2007/3/31  9:21 | 投稿者: 時鳥

黒酢バーの件でちょこっと私信です。

にゃあさん、さんごさん、晶さん、お返事、ちゃんと届いております。
何も反応しないでごめんなさい、ごめんなさい。

今までにお返事いただいている方のご意見をあわせると、
開催日は4月の15日がよろしいのではないかと思われます。
昼過ぎ、新橋駅で待ち合わせと考えています。

大まかな日程は決めてみたものの、まだお返事のない方がいらしたので、
一応、今月いっぱいはと待っていました。
早めにお返事くださった方を不安にさせてしまっていたら、本当にごめんなさい。

今日まで待って、明日か明後日にあらためて詳細のメールをお出します。
もう少しだけ、お待ちくださいませ。
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2007/3/31  8:59 | 投稿者: 時鳥

たばこと塩の博物館で「ちりめん細工の世界」展を見る。

ちりめん細工は、もっと自由になっていいんじゃないだろうか。
会場を出るときに感じていたのは、そのことだった。

展示室の左半分は江戸から大正にかけてのちりめん細工、右半分は平成に入ってからの、いわば復古期の作品だった。
ここの展示室は時計回りが原則なので、古い作品から順に見る。

古いちりめん細工は、当たり外れが激しい。
このころのちりめん細工は、女学校の課題に始まり、裁縫塾の生徒の修行、嫁入り道具、既婚女性が子供のために作った玩具や小箱など、いろいろな作品がある。
細工物は、裁縫を一通り習い終えてから作るものだそうなので、技術は高い。
裁縫塾の生徒ともなるとセミプロのようなものだし、ちりめん細工の袋物が嫁入り道具の地方もあったから、それはもう力が入るのも道理と言うもの。
けれど、全体を見ると、家にある端裂を無理に使ったのか、やけに安っぽい色合いだったり、装飾が多すぎて野暮ったかったり、凝りすぎてうるさかったりするものが結構ある。

その意味では後半の、平成の作品は安心して見られた。
色彩やデザインの感覚はずっと洗練されているし、どれも可愛らしい。
最初のうちは素直に眼を楽しませていたが、だんだんに物足りなくなってきた。
どうしてだろうと理由を考えて、どれも同じように可愛いからだと気付いた。

作品のモチーフは花や昆虫、金魚に鳥、猿や兔など様々だ。
柄のある布もとりどりの色も上手にまとめて、愛らしく仕立てている。
けれど、そこには毒がない。そして、印象が妙に似ている。
見た目は色々だけど、全部しょうゆ味の食卓のようなもので、試しにナムプラーにしてみました、とか、味噌に挽き割り納豆を混ぜました、とかの冒険があまりなく、卓袱台をひっくり返したいほどの失敗作がない代わりに、椅子から転げ落ちるほどの傑作もない。

この場合、しょうゆにあたるのは「可愛い」という価値観だと思う。
どの作品も一様に可愛らしい。
可愛さは、確かにちりめん細工の重要な要素だし、私自身、そういう作品がとても好きなのだけど、でも、古い作品を見ていると、ちりめん細工はもっと色々な要素を含んで見える。
例えば、不気味さだとか渋さ。
どうしてそれを布でやらなければいけないのかと、突っ込むことさえ馬鹿馬鹿しく思えるようなきりばめ細工の人物画や、ねえ、これおかしいよね、と誰かに同意を求めたくなるからくり懐中物、男性でも使えそうな楊枝入れなど、可愛い以外の沢山の可能性がちりめん細工にはあるような気がする。

もしかしたら、今もどこかの蔵に、明治時代の普通の女性が作った傑作が眠っているかもしれない。
その女性は実は物凄い芸術的才能を持っていて、家庭の事情から普通の女性として一生を過ごしながら、ちりめん細工に才能を注いだ。
けれど、作品があまりに斬新すぎて同時代には理解されず、今になってやっと評価された。
そんな話があったとしても、多分、あっさり信じられる。

印象に残ったのは、明治のころの迷子札。
人形や動物の小さな押絵の裏に住所氏名を書いて子供に持たせ、たとえ迷子になっても帰れるようにしたもの。
普通のお母さんが作ったものだから特別の傑作ではないのだけど、どれも子供を喜ばせようと言う心遣いがにじんでいる。
家にあるはぎれをかき集めて、ああでもない、こうでもないといじっている母親の姿が目に見えるようだ。
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2007/3/30  23:53 | 投稿者: 時鳥

