にまたまた責任回避のような外的状況の変化を言うことになる。そしてその因子を、このような川柳眼(アイ)で見ることも忘れているとすれば、せっかちの杜撰と思わねばならない。
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2009/10/22
中村冨二の連作 川柳
記 憶
中村冨二
逃げろ逃げろ 妻子は豚か 私は豚か
露路に散って 大衆すでに虚像たり
眠れない夜(よ)は 墨汁をゴクゴク飲む
囚車が燃えた。女が見てる花と蛇
ペルソナと キザな坊主と向いあい
風に向いて哀しむ者に、興味はない
音楽の中の、靴からボクが生えた
荒海=\―と記憶の蝶に追いつけない
疾(や)めば唄う、いま教会はゼロの時間
何時の世の、味噌汁すする箸と鈴。
「鷹」18号(めくれば頁が剥がれて落ちる門外不出品)1965(昭和40年)掲載。何時にかわらぬ冨二の日常詠で、感慨を観念に結び付ける書き方は冨二だけのものではないが、軽いモノローグの味が実に冨二らしい。
心身に堪える社会生活から、こころよ「逃げろ逃げろ」。でも「妻子は豚か 私は豚か」と、生きるうえで「豚」であることと社会生活が不可分であることの認識。逃れざる人間社会の有り様を循環する内閉的な句だ。生きること、日常生活をおくること、そのなかで、人間であることの希望と慨嘆を含む「か」との問いかけは、ものを書く者としては常套的だが、実に適確な表現。そして
「露地に散って」。一日が終ってそれぞれの個人生活、家庭に帰る。社会的な桎梏や葛藤を浴びせあったり気にしたり、考えたりするところの一個のキーワード「大衆」は「虚像」なのだという感慨、やるせなさ。
中村冨二の川柳にいつも、こんなに、軽い感じが横溢するのはなぜか(逆に言えば、多くのフアンを引きつける要素)が、なぜ共感要素をもっているのか。
日常の、実生活のなかで生じる感慨(ここまでは具体性の濃い感情)が、抽象されて観念的な思考、識閾に及ぶなどは、「キザ」なのだ。現実の表面、その感情や感慨はキザではないが、感慨が観念に結び付くと「キザ」だとする感覚が共感要素になっている。冨二はそれに、はにかみを感じている。この、はにかみが共感要素なのだ。
ペルソナと キザな坊主は向かいあい
この句、作者のくすぐったさ、はにかみが、「向かいあい」の句語に現われている。「ペルソナ」も「キザな坊主」も冨二だから。
何時の世の、味噌汁すする箸と鈴。
「鈴」は
一絵よ 鈴鳴る街で卵買え 鰯買え
嫁ぐ愛娘への思い「鈴鳴る街で」に通じる美しい句語「鈴」と同じである。それは
春の夜のおかめは胸を抱いてねる
一幅の美しい情景へ「おかめ」を抱き取ろうとする哀憐と同じだろう。
しかしこの連作は「何時の世の、味噌汁すする箸と鈴」への、落としどころへの落とし方の見事すぎて、つまり答えが出過ぎていて、ものたりなさが残る。
中村冨二は群作と連作をたくさん書いた。そこで書かれた句は大方、散文的な発想から書かれており、「。」や「、」や一字アケやルビ、――、などがあり、上記の十句なども、句またがりなど気にも留めていなかっただろう自由闊達さを感じさせて、五七五定型との関わりなどを十句に問う読みは無駄だと思わせる。
冨二は川柳の世界に自足していた人であり多くの佳作を残したが、一つの論述も書かなかった。そのときそのときの話題に合わせたエッセイを何篇も書いたが、論述性を感じさせるものはない。
冨二が何を考えていたかは散文的な主意を書いた群作と連作に現われている。ほとんど消費行動に近い句会などの、川柳のフレンドリーな世界に自足しながら、冨二は一句の言語空間に感情や思考の一端を書いて、群作や連作に整合している。一句の小ささ短さを身をもって知悉しているところから、それを繋ぐ一個の作品にせねば納まらなかったのである。冨二の群作や連作には、当然有るべくしてある一句の小ささ、限界の意識が溶けこんでいる。
そして連作の場合、多くの場合、十句なら十句に一つの主題を書き、上記のように終りの一句で一旦、思考を書き終えている。そのときそのときの思考の限界が終りの句に現われるとき、
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中村冨二
逃げろ逃げろ 妻子は豚か 私は豚か
露路に散って 大衆すでに虚像たり
眠れない夜(よ)は 墨汁をゴクゴク飲む
囚車が燃えた。女が見てる花と蛇
ペルソナと キザな坊主と向いあい
風に向いて哀しむ者に、興味はない
音楽の中の、靴からボクが生えた
荒海=\―と記憶の蝶に追いつけない
疾(や)めば唄う、いま教会はゼロの時間
何時の世の、味噌汁すする箸と鈴。
「鷹」18号(めくれば頁が剥がれて落ちる門外不出品)1965(昭和40年)掲載。何時にかわらぬ冨二の日常詠で、感慨を観念に結び付ける書き方は冨二だけのものではないが、軽いモノローグの味が実に冨二らしい。
心身に堪える社会生活から、こころよ「逃げろ逃げろ」。でも「妻子は豚か 私は豚か」と、生きるうえで「豚」であることと社会生活が不可分であることの認識。逃れざる人間社会の有り様を循環する内閉的な句だ。生きること、日常生活をおくること、そのなかで、人間であることの希望と慨嘆を含む「か」との問いかけは、ものを書く者としては常套的だが、実に適確な表現。そして
「露地に散って」。一日が終ってそれぞれの個人生活、家庭に帰る。社会的な桎梏や葛藤を浴びせあったり気にしたり、考えたりするところの一個のキーワード「大衆」は「虚像」なのだという感慨、やるせなさ。
中村冨二の川柳にいつも、こんなに、軽い感じが横溢するのはなぜか(逆に言えば、多くのフアンを引きつける要素)が、なぜ共感要素をもっているのか。
日常の、実生活のなかで生じる感慨(ここまでは具体性の濃い感情)が、抽象されて観念的な思考、識閾に及ぶなどは、「キザ」なのだ。現実の表面、その感情や感慨はキザではないが、感慨が観念に結び付くと「キザ」だとする感覚が共感要素になっている。冨二はそれに、はにかみを感じている。この、はにかみが共感要素なのだ。
ペルソナと キザな坊主は向かいあい
この句、作者のくすぐったさ、はにかみが、「向かいあい」の句語に現われている。「ペルソナ」も「キザな坊主」も冨二だから。
何時の世の、味噌汁すする箸と鈴。
「鈴」は
一絵よ 鈴鳴る街で卵買え 鰯買え
嫁ぐ愛娘への思い「鈴鳴る街で」に通じる美しい句語「鈴」と同じである。それは
春の夜のおかめは胸を抱いてねる
一幅の美しい情景へ「おかめ」を抱き取ろうとする哀憐と同じだろう。
しかしこの連作は「何時の世の、味噌汁すする箸と鈴」への、落としどころへの落とし方の見事すぎて、つまり答えが出過ぎていて、ものたりなさが残る。
中村冨二は群作と連作をたくさん書いた。そこで書かれた句は大方、散文的な発想から書かれており、「。」や「、」や一字アケやルビ、――、などがあり、上記の十句なども、句またがりなど気にも留めていなかっただろう自由闊達さを感じさせて、五七五定型との関わりなどを十句に問う読みは無駄だと思わせる。
冨二は川柳の世界に自足していた人であり多くの佳作を残したが、一つの論述も書かなかった。そのときそのときの話題に合わせたエッセイを何篇も書いたが、論述性を感じさせるものはない。
冨二が何を考えていたかは散文的な主意を書いた群作と連作に現われている。ほとんど消費行動に近い句会などの、川柳のフレンドリーな世界に自足しながら、冨二は一句の言語空間に感情や思考の一端を書いて、群作や連作に整合している。一句の小ささ短さを身をもって知悉しているところから、それを繋ぐ一個の作品にせねば納まらなかったのである。冨二の群作や連作には、当然有るべくしてある一句の小ささ、限界の意識が溶けこんでいる。
そして連作の場合、多くの場合、十句なら十句に一つの主題を書き、上記のように終りの一句で一旦、思考を書き終えている。そのときそのときの思考の限界が終りの句に現われるとき、
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2009/6/4
中村冨二の川柳 〈引用試論〉 川柳
中村冨二の川柳
4 〈引用〉試論 「群像抄」群作と連作
今回は旧作の引用をもって連作化した冨二の試行を追って、川柳で〈引用〉の可能性が試されたことを見ておきたい。
二冊の句集を掻き分けて群作などの中から連作の出典を探り出す持久力が私にはない。かつて「川柳ジャーナル」などで読んだ句を句集の群作の中に発見するなどの、発表媒体による変化が多くて込み入った筋道を辿ることが出来ないのだ。しかも、その転換こそ、冨二独特の〈引用〉の手法なのである。冨二に振り回されながら、その鷹揚さを信じて、ここでは、旧作の〈引用〉に満ちたコラージュで成る連作「群像抄」を俎上に乗せたい。旧作の連作化が、冨二の世界(人間)観の認識を確認させていることを記して、中村冨二が川柳の伝統を漸進させたことを報じておきたいのである。
何のときだったか、冨二さんから葉書をもらった。
熱の夜は信長が来て死ねという
と、ふとぶとと書いてあり、灰色のバックに稲妻と氷嚢を乗せた冨二の顔、こんな葉書を喜ぶ柊馬、との思いがあったのかもしれない。実際うれしかった。
中村冨二は川柳に人物の名をたくさん書いている。どの句も面白い。
朔太郎、カント、大野九郎兵衛、亀井勝一郎、アンデルセン、ディーン、川上三太郎、直哉、荷風、夢声、モリエール、架空では弱法師、シヤイロック、イヴァン、三太、与太郎など。近親者の名も書かれているが、その名が実名かフィクションかは知らない。
詩集青猫&ル竡沽Yは癌で死んだよ
一絵よ 鈴鳴る街で卵買え 鰯買え
