結構速読には自信がある方なのだが、この本はなかなかどうして通読するのにエラく時間を要した。そして、そのことが本書の特徴であり価値そのものでもあるように思う。
『モンタイユー−ピレネーの村1294〜1324』(上下巻/エマニュエル=ル=ロワ=ラデュリ著,井上幸治・渡邊昌美・波木居純一訳/1991年,刀水書房)がその本。決して読みにくい本、というワケではないのだが、とにかく先が読めない。予測が立たないので、一文字ずつ追って理解していくしかない。かくして、通読にエラく時間を要したのである。で、何がわかったかと言うと、自分が何もわかっていはいない、ということがわかるのだからタチが悪い本である、いや、むしろだからこそ良書なのだが。
大雑把に要約すれば、本書は
ベルナール=ギーと同時代の人物であり、後にベネディクト12世として教皇にも挙げられるパミエ司教ジャック=フルニエが、ピレネーの小村モンタイユーの住民ほぼすべてを異端の咎で捕縛し自ら尋問をおこなった記録、通称『異端審問記録』(が、現代までほぼ完全な姿で残っているのは、彼自身が自らの輝かしい業績として教皇登座時に教皇庁に持ち込んだからである)を種本に、副題に掲げられた通り、1294〜1324年のピレネーの一小村がどのようであったかを、いわゆるアナール学派の手法でもって丹念に描き出した本、ということになる。
さて、本書の“読み難さ”には二重の意味があるように思う。
第一に、普通、我々が「歴史」というものを理解しようとするとき、明確にそのように意識するワケではないのだが暗黙の前提として、まず、この時代はこのような時代であって、この国は何某が支配していて、うんたらな出来事があり、ほにゃららという文化が存在した…といったように、分類整理された枠組みをまず理解していくものであるが、対して本書は(と言うかアナール学派は)、当時のモンタイユーに暮らしジャック=フルニエの尋問を受けたひとり一人が、どのように証言し、そこから彼や彼女がどのような生活様式や思想や心象世界を有していたか、に言及していくアプローチである。個々人の個性に言及している以上、そこには、我々が暗黙のうちに考える14世紀初頭の南フランスはかようであった、キリスト教はかくかくしかじかであった、という理解から、大小様々な逸脱があるのであり、個性的な逸脱は予測ができない。