2012/10/22
腹いて〜
最近、キリキリキリキリ。。。。
モヤモヤモヤモヤ。
限界なんでしょうかね。
「吐露」する言葉って。
そっとしておいてほしくって。
思わずつぶやかないとやっていけないぐらい、精神が不安定で。
言葉がほしいとしても、それは肯定の言葉で。
決して。
「反論」ではないと思う。
私はそうは思わないとか。
そうゆうのがききたいわけではない。
ただ、つぶやかずにいられなかっただけで。
そこに、他人の「議論」なんていらないわけで。
そう思うから。
時々誰かが、「吐露」しているものは。
何か思ったとしても。
そっと心の中だけでつぶやいてる。
「議論」せざるをえない人っていうのは。
自分の中の正義を認めて欲しい人だと、私は思う。
場所を変えてでも、こうゆう考えを。
自分のうちから出さずにいられない私は。
同じく、「自分の中の正義を曲げられない人」なんだと思う。
私が「吐露」したたった一粒の言葉を聴いて。
わかったかのように「否定」されて。
私のことなんて、なんにも知らないくせに。
その一文にこめられたいくつもの思いなんて。
その一文を吐き出す工程となった出来事なんて。
なぁんにも知らないくせに。
迷惑。
私は、貴方の中の「答え」なんて求めてないんだよ。
だったら、誰も見れない場所に書けばいい。
誰も覗けないところでこぼせばいい。
だけど。
自分の中の「一つの思考」を誰かに見てもらいたくて。
出来るならば認めてもらいたくて。
ああゆうところに書いてしまうのは。
私の悪い癖。
今度から、「気分が悪くなるので、反論コメントいりません」とかかけばいいんだろうけど。
「吐露」するときって大体いっぱいいっぱいなので。
頭悪い私には、そこまで頭まわりません。
「自分を肯定するコメントだけほしいなんて、どんなんだ」
そんなこと言われそう。
そんなの言われなくてもわかってる。
甘やかされたいだけなんです。
甘ったれですから。
「自分を信じすぎてる」
考えたことありませんけど。
自分しか信じられないのは確かだし。
自分が一番可愛いのは確かだし。
自分の答えだけを正しいと思ってるわけでもない。
私が感動した動画をみて。
みんなが感動するなんて、そんなの私だって思ってない。
だけど。
一番の身近の人が同じように感じられないことを悲しく思うこと、さみしく思うこと。
それのどこが悪いの?
大好きな人と。
この動画泣けるんだよって見て。
解説もなしに、「そうだね」って一緒に泣いて感動したいだけ。
それができなくて。
それどころか、5分しかない、しかもセリフもないこの動画の。
ここの誰々はこうつぶやいて。
ここの誰々は実はもう、あれこれこうゆうふうなんだよ。
なんて。
1から説明して。
私が「おお」って思ったのは、ここがいつものとこうちがうんだよ。
って。
全部説明しないと、共有できないさみしさ。
私は。
何も言わなくても、たとえば、今回みたいに一つの動画をみて。
同じように泣いてくれる人がそばにいてほしいと思っただけ。
そうゆう人と巡り合ったことないから。
ずっと「孤独」なんだろうなぁって思っただけ。
画面の中で同じものを見た人たちは、自分と同じ感想を抱いて。
自分と同じ感覚を共有してるのに。
一番みじかにいる人とはそれができないから、さらに「ひとり」を感じさせられただけ。
難しいね。
自分の考え。
自分の心の中にあるもの。
形にしたいのに、形にできない。
から、いつもめんどくさくなって途中でやめるんだけど。
うまく言葉にできない。
チビ産まれて、よさこいやめるとかいって。
グダグダしたあのあたりからかな。
どうやったら自分のこの、中のものを理解してもらえるだろうって。
今書いてるこのときだって。
全然、思うように字にできなくって。
もどかしくってもどかしくって。
嫌になっちゃう。
形にしきれないのが腹が立って。
だったら、書かないほうがいいやって。
ここ数年。
何にもないわけじゃないのに。
むしろ、昔より、私の中の黒いモノは墨のように広がって。
どんどん私の心を卑屈にさせる。
吐き出したいとも思わないし。
吐き出したら、いいことなんておこらないのわかってるし。
理解されないし。
って書いたその瞬間、頭では「否定」の言葉がまわる。
色んな「人」からの、色んな言葉がまわる。
それがこわい。
書いても書いても。
すっきりしない。
足りない。
言葉がまわる。
私は。
「実は自分はもう色んな事悟っていて、理解してて、めっちゃ色々考えてる深い奴」とか思ってるんだと思う。
これ書いてる間も、なんか3つ4つ頭を駆け巡ったんだけど。
なんだったっけな。
笑っちゃうよね。
そんなことないのにね。
まだ、全然知らないし薄っぺらい人間だし。
そんなに考えが深い人間でもないし。
だけど。
多分、「実は自分はすげーやつなんだ」って思ってたい、みたい?