嫁ぐ娘への愛情がうつくしく切ないが、句集を読み返すときなど、次々とお馴染みの人物の名に出会って楽しくなる。軽く書いたなと感じられる句と観念の表現と思わせる句がある。信長もおもしろく、措辞として適確だな、と思ったが、風邪で「ジャーナル」誌の原稿が遅れているとの連絡だったかもしれない。信長も象徴的人物を書いた一連に並ぶと思ったのは早計で、この句、風邪で臥している冨二を書いているのだから、圏外である。
人名の句は折々に書かれたものと一挙に数人が書かれて群作となったものがあると感じられる。親鸞、ユダ、仏陀などもあるが、おおむね、真面目な戯れ!?の感が実に冨二らしい。
それを数句集めて発表されたことがある。
川柳の世界で群作という用語は使われないかもしれないが、「少年」「三太」「無精卵「鬼」「青空」「浮浪児」「轢死者」などが、題詠のように何句も書かれており、なかでも「童話」は「鴉」誌に数回連載されている(『セレクション柳論』収載「中村冨二と「鴉」の時代」堺利彦)。構成とか構造をもつ連作としてより、それぞれ独立した一句で、この連載には有名な句が多く含まれているときく。
一つの題で、さまざまな角度から数多く書かれるものを連作というカテゴリーに列するなら、その書き方は連作と呼ぶ最低限の要素だろう。句会の題詠で、興に任せて多く書き、一句毎の飛躍を愉しむ冨二が濃厚に感じられるが、それ以上の構成や意図の何もないものは連作というより群作と言う方が当っていると感じられる。また、「僕は ――」と「君は ――」の句を交互に書きつづけているものの全体的には連綿としたモノローグの一連もあり、さらに、ときどき数句に表題を付すことで題詠としての冗長さが緩和されている感もあり、この辺りは連作と見るより題詠に近いものとして、当ブログでは群作という言葉を使っている。
冨二の発表方法は多様だ。構成を具えた連作と感じても、ストーリー性や、観念と具体性との関係が一連の途中で辿り難くなるものもあり、読みの能力の無さと、冨二のエスプリの難しさに難渋することもあるので、群作という用語は私自身の勝手な使用を出ない。また、連作の感より、一句一句の存在感の強さが短篇小説のオムニバスと感じられることもあり、はたして連作かと途惑ったり、映画好きの冨二らしさが奔放にイメージを繋いでいると感じられたり、小説を意識していると思われる連作もある。
さらにさらに、今回ご紹介する「群像抄」は、既発表の象徴的な人名の句を数句並べて、中に、別の既発表の句を数句附ける構成。つまり、幾つかの自作を引用、コラージュ化、一篇の連作をつくっているのである。
したがって、一篇の連作と決めて読めば、主題や流れや配列が見えるのだが、それはお前が勝手に決めて、他人の句の並びから勝手なストーリーをでっち上げる、いわば妄想を喜ぶ一人芝居だと言われれば、二十句を小説仕立てにするドグマといわれてもしかたがない。
実際、中村冨二は多くの群作といくつかの連作を書いているが、旧作のコラージュ化による連作と、群作との違いを決定的に分けることは難しい。
それぞれをテキストとして読みながら、死せる冨二に走らされている自分を感じて苦笑することがある。
さて、走らされ、振り回されて、いまもその感を残しつつ「群像抄」は、連作と決めることで、やっと見えてきたとの思いがある。
連作として読むと「群像抄」は冨二の連作のなかで最も高いレベルのものである。1974(昭和49)年に刊行の『中村冨二集』に載せられているのだが、最初に読んだ時には連作であるとの読みができなかったが、奇妙な並べ方だな、と思い、疑念が残った。
この句集は冨二が編んだはずだが、それを実証する根拠は、いまでは得られない。気軽に誰かに編集を委ねたかもしれないのだが、これを連作として読むと、冨二の思考が注入された感は実に濃厚であり、優れた連作だと思われるのである。冨二は冥界から読者個々人のドグマを試しているのかもしれない。
あたりまえのことだが、全句書きおろしの句集以外の句集は、一般的には、すでに発表したものが収載されている。この認識に立って『中村冨二集』の最後の3ページの二十句、「群像抄」を読めば、かつての群作の数句を削って、そこに個々に発表した別の句を附け、さらに別の既発表群作を並べる構成がとられていることはわかる。意図的でないはずがないのだが、句集を編むとき、幾つかの小さな部立に表題を附ける。「短詩型文学全書」というシリーズ物の収載スペースと句数の増減は編集者の資質が反映する。そこに意図的に、主題やストーリ性を創って連作を構成する冨二が居るのだ。
少し横道に逸れるが、句集の編集の代表的な編み方、収載法は、発表や作句の順に並べる時系列だろう。例えば定金冬二の句集『無双』は、個々に発表された句から、句語に数字を用いた句を一所に集めたり、私小説的な句を纏めて群作化、それぞれ表題を附けて、さらにこの群作を時系列に配置する周到な編み方がなされている。また一般論として、ある事件について複数の句が書かれた場合、時系列をもって構成、収載される。それが事件がフィクションであっても、時系列で並べられる。
『中村冨二集』は、作者が興に乗って書いた感のある群作や、個別に表題を付して発表された多くの句が抽出されて編まれているのだが、連作なのか群作なのかは、読者自身の思考回路にゆだねられているのだ。ドグマこそ読み、という珍しい句集といえるかもしれない。
さて、意図的に、句集の最後の部分に、連作「群像抄」の二十句が据えられた。連作としての読みを誘うところが冨二の力量とも言える。句集の「解題」(山村祐)を借りて言えば、「ハニカミと自嘲のかげと、それと切っても切れない関係にある自負心とが交錯している」と、当時の祐が関心を持っていた心理学的な視線で書かれた冨二の「自負心」が、連作の創造に発揮されたのかもしれない。まさに、巻末に据えた、という感があるのだ。
ところが冨二の没後に有志で編まれた『中村冨二・千句集』1981(昭和56)年刊に
は、人名を書いた句を集めてどこかの誌上に発表されたものを、そのまま、もしくは抽出して、当然、別のかたちで載せている。むろん両句集の収載方法が違うことをもって問題があるというのではない。実際『中村冨二・千句集』の人名の並ぶ「戯作――群像抄――」は充分に面白くて、冨二ファンには、垂涎の部分でもあり、この興味と好みだけから『中村冨二集』の「群像抄」を読むと人名の句が減っているとの不満が湧く。私自身、この不満、減らされた奇妙さが感情的にあって、連作として読む柔軟さを持てなかったのである。死せる冨二は、ここでも、二冊の句集で私を走らせるのである。
重複する部分をあわせて両者を引く。
『中村冨二・千句集』より
戯作――群像抄――
花によせて 由紀夫 康成以後の声
司会者の深紅のバラと 逝く龍馬
起爆剤たりしは春か 昭和天皇
下駄を穿いた白秋が来る三味線屋
聖徳太子とフランスデモと 少し歩き
獄門の首は一休 梅咲けり
ひとり見き 芭蕉崩るる 石の上を
ピカソ今日は馬になろうと 神えがく
親鸞とわが膿盆と 化合せよ
チャップリン 金庫に棲んで涙たれ
おのづから指腐りゆく 涅槃かな
皇族のサロンに燃えし ヒミコの爪は
とあり、表題の、戯作――群像抄――、が示すとおりの群作である。しかし、連作として読むとき、ポイントは「おのづから指腐りゆく 涅槃かな」である。なにごとも自然任せで「涅槃」に至るという、積極的に関係性や変化をつくってゆく生への穏やかな批判と、いや、穏やかで受身の生であっても、世界、他者の生と関わらねば生きられず、そこでは「おのづから」自我や欲望などを捨てることができないままで「指腐さりゆく」との慨嘆が連作を統べていると読める。
『中村冨二集』1974(昭和49)年刊には、意図的に連作化されて、戯作という語句のない「群像抄」との表題で、上記の句群から数句、人名を書いた句が減らされて、そのあとに別の句が附けられて二十句での連作をもって句集が終わる構成になっている。
『中村冨二集』より
群像抄 句集38p
花によせて由紀夫康成以後の 声
司会者の深紅の薔薇に逝く 龍馬
獄門の首は一休 梅咲けり 句集39p
肉屋から出て キリストの行くところ
二階から誰かが降りて来て 笑う
起爆剤たりしは春か 昭和天皇
ヘルメット 幻像なれば地に轟き
三味線や 憎しと言えば取りすがり
ギニョール ギクンと生まれ ガクンと生まれ 句集40p
糸は緑の青春の手の交叉 燃ゆ
聖女は風景で、退屈な白い糸です
嫁ぐ糸と赤き不倖に酔う娘らと
銀の糸の王子は消えぬ 星老いぬる
糸は茶に変り シャイロックの横目
黄な糸の見よや刺客のもんどりを 句集41p
イヴァン老ゆる 術なき黄金の糸を手に
青い 青い糸を捲いている さようなら
ばらばらな糸の――肉の静けさ蛆うまる
時刻と神が僕を吊る、指が静かに
ギニョールふたたび生まれ ガクンと死ぬ 句集巻末の句
「三味線や」の句で句集の39pがおわる。唐突だがこの句で「群像抄」が終わっているとの読みも可能ではある。
40pが「ギニョール」の句ではじまり、41pの句集の巻末も「ギニョール」の句で終わる。この「ギニョール」の一連は群作としてかつて発表されていることもあり「群像抄」と続けて読まずに別の群作として読むことも可能である。詳しく言えば「群像抄」は八句だけと読んで、最終の見開き40p、41pの「ギニョール」から「ギニョール」に至る一連十二句を「群像抄」から離す読みも可能である。
『中村冨二・千句集』では別の群作としてページも別であり、既発表時では「童話(その1)――繰り人形の糸――」(『中村冨二。千句集』)十五句の、三句『中村冨二集』では削られた群作として読むことになる。
