2018/2/12

ウッドペッカーはコピーライトの夢を見るか  
 90年代の漫画で関川夏央・谷口ジローの作品「坊ちゃんの時代」5編があって、大ファンだったのだ。
 夏目漱石を中心に明治の文学者・識者たちを描いた各編1冊1話ずつの構成。その中で石川啄木を描いた「かの青空に」を最近思い出したのでのメモメモ。

 いい物語や文章、作品を描く人は人格者か?って話題をネットで見かけて、プロでもアマでも思い出してみると大体はその通りだなあ、いろいろ突っ込みどころはあっても、けっこう芯の通った人が多くてそこにしびれるあこがれる!から、作品にも魅力を感じてたような気がします。
 でもよーく考えてみると、ものすごく繊細な心の機微を描く人なのに、ものすごく人に対して無神経だったり人の好意にあぐらかきまくるというか、ちょっと空気が読めない程度じゃない、人生の責任丸投げ要求してないか!?な人もわずかながらにいたんだよね…。
 その主張があまりにも極端だったので、近寄っちゃなんめえと思いながらも、何でそう思ったのかとか、どうしてその行為に至ったのかって聞いてみたら、その人の正義があまりにも、自分周辺のごくごく狭い範囲に集中しすぎていたから、少しでも自分から離れたものに価値や好意を寄せるものに、すごく敵対心というか恐怖・敵認識の警報が鳴るみたいなんだ。
 そりゃシロウトにはとても抱えられないから距離おいたほうがいい、とは思いながらも、どうしてそういう自我愛が強すぎる人が、あんなに心にひびくいい作品を書くんだろう?と不思議だったのね。

 それで「かの青空に」に出てくる啄木のキャラなんだけど。
 夭逝した薄幸の天才文学者じゃなくて、自我愛が強く表現力に長け責任感が薄く欲望に弱い、ひとくちに言ってとてもダメダメ男に描かれてるんだけど、だけどキャラがすごくリアルなんですわ…ぶっちゃけバブルの頃にたくさんメディアに出ていたコピーライターなどの商業芸術家はこんなんじゃなかったかな。
 自我愛が強すぎるってのは、愛情に関する解像度が高いってことだから、主語(自分)さえ省略してしまえばそれは他の人には見えないくらい尊い愛情を形にすることができるってこったよな。これって本人の内面はヨコおいといて、ただならない表現力ってことになるまいか、とか。

 作家がそういう目的で啄木のキャラを設定したのかはわからないけど、ものかきの一つのパターンとして立たせてくれたのはとてもありがたいなーと思った次第。

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