なんかよくわからんけど。
多分、これが虚勢。
本当はすっごいバカだから。
自分自身、すごいやつなんだよって思うことで、自分を肯定してる?のかな。
なんか、昔はもっといっぱい人を見て。
いっぱい色んなこと考えて。
人のこと理解しようと思ってたはず、なんだけど。
それで理解した気になって、めっちゃ上機嫌になったり。。。
だけど。
今思うと、あれって多分全然わかってなくて。
したつもりなだけなんだよね。
薄っぺら。
今は。
自信ない。
人の事、「あの人はああゆう人だから」とか。
わかったようなこというのがこわい。
なんだろね。
年とったから?
私がこうゆうところにかくときって。
今思えば、きいてもらいたいだけ、とか。
肯定してほしいだけ、とか。
そんなんで、毎回「否定」されるから。
それがもういやになっちゃっただけ、なのかもしれないし。
なんか、よくわからないや。
今は、人のこともわからんけど。
自分のこともよくわかりません。
よく。
もう私は、諦めてるとか。
自分の生きてることに執着してない、とか。
書くとき書くけど。
それは、本心なのは確かなんだけど。
それが、真実なのか。
実は私にもわからない。
「人」っていうものを、諦めたってのは本心だし。
何を諦めたの?ってきかれると。
それを全部説明するのは難しい。
自分から積極的に、他人に関わり合うことを、諦めたってのが本当かもしれないし。
かといって、全然絡まないわけでもないし。
本当口から出まかせじゃん?とか思ったり。
言ってみたいから?同情されたいの?とか色々思う。
人を求めることが、こわい。
のは事実で。
人を求めることを、今はもうしてない、のも事実。
遊ぶ友達はいるし。
大好きだし。
だけど。
何枚かシールドをはってるのも事実…?なのかな?
裏切られるのがこわい。
裏切られ続けた。
とか思う気持ちもあるけど。
相手からしては、そんなつもりもないっていうし。
勝手にこっちがそう思ってるだけ、とか。
そもそも、もう誰に裏切られたとか自分でももうわからない。
書けば書くほど、自分の事わからないね。
でも、他人に「貴方はこうこう、こうゆうふうなんだよ」っていわれても。
「ああ、そうですね」ってうなづけない、んだと思う。
私は。
久々に書く時間があったから、こうやってとことん、自分の中の自分と向き合ってるけど。
普段はそんな時間もないし。
あまり、いい気分にはならないから、やりたくない。
きっかけがあって、ついでだから実は書いてるところもあるけど。
もう、はっきりいって、わけわかんない(笑)
めんどくさいやつなんだよ、私は。
足りない。
足りない。
いっぱい、色々思ったり感じたり。
頭のてっぺんからつま先まで、言葉であふれてるのに。
うまく形になってくれない。
今、考えてる、今、思ってることを。
すべて文章にしたいのに、それにできない。
なんて、自分はばかなんだろう。
もどかしい。
書いても書いてもすっきりしない。
書いても書いても。
他人が、
私という人間を完全に理解できないのがわかってるからか。
私は他人にすべてを理解してほしいのだろうか。
私という人間を肯定してほしいのか。
理解して、肯定して。
生きていくことの赦しがほしいのか。
否定されることは、死ネと言われてることなんだろうか。
そうじゃないのはわかってる。
だけど。
否定されたものは異端で。
当たり前じゃないのが、いやなのか。
「特別な人」になりたいとも思ってるのに?
