2007/5/31  23:57 | 投稿者: 時鳥

ある人と話していて、近頃では日本人よりも外国人のほうが正確な日本語を話す、という話になった。
外国で日本語を勉強した人は、来日したばかりの時にはとても正確な日本語を話すのだが、日本で生活するうち、だんだんに崩れてくるのだそうだ。
文法通りには話しませんからねえ、とか相槌を打って、しばらくしてから気付いた。

外国語を話す時は、いつも心のどこかで、自分は間違っているんじゃないかと疑っている。
もしくは、怯えている。
だから、できるだけ文法から離れずに話そうとする。
母国語を話す時は、その疑いや怯えはめったに持たない。
だから文法的に間違っていようと気にせず、無造作に話している。

見知らぬ土地を地図とにらめっこしながら歩くのと、土地鑑のある場所を何となく歩くのとの違いに似ている。
土地鑑で歩くと、道草を食ったり遠回りをしたりの無駄は多いけれど、大筋では間違えない。
地図を頼ると、最短経路が選べるし、途中の信号の数もすぐにわかる。
だけどひとつ角を曲がりそこねた時、そのまま大きく外れてしまう危険がある。
細部は正しいのに、大筋で間違ってしまう状態だ。
それでも、土地鑑がない以上、地図に頼るよりほかにないのだけど。
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2007/5/31  22:27 | 投稿者: 時鳥

田中啓文なのに、オヤジギャグが炸裂してもいなければ、血液や内臓がねちゃねちゃどろどろしてもいない。
人間が丸くなったんだろうか。

謎はあっけないくらい単純。
だけど、破天荒な人間がそこかしこに立ったり座ったり寝転んだりしている。
当然、良くしゃべるし、手も早い。
その掛け合いだけでも結構楽しく、さくさく読める。
梅寿の高座のシーンには、いつもたっぷりの愛着を感じる。
こういう落語を毎日でも聴きたいんだろうなあ、この人。
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2007/5/30  22:58 | 投稿者: 時鳥

こんな言葉を耳にした。

「木村は二人おりまして、28歳の木村と41歳の木村がおりますが、どちらでしょうか」

何の気なしに漏れ聞いて、床に沈みそうになった。
男性が受話器に向けて話していたのが、そこだけツボにはまって、耳に残って、心に刻まれた。
名前と年齢の数字は覚えていないが、確実に10歳は離れていた。
たったの2人の母集団から個人を同定するのに、一桁刻みの正確な年齢でやってのけるところにこの発言の趣がある。
28歳に見える32歳と、32歳に見える28歳だったらどうしていたんだろう。
当人が真面目だったから面白かったのだけど、誰かを他人に説明する時、とっさに出てくる特徴が正確な年齢だというのは、少しばかり恐ろしくも感じられる。
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2007/5/30  22:54 | 投稿者: 時鳥

DVD屋の店先で、バレエのドン・キホーテの映像が流されていた。
しばらく立ち止まって見る。
熊川哲也プロデュースの公演で、バジルはもちろん熊川哲也。
3幕のパドドゥを見た後、辺りを一回りして戻り、1幕の頭の方も見る。

このバジルは女癖が悪そうだ。
キトリは苦労するだろう。
まあ、泣き寝入りするようなキトリじゃないから、食器や家財道具を投げあうにぎやかな喧嘩で、わかりやすく不満をぶちまけてくれるだろうけど。
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2007/5/29  9:26 | 投稿者: 時鳥

かければかけるほどかかりやすくなる暗示と、
回数を重ねるとかかりにくくなる暗示とがある。
2つに分類する場合。

4つに分類する場合は、
かけやすく解けやすいもの、
かけやすく解けにくいもの、
かけにくく解けやすいもの、
かけにくく解けにくいもの。
暗示を、嘘とかはったりとか呪いと言い換えてもいい。
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2007/5/27  23:30 | 投稿者: 時鳥

虎屋ギャラリーから持ち帰った冊子より抜書き。
お菓子に関係することわざ一覧から、心に残った言葉たち。

「砂糖の木へ餅を背負って上る」
これ以上ないほどおいしい話のこと。

「心太の拍子木」
大人しいこと。音がしないから。

「心中より饅頭」
気持ちより実利を重んじるたとえ。

「牡丹餅で頬を叩かれるよう」
思いがけない幸運が訪れること。

「栄螺に金平糖」
角のある、性格のきつい人同士のたとえ。
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2007/5/27  23:22 | 投稿者: 時鳥

