2021/7/3

おおかみこどもの雨と雪  
「おおかみこどもの雨と雪」映画
 最初に見た頃「当事者主権」(岩波新書/中西 正司, 上野 千鶴子)の中の話を思い出した。
 本の内容は病気や障害、犯罪被害の当事者にこそ問題解決に物申す主権があるんじゃないかってテーマなんだけど、その中で特に印象強いエピソードがありましてん。

 障害の子を持った母親が、子供の将来を悲しんでわが子を殺してしまう事件があった。母親は献身的に子を育て自治体にも協力を呼びかけたけれど、対応は芳しくなく、それに絶望して凶行に及んでしまった。
 裁判に際して母親の周囲の人が、情状酌量を求めて運動を始めた、という件。

 だけどここで、殺された子の友人や医師が異論を出したのね。
 母親がどんな精神状態にあったのかという問題より、障害を抱えて生まれてそれまで生きてきた子供が、その意志を無視して命を奪われた。
 裁判の判決で問題にすべきなのは、子供の生きる権利にダメ出しをした殺人者に対して、正当に下されるべきなのではなかろうか。たとえそれが愛情からくる不安が原因であったとしても。

 映画では、特殊な血筋を引いて生まれてきた子供たちを、自分や愛する夫の「財産」として守り育てている花は、子供たち自身の主体に、主権に、各自の未来に対して、正しく敬い畏れを抱いていただろうか。

 なんとなく登場人物が皆、間違った方へ間違った方へといく姿を、いじらしくて美しいもののように描いているところ、それが豊かな表現力とリアルな絵で描かれてるとこが、私は苦手でした。
たぶんそれは弱者の不幸を愉しむ系の表現に感じられてしまったからだろうな。
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