2016/4/28

後悔ポイントの汎用性  
 生き物って危険な目にあった経験はしっかり記憶しているものというけれど、人はその他に後悔したことや反省の原因になったことも記憶ポイントになってると思うのよ(人にもよると思うけど)。

 私はその後悔ポイントがなかなか消えないタチで、楽しかった思い出は浜辺の砂絵のようにさくっと消えていくくせに、幼稚園の頃にやらかした悪さとか小学生の頃のトホーにくれた思い出なんかが、いまだに残って困っています。

 具体的には、近所のアパートの大掃除で、煙突に作られたスズメの巣が取り払われ、ヒナが死にそうになってたのを反射であわててひろってきて、家で餌をやっていたら案の定オヤに見つかって、学校に行っている間に絶対死ぬから今すぐ捨てて来いと言われて、右往左往した挙句、もとのアパートの側の空き地で親鳥をよばわってくれーと置き去りにしていったことなど。(長い1文)ヒナの声がだんだんしなくなって夜には静かになっていた事とか、良く遊びにいってたその空き地には二度といかなくなった事とかセットで鮮明に覚えております。
 そんな深刻なのでなくとも、印刷屋さんに原稿を送った後で送り忘れがみつかったとか、イベント申し込みをしたあとカットを間違えて送っていたとか、床をころげまわる程度な事は、それはもう頻繁にやらかしています。

 でも基本物忘れの激しい私には、そういう後悔ポイントがあるおかげで日常生活が回ると言っても過言ではない!くらい、真っ暗な記憶の中のスポットライト的な役割を果たしてくれています。
 後悔の思い出の周辺のことは、なんとか思い出すことができる、楽しかった中学時代はほとんど覚えていないけれど、厳しかった高校以降は私わりかしアタマよかったかもよ。(注・自分比)あんまり思い出したくないけど。

 でも失敗記憶の周辺を見回すと、過ちを犯した人をここぞとばかりに攻撃する人もいれば、どんまいと言ってくれた人もいて、そういう人たちが普段は特に差異もなく行動していたのを思うと、大事な人を見分けるポイントでもあったのかもしれないな、と思うことあり。
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