世界は肯定だけでは生きていけないことをわかってるのに。
否定がない世界は自己満だというのもかってるのに。
否定や、批難が、私を壊していくのか。
ああ。
わけわからない。
なんだろうね。
数年前のあの時から。
私は、どこかが壊れてしまったのかもしれない。
生きてることが楽しくないわけでもない。
死にたいと思ってるわけでもない。
ただ。
諦め。
昔だれかが、私にいっていた。
「もうどうでもいい」その口癖をやめろ。
もう、ほとんどいわない。
だって。
毎日、もう、ほんとう、どうでもいい。
諦め。
生きていくことの、諦め。
自分で死ぬのは嫌。
痛いもの、ぐろいもの、こわいもの。
まだ、チビと離れたくないってのもある。
けど、あ、死んじゃった?程度の死をくれるなら、それはそれで楽だなって。
なんて考えてるうちは、絶対楽な死に方できないなって思ったり。
楽がいい。
もう、めんどくさいから。
人と、深くかかわるとめんどくさい。
人と、関わらないと人は生きていけないと、誰かがいった。
だけど、最低限の関わり方で、生きていけるんだよ。
あさーくうすっぺらく。
その中身に、なんにもつまってない。
うわべだけの、ぺらっぺらの人間関係。
それだけで十分だと、私は思う。
入り込まない。
入り込ませない。
誰かが求めてくれるなら。
私はそれに精一杯答えるだろう。
それが性分だ。
だけど。
「私」を見てくれてない人たちに。
尽くす必要なんて、どこにある。
「私」を見て。
「私」を求めて。
「私」という一個人を認めて、理解して、向き合って。
一対一で、真直ぐ私を見つめてくれるなら。
私はそれにこたえるんだろう。
少なくとも、見てくれてるときは。
ああ。
そっか。
見てもらいたいだけなのかもね。
私はここにいるよって。
いやでもって言葉が頭をよぎる。
いっぱいの言葉が、頭の中でグルグルまわって。
私は、私を理解しようとしては、一人、否定をして。
ずっとグルグルしてるのかもしれない。
ただの。
自己中な寂しがり屋なだけなでしょう。
多分。
このやりとりは、生きてるうちに何度も何度も。
解決することなく、ずっとおこなわれて。
解決することなく、終わるんだと思う。
だって。
どう自分を肯定しても。
絶対、否定する自分がいるから。
ほらまた。
今の3行かくだけで。
また違う「思想」がクルクルって頭を駆け巡って。
誰かがしゃべって。
めんどくさ。
おなか痛いな。
出血とまらないかな。
もう、やめないとね、ここかくのも。
終わらないからね。
こんな風になるから。
何時間書いても、埋まることなく、ずっと書き連ねちゃうから。
だから、いつもは考えないのだけど。
ま。
こんな日も必要かね。
誰か、私を理解して。
誰か、私を説明して。
さみしいのかな。
孤独だなって思う。
いっぱい人はまわりにいるのに。
孤独。
・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.
悲観的とか、そうゆうわけじゃなく。
私は、もう救われない子なんだな、と。
ついこの間、ふと思いました。
最後の最期に助けてくれる人はいなく。
誰も頼る人もいなく。
独りなんだと。
そうしたのは、誰でもない。
まぎれもなく、自分で。
自分が今まで生きてきた結果で。
この先自分が自分であれば、それは変わらなくて。
私は私を変えるつもりはないから、だから、もうこれ以上はないと。
ま、ならしょうがないかと。
最期の最期で寂しく独りぼっちでも、仕方ないことなんだろう、と。
私は私を。
もう諦めてしまってて。
所詮、群れからはずれてしまったら、「仲間」でも「家族」でもなくなってしまう、ただの「他人」だということに、私はここ2年で学んだ感じです。
これからも、ほどよく距離をあけ、できるだけ深く関わらず、人とふれあっていく形になるんだなぁ、と私は改めて思いました。
・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.
