2018/2/26

触れない文化  
 封殺鬼が好きでそっから日本の中世の歴史の本を読むようになって、現代の人といろいろ感覚が違う点を学ぶことができてすごい面白かったんだけど「考え方は違うけどモトになってるな」って点もいろいろあったんだ。

 その中で「信仰」の話が面白かった。普通に道教とか法華経とか仏や仙や神をまつるだけじゃなくて、酒や博打、金も礼拝の対象になってたんだって。
 要は「人間が普段ではやらかさないようなミスを犯すほど意識をもっていかれるもの」が礼拝対象だったようで、現代風に言えば「度が過ぎれば中毒をおこすモノ」。
 アルコールが原因の酒やドーパミン刺激してくれる博打や金儲け、アドレナリン出て暴れまくる快感の戦闘なんかも、みんな度が過ぎれば人格崩壊してしまうけど、どっぱまってる最中はトランス状態で幸せを感じる。そういうものに対して正しく恐れを抱いて接しようという姿勢が、それらを社会の中でマジカルなモノとして扱ったんジャマイカという話でした。拝金主義という言葉は「金にきたない」という状況説明じゃなくて、ほんとに金に魔法の力があるものとして、たとえば生贄のかわりに金を詰めた壺を埋める、一旦無私のものになった金には特別な力が宿る、とかの感覚があったそうな。

 そしてそれぞれのマジカル素材が、時代を経てその効能や影響の原因がわかってくると、やっぱりリバウンドというか侮蔑の対象になるみたいで、たとえばお酒なんかは地鎮祭や新年の寿ぎに使われもするけど、人が飲む時はただの食品、酒で失敗した人は軽蔑の対象で、依存症の人に対する蔑視も強い。世が世なら、多分習慣性のあるパチンコなんかも博打の最たるものとしてくそみそにやられるだろうな。

 で、最たるものがお金だと思うんだけど、最近よく話題になる教育とか音楽・デザイン・技術の提供にたいして、お金を払うことを渋る風潮がやたら強いと思うんだ。
 これが、手で触れるモノであれば対価を払うのを渋らないであろう人でも、いざ人の知恵や技術の提供となると、それに対して対価を払うことが悪い事であるかのようにふるまう人が一定数いると思うんだよね…

 それらは目に見えないけれど力を持っている、現代のマジカル要素だと思うのよ。それらをひとくくりにして侮蔑する、よくない流れができていやしまいかな。

 触れないものはすなわち文化だと思うし、その文化を否定する社会は相当病んでいるんじゃないかと心配しているよ。
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