私が奇妙さを持った根拠はこの点にあり、本来的には最終見開き2ページを独立した連作とするのであれば、かつて発表された表題が附けられねばならないということである。しかし、ページは次になるが表題はない。
したがって「群像抄」の連作に、「ギニョール」に始まり「ギニョール」に終わる一連が組みこまれたとする何らかの根拠、あるいは説明、繋がる意味や意義や感覚があるはずなのだ。
そこにこそ、冨二の連作化の根拠、引用だけで連作を創り出す発想と主題が有る筈なのである。
もっと突っ込んだ推理を言えば、ページが変わるところで「群像抄」が終わりと読まれても読まれなくてもいいのだ。また「ギニョール」十二句の独立性にさほど拘らずとも、さまざまな色できらびやかな「糸」を書いた十二句として読まれ、あるいは、それが「群像抄」に含まれるものとして読まれても構わないとの認識があるはずなのだ。ここで中村冨二短詩型文芸のもつ枠、五七五とか五七五七七とかの一作品の枠と、群作と連作との境界、発表方法の枠とを、それぞれ活かしながら壊している。鷹揚であり豪胆である。無責任を感じさせるが、引用によるコラージュの手法と言えばよいか、その連作に、一つの、ほとんど小説や、エッセーで展開されるべき主題、冨二が追求して来たテーマが、かろうじてぼんやりと統括していることをもって責任をとろうとしているのだ。
二十句には、「ギニョール」「吊る」などの句語から見ても、群像の個々人のこころや生が、ほとんど、歴史や、運命や、世界などの「糸」で動かされたり操られているいるとの感がある。「糸」は「群像」に繋がる連作のキーワードなのである。
龍馬・昭和天皇・白秋・一休・芭蕉・ピカソ・親鸞などのよく知られた群像は、「糸」というキーワードに繋がれていることで「嫁ぐ糸と赤き不倖に酔う娘らと」いう、市井に生を送る一般的な心理と人間像に等しい位置とされている。
むろん安易な平等思想やヒューマニズムとは無関係にである。命運という不可知のちからと、世界の関係性から出られない存在である人間の「糸」。「糸」を負わされている人間の生。群像であれ、誰であれ、「聖女」であっても、命運を動かす「糸」に繋がれた存在とされるところに、川柳人中村冨二の世界(人間)の把握がある。
無抵抗主義者「老」いた「イヴァン」も同列に並べられ、さらに「ばらばらな糸の――肉の静けさ蛆うまる」と、傍らにニヒリズムのあることが断言されて、そこに「糸」で操られている冨二「時刻と神が僕を吊る、指が静かに」が重ねられ、「ギニョール」の生と死の提示をもって句集が終わるのである。
既発表作の連作化は、川柳人冨二が書き継いで来たテーマの、個々の句への分化を観念的に集約している。この横着で横暴な方法の実施は、当時では中村冨二だけが想起する方法であったが、句集やアンソロジーを編むときに、一瞬、誰にもよぎる欲求ということで、一般的である。
だが、人間だれであれ「糸」から逃れることはないという現実的な世界観とニヒリズムを書いて、冨二はなぜ句集を終わらせたか。言うまでもないが、思想や想像力の限界がそこにあったのだ。後進の川柳人は超えるべきものとして、連作に見える冨二の限界を見ればいい。そして、その時代に川柳で、冨二が孤高であったことを感得すればいい。
少しだけ、作家論まがいの視線を提出しておきたい。
もともと冨二は「作品は作者ではない」と、テキスト論的読みを公言している(『セレクション柳論』中村冨二と「鴉」の時代―堺利彦。「MANO」12号―樋口由紀子)。
それとともに、市井に生きる同時代人のこころを、体温とともにといえばよいか、暖かく見、観察する視線をもつ川柳人であった。
「漆黒の背景のように抒情を浮きあがらせるには、地獄は豪華であって源信の地獄に飄然としたボクの地獄好きは相当なものである」「現世で地獄を自覚した時、そのまゝ解脱するという仏の教えは明解でよろしい。さて作家の地獄だが、ボクは野次馬だからロクな事しか喋らない」(「鷹」23号)
冨二のキャッチャーミットは当時の川柳人のなかでもっとも大きかっただろう。
川柳では早過ぎたポストモダン的視線を云々する場ではないが、冨二は、目の前の、日常的な生を見る中で、文学がリアリズムを信奉し続け、川柳がそれを、もっとも遅れて書き続けているところに、近代と現代の谷間を見ていたのではなかったか。私川柳が全面的に依りかかっている近代的個性、自我。それがいま、客観的視線には人称性の稀薄化として見える。非人称性の言語空間で世界を、人間を創造的にどのように見ることができるか。近代的な思想が胚胎し続けたニヒリズムを、冨二は群像抄として書いておこうとした。
ひとつだけ「群像抄」の方法が明らかにしたと想像できることがある。
かつて群像を書いた冨二には、対象人物を書きついでゆく折々に、戯作という感じがあったのだろう。個々の人物像を書く戯れの感じ、なぜ戯れと感じるのかは、対象と自分との関係性と無関係性の意識からの気軽さがあっただろうが、無意識的には、象徴的人物の誰であれ「糸」によって繋がり、動いている存在であることが作用していたのではなかったか。戯作という表題を付けるとき、それに気付いた――。「糸」という、世界や歴史や、人間の関係性や、人間の及び難い命運の存在に居る対象人物という感覚が、冨二に戯作であることを無意識的に選ばせた。結果、読者には、〈戯〉れと〈糸〉が、この連作のキーワードとなったのだ。そして連作化に当って「戯作」という言葉が除かれたとき、ややキザに言えば、戯作の群作は、連作を構成することで、昇華されたのだ。
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4 〈引用〉試論 「群像抄」群作と連作
今回は旧作の引用をもって連作化した冨二の試行を追って、川柳で〈引用〉の可能性が試されたことを見ておきたい。
二冊の句集を掻き分けて群作などの中から連作の出典を探り出す持久力が私にはない。かつて「川柳ジャーナル」などで読んだ句を句集の群作の中に発見するなどの、発表媒体による変化が多くて込み入った筋道を辿ることが出来ないのだ。しかも、その転換こそ、冨二独特の〈引用〉の手法なのである。冨二に振り回されながら、その鷹揚さを信じて、ここでは、旧作の〈引用〉に満ちたコラージュで成る連作「群像抄」を俎上に乗せたい。旧作の連作化が、冨二の世界(人間)観の認識を確認させていることを記して、中村冨二が川柳の伝統を漸進させたことを報じておきたいのである。
何のときだったか、冨二さんから葉書をもらった。
熱の夜は信長が来て死ねという
と、ふとぶとと書いてあり、灰色のバックに稲妻と氷嚢を乗せた冨二の顔、こんな葉書を喜ぶ柊馬、との思いがあったのかもしれない。実際うれしかった。
中村冨二は川柳に人物の名をたくさん書いている。どの句も面白い。
朔太郎、カント、大野九郎兵衛、亀井勝一郎、アンデルセン、ディーン、川上三太郎、直哉、荷風、夢声、モリエール、架空では弱法師、シヤイロック、イヴァン、三太、与太郎など。近親者の名も書かれているが、その名が実名かフィクションかは知らない。
詩集青猫&ル竡沽Yは癌で死んだよ
一絵よ 鈴鳴る街で卵買え 鰯買え
嫁ぐ娘への愛情がうつくしく切ないが、句集を読み返すときなど、次々とお馴染みの人物の名に出会って楽しくなる。軽く書いたなと感じられる句と観念の表現と思わせる句がある。信長もおもしろく、措辞として適確だな、と思ったが、風邪で「ジャーナル」誌の原稿が遅れているとの連絡だったかもしれない。信長も象徴的人物を書いた一連に並ぶと思ったのは早計で、この句、風邪で臥している冨二を書いているのだから、圏外である。
人名の句は折々に書かれたものと一挙に数人が書かれて群作となったものがあると感じられる。親鸞、ユダ、仏陀などもあるが、おおむね、真面目な戯れ!?の感が実に冨二らしい。
それを数句集めて発表されたことがある。
川柳の世界で群作という用語は使われないかもしれないが、「少年」「三太」「無精卵「鬼」「青空」「浮浪児」「轢死者」などが、題詠のように何句も書かれており、なかでも「童話」は「鴉」誌に数回連載されている(『セレクション柳論』収載「中村冨二と「鴉」の時代」堺利彦)。構成とか構造をもつ連作としてより、それぞれ独立した一句で、この連載には有名な句が多く含まれているときく。
一つの題で、さまざまな角度から数多く書かれるものを連作というカテゴリーに列するなら、その書き方は連作と呼ぶ最低限の要素だろう。句会の題詠で、興に任せて多く書き、一句毎の飛躍を愉しむ冨二が濃厚に感じられるが、それ以上の構成や意図の何もないものは連作というより群作と言う方が当っていると感じられる。また、「僕は ――」と「君は ――」の句を交互に書きつづけているものの全体的には連綿としたモノローグの一連もあり、さらに、ときどき数句に表題を付すことで題詠としての冗長さが緩和されている感もあり、この辺りは連作と見るより題詠に近いものとして、当ブログでは群作という言葉を使っている。
冨二の発表方法は多様だ。構成を具えた連作と感じても、ストーリー性や、観念と具体性との関係が一連の途中で辿り難くなるものもあり、読みの能力の無さと、冨二のエスプリの難しさに難渋することもあるので、群作という用語は私自身の勝手な使用を出ない。また、連作の感より、一句一句の存在感の強さが短篇小説のオムニバスと感じられることもあり、はたして連作かと途惑ったり、映画好きの冨二らしさが奔放にイメージを繋いでいると感じられたり、小説を意識していると思われる連作もある。
