八幡探訪(3)石清水八幡宮

2014/9/1 | 投稿者: ghost

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最早現地取材することに何か意味があるのか?という気分にはなってはいるのだが、この話題に関するボクの入れ込み度を示すパフォーマンス、ということもあって石清水八幡宮に行って来た。

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<石清水八幡宮>

同八幡宮寺の開山となる僧、行教の筆になる『石清水八幡宮護国寺略記』によれば、西暦859年に八幡神の「吾近都に移坐するは王城を鎮護せんが為なり」との託宣を受け、勧請がおこなわれたことになっている。

時はまさに藤原良房の孫となる清和天皇が、母系の異なる兄たちを抑えて即位した直後であり、また、行教が良房の政的ライバルであった紀氏の出自であること、石清水=男山にはもともと紀氏の氏寺があったとみられること、以降石清水神宮寺の実権を紀氏が世襲すること、から、上記託宣は後付けの説明であって、実態としては、石清水八幡宮は、藤原氏と紀氏が清和帝の強引な即位に際して交わした裏取引の材料の1つである、と政治史的には見られている。


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<石清水八幡宮表参道>

さて。先に「日本の神仏の縁起というのは、多くの場合、現代目線で振り返れば政治目的の利用であることがあからさまなものが大多数であり、しかしながら同時に、その政治利用が後に既成事実化して自己増殖する」と書いた

ここで言う自己増殖とは、言い方を換えると、ある神に対する言及が、当初の論理的な「Xであるからこの神はYである」から、直情的かつ扇動的な「Yな神だからZであるべきだ、そうに違いない」に転じる、ということである。これは何も“神”に限ったことではないようにも思うが、いずれにせよ、このような流れの転換が起こる“臨界点”というべきものが存在する、とボクは思っている。

八幡神の場合、この臨界点に当たるのが、男山=石清水八幡宮への勧請だ、と断言して間違いなかろう。具体的に当て嵌めると、石清水勧請へ至るまでの論理は、

(1)大仏建立に協力してくれたから、八幡神を手向山に勧請した
(2)道鏡の皇位簒奪を未然に防いだから、八幡宮への勅使を下すようになった
(3)清和帝の即位正統性主張=藤原北家の権益確保のため、八幡神を男山へ勧請した

といった具合に、個々の命題の史実性や戦略妥当性は捨ておくが、その論理展開としては、現代人として納得できるかどうかはともかくとして、明快ではある。一方で、石清水勧請以降は、明らかな自家中毒的暴走が始まる。

(a)男山は平安京の裏鬼門であるから、八幡神は都の守護神である(前述の託宣がこれを含んでいる)
(b)八幡神は都の守護神であるから、日本の守護神でもある
(c)源義家が石清水で元服し八幡太郎を名乗ったから、八幡神は武門の神である

上記(a)〜(c)は平安後期以降の八幡関係の文献から普遍的に見出せる主張であるが、もはやこれは論理ではなく、そうであって欲しいという願望であって、たとえ裏付けのない願望であっても文字にしてしまえば真実になる、という魔術の類である。

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<表門を通して拝殿を望む>

別の言い方をすれば「YだからZであるべきだ、そうに違いない」というのは、イデオロギー化した、ということでもある。イデオロギーの定義はさておくとして、しばしばイデオロギー化した言説は、should beとmust beを意図してかせずか混同する傾向が顕著であることは、今更指摘するまでもあるまい。

石清水八幡宮の場合、その勧請に結実したイデオロギーとは、端的に言ってしまえば“護国思想”あるいは“神国思想=中世日本史”ということになろうか。具体的に言えば、日本という国は天照大神=天皇が(実権を握っているかはともかくとして)統べたもう神国であり、これを八幡大菩薩と連なる地祇が護り参らせる御国である、という観念である。

この観念は中世はもちろんのこと、現代に至るまで我々日本人の思考を明に暗に縛っている、とボクは見る。古くは源頼朝が鎌倉幕府開設に際し、何はさておき鶴岡八幡宮(宇佐、からではなく石清水から勧請されている)の整備に力を入れたのは、まさにこのイデオロギーに自己の権力基盤を正統化する力を見ていたからであるし、本シリーズ冒頭で触れた日蓮の「天照と八幡を以って日本の天神地祇を代表させる」という思想も、直接的にはここに立脚している。

さらには、日蓮と同時代となるいわゆる元寇の脅威とその失敗についても、当時はもちろん現在に至るまでも八幡神の護国の霊験によって神風が吹いた、という観念は根強く生き残っており、この観念が太平洋戦争においても大いに利用されたことは、八幡の名を知らない人であっても周知のことと思う。

さて、ここでひとつ確認しておきたいのは、石清水八幡宮の勧請それ自体は、上に述べたような護国思想=イデオロギーに形を与えるため、では決してなかった、という点だ。先の託宣は明らかに後付け、しかもその場しのぎの、である。これは言い換えると、特定個人の明確な意思が、護国思想宣揚を目的として石清水八幡宮を勧請せしめたのではない、ということである。

