岡崎城は1452(享徳元)年、三河国守護仁木氏の守護代西郷頼嗣が築城。 その後頼嗣は現在の位置に龍城(新岡崎城)を築城します。 1530(享禄3)年に西郷信貞から松平清康が奪取し、岡崎城と称するようになりました。
1542(天文11)年、松平(徳川)家康は岡崎城内で誕生しますが、織田信秀や今川義元の人質として他国で過ごすことになります。 1560(永禄3)年の桶狭間の戦で、今川義元が破れれ自立し、岡崎城を拠点とします。
1570(元亀元)年、家康は本拠を遠江浜松に移し長男信康に岡崎城を譲ります。 1579(天正7)年謀反の疑いにより信康が自刃の後は、徳川家の重臣石川数正や本多重次を城代とします。
豊臣秀吉により家康が関東に移封されると、秀吉家臣の田中吉政が城主となります。 家康による江戸開府の後、この地には譜代大名が任じられます。 上野白井より本多康重が入封し3代の後、三河吉田から水野忠善が5万石で入封。
水野氏7代が居城した後、松平康福が下総古河より入封、1769(明和6)年に石見浜田より本多忠粛が5万石で入封、6代後の忠直の時に明治を迎えます。

0