2015/4/15 | 投稿者: ghost

まだ未確定要素も多いのであるが、いろいろあって、そう遠からぬうちに、現代日蓮筋の人たちを前に一席述べる機会がありそうで(講演会、みたいな大袈裟なものではない、念のため)意外に生真面目なボクは、その草稿を準備しておこうと思い立ったのだった。

そういうワケで、以下の文章は読者(聴衆)が、その実体はどうであれ日蓮本仏説を受容している前提で書かれているので、拙Weblogの読者諸兄にはいささか違和感のある立論になっていることを予めお断りしておく。なら、そんなもん公開すんなよ、と言われれば、まさにおっしゃる通りなのではあるが、まぁ、いいじゃん減るもんでもなし(ぉぃ)。

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まずお断りしておきます。私は日蓮“聖人”であるとか、釈“尊”であるとかいった、尊称を用いません。それぞれ、日蓮、釈迦というように呼び捨てにします。これは、信仰心をお持ちの方からすると腹立たしいことであるかも知れません。が、私はあくまでも彼らを歴史上の人間として扱うことにしていて、逆に、人間を超越したものとしての尊称を捧げることは、日蓮や釈迦に対して礼を失するものと考えているゆえに、このようにします。私は皆さんの信仰を否定するつもりは毛頭ありません。ですから、皆さんも私のこの信念を尊重していただければ、と思います。

お話ししたいことは、日蓮や釈迦の話、ではなく、他ならぬあなたの位置、についてです。信仰をお持ちの皆さんは、釈迦から日蓮を経て自分までつながる系譜、というものを、人それぞれ浅深はあるにせよ感じておられると思います。が、結論から申しますと、私が今からお話しすることは、その系譜は幻想である、ということであり、しかしながら、とても大切なものであり、明日以降もこれまでとは異なる意味でより深く大事にしていただきたい、ということです。

以下、お伝えすることは、もちろん私も完璧ではないので100%正しいとは言えませんが、ほぼ妥当であろう、と学問的に論証されていることです。議論の余地が残されている話題については、正直に「わからない」と言います。それぞれの話題の詳細な論拠を語り出すとキリがないので、結論のみを列挙していかざるを得ません。もちろん、これは信仰の問題ですから、信じるも信じないも皆さんの自由です。ひとつお願いしたいのは、もし皆さんが私の話を信じないのであれば、せめて日蓮の書き遺したものを各自で読んで、それを信じて欲しい、ということです。

では、前置きはこのくらいにして、本論に入ります。

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