「和菓子百珍」展の展示品のひとつ。
「いんのこ」と読む。
輪島市の寺院で、2月中旬から3月中旬の涅槃会の際にまかれるものだそうだ。
しんこ細工のような白い生地で作った小さな犬や蛇で、乾いてから黒い点目を描く。
本当にそれだけのものだ。
お坊様たちがフリーハンドで作っているので、ひとつひとつ形が違う。
はっきり言ってしまえば、いびつだ。
なのに、見たとたんに、いいものだと思う。
素直で、邪気がなくて、嘘を知らない。
身近に置いておきたくなるたたずまいをしている。
持ち帰ると魔除けになるので、拾った人は食べたり、袋に入れてお守りにしたりするそうだ。
拾いに行ける地元の人が、しみじみとうらやましい。
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2007/5/27  23:14 | 投稿者: 時鳥

虎屋ギャラリーに「和菓子百珍」展を見に行く。
とびきり面白い。
年末に今年のベストを考える時、間違いなくベスト3に入る展覧会。
狭い展示室に、文献とパネルと和菓子の見本が中心の展示なので、かなり地味なんだけど、扱うネタがどれも素晴らしく面白い。
っていうか、つまらない展示物がない。
一人一部で無料配布している冊子に、展示内容がぎっしり詰まっているのも嬉しかった。

アザラシの落雁に、同行した母と歓声を上げる。
当時、話題の見世物に便乗した商品で、緑やピンクで長さ3cmほどのアザラシをかたどった落雁で、とても可愛い。
アザラシに季節感がないことを、心底惜しむ。
もしもアザラシが冬の風物詩だったら、今もこの落雁が残っていたのかもしれないのに。

会場には映像も流れていた。
あられまきのそれに苦笑する。
多分、氏子のおじさんたちが、室内で盛大にあられを撒いている。
そのうちに、人の首筋にあられをねじこみだし、最後はカメラにあられをぶちまけて終わった。
大人げない。でも心底楽しそうだ。

妙な食べ方の紹介では、羊羹サンドイッチも饅頭茶漬けも許せたし、せんべい汁とあんもち雑煮は美味しく食べたことがある。
けれど、カステラに冬は熱湯、夏は冷水をかけて食べるというのだけは、無理だった。
そう母に言ったら、牛乳をかけて食べればいいんじゃない、と返された。
うん、それは許せる。
牛乳少なめでひたひたにして、夏ならアイスクリームをのせたい。
ホットココアで生クリーム添えもありかも。

参考:
虎屋文庫
http://www.toraya-group.co.jp
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2007/5/26  15:47 | 投稿者: 時鳥

「ペルシア陶器?何それ。」状態で見始めた。
のっけから受け倒す。

一番最初にあったのは、ニシャプールの彩画陶器の一群だった。
9〜10世紀、ニシャプールをはじめとするイラン東北部で生産され、紅褐色の素地に白化粧をし、顔料で人物や鳥獣を描き、透明釉をかけて仕上げた陶器だそうだ。
形は深鉢が多いそうで、今回展示されていたのも深鉢ばかりだった。

黄地彩画貴人文鉢の前で、吹き出しそうになる。
その名の通り、鉢の底には貴人が描かれている。
その貴人がなんと言うか、8ページ漫画の主人公のようなのだ。
当然、ギャグ漫画である。
いしかわじゅん風味とでも言いたい人物が、片手にグラスらしきものを持っている。
その周囲に、すげえ適当な鳥やら、よくわからない調度品らしきものが散りばめられている。
わけわからんギャグを飛ばしてくれそうな空気がぷんぷんしている。
器の縁には赤と黄色のハートマークが描かれ、全体は赤と黄色と黒と少々の緑でポップにまとめられている。
すっとぼけた味が素晴らしい。