この吐露場所でいつぞやか呟いた言葉。
いまだにその思いは消えず。
変わらず。
そして、人との関わりかたも、そのとおりで。
ほどよく距離をあけ、できるだけ深く関わらず。
そんな自分を、少しさみしいと思いながらも。
多分、変わることはないんだろうなぁという実感。
ああ。
そっか、人を諦めたと、思ってたけど。
ここで書いてたじゃないか。
諦めたのは、私か。
私が私を諦めたんだっけ。
忘れてた。
そうか。
そうだね。
私は、私のことを見放したんだっけ。
そうだったね。
0
モヤモヤモヤモヤ。
限界なんでしょうかね。
「吐露」する言葉って。
そっとしておいてほしくって。
思わずつぶやかないとやっていけないぐらい、精神が不安定で。
言葉がほしいとしても、それは肯定の言葉で。
決して。
「反論」ではないと思う。
私はそうは思わないとか。
そうゆうのがききたいわけではない。
ただ、つぶやかずにいられなかっただけで。
そこに、他人の「議論」なんていらないわけで。
そう思うから。
時々誰かが、「吐露」しているものは。
何か思ったとしても。
そっと心の中だけでつぶやいてる。
「議論」せざるをえない人っていうのは。
自分の中の正義を認めて欲しい人だと、私は思う。
場所を変えてでも、こうゆう考えを。
自分のうちから出さずにいられない私は。
同じく、「自分の中の正義を曲げられない人」なんだと思う。
私が「吐露」したたった一粒の言葉を聴いて。
わかったかのように「否定」されて。
私のことなんて、なんにも知らないくせに。
その一文にこめられたいくつもの思いなんて。
その一文を吐き出す工程となった出来事なんて。
なぁんにも知らないくせに。
迷惑。
私は、貴方の中の「答え」なんて求めてないんだよ。
だったら、誰も見れない場所に書けばいい。
誰も覗けないところでこぼせばいい。
だけど。
自分の中の「一つの思考」を誰かに見てもらいたくて。
出来るならば認めてもらいたくて。
ああゆうところに書いてしまうのは。
私の悪い癖。
今度から、「気分が悪くなるので、反論コメントいりません」とかかけばいいんだろうけど。
「吐露」するときって大体いっぱいいっぱいなので。
頭悪い私には、そこまで頭まわりません。
「自分を肯定するコメントだけほしいなんて、どんなんだ」
そんなこと言われそう。
そんなの言われなくてもわかってる。
甘やかされたいだけなんです。
甘ったれですから。
「自分を信じすぎてる」
考えたことありませんけど。
自分しか信じられないのは確かだし。
自分が一番可愛いのは確かだし。
自分の答えだけを正しいと思ってるわけでもない。
私が感動した動画をみて。
みんなが感動するなんて、そんなの私だって思ってない。
だけど。
一番の身近の人が同じように感じられないことを悲しく思うこと、さみしく思うこと。
それのどこが悪いの?
大好きな人と。
この動画泣けるんだよって見て。
解説もなしに、「そうだね」って一緒に泣いて感動したいだけ。
それができなくて。
それどころか、5分しかない、しかもセリフもないこの動画の。
ここの誰々はこうつぶやいて。
ここの誰々は実はもう、あれこれこうゆうふうなんだよ。
なんて。
1から説明して。
私が「おお」って思ったのは、ここがいつものとこうちがうんだよ。
って。
全部説明しないと、共有できないさみしさ。
私は。
何も言わなくても、たとえば、今回みたいに一つの動画をみて。
同じように泣いてくれる人がそばにいてほしいと思っただけ。
そうゆう人と巡り合ったことないから。
ずっと「孤独」なんだろうなぁって思っただけ。
画面の中で同じものを見た人たちは、自分と同じ感想を抱いて。
自分と同じ感覚を共有してるのに。
一番みじかにいる人とはそれができないから、さらに「ひとり」を感じさせられただけ。
難しいね。
自分の考え。
自分の心の中にあるもの。
形にしたいのに、形にできない。
から、いつもめんどくさくなって途中でやめるんだけど。
うまく言葉にできない。
チビ産まれて、よさこいやめるとかいって。
グダグダしたあのあたりからかな。
どうやったら自分のこの、中のものを理解してもらえるだろうって。
今書いてるこのときだって。
全然、思うように字にできなくって。
もどかしくってもどかしくって。
嫌になっちゃう。
形にしきれないのが腹が立って。
だったら、書かないほうがいいやって。
ここ数年。
何にもないわけじゃないのに。
むしろ、昔より、私の中の黒いモノは墨のように広がって。
どんどん私の心を卑屈にさせる。
吐き出したいとも思わないし。
吐き出したら、いいことなんておこらないのわかってるし。
理解されないし。
って書いたその瞬間、頭では「否定」の言葉がまわる。
色んな「人」からの、色んな言葉がまわる。
それがこわい。
書いても書いても。
すっきりしない。
足りない。
言葉がまわる。
私は。
「実は自分はもう色んな事悟っていて、理解してて、めっちゃ色々考えてる深い奴」とか思ってるんだと思う。
これ書いてる間も、なんか3つ4つ頭を駆け巡ったんだけど。
なんだったっけな。
笑っちゃうよね。
そんなことないのにね。
まだ、全然知らないし薄っぺらい人間だし。
そんなに考えが深い人間でもないし。
だけど。
多分、「実は自分はすげーやつなんだ」って思ってたい、みたい?
