日向国漫遊記(1) 佐野原聖地

2016/11/29 | 投稿者: ghost

というワケで、数回に分けて宮崎で見聞してきた謂わくあり気なものについてつらつらと書き遺そうと思う。連載の最後には、以前の分も含めた漫遊絵地図にまとめるつもりなので、紹介する文物の所在についてはそちらをお待ち願いたい。

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<佐野原聖地>

これで“さのばるせいち”と読む。航空自衛隊基地で知られる新田原(にゅうたばる)にも見えるように、“原”の字を“ばる”と読むのが当地の流儀である。面白いことに、これらと隣接する町で江戸時代に島津氏の領地であった佐土原は“さどわら”と読むので、その時点から“ばる”との読みは当地以外の人からは違和感があったようである。

それはさておき。

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<佐野原神社(?)由緒書き>

凄いことが書いてあるのだが、初代天皇たる神武天皇が生まれたのがここだ、というのだからいきなり千両である。さればこの聖地はよほど有名な観光スポットなのであろう、と思いたくもなるところだが、今回ボクらがここに行き着けたのは半ば偶然であり、多分知らないと辿りつけないと思う。正確な所在は前述したように後日絵地図で示すつもりなので、行きたい人(はいないとは思うが)そちらを参照されたい。

とまれ、個人的には、直前に日蓮著『神国王御書』の精読を通して、日本という国は元を糾せば神代十二代を経て、人王に至っては其の第一の王は神武天皇、此れはひこなぎさの御子なりという彼の歴史観に感化されていたこともあって、この出会いに因縁めいたものを感じたり感じなかったり。


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<そう言われれば神聖な気がしないでもない…?>

神社、ということにはなっているが、おおよそ神社らしき設備は小さな社以外には何も存在せず、周囲にはただ田畑が広がるのみの立地である。が、それを言ったら日本の古代文明発祥の地の一つと比定される西都原だって田園風景の中の小さな丘の上にあるに過ぎず、立地条件はほぼ同じではある。

では、本当に神武天皇はここに生まれたのだろうか。まぁ、んなワケねーのはわかってるんだけども、せっかくだからちょっと遊ばせてよ(ぉぃ)。

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<二つの石碑>

ここに二つの石碑がある。左のものは昭和九年、右のものは昭和十年の日付が彫られている。先行したものから見ていくと、こちらは当時の官選宮崎県知事である君島清吉が奉呈した体になっていて、皇紀二千六百年祭(昭和十五年)の一環として、神武東征の発地として宮崎神宮の拡張整備がおこなわれたこと、その際、当地が話題にのぼったことに触れられているが、ここで神武天皇が生まれたとは言っていない。

対して右のものには署名がなく、おそらくは在地の有志によるものだと思うが、当地は神武天皇の生地であるのに、前述の佐土原から薩摩島津氏が撤退して以来祭祀が途絶え、近隣の巨田(こた)神社に合祀されていた神武天皇霊を再びお迎えして神社を再興したい、と書かれている。が、実際にそれがなったのは、冒頭に示した由緒書きにあるように、戦後の昭和三十五年にもなっての話である。

以上から推して知るべしだが、当地が神武生地だの聖地だのというものは決して公認されたものではなく(公認であれば昭和九年の段階でそうなっていたはずである)在地の人々の間で信じられてきた伝説の類ということである。以下はボクの想像であるが、おそらくこれは佐土原を治めた島津氏の一党が自身の領地の箔付けのために騙った話であり、有り体に言えば『日本書紀』に神武天皇の幼名が狭野尊(さののみこと)とあるのを受けて、当地の地名「佐野原」の由来としたものではないか、と思う。

とすれば、本来これは“さのばる”ではなく“さのわら“と読むべきであろう。

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<巨田神社>

ついでなので、我ながら酔狂かとは思いつつ、一時“佐野尊”の霊を預かっていたという巨田神社にも行ってみた。丘を一つ隔てて1Kmほど北の、こちらは谷間にある。

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<同社々伝>

素直に書かれていることを信じるとここは古くから宇佐神領であり、応神天皇が祭神なのだから八幡神社だ、ということになるだろうか。当然のことながら、佐野尊の話はどこにも出ては来ず、社伝も案内板も、戦国時代のものであることがわかっている棟札の自慢ばかりしている。

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<同社拝本殿>

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<拝殿の柱に彫られた狛犬が印象に残った>

誤解のないように補足しておくと、ボクは佐野原聖地なんて嘘っぱちだ、などと言いたいワケではない。むしろ、これを言い出した人は、完本か抄訳かはともかく日本書紀を読み、そこからこの気宇壮大な話を創作し、21世紀の今日にまで伝えることに成功したのであるから、これはこれで凄いことだ、ということが言いたかった。

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<巨田神楽の鬼の面>

この神社は、江戸初期より伝わる巨田神楽なる舞でも有名なのだそうだが、参道入口に掲げられた舞に用いる大きな鬼の面には、なぜか素盞嗚(すさのお)が詠んだと記紀に伝えられる日本最初の和歌、が添えられていた。ここの神楽と素盞嗚は関係ないように思うのだが……。

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<伝・景行天皇お腰掛け石>

尖っててお尻痛そう。

つづく>>



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