天理ギャラリーで、「あかりと火の信仰」展を見る。
奈良の天理参考館の収蔵品で構成された展覧会。
狭いスペースだけど、さすがは天理参考館。
東坊城ほうらんやの一部始終を収めた映像資料なんて、ここか民博か地元の郷土資料館ぐらいしか持ってないだろう。
火のついた大松明を担いで境内を2周する映像を目にして、絶句する。
この大松明、直径1メートルを越す代物で、男性が十数人で担ぐ。
材料は竹・笹葉・麦わら・菜種柄なので、火をつければ煙が上がり、火の粉が舞う。
それを8月15日、真夏のしかも真昼間に担いで歩くのだ。
ありとあらゆる意味で熱い祭りだ。
同じコーナーで小正月のとんどと山田町の虫送りも同時紹介。
奈良大和路の火祭りだそうだ。
火祭りってけっこうあるものなのね。

予想通り、客はすこぶる少ない。
過去の展覧会の図録も売っていたが、何と言うか、ラインナップが渋すぎる。
普通の人は来ないだろう、これ。

次回展のチラシを嬉々として貰ってくる。
五月の下旬から約1ヶ月、「江戸時代の西洋学」展だそうだ。
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2007/3/29  22:28 | 投稿者: 時鳥

この国の春は、どんなに狭い隙間からも染井吉野が顔を出し、
「私はここよ」と輪唱する。
染井吉野の声はソプラノ、声質はおそらくリリコ・レッジェーロ。
レッジェーロほど危うくはないが、リリコほどの度量の広さはない。
言うことは言う癖に、周囲の反応をいつもどこかで気にしている。
細くて高くて、きれいな声だけど、時々、少し煩わしい。
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2007/3/27  12:53 | 投稿者: 時鳥

マノン・レスコーから始まり、フランス文学に登場するファム・ファタルの性質と技術について扱った本。多分。
後半になるにつれて、だんだん訳のわからない女性になってくる、と思ったら、相手の男性も負けず劣らず訳のわからない人ばかりになっていた。
元は月刊女性誌に連載したもので、それをまとめて、講談社現代新書から出している。
さもありなん。
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2007/3/26  22:57 | 投稿者: 時鳥

蓮根を買ったので、豆腐も買って、蓮豆腐を作る。
蓮根をすりおろして、すり鉢ですった豆腐と混ぜ、レシピの通りに紙に包み、熱湯に滑り込ませたところで、「違う、蒸すんだよ、やっぱりこれ」と、叫ぶ。
何かがおりてきたらしい。

コンロの上を蒸し器に入れ替え、プリン用のガラスのカップに種を注ぎ分けて蒸す。
味付けは、白味噌と胡麻と砂糖の練り味噌を敷くことになっていた。
少し考えた後で、だしと酒としょうゆを煮立てて、あんを作る。

蓮豆腐が蒸しあがった。
蓮根の青みがかった白と豆腐の黄みがかった白がモザイク模様を作っている。
ガラスカップの上の隙間からあんをかけて食べる。
さくさくした歯触りの間にねっとりした食感があり、全体をほくほくと熱い豆腐が覆っている。
じわりと染みるしょうゆ味は、素直な選択だったと思う。
食べ切れなかった分は餡をかけてラップをかけて冷蔵庫に保存した。
食べる時には電子レンジでそのまま温めればいい。

本来のレシピで作ると、白の濃淡と明暗と寒暖でできた一品になることに、不意に気付く。

小特集:いにしえレシピ関連
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2007/3/25  23:03 | 投稿者: 時鳥

朝、ラジオを付けたら、地震のニュースが流れていた。
被害の地域では電話が集中して繋がりにくくなっているので、「緊急の場合以外」電話をしないようにと呼びかけていた。
親戚や知人の安否を確認する以上に緊急なことって、一体何だろうとしばし考える。
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2007/3/25  0:15 | 投稿者: 時鳥

松下電工汐留ミュージアムの特別展。
ちゃんと面白いのに、平日だからか客が少なかった。

1870年代から1900年代までに欧米で製作されたジャポニスム作品、およそ200点を展示している。
ニューヨーク在住の実業家デイヴィー夫妻のコレクションからの展示で、「日常生活の中で実際に使われたジャポニスム作品」というのがこのコレクションの着眼点だそうだ。
そのせいか、今でも違和感なく使えそうな作品が多い。
ほとんどの作品は、ジャポニスム、と言われれば、そういえば日本風かもしれない、と思うくらいで、日本人が見てすぐに日本とわかるほどのものは少ない。
スプーンの花模様などは、子供のころから西洋のものとしてみてきたので、今更これがジャポニスムの産物だと聞かされると、かえって驚いてしまう。

