2010/11/30 | 投稿者: ghost

<シャトー=ヌフの村はずれに佇むイエス磔刑像>
宗教とは何か(テリー=イーグルトン著/大橋洋一+小林久美子訳,2010年青土社)と、神は妄想である(リチャード=ドーキンス著/垂水雄二訳,2007年早川書房)を併読して物思いに耽る今日この頃。いろいろと益体もないことが頭に浮かんでは消えていくので、数回に分けて備忘しておくことにする。

前者の本論2ページ目にして、
リチャード・ドーキンスとかクリストファー=ヒッチンス(引用註:本書でドーキンスと並んで批判される未邦訳書『神は偉大ならず』の著者)−以後、面倒なのでこのふたりを単一の記号でくくって「ディチキンス」と呼ぶことにする(p.15)
という、掴みのギャグとしか思えない下りがあるのだが、イーグルトンは律儀にも巻末までこの“単一の記号”を使い続け、“ディチキンス”をコキおろしまくる。コレ、機会があれば真似て使ってみたくなる修辞だ。まぁ、それはさておき。

私は神というものを、すべての神を、これまでどこでいつ発案された、あるいはこれから発案されるどんなものであれ、超自然的なものすべてを攻撃しているのである。(p.59)
清々しいまでに明快な宗教全般に対する宣戦布告である。最も、彼が主にターゲットしているのは、当然のことながらいわゆるアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とそれに連なる有象無象)であり、また、それに応戦するイーグルトンも主としてはキリスト教神学をベースに論陣を張っている。