さらにさらに、今回ご紹介する「群像抄」は、既発表の象徴的な人名の句を数句並べて、中に、別の既発表の句を数句附ける構成。つまり、幾つかの自作を引用、コラージュ化、一篇の連作をつくっているのである。
したがって、一篇の連作と決めて読めば、主題や流れや配列が見えるのだが、それはお前が勝手に決めて、他人の句の並びから勝手なストーリーをでっち上げる、いわば妄想を喜ぶ一人芝居だと言われれば、二十句を小説仕立てにするドグマといわれてもしかたがない。
実際、中村冨二は多くの群作といくつかの連作を書いているが、旧作のコラージュ化による連作と、群作との違いを決定的に分けることは難しい。
それぞれをテキストとして読みながら、死せる冨二に走らされている自分を感じて苦笑することがある。
さて、走らされ、振り回されて、いまもその感を残しつつ「群像抄」は、連作と決めることで、やっと見えてきたとの思いがある。
連作として読むと「群像抄」は冨二の連作のなかで最も高いレベルのものである。1974(昭和49)年に刊行の『中村冨二集』に載せられているのだが、最初に読んだ時には連作であるとの読みができなかったが、奇妙な並べ方だな、と思い、疑念が残った。
この句集は冨二が編んだはずだが、それを実証する根拠は、いまでは得られない。気軽に誰かに編集を委ねたかもしれないのだが、これを連作として読むと、冨二の思考が注入された感は実に濃厚であり、優れた連作だと思われるのである。冨二は冥界から読者個々人のドグマを試しているのかもしれない。
あたりまえのことだが、全句書きおろしの句集以外の句集は、一般的には、すでに発表したものが収載されている。この認識に立って『中村冨二集』の最後の3ページの二十句、「群像抄」を読めば、かつての群作の数句を削って、そこに個々に発表した別の句を附け、さらに別の既発表群作を並べる構成がとられていることはわかる。意図的でないはずがないのだが、句集を編むとき、幾つかの小さな部立に表題を附ける。「短詩型文学全書」というシリーズ物の収載スペースと句数の増減は編集者の資質が反映する。そこに意図的に、主題やストーリ性を創って連作を構成する冨二が居るのだ。
少し横道に逸れるが、句集の編集の代表的な編み方、収載法は、発表や作句の順に並べる時系列だろう。例えば定金冬二の句集『無双』は、個々に発表された句から、句語に数字を用いた句を一所に集めたり、私小説的な句を纏めて群作化、それぞれ表題を附けて、さらにこの群作を時系列に配置する周到な編み方がなされている。また一般論として、ある事件について複数の句が書かれた場合、時系列をもって構成、収載される。それが事件がフィクションであっても、時系列で並べられる。
『中村冨二集』は、作者が興に乗って書いた感のある群作や、個別に表題を付して発表された多くの句が抽出されて編まれているのだが、連作なのか群作なのかは、読者自身の思考回路にゆだねられているのだ。ドグマこそ読み、という珍しい句集といえるかもしれない。
さて、意図的に、句集の最後の部分に、連作「群像抄」の二十句が据えられた。連作としての読みを誘うところが冨二の力量とも言える。句集の「解題」(山村祐)を借りて言えば、「ハニカミと自嘲のかげと、それと切っても切れない関係にある自負心とが交錯している」と、当時の祐が関心を持っていた心理学的な視線で書かれた冨二の「自負心」が、連作の創造に発揮されたのかもしれない。まさに、巻末に据えた、という感があるのだ。
ところが冨二の没後に有志で編まれた『中村冨二・千句集』1981(昭和56)年刊に
は、人名を書いた句を集めてどこかの誌上に発表されたものを、そのまま、もしくは抽出して、当然、別のかたちで載せている。むろん両句集の収載方法が違うことをもって問題があるというのではない。実際『中村冨二・千句集』の人名の並ぶ「戯作――群像抄――」は充分に面白くて、冨二ファンには、垂涎の部分でもあり、この興味と好みだけから『中村冨二集』の「群像抄」を読むと人名の句が減っているとの不満が湧く。私自身、この不満、減らされた奇妙さが感情的にあって、連作として読む柔軟さを持てなかったのである。死せる冨二は、ここでも、二冊の句集で私を走らせるのである。
重複する部分をあわせて両者を引く。
『中村冨二・千句集』より
戯作――群像抄――
花によせて 由紀夫 康成以後の声
司会者の深紅のバラと 逝く龍馬
起爆剤たりしは春か 昭和天皇
下駄を穿いた白秋が来る三味線屋
聖徳太子とフランスデモと 少し歩き
獄門の首は一休 梅咲けり
ひとり見き 芭蕉崩るる 石の上を
ピカソ今日は馬になろうと 神えがく
親鸞とわが膿盆と 化合せよ
チャップリン 金庫に棲んで涙たれ
おのづから指腐りゆく 涅槃かな
皇族のサロンに燃えし ヒミコの爪は
とあり、表題の、戯作――群像抄――、が示すとおりの群作である。しかし、連作として読むとき、ポイントは「おのづから指腐りゆく 涅槃かな」である。なにごとも自然任せで「涅槃」に至るという、積極的に関係性や変化をつくってゆく生への穏やかな批判と、いや、穏やかで受身の生であっても、世界、他者の生と関わらねば生きられず、そこでは「おのづから」自我や欲望などを捨てることができないままで「指腐さりゆく」との慨嘆が連作を統べていると読める。
『中村冨二集』1974(昭和49)年刊には、意図的に連作化されて、戯作という語句のない「群像抄」との表題で、上記の句群から数句、人名を書いた句が減らされて、そのあとに別の句が附けられて二十句での連作をもって句集が終わる構成になっている。
『中村冨二集』より
群像抄 句集38p
花によせて由紀夫康成以後の 声
司会者の深紅の薔薇に逝く 龍馬
獄門の首は一休 梅咲けり 句集39p
肉屋から出て キリストの行くところ
二階から誰かが降りて来て 笑う
起爆剤たりしは春か 昭和天皇
ヘルメット 幻像なれば地に轟き
三味線や 憎しと言えば取りすがり
ギニョール ギクンと生まれ ガクンと生まれ 句集40p
糸は緑の青春の手の交叉 燃ゆ
聖女は風景で、退屈な白い糸です
嫁ぐ糸と赤き不倖に酔う娘らと
銀の糸の王子は消えぬ 星老いぬる
糸は茶に変り シャイロックの横目
黄な糸の見よや刺客のもんどりを 句集41p
イヴァン老ゆる 術なき黄金の糸を手に
青い 青い糸を捲いている さようなら
ばらばらな糸の――肉の静けさ蛆うまる
時刻と神が僕を吊る、指が静かに
ギニョールふたたび生まれ ガクンと死ぬ 句集巻末の句
「三味線や」の句で句集の39pがおわる。唐突だがこの句で「群像抄」が終わっているとの読みも可能ではある。
40pが「ギニョール」の句ではじまり、41pの句集の巻末も「ギニョール」の句で終わる。この「ギニョール」の一連は群作としてかつて発表されていることもあり「群像抄」と続けて読まずに別の群作として読むことも可能である。詳しく言えば「群像抄」は八句だけと読んで、最終の見開き40p、41pの「ギニョール」から「ギニョール」に至る一連十二句を「群像抄」から離す読みも可能である。
『中村冨二・千句集』では別の群作としてページも別であり、既発表時では「童話(その1)――繰り人形の糸――」(『中村冨二。千句集』)十五句の、三句『中村冨二集』では削られた群作として読むことになる。
私が奇妙さを持った根拠はこの点にあり、本来的には最終見開き2ページを独立した連作とするのであれば、かつて発表された表題が附けられねばならないということである。しかし、ページは次になるが表題はない。
したがって「群像抄」の連作に、「ギニョール」に始まり「ギニョール」に終わる一連が組みこまれたとする何らかの根拠、あるいは説明、繋がる意味や意義や感覚があるはずなのだ。
そこにこそ、冨二の連作化の根拠、引用だけで連作を創り出す発想と主題が有る筈なのである。
もっと突っ込んだ推理を言えば、ページが変わるところで「群像抄」が終わりと読まれても読まれなくてもいいのだ。また「ギニョール」十二句の独立性にさほど拘らずとも、さまざまな色できらびやかな「糸」を書いた十二句として読まれ、あるいは、それが「群像抄」に含まれるものとして読まれても構わないとの認識があるはずなのだ。ここで中村冨二短詩型文芸のもつ枠、五七五とか五七五七七とかの一作品の枠と、群作と連作との境界、発表方法の枠とを、それぞれ活かしながら壊している。鷹揚であり豪胆である。無責任を感じさせるが、引用によるコラージュの手法と言えばよいか、その連作に、一つの、ほとんど小説や、エッセーで展開されるべき主題、冨二が追求して来たテーマが、かろうじてぼんやりと統括していることをもって責任をとろうとしているのだ。
二十句には、「ギニョール」「吊る」などの句語から見ても、群像の個々人のこころや生が、ほとんど、歴史や、運命や、世界などの「糸」で動かされたり操られているいるとの感がある。「糸」は「群像」に繋がる連作のキーワードなのである。
龍馬・昭和天皇・白秋・一休・芭蕉・ピカソ・親鸞などのよく知られた群像は、「糸」というキーワードに繋がれていることで「嫁ぐ糸と赤き不倖に酔う娘らと」いう、市井に生を送る一般的な心理と人間像に等しい位置とされている。
むろん安易な平等思想やヒューマニズムとは無関係にである。命運という不可知のちからと、世界の関係性から出られない存在である人間の「糸」。「糸」を負わされている人間の生。群像であれ、誰であれ、「聖女」であっても、命運を動かす「糸」に繋がれた存在とされるところに、川柳人中村冨二の世界(人間)の把握がある。
無抵抗主義者「老」いた「イヴァン」も同列に並べられ、さらに「ばらばらな糸の――肉の静けさ蛆うまる」と、傍らにニヒリズムのあることが断言されて、そこに「糸」で操られている冨二「時刻と神が僕を吊る、指が静かに」が重ねられ、「ギニョール」の生と死の提示をもって句集が終わるのである。