白地彩画人物百鳥文鉢は、器の底にあぐらをかいた男性がいて、もちろんこれもいしかわじゅん風味。
そして、壁面をざっと50羽弱の鳥が同じ方向を向いて飛んでいる。
それも、一目見ただけで「お前、マイペースだろう」と突っ込みたくなる顔した鳥が。
坂田靖子風味だろうか、これは。
これが漫画になったら、どういうストーリー展開をしてくれるんだろう。
胸がときめく。
鳥も人も、それぞれ独特の価値観で生きていて、変える気はさらさらないはずだから、全くかみあわず、かといって衝突すらしないだろう。マイペースだから。

1階でこの陶器の絵葉書がないかと探してみたが、黄地彩画山羊文鉢の古い絵葉書が見つかったきりだった。
しかも、深鉢を正面から撮影したので、絵が歪んでいる。

続いて、数点先にあったミナイ手陶器に釘付けになる。
12〜13世紀、中部イランで生産された陶器で、白か青釉の地に細い線で絵付けをしている。
こちらは、南伸坊風味だろうか。
油抜きした諸星大二郎でもよろしい。
人物や馬や、人面の怪物などが描かれていて、その顔は妙に醒めている。
漫画だったら、砂漠のような水分の少ない土地で、生活や旅をする人々が主人公だろう。
淡々とした人がいて、そのうちに怪物や怪異が出現するんだろうが、その先は不条理な展開になりそうだ。

もう少し先にあったイスパノ・モレスク陶器になると、これは完全に冒険物の匂いがする。
16世紀、イスラム文化が支配していた頃のスペイン、マニセスで作られたラスター彩の陶器で、金の混じった赤茶の地に、赤みがかった金色で鳥が大きく、のびのびと描かれている。
大胆に省略と誇張をされた鳥の絵には勢いがあって、この鳥についていけば、絶対に血湧き肉踊る大冒険が待っている違いないと確信させられる。
漫画より、短編アニメーションの方が合いそうだ。

緑釉双耳大壷は14世紀のイランの作品。
緑色が鮮やかで、明らかに鉱物の色なので、同じ時代の日本に来たら、きっと屋内でも屋外でも浮き上がって仕方がない。
その代わり、砂の土地にはとても良く似合うだろう。

白釉藍緑彩唐草文皿は、13世紀のグルガンの作品。
甘めの白地にオリーブグリーンと藍色で唐草模様を描いている。
いつもぎっしり描き込んだ陶器を作る人たちなのに、どうして唐草模様に限って余白をきれいに活かしてくれるんだろう、と、不思議に思う。
ゆとりを持って描かれた唐草が時折にじんで、優しい印象を残す。
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2007/5/26  14:27 | 投稿者: 時鳥

松岡美術館にフランス印象派・新印象派展を見に行った・・・はずだったが、どういうわけかそちらはさっぱり印象に残らず、同時開催のペルシア陶器展とヴィクトリア朝絵画展ばかり見ていた。
まあ、よくあることだけど。

ヴィクトリア朝絵画展は、「館蔵品より、英国ヴィクトリア朝期のロイヤル・アカデミーの画家たちの作品を中心に紹介。」だそうだ。
サロンにでも飾るような優美で繊細で写実的で、毒のない作品が多い。
女性はうら若い美女か美少女しかいないし、風景は穏やかな美しさをたたえている。
面白いのは、それが徹底していることだ。
バンクスの「取り入れ」という作品は、農作業を終えた人々が家路につく様子を描いているのだが、馬や農具は実際のままなのに、人物、とくに女性の顔にはどれもあの、儀礼的な微笑が浮かんでいる。
ぬるい微笑みは生活感を欠いていて、楽しそうにも苦しそうにも、幸福にも不幸にも見えず、周りの風景から顔だけが浮き上がって見えた。
個人的には好きになれない絵なんだけど、この絵にはこの絵の役割があるから、仕方がない。

もうひとつ、この部屋で面白かったのは、ポインターの「小さな災難」。
ローマ風のトーガをまとった女性や少年が、庭池の水面に落ちたものを拾おうとしている。
何ということもない絵なのだが、画面の右下、睡蓮の咲く辺りで泳いでいるのが、どうもニシキゴイに見えて仕方がない。
歴史書を読んでいるわけではないから、古代ローマの風景でニシキゴイが泳ごうと、ティーパーティーしていようと、雰囲気さえ壊れなきゃそれでいいけど。
1912年の作品。
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2007/5/25  19:33 | 投稿者: 時鳥

