2015/4/10 | 投稿者: ghost

結果的に、ボク個人の興味関心の観点からは期待外れであったものの、神道系思想本としては出色の出来と思われる一冊について。

クリックすると元のサイズで表示します何を今更の『神道の逆襲』(菅野覚明著/講談社現代新書,2001年)である。先に本書の良かった点について挙げておくと、第五章以降、本書全体からすると後半分が、吉田兼倶〜山崎闇斎〜本居宣長〜平田篤胤と連なる中世以降の神道思想の系譜(必ずしも連続性があるワケではないが)の要約に充てられているのだが、これが何とも面白い。

と言うか、特に、個人的には古事記と和歌をベースにした駄洒落芸、程度にしか考えていなかった本居宣長の思想をこれほど魅力的に感じたのは初めてのことで、その一点のみを以ってしても、未読の諸兄にはお薦めしたい一書ではある。無論、本書に示されたそれが正しく宣長のそれと言えるのか、という点には注意が必要ではあるが、著者の筆力については疑うべくもない。いや、兼倶、闇斎、篤胤については美化し過ぎの感もないではないが、そもそも著者の執筆意図は日本に哲学がなかったということは、決して日本人が人生の一大事についての真剣な思索を欠いていたことを意味するのではない(p.3)という主張(これが書名中に“逆襲”とある理由でもある)にあるのであるから、そこには目を瞑ろう。

念のために補足しておくと、著者の筆致は、右寄りの日本賛美論とは一線を隔てる冷静かつ客観的なそれであるからして、ここでいう“美化し過ぎ”は決して悪い意味で言っているワケではない。おそらく著者は、日本人が「“我々は歴史上、思想哲学を欠いているのだ”などと自らを蔑む必要はないのだ」と純粋な善意から言いたくて、その実例として先に挙げた神道思想上のキーパーソンたちの主張を、読者たる我々からしてより魅力的に感じられるように変奏してくれているのだと思うのだが、一方で、そうせざるを得なかったということが、これらの知の巨人(と、とりあえずはしておこう)たちの遺産を、マクロ的な意味での日本人がほとんど継承し損なっていることの逆説的な証明になっているような気がしないでもない。

さて、正直に自分の不見識を吐露すると、出版時点で結構話題になった本なのに今日まで読むのが遅れた理由は、書名の語感に対する偏見からなのであるが、今回強いて手にとった理由は、本書第四章が“正直の頭に神やどる”と題されていて、年明け以来のボクの関心事にマッチしたからである。まぁ、結論から言うとここが期待はずれだった、ということになってしまうのではあるが。

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