既発表作の連作化は、川柳人冨二が書き継いで来たテーマの、個々の句への分化を観念的に集約している。この横着で横暴な方法の実施は、当時では中村冨二だけが想起する方法であったが、句集やアンソロジーを編むときに、一瞬、誰にもよぎる欲求ということで、一般的である。
だが、人間だれであれ「糸」から逃れることはないという現実的な世界観とニヒリズムを書いて、冨二はなぜ句集を終わらせたか。言うまでもないが、思想や想像力の限界がそこにあったのだ。後進の川柳人は超えるべきものとして、連作に見える冨二の限界を見ればいい。そして、その時代に川柳で、冨二が孤高であったことを感得すればいい。
少しだけ、作家論まがいの視線を提出しておきたい。
もともと冨二は「作品は作者ではない」と、テキスト論的読みを公言している(『セレクション柳論』中村冨二と「鴉」の時代―堺利彦。「MANO」12号―樋口由紀子)。
それとともに、市井に生きる同時代人のこころを、体温とともにといえばよいか、暖かく見、観察する視線をもつ川柳人であった。
「漆黒の背景のように抒情を浮きあがらせるには、地獄は豪華であって源信の地獄に飄然としたボクの地獄好きは相当なものである」「現世で地獄を自覚した時、そのまゝ解脱するという仏の教えは明解でよろしい。さて作家の地獄だが、ボクは野次馬だからロクな事しか喋らない」(「鷹」23号)
冨二のキャッチャーミットは当時の川柳人のなかでもっとも大きかっただろう。
川柳では早過ぎたポストモダン的視線を云々する場ではないが、冨二は、目の前の、日常的な生を見る中で、文学がリアリズムを信奉し続け、川柳がそれを、もっとも遅れて書き続けているところに、近代と現代の谷間を見ていたのではなかったか。私川柳が全面的に依りかかっている近代的個性、自我。それがいま、客観的視線には人称性の稀薄化として見える。非人称性の言語空間で世界を、人間を創造的にどのように見ることができるか。近代的な思想が胚胎し続けたニヒリズムを、冨二は群像抄として書いておこうとした。
ひとつだけ「群像抄」の方法が明らかにしたと想像できることがある。
かつて群像を書いた冨二には、対象人物を書きついでゆく折々に、戯作という感じがあったのだろう。個々の人物像を書く戯れの感じ、なぜ戯れと感じるのかは、対象と自分との関係性と無関係性の意識からの気軽さがあっただろうが、無意識的には、象徴的人物の誰であれ「糸」によって繋がり、動いている存在であることが作用していたのではなかったか。戯作という表題を付けるとき、それに気付いた――。「糸」という、世界や歴史や、人間の関係性や、人間の及び難い命運の存在に居る対象人物という感覚が、冨二に戯作であることを無意識的に選ばせた。結果、読者には、〈戯〉れと〈糸〉が、この連作のキーワードとなったのだ。そして連作化に当って「戯作」という言葉が除かれたとき、ややキザに言えば、戯作の群作は、連作を構成することで、昇華されたのだ。
7
2009/5/23
中村冨二の川柳 川柳
中村冨二の川柳
3(の2)
みんな去って 全身に降る味の素
鈴虫と名づけし時は 腐りゆく
「みんな去って」の句は、冨二の川柳の味が見事に出た川柳である。たとえそれが、子や孫たちが帰ったあとの「全身に降る味の素」という感慨や感傷と読まれても、人間の存在が孤独であることを日常性のなかに表現している。連作としての「みんな去って」の読みは、連作の中の主人公が、卵・蜘蛛・僧も尼僧も・性器・是説・異形・外道などの、どの実在も観念も過去となり、取り残されたところでの感慨の提出である。そして、それぞれに生じた情動も、生や死の現実も、等し並みに遠のいて、ポカッとした孤独感と生の無為の交錯が「みんな去って」なのだ。空虚感と行き交う感懐と感慨は冷たい。
慟哭はおわり 便所に灯がともり
怪獣よ 櫛笄も亡びたか
振り向けば幸福駅は焰えやすき
との過去への思い、過去の様相への取り返せない距離感の趣きが書かれている。
秋の虫を「鈴虫」と「名づけ」て愛でることは、感傷によるふるまいでしかない。秋のひとときに終わって「腐りゆく」のであり、「慟哭」と生理現象は、一個の生の二つの現象であることを「便所に灯がともり」と覚醒させる。
女性の結髪の一つにおばけと仇名した時代があった。文字どおり仇名だが、「櫛笄も亡びたか」と呼びかける相手が「怪獣」であるところに時勢とか時流とかの言葉で言い足りない時代の変転のちからが意識される。これが冨二(1912年生れ)と同時代の人々の感慨である。「怪獣」は時間であり人間世界でもあるのだ。「櫛笄巾着ぐるみ」とは冨二の同世代が好んだ長谷川伸の人情物だが、人間の怪獣性と時間は一体化されて認識される。
現実には「幸福駅」の切符に蝟集する浮薄であどけないブームや感情があるが、それもまた「焔えやすき」、一時のものであると宣せられる。つまり、どこまでも「卵を割」る人間は勝手で不埒な存在であり、それが時間の経過と言う絶対的な「怪獣」をもつくり、「鈴虫と名づけし時」の抒情も作り上げる。自らを慰撫する勝手で哀れで貧相な、そしてかわいい人間――。
喪服は喪服 赤い造花は見当たらぬ
いかな冨二であれ、浮薄な抒情や感傷の自己欺瞞は肯定しない。同時代人への共感と、時を越えてくり返される貧弱かつ浮薄な自己欺瞞は峻別されて、「赤い造花は見当たらぬ」とリアリストの強い視線が示される。「喪服」と「赤い造花」は、人間が使い分ける二面性であり、方便である。リアリズムに立ってリアリズムで見えないもの、人間の喜劇性の抽出、拡大化などは冨二の川柳の魅力だが、そこに冨二は自画像を見ている。
春やむかし わが入墨の緑が好き
笑わないお前は侏儒みたいだぞ
午後のパン喰い 火達磨になれはせぬ
「幸福駅」の句とともに、連作としても、各一句としてもこれらの句は常套的でつまらない。連作の主人公のフィクションの回想をに重みがない。ただ、人生の「午後のパン」の措辞が、現実と過去を重ねて素朴で飾りっ気がないことで現実感を持つが、「火達磨になれはせぬ」と、これをもって連作を閉めようとする感は安直である。むろん、この連作が1975(昭和50)年に書かれたことを勘案すれば、ベトナムやフランスでの、政治や社会情勢に抗議する焼身自殺があり、「火達磨になれはせぬ」と書かれたとも思われ、それが「午後のパン喰」う、人生の午後の平凡な日常に対置されたと感じられもするが、この二十句をこのように締め括ると、連作そのものを一束にして「なれはせぬ」という過ぎた時間への含羞にしてしまうことになり、結果、作者の位置を説明する終息に収まる。
ただし、作家論の眼で冨二の川柳を通時的に、作者の道程のなかにこの連作の晦渋さを見れば、ひとつの転換を示しているはずである。連作は、過去に書き継いだ大方の主題を観念のままで表現することを、冨二が冨二に許したことをものがたっているのだ。
冨二の川柳の多くは問答体で書かれており、折々の日常的具体性(A)と、それを見る観念的視線(B)が重なって、一句となっており、書き上げられた一句の表面には日常的な事象についての、冨二の概念的な把握が提出されている。いわば抽象的な観念をもって日常性を概念として捉え直す、いわば、知的なスパンから具体性へ下降するのであり、そこに醸される温かな体温に読者は引きつけられる。これが冨二の川柳の最大の魅力なのだ。
しかし、この時期のように、連作による観念性の提出が濃厚になって、一句や連作に書かれる時空の幅と奥行きが広がり、表現自体に抽象性が濃くなると、「パチンコ屋オヤ貴方にも影がない」のような日常的概念や具体性を求める読者は付いて行かなくなった。
冨二はこれを自身に許したと、作家論の位相からは見えるのである。
むろんこの転換は、冨二の思考レベルの深化や認識の表現欲が昂じてのことでもあるはずだが、冨二はかつて「墓地にて」の連作などで観念的な認識を早くから書いており、そこには〔死から振り返って見る生〕への視線という冨二流の川柳発想法ともいえるものがあった。――これが螺旋的に上昇して、この時期の連作に至ったのである。そこに、60年代後半から70年代前半の、この国の知的な地殻変動、社会の近代化の過程への全面的な批判や拒否感を基盤とする造反有理を名乗る全共闘や学園闘争、70年の安保改定問題、アメリカでの公民権運動の成果やフランスでの若者達による近代主義への抗議行動などなど、知的でダイナミックな既成価値の破壊が、冨二に及ぼすものがあったと思われる。
この、目前の価値転換、時代の荒々しい潮流の影響を一言でいうことは冨二に対して失敬ではあるが、それが川柳に向けられたとき、表出レベルが、一般的な情にまじえない観念の表現であっても、読まれるであろうとの判断があったと思われるのである。その具現化が、旧作を混ぜる連作という方法であっただろう。
もちろん川柳界に居る冨二として、句会や大会などの座の文芸の継承に交わり、愉しみ、立ち止まることをよしとしながら、世界(人間)観の深化を求める群作や連作であったと見える。さらに60年代後半から70年代前半にかけての、視覚芸術の猥雑さ、土俗性や非現実性、庶民的情念の表出などに現われたリアリズムへの不信や超克志向は、カルチャーショックとともに冨二の連作に響いて屈折、反映するところがあったとも推察できる。
冨二の観念的な連作は月刊「川柳ジャーナル」(約8年間)の後期(1975年に終刊)から「対流」(1974年創刊)への、いまから見れば冨二が早過ぎた晩年にむかう時節に増えている。
群作から連作へ、思考が上昇した。
