6月24日は北海道戦跡廃墟探索旅行の最終日。
夕方には新千歳空港に向かわないといけないので、探索物件を1つに絞りました。
小樽市石倉山南側を走る通称「軍事道路」に残る謎の建造物を探索しました。
この軍事道路は日露戦争当時、小樽市内が海上からの攻撃を受けた場合の後方連絡道路として1904~1905年(明治37〜明治38年)にかけて建設されたようです。
そして、この軍事道路の途中に「装荷線輪」という装置を収納したコンクリート製の構造物が存在するようです。
連日の雨で酷くぬかるんでいてレンタカーを空き地に停め、歩いて向かう。

石倉山西側の春香町側から軍事道路を進む。

軍事道路沿いに次々と現れる古い木製の電柱。

木製電柱を支えるワイヤーも健在。

設置年と思われる木製のプレートが。

大6•10 大正六年十月?

このような木製電柱を左右に見ながら軍事道路を石倉山山頂方面へと進む。

写真を撮りながらゆっくり歩いて約30分ほどで、石倉山頂上方面と軍事道路の分岐点付近に到着。

ありました!〒マークのついた謎の構造物!

コンクリート部分に大きな傷みはなく状態は非常に良いです。

鉄の扉は腐食が激しいですが、開くことが出来たので中を覗いてみました。

内部も雨漏り、ひび割れ等全くなく非常に良い状態です。
この中に前述の「装荷線輪」を収納していたものと思われます。

「装荷線輪」とは電話線が長距離になる場合、音声が小さくなるのを補うために電話線の途中にコイルを設置し、コイルの自己誘導作用で音声信号を増幅させる。という、今で言うアンプやブースターの役割をするもののようです。
軍事道路に装荷線輪が設置されたのが大正6年頃なので、真空管の登場までまだ10年以上あり、増してや半導体もない時代にコイルの組み合わせだけで音声増幅装置をよく作ったものです。
増幅のために特に電力を必要としない点も驚きです。

iPhone4sでの測位状況。
上空が開けている所なら位置表示も正確に出るようです。

赤い線は車で移動。オレンジの線は歩いたところ。
左上の〒マークは藪漕ぎとなってしまい今回は断念。
左上のもう1カ所は秋口、雪が降る前にいつかリベンジしたいと思います。

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