なんかよくわからんけど。
多分、これが虚勢。
本当はすっごいバカだから。
自分自身、すごいやつなんだよって思うことで、自分を肯定してる?のかな。
なんか、昔はもっといっぱい人を見て。
いっぱい色んなこと考えて。
人のこと理解しようと思ってたはず、なんだけど。
それで理解した気になって、めっちゃ上機嫌になったり。。。
だけど。
今思うと、あれって多分全然わかってなくて。
したつもりなだけなんだよね。
薄っぺら。
今は。
自信ない。
人の事、「あの人はああゆう人だから」とか。
わかったようなこというのがこわい。
なんだろね。
年とったから?
私がこうゆうところにかくときって。
今思えば、きいてもらいたいだけ、とか。
肯定してほしいだけ、とか。
そんなんで、毎回「否定」されるから。
それがもういやになっちゃっただけ、なのかもしれないし。
なんか、よくわからないや。
今は、人のこともわからんけど。
自分のこともよくわかりません。
よく。
もう私は、諦めてるとか。
自分の生きてることに執着してない、とか。
書くとき書くけど。
それは、本心なのは確かなんだけど。
それが、真実なのか。
実は私にもわからない。
「人」っていうものを、諦めたってのは本心だし。
何を諦めたの?ってきかれると。
それを全部説明するのは難しい。
自分から積極的に、他人に関わり合うことを、諦めたってのが本当かもしれないし。
かといって、全然絡まないわけでもないし。
本当口から出まかせじゃん?とか思ったり。
言ってみたいから?同情されたいの?とか色々思う。
人を求めることが、こわい。
のは事実で。
人を求めることを、今はもうしてない、のも事実。
遊ぶ友達はいるし。
大好きだし。
だけど。
何枚かシールドをはってるのも事実…?なのかな?
裏切られるのがこわい。
裏切られ続けた。
とか思う気持ちもあるけど。
相手からしては、そんなつもりもないっていうし。
勝手にこっちがそう思ってるだけ、とか。
そもそも、もう誰に裏切られたとか自分でももうわからない。
書けば書くほど、自分の事わからないね。
でも、他人に「貴方はこうこう、こうゆうふうなんだよ」っていわれても。
「ああ、そうですね」ってうなづけない、んだと思う。
私は。
久々に書く時間があったから、こうやってとことん、自分の中の自分と向き合ってるけど。
普段はそんな時間もないし。
あまり、いい気分にはならないから、やりたくない。
きっかけがあって、ついでだから実は書いてるところもあるけど。
もう、はっきりいって、わけわかんない(笑)
めんどくさいやつなんだよ、私は。
足りない。
足りない。
いっぱい、色々思ったり感じたり。
頭のてっぺんからつま先まで、言葉であふれてるのに。
うまく形になってくれない。
今、考えてる、今、思ってることを。
すべて文章にしたいのに、それにできない。
なんて、自分はばかなんだろう。
もどかしい。
書いても書いてもすっきりしない。
書いても書いても。
他人が、
私という人間を完全に理解できないのがわかってるからか。
私は他人にすべてを理解してほしいのだろうか。
私という人間を肯定してほしいのか。
理解して、肯定して。
生きていくことの赦しがほしいのか。
否定されることは、死ネと言われてることなんだろうか。
そうじゃないのはわかってる。
だけど。
否定されたものは異端で。
当たり前じゃないのが、いやなのか。
「特別な人」になりたいとも思ってるのに?