社会的転換、その刺激が、川柳界の読みのちからの上昇として冨二の目に映ったのではなかったか。むろん厳密に言えば、冨二に内在する観念性あるいは抽象性の濃厚な提出の契機は本人にのみ意識されたものだが、結果的には連作の表現レベルは、解かりやすい句を好む多くの読者を退かせた。冨二はこれをも感知したはずであるが、冨二自身の川柳への関わりかたは、もともと表出レベルを時と場所によって分ける二面性を自身に許していたのであり、それが川柳の川柳らしさだとの思いをもって関わっていたであろうから、読者の反応をおだやかに受け入れただろう。
むつかしい冨二。いまから思えば、冨二は、おそらく伝統の継承としか思っていなかっただろうが、結果的に川柳の伝統を連作で前進させた。その代価を、親しみ易い句を書く冨二がむつかしい句を連ねる冨二に変わったという反応として得ることになったのだ。
連作に旧作を挿入するという方法には、冨二という人物の鷹揚さとともに、川柳という文芸が地から足を浮かせることがないものだとの認識があっただろう。日常的猥雑さと地続きの川柳、という認識である。この、川柳的特性を熟知したところで連作が書かれたのである。作家論的にいえば、川柳という文芸が実にその人に合ったもの、冨二にとって幸福な巡り合わせの川柳という文芸であったのだ。
したがって、観念性の強い連作と、それを書く冨二は、川柳界からの客観的な視線には、試行あるいは分裂に見え、それを納得させる見方は冨二の鷹揚な人柄という、冨二の川柳に伴う好印象であった。
この時期のある一紙に、どこかの川柳大会で優勝した冨二が、デカイ優勝旗を持たされている写真が載った。その噂は、関西の革新系の人達や私を爆笑させたが、恥ずかしさとサービス精神で身を縮めているかの冨二の風貌を想像すると実に可笑しかった。そこに、実にこのましい、邪気のない冨二像があった。
サービス精神と観念的な連作は混ざり合うことなく、冨二に内在したのだが、読者はこれが冨二に混在しているとの感じを持っていたのであった。実際、この印象は冨二の川柳の大方の印象であり、冨二の句が語られるところにかならず落差として意識されるものである。そして、そこに、川柳における文学的先端だけを評価すればそれでよいとする姿勢が、ふっと、愛らしい、かわいいいものと感じさせる空気が沸き立つのだ。
本人は混ざり合うことのない種々の観念のレベル差をすべて自身の中に点在させていたはずである。当然、冨二の世界(人間)観、その現われとしての川柳は含羞を伴っていた。
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3(の2)
みんな去って 全身に降る味の素
鈴虫と名づけし時は 腐りゆく
「みんな去って」の句は、冨二の川柳の味が見事に出た川柳である。たとえそれが、子や孫たちが帰ったあとの「全身に降る味の素」という感慨や感傷と読まれても、人間の存在が孤独であることを日常性のなかに表現している。連作としての「みんな去って」の読みは、連作の中の主人公が、卵・蜘蛛・僧も尼僧も・性器・是説・異形・外道などの、どの実在も観念も過去となり、取り残されたところでの感慨の提出である。そして、それぞれに生じた情動も、生や死の現実も、等し並みに遠のいて、ポカッとした孤独感と生の無為の交錯が「みんな去って」なのだ。空虚感と行き交う感懐と感慨は冷たい。
慟哭はおわり 便所に灯がともり
怪獣よ 櫛笄も亡びたか
振り向けば幸福駅は焰えやすき
との過去への思い、過去の様相への取り返せない距離感の趣きが書かれている。
秋の虫を「鈴虫」と「名づけ」て愛でることは、感傷によるふるまいでしかない。秋のひとときに終わって「腐りゆく」のであり、「慟哭」と生理現象は、一個の生の二つの現象であることを「便所に灯がともり」と覚醒させる。
女性の結髪の一つにおばけと仇名した時代があった。文字どおり仇名だが、「櫛笄も亡びたか」と呼びかける相手が「怪獣」であるところに時勢とか時流とかの言葉で言い足りない時代の変転のちからが意識される。これが冨二(1912年生れ)と同時代の人々の感慨である。「怪獣」は時間であり人間世界でもあるのだ。「櫛笄巾着ぐるみ」とは冨二の同世代が好んだ長谷川伸の人情物だが、人間の怪獣性と時間は一体化されて認識される。
現実には「幸福駅」の切符に蝟集する浮薄であどけないブームや感情があるが、それもまた「焔えやすき」、一時のものであると宣せられる。つまり、どこまでも「卵を割」る人間は勝手で不埒な存在であり、それが時間の経過と言う絶対的な「怪獣」をもつくり、「鈴虫と名づけし時」の抒情も作り上げる。自らを慰撫する勝手で哀れで貧相な、そしてかわいい人間――。
喪服は喪服 赤い造花は見当たらぬ
いかな冨二であれ、浮薄な抒情や感傷の自己欺瞞は肯定しない。同時代人への共感と、時を越えてくり返される貧弱かつ浮薄な自己欺瞞は峻別されて、「赤い造花は見当たらぬ」とリアリストの強い視線が示される。「喪服」と「赤い造花」は、人間が使い分ける二面性であり、方便である。リアリズムに立ってリアリズムで見えないもの、人間の喜劇性の抽出、拡大化などは冨二の川柳の魅力だが、そこに冨二は自画像を見ている。
春やむかし わが入墨の緑が好き
笑わないお前は侏儒みたいだぞ
午後のパン喰い 火達磨になれはせぬ
「幸福駅」の句とともに、連作としても、各一句としてもこれらの句は常套的でつまらない。連作の主人公のフィクションの回想をに重みがない。ただ、人生の「午後のパン」の措辞が、現実と過去を重ねて素朴で飾りっ気がないことで現実感を持つが、「火達磨になれはせぬ」と、これをもって連作を閉めようとする感は安直である。むろん、この連作が1975(昭和50)年に書かれたことを勘案すれば、ベトナムやフランスでの、政治や社会情勢に抗議する焼身自殺があり、「火達磨になれはせぬ」と書かれたとも思われ、それが「午後のパン喰」う、人生の午後の平凡な日常に対置されたと感じられもするが、この二十句をこのように締め括ると、連作そのものを一束にして「なれはせぬ」という過ぎた時間への含羞にしてしまうことになり、結果、作者の位置を説明する終息に収まる。
ただし、作家論の眼で冨二の川柳を通時的に、作者の道程のなかにこの連作の晦渋さを見れば、ひとつの転換を示しているはずである。連作は、過去に書き継いだ大方の主題を観念のままで表現することを、冨二が冨二に許したことをものがたっているのだ。
冨二の川柳の多くは問答体で書かれており、折々の日常的具体性(A)と、それを見る観念的視線(B)が重なって、一句となっており、書き上げられた一句の表面には日常的な事象についての、冨二の概念的な把握が提出されている。いわば抽象的な観念をもって日常性を概念として捉え直す、いわば、知的なスパンから具体性へ下降するのであり、そこに醸される温かな体温に読者は引きつけられる。これが冨二の川柳の最大の魅力なのだ。
しかし、この時期のように、連作による観念性の提出が濃厚になって、一句や連作に書かれる時空の幅と奥行きが広がり、表現自体に抽象性が濃くなると、「パチンコ屋オヤ貴方にも影がない」のような日常的概念や具体性を求める読者は付いて行かなくなった。
冨二はこれを自身に許したと、作家論の位相からは見えるのである。
むろんこの転換は、冨二の思考レベルの深化や認識の表現欲が昂じてのことでもあるはずだが、冨二はかつて「墓地にて」の連作などで観念的な認識を早くから書いており、そこには〔死から振り返って見る生〕への視線という冨二流の川柳発想法ともいえるものがあった。――これが螺旋的に上昇して、この時期の連作に至ったのである。そこに、60年代後半から70年代前半の、この国の知的な地殻変動、社会の近代化の過程への全面的な批判や拒否感を基盤とする造反有理を名乗る全共闘や学園闘争、70年の安保改定問題、アメリカでの公民権運動の成果やフランスでの若者達による近代主義への抗議行動などなど、知的でダイナミックな既成価値の破壊が、冨二に及ぼすものがあったと思われる。
この、目前の価値転換、時代の荒々しい潮流の影響を一言でいうことは冨二に対して失敬ではあるが、それが川柳に向けられたとき、表出レベルが、一般的な情にまじえない観念の表現であっても、読まれるであろうとの判断があったと思われるのである。その具現化が、旧作を混ぜる連作という方法であっただろう。
もちろん川柳界に居る冨二として、句会や大会などの座の文芸の継承に交わり、愉しみ、立ち止まることをよしとしながら、世界(人間)観の深化を求める群作や連作であったと見える。さらに60年代後半から70年代前半にかけての、視覚芸術の猥雑さ、土俗性や非現実性、庶民的情念の表出などに現われたリアリズムへの不信や超克志向は、カルチャーショックとともに冨二の連作に響いて屈折、反映するところがあったとも推察できる。
冨二の観念的な連作は月刊「川柳ジャーナル」(約8年間)の後期(1975年に終刊)から「対流」(1974年創刊)への、いまから見れば冨二が早過ぎた晩年にむかう時節に増えている。
群作から連作へ、思考が上昇した。
社会的転換、その刺激が、川柳界の読みのちからの上昇として冨二の目に映ったのではなかったか。むろん厳密に言えば、冨二に内在する観念性あるいは抽象性の濃厚な提出の契機は本人にのみ意識されたものだが、結果的には連作の表現レベルは、解かりやすい句を好む多くの読者を退かせた。冨二はこれをも感知したはずであるが、冨二自身の川柳への関わりかたは、もともと表出レベルを時と場所によって分ける二面性を自身に許していたのであり、それが川柳の川柳らしさだとの思いをもって関わっていたであろうから、読者の反応をおだやかに受け入れただろう。
