2018/5/28

妬みのこと  
 私は普段、イベント行って初見の描き手さんで気に入った本を見つけたらほくほく買ってくるし、SNSでもほれた絵や話に会えたらかぶりつくし、それぞれ有り難くもココロの栄養になりまくってます。

 でもいざ自分のメンタルへばって俺はだめだ…ってなると、それまで栄養になってた人の作品がなにもかも、重石と言うか刃物みたいに感じてしまって、わしはもうだめだーなにもかもねたましいうらやましい何も見たくねえーとなってしまうのよ…頭では人の作品がどうこうってんじゃねえよ自分がへばってるだけだろうがよと判ってるんだけどどうしようもない。

これって大体何もやってない時よりも、何かしら頑張って作ったり変えようとしたりって時に陥りやすくて、昔は自分ってなんと妬み深いダメダメ野郎なんだ…と落ち込んだりしてました。
 でもBBAになって思った、これって何かにはまりこむ時絶対ついてくるオプションなんじゃないかな。

 絵だけじゃなくて音楽だろうがスポーツだろうが、目標や枠を定めて打ち込む時って「手元にない何か」を目指すじゃないすか。絶対視界に入るものは不安材料だし自分自身に対する不審もあるはずだし。

 絵を描く人が、自分より若くて上手な人の作品を見てがっかりするのは、それまで描いてきた時間の濃度の差を後悔する悔しさなんだろうし
 音楽を学ぶ人が、自分に届かないレベルの演奏を同じ立場の人にされたときに、自分の感覚の解像度の低さをプレッシャーを感じるだろうし
 今までは乳酸がすべてのどろどろ感情をチャラにしてくれると信じられてきたスポーツだって、自分と近い体力の他人に勝てなかったり、当然勝てるはずと信じきって他の対応が許されなくなった時、きっと同じように妬み怯え不安を抱えるに決まっておりましょうがと思うんだ。

 ある一定のレベルや年代を越えればそんな感情はなくなるっていう想定こそが、厄介な偏見なんだと思う。
 社会的に安定するとか自分の立ち位置を決めるっていう枠を、各人が定めながらやっと心の均衡を保つようになってるだけなんだろうにね。

 何もしない人と何かをすることを止めてしまった人は、やっている人に対して尊敬と一緒に思い込みに基づく理想を向けてしまっていまいか。
 妬みも不安も美しいものじゃないけれど、生臭くても大事なものだとおもーのよ。


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