2016/8/28 | 投稿者: ghost

我ながらどうかしてるな、と思いつつ、八幡探訪外伝「オレが八幡だ」シリーズとして、日蓮遺文『神国王御書』を読んでいこうと思う。本稿はその序として、同書の書誌事項に触れておきたい。

『神国王御書』という題号は後世に便宜上与えられたもので、日蓮自身がそのように題字しているものではない。後述するように、本書は日蓮がある信徒へ施与の返礼に書いた手紙であり、同様の日蓮遺文は宛先となる人名を冠して『〜殿御返事』『〜殿御消息』と呼称されることが多いのであるが、本書については、第一には誰宛の書簡であるかが明らかでないこと、第二には本文が特定個人への私信ではなく極めて教理的な内容になっていることから、その意を踏まえて『神国王御書』と呼ばれているものである。もっとも、個人的にはこの題号は本書内容に即していない、と思っている。

本書は日蓮自身の手になる真蹟が現存しているが、残念ながら後半部分が欠損している。また、この遺失は執筆後かなり早い時期に起こったもののようで、他に写本がみつかっていないことから、遺失部分の内容はまったく知られていない。そのため、日蓮が本書を実のところ何を目的として書いたのかについては、はっきりとはわからない部分が多い。本連載においても、これについては不明を前提とした上で、敢えて遺失部分には想像を巡らすことなく、遺された部分から読み取れることのみに注意を払っていきたいと考えている。

というのも、これは『神国王御書』という呼称とも関係してくるが、本書現存部分には日蓮の記紀神話にまで遡る歴史観、それを踏まえての国家観が色濃く現れており、当然のことながらそこにはボク個人の関心事ともなる八幡神が必然的に登場するワケで、そここそが本連載にて読み解きたいと願う部分だからだ。全体としては、前述したように結論を欠くものの、日蓮の執筆目的は一見して真言宗を論難することにあるように思われるが、これは有り体に言えば難癖の類であり、少なくとも本連載趣旨から言えばどうでもよい話題となる。

本文テキストについては、これまで同様にこちらのリンク先から引く。拙稿中には拙論に必要な部分しか引用しないので、全文に目を通したい奇特な方はリンク先を参照されたい。

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