むつかしい冨二。いまから思えば、冨二は、おそらく伝統の継承としか思っていなかっただろうが、結果的に川柳の伝統を連作で前進させた。その代価を、親しみ易い句を書く冨二がむつかしい句を連ねる冨二に変わったという反応として得ることになったのだ。
連作に旧作を挿入するという方法には、冨二という人物の鷹揚さとともに、川柳という文芸が地から足を浮かせることがないものだとの認識があっただろう。日常的猥雑さと地続きの川柳、という認識である。この、川柳的特性を熟知したところで連作が書かれたのである。作家論的にいえば、川柳という文芸が実にその人に合ったもの、冨二にとって幸福な巡り合わせの川柳という文芸であったのだ。
したがって、観念性の強い連作と、それを書く冨二は、川柳界からの客観的な視線には、試行あるいは分裂に見え、それを納得させる見方は冨二の鷹揚な人柄という、冨二の川柳に伴う好印象であった。
この時期のある一紙に、どこかの川柳大会で優勝した冨二が、デカイ優勝旗を持たされている写真が載った。その噂は、関西の革新系の人達や私を爆笑させたが、恥ずかしさとサービス精神で身を縮めているかの冨二の風貌を想像すると実に可笑しかった。そこに、実にこのましい、邪気のない冨二像があった。
サービス精神と観念的な連作は混ざり合うことなく、冨二に内在したのだが、読者はこれが冨二に混在しているとの感じを持っていたのであった。実際、この印象は冨二の川柳の大方の印象であり、冨二の句が語られるところにかならず落差として意識されるものである。そして、そこに、川柳における文学的先端だけを評価すればそれでよいとする姿勢が、ふっと、愛らしい、かわいいいものと感じさせる空気が沸き立つのだ。
本人は混ざり合うことのない種々の観念のレベル差をすべて自身の中に点在させていたはずである。当然、冨二の世界(人間)観、その現われとしての川柳は含羞を伴っていた。
5
2009/5/14
中村冨二の川柳 川柳
3(の1)
『中村冨二・千句集』(1981年ナカトミ書房刊 中村攻二発行)は、有志によって中村冨二の没後に刊行された貴重な句集である。冨二の群作や連作を幾つも収載していて、冨二に内在した折々の主題や思考に触れることができる。
「その他」と題した十三句は、「対流」3号の掲載時1975(昭和50)年には二十句で構成されており、句集収載においてなんらかの事情や意図があって減らされたと思われるが、これを一つの連作と読むか、独立した各句と読むかは個々の読者によって異なるとも感じられので、連作との読みがなされずに十三句だけが載ったとしても、しかたがない。この時期の冨二の思考や関心がどのように在ったかを勘案するところから、私は構成された連作として読んだが、実際、連作と読むには緩いと感じられる句もあり、「その他」という題が連作の意識のないことを現していると読めば、句集への収載数を削ることも生じたと思われる。しかし二十句のなかには「その他」という句語が在るので、幸い、友人に借りた「対流」誌の数冊から、その二十句を引いて、連作としての読みを記しておきたい。(読みの文が長くなるので二回に分けて書く)
――その他――
冬の日の卵を割れば 墜落す
千の寺 無限の蜘蛛を知ってるか
閉じよ眼よ 僧も尼僧も勇気あり
屋上は 刑事が笑う冬の天
地上より三尺を行く性器 その他
鯛やきを蛙の顔になって喰う
院長の毬は金庫の中にある
薪割れば 外道の舞の果てもなや
夜は 駅の是説の首の流れ去る
バスを待つ 異形の人と バスは来ず
みんな去って 全身に降る味の素
鈴虫と名づけし時は 腐りゆく
慟哭はおわり 便所に灯がともり
怪獣よ 櫛笄も亡びたか
振り向けば幸福駅は焔えやすき
喪服は喪服 赤い造花は見当たらぬ
春やむかし わが入墨の緑が好き
飲めば死ぬ薬をひらう誕生日
笑わないお前は儒侏みたいだぞ
午後のパン喰い 火達磨になれはせぬ
冬の日の卵を割れば 墜落す
容器に卵を「割」る。容器に「割」った、「割」って「墜落」させたと、一応、読める。「墜落す」の句語を、割ったその時に人間と卵の、食物についての不即不離の関係が認識された、と読む。
生死と涅槃は背反しないという仏教的思いが冨二に巡ったかもしれないが、卵一個、その生の可能性を絶つことで別の生が成るという冷ややかな現実感があり、この寒々とした無限のアラベスクの感は、「冬の日」のいつもと変わらぬ厨でこそ現実的である。「冬の日の」であり、「冬の日に」ではないところが現実感のポイントなのだ、つまり冨二の川柳的発想技術の働いたところだろう(冨二の川柳的発想技術は作家論に属するのでここでは触れない)。人間と卵の関係、「墜落」した「卵」は「墜落」させた人間自身でもあり、「墜落す」の「す」は、感慨を現す不動の句語なのだ。この感慨は
千の寺 無限の蜘蛛を知ってるか
閉じよ眼よ 僧も尼僧も勇気あり
屋上は 刑事が笑う冬の天
と、人間の本然の救い難さを含んでいる。「無限の蜘蛛」の営みは、すべての人間の生の営みであり、「千の寺」の「千」と「無限」の違いは、この句では大きな絶対的な違いである。欲望や欲求に生じる桎梏は人間自ら「蜘蛛」が巣をはるようにつくりだして止まない。人間の五欲は「無限」であり、逃れがたく、永遠に続く。そのような現実、人間世界に、善智識の数は「千」である。人間の生態、生の実相は「無限」だが、善智識はたかだか「千」でしかない。善智識への思いや渇望はあまりに小さくて少ないのが人間なのだ。
この観念は、生活の中で食欲や性欲や所有欲を露わに感じるとき、瞬間的にほの見える性善説と性悪説の、圧倒的な差を現しているといえるだろう。
欲望は絶えない。「僧も尼僧も勇気あり」。「勇気」の句語がいかにも冨二的である。
「閉じよ眼よ」その関係は見てやるな。「僧も尼僧も」その瞬間に生を味わえ、と、冨二の近代的自我への思いには、いつも体温がある。
だが、その「勇気」は世間の規範から見れば酷いものであり、非情な「刑事が」嘲り「笑」っている。「屋上は」の句語は、「僧」と「尼僧」の「関係」が「刑事」とともに抽出された観念の相克する場所である。いわば社会の規範、許されざるものを「刑事」は高見から見張り、社会から除こうとする存在である。これを遠望する人間は一時的に、規範を越える「勇気」を称えるのだが、規範外のものを許さない裏腹の「眼」を持っている。「屋上は」神や仏という超越存在や命運と人間の生態の先端が衝突する場所「冬の天」なのである。そして現実は、非情な「眼」、衆目に射られる「僧と尼僧」を裸馬で引き回し、磔柱に送る。
地上より三尺を行く性器 その他
「地上より三尺」を、土で三尺木で三尺、六尺高い磔柱の謂と読んで、原罪意識を纏った句語との読みは強引かもしれないが、映画の好きな冨二は溝口健二監督『近松物語』1954(昭和29)の、おさんと茂兵衛が裸馬の上で幸せな表情を交すシーンを思い出していたかもしれない。冨二は「犬交わる、大野九郎兵衛昨日死せり」と書いており、「川柳ジャーナル」での選評などでも常に、社会のなかの自己愛やその情念を肯定的に見ていた。この近代的自我や実存意識の肯定から見て、「性器」の句語は欲情や欲動の象徴ではあるが、むしろ「三尺」という宙を「行く」、つまり人間自身に手におえないところの「性器」であり、冨二に宿っている近代的観念のクローズアップと言えるだろう。
したがって「その他」の句語は、「性器」はもとより、生あるものが冒さねば生きられない無限の罪科、「冬の日の 卵を割れば」という主題に循環する、申し分のない表題であると思われる。――しかし、この読みだけでは連作としても個々の川柳としても、なにやら全体的に感じられるユーモラスな味を棚上げにしてしまう。
「地上より三尺を行く性器」という句語は、悲惨や悲劇の感よりも、まさに股間の「性器」の赴くまま、ピカレスク物の主人公が太く短く存分にこの世を突っ走る翳りの無さ、太陽の光りを浴びながら行く「性器」の感があるから、ユーモラスなのだ。晴朗感が悲劇をも覆うところに冨二の川柳の味がある。
私達はときに、日の光の中で見る現実社会の諸相が、皆、生きてる生きてる!と、妙に感動的になるときがある。これが冨二の視線と重なる。
鯛やきを蛙の顔になって喰う
院長の毬は金庫の中にある
薪割れば 外道の舞の果てもなや
「鯛やきを蛙の顔で」のこっけいや、「院長」だけが知っている生の限界、そこから振りかえって見る人間の生態は冨二の川柳が繰り返し書いて来た。「寒卵ぬくし老婆の死は然り」「花むしる かすかに爪をたてながら」「病む指が夜へヒラヒラして沈み」などがあるが、「院長の毬」という表現には、なにやら具体的な現実感が有りすぎて、焦点が定まるような具体性が感じられる。冨二の川柳に沢山かかれた、〔振りかえって見る人間の生〕というパターンがこの句では、一個の人間の限られた生の時間として現われているかもしれないのだ。「院長があかん言うてる独逸語で」(須崎豆秋)という有名な句があるが、「毬」という句語の、医者だけが知っている現実が、「金庫の中にある」とユーモア化されても、この笑いは引きつる。「その他」二十句は、冨二の世界(人間)観に、生の限度、生の限界という観念が無性に強まったことを感じさせる連作なのである。
木の生を絶つ「薪割れば」という生の営みの永続性と「外道の舞の果てもなや」の、欲求、欲望の果てしなさは、実直に職業や労働につきながらいつでも人間はこのように欲深くて、という二面性の生き物であるとの冨二の日常的概念が働いており、結果「外道」は、世間的に指弾される「外道」であり、「僧と尼僧」の情欲と「勇気」の句へ循環する。