見ながら気付いた。
19世紀後半の欧米人にとって、日本の絵画や工芸やデザインは多分、とても新しかっただろう。
草や虫など、自分達が思いもつかなかったものの美しさを拾い出しているのにまず驚き、見た自分達が、それを美しいと感じていることに二重に驚く。そして、実際の草や虫が美しく見えてくることに三重に驚いたことだろう。
ジャポニスムがこんなにも流行ったのは、まず新しい美しさだったことが理由だと思うが、もうひとつ、背景がなかったことも理由のひとつに挙げられると思う。
市民階級が力を増している時代だった。
新しい階級は、古い王侯貴族が脈々と育ててきた文化を背景込みで引き継ぐより、見知らぬ東洋からやってきた新鮮なものを受け入れることを選んだのではないだろうか。
日本の事はよく知らないけど、古い伝統がある国だということぐらいは知っている。
識者がごろごろしている欧米の古い伝統より、知る人がほとんどいない日本の古い伝統のほうが誰も知らない分、随分扱いやすかったのではないかと思った。

展示では、ディナーセットよりもティーセットが面白かった。
ディナーセットはそれほど羽目を外していないのに、ティーセットになると可愛さや楽しさを追求してしまうのか、時々、色使いやアイデアが斬新な作品が目に付く。
ちょっと見とれたのは、「北斎漫画」の図案をそのまま使ったケーキプレートのセット。
厚めの皿に茶色の釉薬をかけただけのシンプルな作品で、溝に溜まった釉薬が自然な陰影を作る。
素直な力がある。
濃いピンクの地に金色の顔料で羊歯の模様を細かく描き込んだ壺も上品で美しい。

入口の挨拶文の様子では、どうやらここ以外にも何ヶ所かを回るらしい。
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2007/3/24  23:17 | 投稿者: 時鳥

ハウスオブシセイドウの企画展。
1階が上田義彦の写真と角田光代のショートストーリー、2階が歴代の資生堂の口紅を中心とした紅・化粧道具と、古今東西の文学作品から抽出した口紅や化粧に関する言葉のパネル展示。
2階のパネルは、鹿島茂の監修。
悪くはないんだけど、理解もできるんだけど、何だか、資生堂のPR誌のようだ。
写真家や作家の個性より、資生堂の思惑が前面に出ている。
どうせなら、グッズ販売にもっと力を入れて、資生堂の主張を表に出したほうが、かえって潔かったのではないだろうか。

隣の建物の前に咲く、満開の枝垂れ桜を見上げる。
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2007/3/24  23:14 | 投稿者: 時鳥

ギンザ・グラフィック・ギャラリー第249回企画展。
あまり期待せず、前を通ったら行こうかなぐらいに思っていた。
前を通ったので入る。

1階に足を踏み入れてすぐに思った。
すみません、私が悪うございました。面白いです。

パッケージデザイナーの先駆者で、毎日骨太や八海山、ヨーグルトの「恵」など、誰でも一度は見たことのあるあれこれの商品パッケージを生み出した人なんだそうだ。
地下1階ではその数々の商品パッケージが、写真と実物で展示されている。
そして、今回、格別に面白かったのは1階。
こちらでは商品パッケージを離れたアート作品を展示している。
ツミキ・ペーパー、ムービングボックスなど、そのどれもが見て楽しいアートであると同時に、触って、遊ぶともっと楽しいおもちゃになっている。
レゴを平面にして、ピタゴラスイッチやスクラブルや紙独楽や知恵の輪や、その他、数十の遊びを一緒くたに集めて、切ったり貼ったりしたような感じがする。
1階は、展示のすぐ側にサンプルで遊べるコーナーがあって、時間を忘れてつい遊んでしまった。
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2007/3/23  23:25 | 投稿者: 時鳥

自動ドアから入ると、天井の高いエントランスホールの片隅に、棚が3つ並んでいた。
棚の引き出しには王子製紙グループの紙見本が詰まっている。
その数、およそ約300種類。
気に入ったものは持ち帰っていいのだそうで、親切なことに、案内板の横には持ち帰り用のペーパーホルダーまで用意されていた。
先週、休館になったペーパーハウス紙百科と似ているが、紙百科がカラーバリエーションをそろえていたのに対し、こちらは1種類1色だけだ。ちなみに、ほとんどは白。
しかし、それぞれの引き出しの中には持ち出し禁止の色見本が入っているので、色の確認はできるし、何より、持ち帰り枚数の制限がないのが嬉しい。

