2016/3/2

メタ(くそ)教育論  
 3月年度末になると、塾やら家庭教師のDMと電話がかしましくてああしょっぱい

 というのはさておき、この時期メディアなどでちょいちょい教育論ぽい話を見かけますな。
 そういう文章を見るたびにひっかかるのが「個性を大事にしよう」的な主張です。

 私は自分の若い頃の個性を思い出すにつけ、ほんと〜〜〜〜にだめな個性ばっかりだったよな!と思い知るので、それを大事に伸ばすなんてとんでもねえ話でした。
 主なものは、一つのことにとらわれ易い、すぐ視野狭窄に陥る、失敗をした後再チャレンジをするまでに年単位かかる、思い込みが激しいしかも思いやりに欠けるなどなど、あんまりつるつる並べると心が折れるレベルであります。
 これを伸ばしていくとしたら、おそろしく頭のかたい独善的な視野の狭いすぐ挫折するヘタレの出来上がりです。

 いや勘弁していただきたい。

 そもそも個性を伸ばすうんちゃらという主張は、70年代から80年代にかけて画一主義とか点数偏重の教育方針が行き過ぎたリバウンドで80年代後半から出てきた主張だよね。
 そしてその7〜80年代の教育方法は、勉強の機会をもらえる子供がそれまでの時代より急に増えたため、均等に対応しなくっちゃと教育者側が取らざるを得なかった対応だよね?
 要は時代ごとに子供への対応はじんわり良くなっていってたんだろうけれど、それにしても更に30年たったいまだに個性なんちゃらにしがみついているっていうのはどうなの。思考停止してないか。

 そして論調の何がいちばんひっかかるって、そもそも「子どもの行動・考え方」について語っているはずなのに、なぜか「大人だったら望ましい行動・考え方」にすりかわっている点ですよ、それもどうやらまったく無自覚な感じで。
 小学生や中学生の密度の濃い学校生活を、行動の自由度の高い大人の視点でみて「考えが狭い」と嘆く。社会に必要なお金の流れを知らない高校生を幼稚ときめつけ「大人の何が悪かったのか」を勝手に反省したり敵をこしらえたりする。

 子供が未熟なのはあったりまえじゃー!
 未熟な状態で、どれだけその日その場で行動や選択ができたかの方が大事なんとちゃうんかー!

 あとやたら夢を持てとかいうの!あれもやめてよね!
 社会知らない時期になにムチャいってんだよ!徒弟制度がなくなって、そんなに不安かよ!
 あれってぜったい、教育の早熟化にハマった大人(2歳から英会話習わせなきゃとか絶対音感身につけさせなきゃとかいう)が、とっとと特別な才能をひろってきてよ欲望を隠しきれずにつきつけてしまう類の希望だと思うな!

 昔は子供の悩みを聞いてやるふりをして、何を相談されても「大人になったらわかるぜ」しか言わないくそ役に立たない教師やアニキがいたけれど、今の教育トークにはそれに似た臭いを感じるんだぜ。
 やれやれだぜ。

 そして今日もまた塾のDMなんだぜ。
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