2010/8/9 | 投稿者: ghost

45-50s氏と昨今の“撮り鉄問題”(が何であるかは、45-50s氏の論考を参照)を論じてみようということになり、本稿はその参考資料の1つとして書いている。

クリックすると元のサイズで表示しますある機関士の回想(川端新二著,2006年イカロス出版)は、国鉄の叩き上げ機関士としてSL、ELに乗務した著者が自身の半生の経験を赤裸々に綴った名著である。

ここに、紙面では明示されていないが、前後の文脈から推察するに昭和51〜52年頃の出来事と思われる、撮り鉄にまつわる興味深いエピソードが紹介されている。著者は、この時点で機関車乗務を離れて内勤についており、その中で邂逅した出来事のようだ。

大垣と垂井の中間にある南荒尾信号場付近で早朝、東京に向う上り8列車を撮影しようと、2人の小学生が線路に接近し過ぎてひとりが逃げ遅れた。ひとりは無傷だったが、ひとりは重症を負った。辛うじて生命はとりとめた。半月後、2人の小学生の父親が機関区にやってきた。応対を命じられたのは技術掛のわたしだった。苦情をいいにきたに違いないと思ったが、逆に感謝を述べにやってきたのだった。息子が一命をとりとめたことのお礼を是非その時の機関士さんに会って申し上げたいというのだった。(中略)現場で救急車を待っているよりも、と機関士は判断して子供を機関車に乗せて運び、大垣駅で臨時停車したのだった。(p.213)

著者自身は簡潔にこう記すのみで、本件を著者がどう思ったか、また当時の周囲の同僚がどう受け取っていたか、に関する記述はない。が、ひとつ明らかであろうことは、ここで紹介されている「救急車を待っているよりも、と機関士は判断して子供を機関車に乗せて運び」といったようなことは、現在は決して起こるまい、という点である。逆に言えば、当時の国鉄には、このように考え行動する機関士がおり、また、そういう機関士の存在を明示的にではないにせよ許容する雰囲気があったのだろう、ということだ。

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