富山旅行の話はもうあと2回分あるのですが、一回休んで別の話。
以前「旅行しているとごくふつうにこちで行き当たる」「いちいち写真に撮るほど珍しいものではないな、というのが実感だ」と書いた、忠魂碑・忠霊塔(
06/9/25付エントリ)。
その後、やや意識して見るようになったが、やっぱり珍しいものではなく、行き着く先にひょいとある。

三重県四日市市、塩浜駅の東口、御薗神社の境内に建つ忠魂碑。撮影は9月29日。

千葉県千葉市蘇我駅の西、今井神社の境内に建つ忠霊塔。ありふれているなりに、やはり形態のバリエーションには興味をそそられる。なお、前者は明治43年建立、昭和33年に現在地へ移転。後者は昭和35年に建てられたもの。ひょっとして、戦後生まれの忠魂碑も決して珍しいものではないのか?
まぁ今後はとりあえず、旧浦和市内くらいの範囲で、全忠魂碑をチェックするあたりから始めようかな。そーいう真面目な研究は私の趣味ではないのだけれど。
……と、ここまでの内容をだいぶ前に下書きしておいて、でもアップするのは富山旅行記優先でいたら、本日10月15日、また新たな発見(というほどのものではないが)があった。

渋谷駅新南口から程近い、金王八幡宮境内に建つ忠魂碑……

……ではなく、「明治三十八年戦役記念碑」だ。趣旨は同じなのに、忠魂碑でも忠霊塔でもない点に、興味をそそられる。裏面には戦没者の名前以上に「凱旋軍人」の名がでかでかと書かれているあたりは戦役記念だからこそか。
さらに、その形態も面白い。記念碑本体は自然石の形を残した、いかにも石碑というべき形で、どうということはないのだが、その傍らに建つ小さな「十五年記念」碑、「三十年記念」碑がポイントだ。

大正9年の十五年記念碑は、同様に自然石の形状を強く残した形状。だが……。

昭和8年の三十年記念碑は砲弾形なのだ。なんだかものすごく「わかりやすい」時流の変化のストーリーが、頭の中に組み上がってしまう。これ、実際の事情はどうなのだろう。

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