そうであってはいかん、ということは百も承知なのだが、とは言え世の中で起こっていることに基本的に興味がないので、サーッとWeb上のニュースを読み流す以上の聞き耳は立てていないのだが、今月の頭にちょっと話題になっていた、
神社仏閣に油まいていたのがキリスト教をこじらせた人だった、という話は流石に興味を持っていた。
いや、厳密に言うと興味を持ったのは、いわゆる“まともな”キリスト教の人たちが「これは断じてキリスト教に根ざした行為ではない」との反応を示したことの方で、いや、もちろんこの言い方も雑把に過ぎるのであって、上リンク先のコメント欄にもそうではない見解が示されているので参照していただきたいのだが、しかし、やはりマクロ的には、キリスト教の人たちはこれをキリスト教の名を騙る不届きモノの仕業、と見做したようだ、と総括しても間違いにはなるまい。
が、果たして本当にそうなのだろうか?

という文脈上に持ち出すのがおかしいことはこれまた百も承知の上で、ここしばらくハマッて読み続けていた
『中世の戦争と修道院文化の形成』(キャサリン=アレン=スミス著/井本晌二・山下陽子訳/法政大学出版局,2014年)について、自身の備忘を兼ねて書き留めておこうと思う。
結構な大著なので安易に要約することは憚られるのではあるが、敢えて一言でいうと「昔からキリスト教は戦争の比喩が好きだった」ということを、ラテン語や古仏語・古英語の文献をこれでもかと引きまくって論証している本である。これはちょっと個人的には目からウロコ……この文脈でこの表現を使うとパウロ氏にちょっと悪いかな、とも思うが、著者によればそもそもの原因のひとつはコイツなんだからまぁいっか……であった。つまり、言われてみれば確かにそうだよな、と浅学なボクでも納得がいくのに、これまでそういう視座で考えたことがなかったのである。
現代的な史学からすると、古代〜中世の欧州には“祈る人・戦う人・耕す人”がいた、という表現は、既に古いモノかとも思うのであるが、それでもこの語呂の良いフレーズは人口に膾炙しているし、概要を把握するという意味においては今日においても決して間違ってはいないと思うワケだが、この言葉のイメージからして、祈る人、すなわちキリスト教聖職者であるとか修道士であるとかは、戦う人、すなわち戦士・騎士階級と相対するモノとして捉えてしまっている。
著者は、この“祈る人”自身が書き遺したところの豊富な引用文献で以って、彼ら自身が必ずしも戦う人と自分たちを対極視していたのではなく、むしろ好んで自分たちもまた“戦う人”なのであり、むしろ世俗の戦争をおこなう騎士たちよりも、キリストの戦士たる我々=祈る人こそが、真の意味において戦う人なのだ、というアイデンティティを有していたのだ、としている。