<<前回のお話
いよいよ立正安国論のクライマックス(?)となる第九問答に入る。この部分を以ってクライマックスと呼ぶのは、他ならぬこの第九問答に、いわゆる的中したとされる“予言”が含まれるからなのであるが、早速そこに取り掛かりたいところではあるのだが、その前に一つ積み残した宿題を処理しなければならない。というワケで、予言部分の読み解きは次回以降となる。
客、則ち席を避け、襟を刷いて曰く……
第九問(最早本節は“問い”を含まないのであるが)は上引用の書き出しに始まる。
席を避ける、
襟を刷(つくろ)う、は、いずれも相手に対して礼を尽くす態度であり、つまりこれは、日蓮が第八問答までを読めば、北条時頼あるいは時宗が自身に対して礼を尽くすであろう、と考えていたことを示している。まぁ、実際にはそうならないどころか
危うく首を落とされるところだったことを思えば、苦笑せざるを得ない修辞ではあるのだが、それはさておき。
ここに至って問題の箇所が登場する。礼の所作を尽くした客は、仏教というのはいろいろ異なる見解を含んでいてたちまちにはその真意をつかむのが難しく、わからないことも多いし何が正しくて何がそうでないのかも判然としないのですが、とした上で以下のように続ける。
但し法然聖人の選択現在也。諸仏・諸経・法華経・教主釈尊・諸菩薩・諸天・天照大神・正八幡等を以って捨閉閣抛の悪言を載す。其の文顕然也。
(下線は引用者による)
先に趣意を捉えておくと、客にとって仏教全般のことはたちまちにはわからないが、法然の書いた選択集は現在のものであり、それが
捨閉閣抛の悪言を載せていることは誰にとっても明らかです、ほどの意味になろうか。以下、第一問答以来の、ゆえに善神がこの国を見捨てて云々、と続いていくのだが、そこはまぁいいとして、ここでは左記抄訳に含まなかった部分について検討したい。
つまり、広本において上引用下線部、特に
正八幡=八幡神が追記されたのは何故だろう、という話である。まぁ、読者諸兄にとってはどうでもいい話であろうとは思うのであるが(それをいったら本連載全体がそうだとも思うが)
そこに引っ掛かって今回の連載を始めたのであるから、やっている本人としては避けられない問題なのである、困ったもんだ。