沖縄廃墟旅行2日目午後は、高速道路を移動し中城村(なかぐすくむら)の
中城城址へと向かいました。
城跡見学なら、まじめな観光と言えそうですが、中城城址の裏の方にある
ホテル廃墟が目的です。^^;
高速道路のバス停。
沖縄らしい瓦屋根です。この他にも至る所で沖縄という地域性を感じることができて
心が和みます。
沖縄は在日米軍人や米軍関係者が多いため、高速道路の標識や自動速度取締機の警告も外国人を配慮したものになっています。
グリーンベレーとは米陸軍特殊部隊の通称ですが、高速道路のすぐ脇で訓練をしています。車の窓を開けて走行していたところ、銃の連射音が聞こえました。
「流弾に注意」って、どうやって流れ弾に注意すれば良いのでしょうか?
これって、黄色い道路標識の「落石注意」や !の「その他に注意」よりも難しい
ですよね?
看板に[Stray shot prohibition](流れ弾禁止)と書いて反対側に向けた方が良いのでは?と思いました。
中城村の中城城址に到着しました。まあ、ある意味これも立派な歴史ある
廃墟なのですが、本命のホテル廃墟は中城城址の裏にあります。
世界遺産に登録されたくらいですから、たいへん趣のある城址でこちらも良い写真が
撮れそうですね。
ホテル廃墟をモノクロフィルムで撮るためにデジカメを車に置いてきてしまったので
この写真も含めて上下3枚は携帯カメラでの撮影になります。
前のブログのコメントでさんざん盛り上げておいてお見せ出来る写真がこれしかありません。
廃墟のホームページが復活したら内部の写真もお見せできると思いますので
しばらくお待ちください。スミマセン。。。
中城城跡高原ホテル 1975年沖縄海洋博に合わせ建設開始されたが海洋博開催直前に、建設していた企業が倒産し廃墟と化したホテルです。
たいへん大規模な廃墟で充分廃墟探索を堪能させて頂きました。
屋上まで上ると沖縄の街が一望でき、たいへん景観の良い所です。
この廃墟ではホテル住民(浮浪者?)と在日米軍(廃墟に遊びに来た米軍人?)との間で
トラブルが発生し米軍人が銃を発射したのに対し、ホテル住民は石を投げて応戦する
という、軍事衝突があったのは有名な話です。ある意味、戦跡でもありますね。
夕暮れが迫ってきたところで本日最後の探索地、読谷村(よみたんそん)に到着。
読谷村役場付近には戦時中、零戦を隠蔽した俺体壕(えんたいごう)が3基現存しています。
俺体壕は多少の爆撃にも耐えられるよう厚さ50センチ前後のコンクリートと鉄骨で出来ており、取り壊すには爆破の必要がある等、大変困難なため現在でも比較的良く残っている戦跡の1つです。
零戦を隠蔽していた俺体壕も今ではこのように倉庫として使われています。
なかなかカッコいいですね!
俺体壕の裏側。
長方形の小屋のように見える所は、零戦の尾翼を格納する部分にあたります。
同じく読谷村の楚辺通信所です。高さ28mの檻のようなケージ型アンテナから通称
「像の檻」と呼ばれています。主に中国の軍事に関する通信の傍受暗号解読施設として使われてきたとのことですが、北朝鮮の軍事通信もここで傍受、暗号解読されていたのではないか?と思うのですが。
像の檻を360度取り囲むようにアンテナが張り巡らされています。
方向探知用のアンテナか?
立入り禁止用の柵ををよく見てみると、、、
木製の柵であることがわかります。
海を超えての微弱な電波を効率よく受信するためでしょうが、ずいぶんこだわった造りになっています。
一時期は地主との賃借契約が切れ、不法占拠状態となったりした楚辺通信所ですが
平成19年5月31日より取り壊し作業が進行しているとの事。
取り壊し直前に訪問することが出来て良かったです。
取り壊し中の楚辺通信所 (´・ω・`) ショボーン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070531-05281899-jijp-soci.view-001
今日は色々回って疲れたので、夕食は簡単に済ませようと思い、立ち寄ったアメリカ系ファストフード店(A&W)の駐車場の写真です。駐車スペース1カ所に1台、このような
受付機?があるのですが、ここで注文すると店員さんが商品を持って来てくれて、
車に乗ったままこのテーブルで食べても良いそうです。
たいへん合理的ではあるけど、ちょっとなあ。。。ということで店内で食べました。
A&Wで飲み放題のルートビア(微炭酸飲料)湿布薬のような風味ですが1度飲むと
病み付きになります。
http://www.awok.co.jp/index.html

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