この連作での、冨二の、限られた生という認識は、「卵を割る」という生の営みに当てられ、「性器」や「鯛やき」に被さって表象に向かっているのであり、現実肯定や自己愛の肯定は、冨二個人の不吉の感をおびて一層優しさを増したとも思われる。
そのような冨二が、生のひとときととして連作の中で時空を限定すると、描写はなまなましく、急迫感をもつ。
夜は 駅の是説の首の流れ去る
バスを待つ 異形の人と バスは来ず
「駅」「首」「バス」などの現実感がは映画のカットバックやフラッシュバックのように尖っている。
むろん世間的に認められている「是説」と、「異形の人」は相反する。散文的に読めば「是説の首は流れ去る」が「是説」に外れた「異形の人と」ともに「待つ」「バスは来ず」となる。こころに抱きつづける人間の心的「異形」、あるいは「外道」の「人」と「バス」を待ちつづけるこころ、その像的表現。鋭く切り取られた時空に孤絶感がはりつめている。
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『中村冨二・千句集』(1981年ナカトミ書房刊 中村攻二発行)は、有志によって中村冨二の没後に刊行された貴重な句集である。冨二の群作や連作を幾つも収載していて、冨二に内在した折々の主題や思考に触れることができる。
「その他」と題した十三句は、「対流」3号の掲載時1975(昭和50)年には二十句で構成されており、句集収載においてなんらかの事情や意図があって減らされたと思われるが、これを一つの連作と読むか、独立した各句と読むかは個々の読者によって異なるとも感じられので、連作との読みがなされずに十三句だけが載ったとしても、しかたがない。この時期の冨二の思考や関心がどのように在ったかを勘案するところから、私は構成された連作として読んだが、実際、連作と読むには緩いと感じられる句もあり、「その他」という題が連作の意識のないことを現していると読めば、句集への収載数を削ることも生じたと思われる。しかし二十句のなかには「その他」という句語が在るので、幸い、友人に借りた「対流」誌の数冊から、その二十句を引いて、連作としての読みを記しておきたい。(読みの文が長くなるので二回に分けて書く)
――その他――
冬の日の卵を割れば 墜落す
千の寺 無限の蜘蛛を知ってるか
閉じよ眼よ 僧も尼僧も勇気あり
屋上は 刑事が笑う冬の天
地上より三尺を行く性器 その他
鯛やきを蛙の顔になって喰う
院長の毬は金庫の中にある
薪割れば 外道の舞の果てもなや
夜は 駅の是説の首の流れ去る
バスを待つ 異形の人と バスは来ず
みんな去って 全身に降る味の素
鈴虫と名づけし時は 腐りゆく
慟哭はおわり 便所に灯がともり
怪獣よ 櫛笄も亡びたか
振り向けば幸福駅は焔えやすき
喪服は喪服 赤い造花は見当たらぬ
春やむかし わが入墨の緑が好き
飲めば死ぬ薬をひらう誕生日
笑わないお前は儒侏みたいだぞ
午後のパン喰い 火達磨になれはせぬ
冬の日の卵を割れば 墜落す
容器に卵を「割」る。容器に「割」った、「割」って「墜落」させたと、一応、読める。「墜落す」の句語を、割ったその時に人間と卵の、食物についての不即不離の関係が認識された、と読む。
生死と涅槃は背反しないという仏教的思いが冨二に巡ったかもしれないが、卵一個、その生の可能性を絶つことで別の生が成るという冷ややかな現実感があり、この寒々とした無限のアラベスクの感は、「冬の日」のいつもと変わらぬ厨でこそ現実的である。「冬の日の」であり、「冬の日に」ではないところが現実感のポイントなのだ、つまり冨二の川柳的発想技術の働いたところだろう(冨二の川柳的発想技術は作家論に属するのでここでは触れない)。人間と卵の関係、「墜落」した「卵」は「墜落」させた人間自身でもあり、「墜落す」の「す」は、感慨を現す不動の句語なのだ。この感慨は
千の寺 無限の蜘蛛を知ってるか
閉じよ眼よ 僧も尼僧も勇気あり
屋上は 刑事が笑う冬の天
と、人間の本然の救い難さを含んでいる。「無限の蜘蛛」の営みは、すべての人間の生の営みであり、「千の寺」の「千」と「無限」の違いは、この句では大きな絶対的な違いである。欲望や欲求に生じる桎梏は人間自ら「蜘蛛」が巣をはるようにつくりだして止まない。人間の五欲は「無限」であり、逃れがたく、永遠に続く。そのような現実、人間世界に、善智識の数は「千」である。人間の生態、生の実相は「無限」だが、善智識はたかだか「千」でしかない。善智識への思いや渇望はあまりに小さくて少ないのが人間なのだ。
この観念は、生活の中で食欲や性欲や所有欲を露わに感じるとき、瞬間的にほの見える性善説と性悪説の、圧倒的な差を現しているといえるだろう。
欲望は絶えない。「僧も尼僧も勇気あり」。「勇気」の句語がいかにも冨二的である。
「閉じよ眼よ」その関係は見てやるな。「僧も尼僧も」その瞬間に生を味わえ、と、冨二の近代的自我への思いには、いつも体温がある。
だが、その「勇気」は世間の規範から見れば酷いものであり、非情な「刑事が」嘲り「笑」っている。「屋上は」の句語は、「僧」と「尼僧」の「関係」が「刑事」とともに抽出された観念の相克する場所である。いわば社会の規範、許されざるものを「刑事」は高見から見張り、社会から除こうとする存在である。これを遠望する人間は一時的に、規範を越える「勇気」を称えるのだが、規範外のものを許さない裏腹の「眼」を持っている。「屋上は」神や仏という超越存在や命運と人間の生態の先端が衝突する場所「冬の天」なのである。そして現実は、非情な「眼」、衆目に射られる「僧と尼僧」を裸馬で引き回し、磔柱に送る。
地上より三尺を行く性器 その他
「地上より三尺」を、土で三尺木で三尺、六尺高い磔柱の謂と読んで、原罪意識を纏った句語との読みは強引かもしれないが、映画の好きな冨二は溝口健二監督『近松物語』1954(昭和29)の、おさんと茂兵衛が裸馬の上で幸せな表情を交すシーンを思い出していたかもしれない。冨二は「犬交わる、大野九郎兵衛昨日死せり」と書いており、「川柳ジャーナル」での選評などでも常に、社会のなかの自己愛やその情念を肯定的に見ていた。この近代的自我や実存意識の肯定から見て、「性器」の句語は欲情や欲動の象徴ではあるが、むしろ「三尺」という宙を「行く」、つまり人間自身に手におえないところの「性器」であり、冨二に宿っている近代的観念のクローズアップと言えるだろう。
したがって「その他」の句語は、「性器」はもとより、生あるものが冒さねば生きられない無限の罪科、「冬の日の 卵を割れば」という主題に循環する、申し分のない表題であると思われる。――しかし、この読みだけでは連作としても個々の川柳としても、なにやら全体的に感じられるユーモラスな味を棚上げにしてしまう。
「地上より三尺を行く性器」という句語は、悲惨や悲劇の感よりも、まさに股間の「性器」の赴くまま、ピカレスク物の主人公が太く短く存分にこの世を突っ走る翳りの無さ、太陽の光りを浴びながら行く「性器」の感があるから、ユーモラスなのだ。晴朗感が悲劇をも覆うところに冨二の川柳の味がある。
私達はときに、日の光の中で見る現実社会の諸相が、皆、生きてる生きてる!と、妙に感動的になるときがある。これが冨二の視線と重なる。
鯛やきを蛙の顔になって喰う
院長の毬は金庫の中にある
薪割れば 外道の舞の果てもなや
「鯛やきを蛙の顔で」のこっけいや、「院長」だけが知っている生の限界、そこから振りかえって見る人間の生態は冨二の川柳が繰り返し書いて来た。「寒卵ぬくし老婆の死は然り」「花むしる かすかに爪をたてながら」「病む指が夜へヒラヒラして沈み」などがあるが、「院長の毬」という表現には、なにやら具体的な現実感が有りすぎて、焦点が定まるような具体性が感じられる。冨二の川柳に沢山かかれた、〔振りかえって見る人間の生〕というパターンがこの句では、一個の人間の限られた生の時間として現われているかもしれないのだ。「院長があかん言うてる独逸語で」(須崎豆秋)という有名な句があるが、「毬」という句語の、医者だけが知っている現実が、「金庫の中にある」とユーモア化されても、この笑いは引きつる。「その他」二十句は、冨二の世界(人間)観に、生の限度、生の限界という観念が無性に強まったことを感じさせる連作なのである。
木の生を絶つ「薪割れば」という生の営みの永続性と「外道の舞の果てもなや」の、欲求、欲望の果てしなさは、実直に職業や労働につきながらいつでも人間はこのように欲深くて、という二面性の生き物であるとの冨二の日常的概念が働いており、結果「外道」は、世間的に指弾される「外道」であり、「僧と尼僧」の情欲と「勇気」の句へ循環する。
この連作での、冨二の、限られた生という認識は、「卵を割る」という生の営みに当てられ、「性器」や「鯛やき」に被さって表象に向かっているのであり、現実肯定や自己愛の肯定は、冨二個人の不吉の感をおびて一層優しさを増したとも思われる。
そのような冨二が、生のひとときととして連作の中で時空を限定すると、描写はなまなましく、急迫感をもつ。
夜は 駅の是説の首の流れ去る
バスを待つ 異形の人と バスは来ず
「駅」「首」「バス」などの現実感がは映画のカットバックやフラッシュバックのように尖っている。
むろん世間的に認められている「是説」と、「異形の人」は相反する。散文的に読めば「是説の首は流れ去る」が「是説」に外れた「異形の人と」ともに「待つ」「バスは来ず」となる。こころに抱きつづける人間の心的「異形」、あるいは「外道」の「人」と「バス」を待ちつづけるこころ、その像的表現。鋭く切り取られた時空に孤絶感がはりつめている。
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