<<前回のお話
以上ここまで、一連の伏線を有する物語として読むことできる、法華経
第十四章“菩薩の大地からの出現”、
第十五章“如来の寿命の長さ”、
第十六章“福徳の分別”を通読してきた。後世、天台法華教学のセントラルドグマとなったこの部分を読み終えた今、改めて法華経全体におけるその意味合いを考えてみたいと思う。
今日、天台法華教学から発して大乗非仏説へソフトランディングしようとする試み(まぁ、不躾ながらかく言うボクもその流れの中にいるのだろう)として「法華経は紀元初頭における仏教の民衆的な改革運動であった」とする言説をしばしば耳にする。粗雑な表現になるが、大乗非仏説ベースの市販の法華経入門書は概ね口を揃えてそう言っている、といってよかろう。
ここまで読んで来たように、
第二章を中心とする法華経第一期の主張は、概ね当時の仏教権威を独占していた声聞衆に対する若手出家者の造反劇と読むことができるし、今回見てきた第二期の主張は、
地涌の菩薩に表象される使命を自覚した草莽の士こそが仏教を継承するのであり、それを
永遠の釈迦が保証するのである、とする立論になっているから、確かにそのような一面がないとは言えない、とは思うのである。
が。
それは現代から振り返って見るからそう思えるのであって、当事者たちにとっても自覚的にそうであったか、と問えば、それは違うんじゃないか、とも思うのであって、これはプロテスタントを生んだ西欧のキリスト教宗教改革が、そこにキリスト教思想が果たした明暗両面の役割は認めつつも、実質としては西欧社会の権威権力の再編成劇であった、という話に通じているのであって、無自覚の護教精神で以ってその歴史を美化してしまうと、その修正主義は必ず意図しない好ましからざる副作用を招くのである。
特に今日の我が国においては、それがそのものズバリであるかはともかくとして、天台法華教学の徒は実体として政治権力をも左右し得る勢力であることは、その善悪良否の評価はさておき認めざるを得ない事実なのであるから、まぁ、冗談の合間に人生をやっているボクのような人間が言うと説得力を欠くことは百も承知の上で、結構これは深刻な問題だと思うのだ、いや、マジで(あぁ、説得力がない……orz)。
もう少し具体的に言えば、法華経成立史を「仏教の民衆的な改革運動」などという美辞麗句で飾ることは百害あって一利もないのであって、今日の我々はこれを、それが少なからぬ人々の信仰の対象である、ということを一旦棚上げして、同時に、「何を馬鹿なことを」とミもフタもない切断操作をしてしまう衝動もグッと堪えて、たとえば、愚かさも賢さも兼ね備えた人間の集団として法華経教団を捉えた上で、なぜ彼らはこのように主張せざるを得なかったのか、他のやり方はあり得なかったのか、もう少しうまくやれなかったのか、という視線を送り、そこから今日的な教訓を引き出すべきであろう、とボクなどは思う次第なのである。