2016/4/27 | 投稿者: ghost

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法華経転読(うたたよみ、と読んでね)シーズン2“お笑い編”の3話目となる今回は、第六章“予言”(妙法蓮華経授記品第六)を取り上げる。

予めお断りしておくと、前々回前回のような劇的な笑いを本章に期待すると、裏切られることになる。笑いというものには、まったく想像もしていなかった可笑しなものが突如現れるがために笑ってしまうもの、と、十二分に承知しているものが当たり前にあるがために返って笑ってしまうもの、があろうかと思うが、本章のそれは後者である。トンデモ本好きの人であれば『餓狼の弾痕』的笑い、と表現すれば伝わるだろうか?

さて。

本章は、漢訳妙法蓮華経章題が示す通り、授記(じゅき)がおこなわれる章である。これは、それを与える側=仏陀からの言い方で、得る側=弟子の立場では受記(おなじく、じゅき)という。その意味合い、および定型フォーマットについては既に第6話において論じた通りである。そういう次第なので、改めて説明すべきことは特にない。以下、ただひたすらに繰り返される授記を、あるがままに楽しんでいくことにしよう。

*     *     *

そのとき、世尊は、これらの詩句を説かれた後、すべての比丘衆に告げられた。「比丘たちよ、私はそなたたちに告げ知らせよう。私の弟子であるこの大迦葉比丘は……(以下、授記が始まる)

本章冒頭は上引用の通り。ほとんど前置きなしに本題へと入っていく。ちなみに、ここでこれらの詩句と言われているのは前章となる第五章“薬草”の末尾ののことになる。詳しくは同章を取り上げる際に論じたいが、これは第三章と同じく一乗真実三乗方便を譬喩で論じる章であり、特に本章との連続性はない。何が言いたいか、と言うと、本章の授記は本当に唐突に開始される、ということであり、第三章において受記に先立ちやたらと自己批判させられた舎利弗が気の毒になるほどである。

というのは半ば冗談で、厳密には第四章に、迦葉を含む本章で受記を得る四人の、舎利弗のそれに相当する告解的な発言が記録されているのであるが、その記事と授記の場面が随分離れているので、結果的に舎利弗だけが悪目立ちする構成になっている。

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