2017/10/16

書きました  川柳

「つづきの木のコラル」にちょっと長いものを書きました。
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2017/9/14

海地大破さん  川柳

海地大破さんが亡くなったと樋口由紀子さんから通信。

自己の嗜好を全うする書き方で抒情に大衆性が在った。
だから、時勢の変化で大衆性の質が変わると、置いてけ堀になる。
川柳でよく言われる大衆的な《共感性》の変化と、個人の嗜好の頑なさの関係性には、何時でもキツイ非情が纏わっている。

過日、8人で『現代川柳の精鋭たち二八人集』から大破の句を抜粋したときに

  足跡がだんだん薄くなる時間

を4人が推奨した。他者と共有される〔自虐と諧謔〕のセットされた図式は、すごく普遍的で且つ大衆的なのだ。一句に作者の像を望む近代精神は、川柳では一般的に抒情になって居たが、大破は此れに穿ちの非情を混ぜようとしていた。

川柳性に惹かれている自己肯定と、抒情への嗜好、その煩わしさのクチャクチャとの対面が大破は好きだったのだ。そしてクチャクチャが自覚されたときに一句は――大衆へ提出物となったのだ。

クチャクチャの認識の自認が在って、抒情化の意識より、いわば使い慣れた?川柳性に任せる時に

  行き過ぎてあれは確かに鳥の顔
  似顔絵が似ていないので安堵する

が書かれた。

大破さん、結構、やったねえ。




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2017/8/30

「垂人」31号  川柳

「垂人」(たると)31号をいただいた。この数号の表紙(写真)の美しさ!、圧倒されている。

  行く春の千切れた弊が水たまり    野口 裕
  忘れずになまんだ来たか水に月    鈴木純一

作者の位置が、キッチリと同じで、何れも佳句。脱帽!。こんなことが在るのだなあと、感心。

この数号の「垂人」の作品の特徴、慾の無さが今号で頂点に達したかの感がある。元々、さらっとした手触りの句が並ぶ傾向で、活字の並びや行間の余裕が在って、ご本人たちの意識が、いわば簡潔、夕涼みの微風の感とでもいうか。尤も、40年間、菓子製造工場で働いた当方にはいつでも「垂人」の響きはタルトで、此ればかりは致し方なし。


  いっせいに走りだしたる曼珠沙華     川村研治
  こんにゃくに出汁がしみこむような「好き」中西ひろ美  
  罅われて溶け出しそうな声つかむ     高橋かづき
  水仙は夜間飛行をすませたり       佐藤榮市
  もうなにがなんだか春になっている    広瀬ちえみ
  壊れずによくお戻りになったわね     同
  たけのこや父ににているあねいもうと   ます田さなみ

句を引きながら、これらの無欲の空気がそのまま表紙のカメラアイ、カメラを持った子供の様な愉しみになっているのかなと拝察。  
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2017/7/28

川柳性  川柳

「翔臨」89号をいただいた。編集兼発行人の竹中宏さんは、いま、川柳に居る私が最も畏敬する俳人。

論考の充実は毎号のこと。


  足元を侵しすみれ野はじまりぬ   土井一子
  蟻穴を出で細りゆくエンタシス
  薔薇園の一畝ほどの革マル派

三句に立ち止まった。
一句の、あるいは一句の何処かに、川柳の書き方と等質のものが在り、それが立ち止まらせるのだが。
思い立つ句語の、出て来る順が、おそらく違うのだろうなと思いつつ、読みなおして「侵し」「細りゆく」「一畝ほどの」の句語であったと感得。
これ、俺たち川柳では、川柳性の働きどころ、スプリングボードだが(だから無理にも省略することもある)俳句では、すんなりと出ている、と感じられるのだ。
一句の内包する意味性の軽重の比較ではなく、川柳作句の折りの、言わば川柳性を、一瞬身に感じるトキメキ、其れが、こともなげとはいわずとも、一句を為している其々の句語とほぼ等質で、軽重の差を殆ど留めない―――いや意識されていないのだろう。
それを、わざわざ、かき乱すような読みをするサガが、俺に、俺の川柳に在るぞとの、チンピラ的自己発見を賜った次第。



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2017/6/29

杜人  川柳

「杜人」254号
山河舞句追悼号

何処の大会だったか、まあ、素晴らしい司会振りで、即、誰かに「プロの、現役のアナウンサー」だと教わって納得したのを覚えている。とはいえ、入選句を聞いて、いわば初心の作者が通る月並みだと感じた。
数年後に「杜人」誌上で純然とした社会性川柳を読んで、ああ、あの口調の人が此処に至ったのだと思った。作者個人の存在より言うべきを言う、社会の在り方への批判が書かれた川柳に、なるほどもっともなことだと合点した。同時に、結社で偏りのない活動をされているのだな、編集のちえみさん、いい働き手を得られたなと、なんだかほほえましかった。活字になっている舞句さんの発語に、何時でも明朗の感が在ったのだ。愉しそうだった。
少数での結社活動を護っている杜人の皆さんにとって、舞句さんの訃は、さぞかし、さぞかし。

  スキー板私を離れ先急ぐ       あつ子
  新車にて病の兄とすれ違う      未絵子
  アイロンをかけよう白いブラウスに  千 草
  振り込みをするたび係員が来る    隆 行
  ビタミン剤飲んでトマトを生みました 八千代
  全身で笑いはじめる桜の木      みさ子
  不機嫌な人形がいる上の段      ちえみ
  咲くときは少しチクっとしますから   ちえみ

私は「杜人」の句会吟が好きだ。遠い日、出せるか出せないかの「杜人」誌の危機が何度も在ったと聞く。歯をくいしばって少人数の小規模結社を護り続けた大友逸星、添田星人の、いまから思えば、おっさん二人の前向きのガンバリがあって今日が在るとーー。
お二人の在ったころの「杜人」誌に、頑張り具合の其れは顕れることがなかった。
其処に、私は、先輩お二人の、恬淡を感じていた。
その恬淡が、「杜人」の句会に澄んだ小川のようにいまも流れているのだ。いやいや、「杜人」の句会吟を好むところから本音を言えば、このところ其の恬淡がやや薄れてゆく感があるのだ。
お二人は、其れでいいんだと恬淡―――だろう。ゆっくりと、確実に、結社、杜人はその歴史を積んでいる。




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