2015/8/31

あの道この道  
 手ごわくてしばらく手を出さなかった網野先生の著作集未読分を読み始めました。
 歴史の先生なんだけど、生徒や一般向けの書籍はわかりやすく書かれてあって、学術書とか玄人雑誌向けの文章はつるはしがなくては歯が立たないくらい固い系であります。…そんなのばっかりが残ってしまってさあ。
 その中で「道」についての記述が興味深かったのだ。
 道って地面の上のじゃなくて華道とか茶道とか武士道みたいにつかわれる、いわゆる「その道」の事であります。
 このナニナニ道ってカテゴリは、日本社会の中には中世からあって、天皇の権威によって支えられていたらし、ってことは当時天皇は各「その道」ライセンスの発行元だったのね。
 でも南北朝の動乱前後から天皇の権威が失墜して、世間に広くあった「その道」の多くが消滅してしまったとな。
 さて道には剣道みたいにいかにも格好のいいものもあれば、博打道みたいに「それも職業なんかい!」みたいなものもあり、だけどその道の達人から見れば門外漢はハナひっかけていいくらいでもなかった模様。
 人はその住み分けを職業によって線引きしていたんだなあ。

 それで連想したのが、うちの小娘の勉強話ですよ。
 ちびちびはいやいやながら塾に行っておりますが、よく授業で習った所が後になってわからなくなるケースに遭遇した場合、なかなか先生に質問ができないのですな。
「身銭きって教わってるんだから、忘れました教えてくださいと突撃してこんかい」
とつついているんですが、なんかもにょもにょしているの。
 でも実際塾の先生と話をしていて、子供が質問しにくい空気を出している、と外野の私でも思うところがあるんだ。英語だったら間違い文を黒板に書いて「これはよくやる間違いですよね。どこか判りますか?」っていうの。
 その道のプロからみたら、完全に答えて当然な答えだけど、ヒヨッコにとってはどきどきするよね。それは目線が「その道のプロ的回答が当然」だからなのね。習いにきているのがヒヨッコだという前提を見失ってるというか。

 先日実家で懐かしい友達と会って話したとき、なんで日本人はこんなに英語を何年も習っているのに喋れないのかって話になったのだ。
 友達の一人は数年間世界を放浪してるとき、海外の語学教室に行ってたんだけど、大体の生徒は先生に
「この文章を訳せる人」と聞かれると、ハイハイハイ!!!と答えたがるんだけど、その答えがたいていめちゃくちゃだそうな。(途中から母国語で喋りだしたりする)
 だけど「でも通じるよね、大体判るよね」みたいにがなるのを先生が押しとどめて「キモになる動詞の前にこれをつけようね」とこまい単語を教えるそうな。
 それは教える側が、相手に「その道のプロ」を目指せというのではなく、生徒がどの辺にいて何が欠けてるかを見つけてはぽいぽい投げ教えているからなんだと思います。
 でも私達が母国語を獲得したのも、そういう手順だったよね。

 基本的な事柄を学ぶのに「その道」という考え方は邪魔だと思うんだ。
 でもきっと「先生」と呼ばれる人はみんな「その道のプロ」としてくくられてしまっているから難しいのかもね。しみじみ。
(日本史から遠く離れてしまった)
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