作品社の「日本の名随筆」シリーズの1冊。
編者は佐多稲子で、1904年生まれの彼女は、洋服は着なかったらしい。
着物についての随筆を中心に集めている。
男女比はおよそ3:7で、圧倒的に女性の文章が多い。

森田たまや宇野千代の洗練されたいでたちに感心する一方で、通りすがりの人の着物をいつまでも覚えていたり、細い帯締めひとつまで気を凝らしたりする様子に、妙に恐ろしさを覚えた。
ここまで集中して、観察して、記憶しているものなのか。

巻末の、編者の文章を読んでいて、不思議に思う。
この人は、「よそおう」とつぶやくと、優しい感じが身内に流れる、と言う。
柔らかい薄物をまとうような感じらしい。
私は「よそおう」と言うと、何かを背負いこむような感じを真っ先に抱く。
背負うといっても、荷物や武器ではなく、身を守るための防具を身につけるような感覚。

その後も、自分とこの人の違いについて、あれこれ理屈をこねていたが、ある瞬間、とても根本的なことに気づいた。
虚を突かれる。
この人、装うことが楽しいし、好きなんだ。
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2007/5/24  23:03 | 投稿者: 時鳥

去年、新橋にある、日本の酒情報館でもらったチラシから抜き書き。
日本酒の温度による名称と目安。

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2007/5/23  23:59 | 投稿者: 時鳥

最近、妙に屋上庭園が増えていると思ったら、東京都の条例で定められているんだそうだ。
「東京における自然保護と回復に関する条約」、別名、自然保護条約。
2001年4月の変更で、民間施設なら敷地面積100平米、公共施設なら250平米以上のビルを新築・増築・改築する時には、原則として地上と屋上の2割以上を緑地にしなければいけないことになったらしい。
ちなみに、勾配屋根は緑地化対象に入っていない。

壁面が緑化したビルはどうなるのだろう。
屋上ではないからそのまま換算はできないにしても、八掛けぐらいにはならないだろうか。
自然回復という意味では、むしろこちらの方が正道のように思えるし。

壁面緑化は通常、蔓性の植物が地面や雨樋から這い上がって起こる。
だけど、この先、屋上庭園が長い時を経て荒れ果てたら、屋上から地面に向かって這い下りるビルができるかも知れない。
屋上から植物が無造作にこぼれている様子は、見方によっては地面からビルが生えたようにも見えるんじゃないだろうか。
屋上庭園に乗っ取られた廃墟ビル。
それはさだめし、ダイナミックな眺めだろう。
そして、もひとつ思った。
それを見あげて、「長生きはするものだねえ」とにこにこしてつぶやく婆さんになるのも、結構素敵なことかもしれない。
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2007/5/22  22:37 | 投稿者: 時鳥

スパゲティが茹で上がるのを待ちながら、先に茹でておいたアスパラにポン酢をつけて食べていた。
アスパラは、穂先と根元のどちらがおいしいんだろう、と、唐突に思った。

注意深く味わうと、やはり穂先の方が風味が強い。
さくさくした歯ざわりもおいしい。

でも、穂先ばかりがてんこ盛りで出されたら、香り高さが一本調子に感じられて、たちまち飽きるだろう。
その点では、茎だけの方がずっと飽きが来ない。
そして、茎と穂先の双方が程よい比率で盛られていたら、いつまでもおいしい。

同じようなことがタケノコにもサザエにも、休暇にも言える。
穂先だけの若竹煮や腸を抜いたサザエのつぼ焼きなんて味気ないだけだし、毎日が日曜日だなんて、毎日が月曜日なのときっと大差ない。
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2007/5/21  23:35 | 投稿者: 時鳥

近所の鉢植えで、薔薇の花が次々に咲き始めた。
駅前の花壇は、そろそろ夏に向けて植え替えるらしい。

帰宅して、ベージュの綿ブロードのブラウスから、こげ茶のコーデュロイの部屋着用へと着替える。
夏物はおろか、まだ七分袖にしようとも思えないが、襟元が多少開いても気にならない気候になった。
タートルネック以外の服を手前に出す。
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