2017/3/19

青い目茶色の目  
 ずいぶん昔の話だけど、おたく友達とイベント前日お泊りしてた時にきいた話。

 アメリカの人種問題を学ぶ教育プログラムの一つで「小学校で、目の色でクラスメートを差別するシミュレーション」てのがありました。

 あらかじめ学校側と家庭とで計画を練った上で、子どもに対して「実は茶色の目の子は悪い人間で差別してもいい」と学校で言い出す。子どもは混乱したり当惑したりはたまたもっけの幸いと差別に乗ったりする。
 ところがその後「あれは嘘で本当は青い目の子が悪い人間、差別やむなし」と言い出す。そんな馬鹿なと子どもが言い返しても「それはあなたが青い目だから間違った事を言うんだ」と言って取り合わない。
 そうやって人為的に差別のある状況を作り出すと、イヤでもクラスは差別の存在について考えるようになる。

 そこまでやらかした上で、大人が企みがあったことを話して詫びる。この2日間、何を考えたかと聞いて、言葉にしてもらう。

 かつてアメリカではこういった「生まれついての差別」が厳然とあった。それがゆっくりとでも法律で守られコミュニティで調和され、不完全ながらも互いが生きていくために公平へと近づいていった。

 でもそれは、時間が経ったから自然に生まれた恩恵などではなく、当事者が声をあげ維持するために努力を続け、やっと手にした自由と権利なんだよ、声の大きい差別主義者がちゃぶ台ひっくり返すことで、簡単に失われてしまうものなんだよ。

 教室に差別があった時、ただ悲しかったと感じた事が、自由を得るための自覚の根っこになるんだと思う。

 よく「私は何も(悪い事を)していないのに理不尽な目にあった」という嘆きをきくけれど、何もしていないという事は、誰かの努力の上にのっかっているだけの事なので、免罪符にはなれないと思うのよ。

 昔「ニュルンベルク裁判」という映画で、前の戦争で戦犯として裁かれたドイツの政治家が、戦争中のいろんなVTRと裁判のシーンが交互に流れる画面の中で、ほとんど何も語らず有罪を受け、最後に獄卒との会話で
「どんな罪も受けるつもりで裁判に出た。だけど私は本当に何も知らなかったんです」
と語ったのに対して、獄卒が
「何も知らなかったのがあなたの罪だと思う」
と返すシーンがあったんだ。

 今ほんとにちゃぶ台ひっくりかえす人がトップにある合衆国で、自覚を持って差別に反対している層がある程度いるってことが、アメリカの経験値の高さなんだと思ったYO!
5


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