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<正門を神域側から振り返る>

前述(1)〜(3)の流れについては、(1)の直前に藤原不比等の長男武智麻呂が太宰の帥(豊前宇佐を管轄し得る)に就いていること、(1)〜(3)すべての直後に八幡宮司大神田麻呂(もしくは、錯簡によると推測される類似名)の累進記事が見出せること、等を根拠に、この一連の流れが藤原家と宇佐八幡宮が仕組んだ権力簒奪であるとする、いわゆる陰謀史観が存在することにも言及しておく必要があろう。これは言い換えれば、特定個人(家門)の明瞭な意思が働いている、という主張であり、ボクが述べている「誰のものでもない意思=日本の神」とは根っこの部分で対立する見解である。

そういう要素、すなわち個々の陰謀の存在を全否定するつもりはない。たとえば(1)については、聖武帝の母も皇后(=孝謙帝の母)も共に藤原不比等の娘(これはこれで凄い話なのだが捨て置く)だし、武智麻呂の娘もその室に加わっている。これらの係累が大仏建立と八幡神を結びつけるのに一役買ったことはほぼ疑いない、と見ていいだろう。

一方で、武智麻呂は同じ藤原家でも南家の祖であり、(2)〜(3)を主導した藤原北家ではない。また、武智麻呂の次男は孝謙帝に反旗を翻した仲麻呂である。南北両家は明らかに係累天皇を担ぎあって覇を競っており、その両者ともが陰謀の道具として八幡神(厳密には八幡宮に連なる人々)を利用する、というのは、ちょっと理屈が通らない。逆に八幡宮側が両藤原氏を裏で操った、となると、これは最早、八幡宮を「悪の秘密結社」か何かと勘違いしている。

そもそも、情報伝達に速度・正確性の両面で大きな制約のあったこの時代に、およそ百年も継続する陰謀を指揮監督する能力が、皇室はもちろん、藤原家、宇佐八幡宮、のいずれにもあったとは思えないし、この時代は丁度、古代律令制がその実態を失って崩壊しつつある時期と重なっているのだから、もし彼らにそれほどの能力があったのであれば、むしろ律令制の再構築なり新体制への移行なりにこそその能力が投入されていて然りであるが、そういった様子はみられない(皆無ではないが、八幡神とは明確に異なる文脈で推移することになる、詳しくは後日)。

余談になるが、こちらの拙稿では、ボクは空海はそれをやった、すなわち明確な個人の意思でもって「密教的思考を日本の王臣万民の礎に据える」という陰謀(この場合、宗教的情熱といった方が相応しいとは思うが)を成し遂げた、と見ているのだから自語相違もはなはだしいのではあるが、であるがゆえに、弘法大師空海は神格化への道を歩む事になった(こちらの拙稿の末尾を参照されたい)のだ、と諒されよ。

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<石清水八幡宮本殿を覗き込む>

閑話休題。以上のような考察を通して、ボク個人の見解としては、(1)〜(3)の流れ、ひいては護国思想のイデオロギー化は、特定個人の明確な計画的意思の産物ではなく、事件に関わった個々人の空気=神=特定個人のものではない意思、の読み合いを通して、その結果が「八幡神」というイメージを肥え太らせていった過程である、と判じる次第である。

おかしな比喩であることは百も承知の上でいうと、(1)〜(3)の期間は、思惑さまざまな当時の上流階級の人々が、企図せずして八幡神という“アイドル”を“プロデュース”していった期間なのであり、石清水八幡宮への勧請によってそれは全階級の人々へ向けて“ローンチ”されたのだ、と見ることも出来るだろう。そして、プロデュース期間を通じて臨界点に達するに十分なほど蓄積凝縮された情報が、市井において爆散した。言い換えれば、アイドル=偶像八幡神は最早限られた権力者によるコントロール可能性(まぁ、実際にはまったくコントロールできていないからこうなったんだと思うのだが)すら振り切って独り歩きを始めるのである。

そういう意味で、これ以降の文献は、少なくとも「八幡神とは元来何者であったか?」という関心の置き方をする限りにおいては、まったく面白みを欠くと言わざるを得ない。もちろん、急激に発散し始めるので、ボクの脳容量ではこれ以上追跡できない、ということも否定はしないが。そんなワケで、奈良の大仏を起点に時代を下って来た我が探訪は、ここで一旦時間を遡って、八幡神がマクロな意味での“日本”に登場する以前、すなわち奈良時代以前の豊前国は宇佐において、八幡神がどのように形成されていったか、に転じたいと思う。

っつーか、既に大分行きの飛行機は予約済みなのだ。別に行かんでもええやん、とは思うけどもその方が面白いし、地鶏旨いし。

つづく>>



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