2017/12/4

不気味の谷  
 人間そっくりに動くロボットを見て、ヒトが感じる「不気味の谷」の話題を聞いて、ちょっと思ったこと。
 (今日はちょっとえぐ目です。↓の行読んであかん。と思った方はUターン願います)

 もしやこれって死体に対する忌諱がわりかし占めてるんじゃないかな?

 今は知識として死がどんな状態なのかみんな知っているけれど、もしも人間がそんなに沢山いなかった時代、死の認識ってどこで線をひいたんだろうと気になっていたお年頃があったんだ。
 それまで生きて動いていた、近しい人が死んで動かなくなった場合、あっさり「死者」と割り切ることが難しいから、人間は宗教や喪の儀式を通してビフォーとアフターの線引きをしたんだろうな、とか。
 でもそれが確立する前の時代とか、共同体に若い人しかいなかった場合、死者ってのは衛生的にも精神的にも同居するのはリスク高いと思うのね。そういう場合に警報を鳴らすのが「不気味の谷」なんじゃないのかな。

 いや死の状態がわかってるとか軽く言ってはいかんくらい、実際生きてた人に対する執着が強かったりすると、肺の空気が出たとか筋肉の反射で体が動いたってだけで、人は大いに心が揺れてしまうものな。
 「不気味の谷」は人間が普通の状態じゃない=危険信号を受け取った結果の反応なんじゃないかと思う次第。これって漠然と「恐怖」の反射に近いような感じもする。
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