引き出しをひとつひとつ開けるのは大変なので、横に用意された小さなサンプルの束をめくりながら、気に入った紙を探す。
棚はそれぞれ、特殊紙、洋紙、白板紙・包装用紙・情報用紙・機能紙を格納している。
主に特殊紙を見る。
同じ白でも、風合や地紋が違い、色合いや手触りが違う。
じっくり時間をかけて、20種類ほどを選ぶ。
紙はA4の大きさで、上に名称や重量、サイズなどのプロフィールとサンプル写真、下にも簡単なプロフィールが印刷されている。
けれど、中央部は余白となっているので、使い方によっては、封筒が作れそうな感じがする。
でもある。
持ち帰ったフラスコとOKフェザーワルツを明りにすかして、少々見とれる。
昼に美しく見える紙、夜に美しく見える紙があると思う。
照明次第で見え方が変わる。
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2007/3/23  22:05 | 投稿者: 時鳥

先月の休日出勤でためた分を消化するため、今日は代休。
せっかくの休みだから、平日でないと行けない所に行こうと考えて、王子ペーパーライブラリーに行くことにする。
王子製紙本社1階にある展示スペースで、平日の9時から17時までしかやっていないのだ。
場所は銀座の4丁目、となると、あそこも行きたかったっけ、と思いつく場所がいくつもある。
結局、10時に有楽町駅を出発し、終点の新橋にたどり着いたのは18時だった。

行った場所の中に、物産館がある。
下で挙げたうち、存在をよく知らなかった熊本、大分、岩手、富良野の物産館を訪れ、あとは、どうしてもどうしてもタルト人グッズが欲しいがために愛媛・香川の物産館に足を運ぶ。
結果、下で挙げている物産館について、一部修正。

・坐来大分は夕方以降しか開いていないようです
・ふらの彩館は店仕舞したようです
・熊本と沖縄と岩手の存在を確認しました
・交通会館は2週間ほど前に確認済み
・石川と鹿児島と九州はずいぶん行っていないけど、そんなに危なっかしい感じはしなかったので多分、大丈夫、なはずです
・タルト人は今日もつつがなくお過ごしでした
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2007/3/22  12:42 | 投稿者: 時鳥

安野光雅展でこの本のタイトルを目にした。
ナポリの小学生の作文集と聞いて興味を持ち、図書館でその中の1篇、スイスについての作文を読んで、吹っ飛ばされた。

ナポリ近郊の小さな町、アルツァーノの小学校の先生が、受け持ちの子供の作文から傑作を集めて編んだ本。
イタリア南部といえば、貧しさや治安の悪さがイメージとして思い浮かぶ。
アルツァーノもまさにそうした町で、用務員は仕事をしないけど、バックにマフィアがついているから誰も怒れないだとか、幼稚園の頃、母親から受けた注意が「誰からも麻薬の入った飴をもらうな」だったとかの現実が、小学生の作文にごく普通に顔を出す。
その状況といえば、もはや貧乏(マズシクテ、ナイ)を超えて貧困(マズシクテ、コマル)。
状況だけなら貧窮(マズシクテ、キワマル)と表現してもいいくらいだが、書き手はどこまでも図太くたくましく、すこんと突き抜けた精神の持ち主ばかりなので、そこまで悲惨な印象は受けない。

ある作文ではイタリア南部の問題を、貧困、失業、水不足から始めて、20挙げていた。
15番目の問題は、「学校が機能しない」だった。
その後に、「学校に机がない」、「学校にロッカーがない」と続く。重い。
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2007/3/21  23:13 | 投稿者: 時鳥

副題は、イギリス小説と映画から読む「階級」
イギリスの階級意識というものが、ようやく腑に落ちた。
教養やマナーの問題ではなく、ひとつでも口をきいたが最後、
アクセントや語彙や文の組み立てで、話し手の所属する階級が
聞き手の全員にほとんど無意識に推定されてしまう社会らしい。
しかも、話し言葉だけでなく、書いた文章でも同様の類推が行われる。
RPという、いわゆるアナウンサーなどの話す標準語もあることはあるが、
それはそれで、「RPを話す人間」という背景を背負う。
つまりは、文章でも会話でも、ニュートラルな言葉というものが存在しないらしい。

"cut glass acent"は、アッパー・ミドル・クラスの歯切れのよい英語をあらわす言葉。
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2007/3/21  9:58 | 投稿者: 時鳥

日に日に春めき、花粉症もたけなわとなった。
町を歩けばそこかしこに、顔の大部分がマスクや何やで隠れた方々がいらっしゃる。
そのうちコンビニに、「フルフェイスマスクでのご来店はご遠慮ください」とか
貼り紙がされるのではないかと、心配をする。杞憂。
そこで思った。
マスクを透明にしたらどうだろうか。
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