23日、仕事で岡山市の妹尾という町へ行った。妹尾河童のおかげで私はすんなり「せのお」と読めるのだが、これは結構な難読地名かもしれない。「妹」のつくりの側で「すえ」、「すえ・の・お」で「せのお」なのだろうか?
閑話休題、現地に着くまで全く知らなかったのだが、この妹尾という町にはちょっとした「歴史的町並み」があった。

狭いメインストリートにそって格子戸の家が並ぶ。そのメインストリートは町の入り口でクランク状に曲がっているし、一本外れた通りも何があるわけでもないのにやたら屈曲している。
http://www.jr-odekake.net/eki/map.php?id=0651604
これって鍵曲がり(かいまがり)だよなぁ? と思ったけれど、翌日、岡山県立博物館の休憩室に並んでいた本をみても町の成立過程がわからない。妹尾は古くは漁業の町で、江戸時代から明治時代以降の干拓によって後には農業で栄えた云々とあるだけで、町並みや道については何も書かれていないのだ。
いやいや漁村農村にこの町並みは無いだろ? と後日調べたところ、こんな記事にたどり着けた。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/okayama_data/seno/seno_file.htm
http://magok.cool.ne.jp/senoo.html
http://takahira.cool.ne.jp/furuimatiB/tyuugoku1/senoo.htm
中世、妹尾は漁村であった。といっても水深が浅いため江戸時代は干潟漁が中心であったという。寛文9年(1669年)以降は明治維新まで庭瀬の戸川氏が開いた陣屋町となる。近世から始まった児島湾の干拓により海を失い漁業が衰退するが、周辺のイグサ栽培を背景に明治中期には花むしろの輸出で栄える。また、妹尾は「妹尾千軒まる法華」と言われるほど法華宗寺院が9つ集まる法華宗の町でもある。
(集落町並みWalker
集落町並みデータベース→岡山→妹尾)
これにて謎は解明。それにしても、大雑把な県史市史の説明中では、金比羅往来という街道や陣屋があったことよりも、干拓のほうをずっと重く見ているという事実が興味深い。

JR妹尾駅近くに建つ「合資会社浅越機械製作所」社屋。
ホームページを拝見すると、会社設立が昭和14年とのことなので、この建物はその当時のものと考えるべきだろう。戦前の建築なのに、社名が現代と同様に左から右への横書きとなっているのが面白い。戦前にも左横書きがあったことは『横書き登場』(岩波新書・屋名池誠)で知っていたが、こうして建築の一部として現存しているのは珍しいのでは?

そばを流れる水路には、かつて生活の場としていた形跡が今も残る。

正面から見ると結構立派な小郷写真館。

横から見ると……。看板建築とは何がどう看板なのかを説明しているかのようだ。屋根には明り取りの天窓の跡がみえる。充分に明るい照明器具が無かった時代の写真館にはおなじみの設備だ。直射日光を嫌って北向きに作られるのが常だと聞いていたが、この小郷写真館は西向き。

町の中には古い看板がチラホラ。時代がゴッチャですみません。

メインストリートから一本外れてみると、そこにはかつての郵便局があった。結構な大きさだ。残念ながら電話室は見当たらず。

〒マークを取り囲むのは岡山名産の葡萄だろう。
妹尾の町を散策できたのは、電車が来るのを待つ20分余の間だったが充分に楽しめた。

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