2013/12/9

今昔雑考  
 今日、友達から別の学校の講演会についてのレポート記事原稿を読ませていただきました。
 友達曰く「30年前だったらよくありそーな話だけど今時聞くとちょっと…」な内容だったらしく、記事を見てもなるへそ「昔の子供は強く目標を持って礼にきびしかったが、今の子供は生きる力が弱くて甘ったれ」的なお話。
 ご年配の方と話していて、時々あたるタイプだな。まあ「(仮)全部その通りだとして、なんでじっちゃん達からは社会がそう見えるか」を考えてみた。

 子供の頃、今だったら犯罪カテゴリな出来事って、わりと身近で頻繁に見かけていました。
 遊びにいった林の中で、女性の持ち物が散乱していて、どう見ても犯行現場っぽい状態だったり、夜届け物に出た折、同級生の男子が鼻と口から血を流して通りすがっていたり。
 大人に話すと、余計なことは言うな。と返されてたけど、たぶん「余計な事」を言い続け問題提起し続けた結果、子どもの安全とか女性の権利ってのが守られるようになってきたんだと思います。
 たぶん、紙に書かれた知識としての民主主義が、現実の生活としてしみこんでいくには、それくらいの時間と闘争が要ったんだろうな。

 今の世代の人は、情報としてそういうリスクの存在を知っているから、リスク回避のために昔とはケタ違いの努力つーか気配りを要求されているような気がします。
 で、実際そのおかげで回避できた危機とか暴力っていっぱいあると思う。
 逆に、リスク回避のために消耗したエネルギーやストレスもハンパないと思う。
 ひどい目に遭わなかったかわりに疲れを背負った人は、結局諦念というか受身・守りの姿勢が身についてきて、それを知らない世代からは「無気力」とか「生きる力が弱い」と評されているんじゃないかな。

 自由に攻め続けた結果立派な評価を得て育った人に対して、守備範囲がぐっと広くて失敗すると責められる、そういう環境にある人の気持ちを汲んでくれ。と言ってもたぶん無理だと思うのよ。
 でも置かれた状況がとても遠いという認識を持って、安易に相手を軽蔑しないで理解する努力をし続けなきゃいかんだろ。としみじみ思った次第です。


 それはさておき、サイトのギャラリーを久しぶりにいじりました。
 超昔のトップ絵を掘り出しただけなので、ちっとも目新しくないけどな!のっけておかないと、倉庫のどこにあるんだかわからなくなるのYO。
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