JR京浜東北線の与野駅は、決して規模の大きな駅ではないが、古くは与野市のいわば玄関口であり、現在の利用者も少なくない。

そんな与野駅の、西口側である。地下の自由通路に続くスロープの傍らに、古い地図が掲げられている。

「この街はわたしの誇り 住んでよかったこの街に」云々のスローガンを中心に、左は「与野駅西口土地区画整理事業計画図」そして右には「□□公共施設案内図」。これらは一体、いつのものなのだろう。

「□□公共施設案内図」なのは、元は「与野市公共施設案内図」だったのを、さいたま市発足の際に「与野市」を消したものと思われる。
それはさておいても何かが足りない…。
あっ!!
と、ここでおもむろに振り返る。

こちらには、新しめの「与野駅周辺案内」がある。
お気づきだろうか? っていうか一目瞭然、古い「□□公共施設案内図」には東北新幹線・埼京線が描かれていないのである。

向きと範囲をそろえて切り出してみた。埼京線開業は1985年3月、案内図には予定線としてすら描かれていないことから、最低でも25年は経っていることになる。こんな目立つところに掲げられた案内図が、何故に撤去もされず放置されているのだろう。「与野駅西口土地区画整理事業」とやらも、とうに終わっているだろうに。
いや待て。
ひょっとすると、
未だ何らかの事情で土地区画整理事業が完了しておらず、「手をつなぎつくろうみんなの住む街を」と訴え続けなければならないのかもしれない。この看板や地図は、下げるに下げられないのでは……。
ま、勝手な想像である。ただ、いずれこれらが無くなるときにまた、その背後の知られざるドラマに思いをめぐらすことになるだろう。

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