2017/12/12

尊敬と萎縮のこと  
 ちょっと意地くそ悪い言い方だけど、人を批判する、今あるものの欠点を見つけることで自分が偉くなったような気になる、そういう学び方を私は義務教育の頃から長いことしてきたけど。
他者の悪いところ・欠点を見つけたほうが優れているなんて考え方は、実務にあたるようになれば犬のうんこにもならんと判るよね。
 立ち位置が変われば欠点やミスなんて簡単にみつかる、それよりゼロからなんか積み上げるほうがなんぼか手間も知恵も要るもんだと思う。
 だけど案外学び方で身につけてしまったこの態度って、抜けにくいものだと思うのね。

 人を批判する人に一目置く、というのはやりがちなことだけど
それは尊敬しているからというより、その攻撃姿勢に緊張を抱くからなんじゃないかな。
 あの人の批判は恐い、というのは噛み付きクセのある奴が恐いのであって、その場にいる中でもっとも尊敬できる人な訳じゃない、でも危険だから気を使う=その人を上におく、という図式にはまりやすいんだと思うんだ。

 世の中の忖度の原因の多くは、相手をたてるために気を使っているんじゃなくて、自分への攻撃がいつくるかわからない緊張から生まれる過剰な不安が原因じゃないのかなと思っている。


 今年のノーベル平和賞を受賞したICANで、広島で被爆したサーロー節子さんがスピーチをされた記事を拝読、すばらしかったYO!

 でもNHKの週末の時事番組では「現実をみてない理想的な思考が受賞するくらい時代が不安定なだけ」ともやっと紹介されてたり、普通のニュースでも全く触れなかったりと、とても残念な扱い。
 国営放送が政府の御用達であるなら、受信料はひろく国民から徴収するのではなく、思い切って政党の予算から要求するとか提案しちゃえばいいYO!(らんぼう)
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