世界は肯定だけでは生きていけないことをわかってるのに。
否定がない世界は自己満だというのもかってるのに。
否定や、批難が、私を壊していくのか。
ああ。
わけわからない。
なんだろうね。
数年前のあの時から。
私は、どこかが壊れてしまったのかもしれない。
生きてることが楽しくないわけでもない。
死にたいと思ってるわけでもない。
ただ。
諦め。
昔だれかが、私にいっていた。
「もうどうでもいい」その口癖をやめろ。
もう、ほとんどいわない。
だって。
毎日、もう、ほんとう、どうでもいい。
諦め。
生きていくことの、諦め。
自分で死ぬのは嫌。
痛いもの、ぐろいもの、こわいもの。
まだ、チビと離れたくないってのもある。
けど、あ、死んじゃった?程度の死をくれるなら、それはそれで楽だなって。
なんて考えてるうちは、絶対楽な死に方できないなって思ったり。
楽がいい。
もう、めんどくさいから。
人と、深くかかわるとめんどくさい。
人と、関わらないと人は生きていけないと、誰かがいった。
だけど、最低限の関わり方で、生きていけるんだよ。
あさーくうすっぺらく。
その中身に、なんにもつまってない。
うわべだけの、ぺらっぺらの人間関係。
それだけで十分だと、私は思う。
入り込まない。
入り込ませない。
誰かが求めてくれるなら。
私はそれに精一杯答えるだろう。
それが性分だ。
だけど。
「私」を見てくれてない人たちに。
尽くす必要なんて、どこにある。
「私」を見て。
「私」を求めて。
「私」という一個人を認めて、理解して、向き合って。
一対一で、真直ぐ私を見つめてくれるなら。
私はそれにこたえるんだろう。
少なくとも、見てくれてるときは。
ああ。
そっか。
見てもらいたいだけなのかもね。
私はここにいるよって。
いやでもって言葉が頭をよぎる。
いっぱいの言葉が、頭の中でグルグルまわって。
私は、私を理解しようとしては、一人、否定をして。
ずっとグルグルしてるのかもしれない。
ただの。
自己中な寂しがり屋なだけなでしょう。
多分。
このやりとりは、生きてるうちに何度も何度も。
解決することなく、ずっとおこなわれて。
解決することなく、終わるんだと思う。
だって。
どう自分を肯定しても。
絶対、否定する自分がいるから。
ほらまた。
今の3行かくだけで。
また違う「思想」がクルクルって頭を駆け巡って。
誰かがしゃべって。
めんどくさ。
おなか痛いな。
出血とまらないかな。
もう、やめないとね、ここかくのも。
終わらないからね。
こんな風になるから。
何時間書いても、埋まることなく、ずっと書き連ねちゃうから。
だから、いつもは考えないのだけど。
ま。
こんな日も必要かね。
誰か、私を理解して。
誰か、私を説明して。
さみしいのかな。
孤独だなって思う。
いっぱい人はまわりにいるのに。
孤独。
・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.
悲観的とか、そうゆうわけじゃなく。
私は、もう救われない子なんだな、と。
ついこの間、ふと思いました。
最後の最期に助けてくれる人はいなく。
誰も頼る人もいなく。
独りなんだと。
そうしたのは、誰でもない。
まぎれもなく、自分で。
自分が今まで生きてきた結果で。
この先自分が自分であれば、それは変わらなくて。
私は私を変えるつもりはないから、だから、もうこれ以上はないと。
ま、ならしょうがないかと。
最期の最期で寂しく独りぼっちでも、仕方ないことなんだろう、と。
私は私を。
もう諦めてしまってて。
所詮、群れからはずれてしまったら、「仲間」でも「家族」でもなくなってしまう、ただの「他人」だということに、私はここ2年で学んだ感じです。
これからも、ほどよく距離をあけ、できるだけ深く関わらず、人とふれあっていく形になるんだなぁ、と私は改めて思いました。
・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.
この吐露場所でいつぞやか呟いた言葉。
いまだにその思いは消えず。
変わらず。
そして、人との関わりかたも、そのとおりで。
ほどよく距離をあけ、できるだけ深く関わらず。
そんな自分を、少しさみしいと思いながらも。
多分、変わることはないんだろうなぁという実感。
ああ。
そっか、人を諦めたと、思ってたけど。
ここで書いてたじゃないか。
諦めたのは、私か。
私が私を諦めたんだっけ。
忘れてた。
そうか。
そうだね。
私は、私のことを見放したんだっけ。
そうだったね。

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