2007/8/31  18:29 | 投稿者: 時鳥

新橋のリクルートG8ギャラリーで、「和のかたち」展を見た。
副題は、「160人のイラストレーターが描く日本」。
毎年、その年のテーマに沿って全員が同じ、色紙くらいのサイズの絵を描いて、値段も全員同じ、3万5千円が付いている。
ちなみに、去年のテーマは「ミステリーワールド」だった。

絵も面白いが、下に付いた作者のコメントがまた面白い。
1、2行で簡単に画題を説明しただけのものから、原稿用紙2枚近いボリュームまで、長さは様々だ。
また内容も、製作過程あり、幼き日の思い出あり、おにぎりのおいしさを力説する文章あり、コントありとバラエティに富んでいる。
図録はないけど、コメントだけを印刷した紙を配布してくれるのがちょっと嬉しい。

本秀康さんの「盆栽くん」のコメントには、こんな一文があった。


思いきって黒の絵の具に桃屋の「ごはんですよ」を混ぜてみたら、ほどよい艶と滑りが出て、グーンと「和」に近づきました。


それはたいそう思い切ったものだ。
和から「ごはんですよ」を連想したんだろうか。
においを確かめなかったのが悔やまれる。
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2007/8/31  12:45 | 投稿者: 時鳥

追々分かること
銘々調べること

そぼそぼと雨が降り
まごまごと傘を探す

遅々として料理は運ばれず、
追加注文をした途端に来ることが間々ある。

ちょっとした対義語のコレクション。
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2007/8/30  22:59 | 投稿者: 時鳥

銀座の松屋でムットーニ展が開かれるそうだ。

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松屋銀座 8階大催場
「MUTTONI THEATER」
期:9/12〜24 10:00〜20:00
入場料(大人):当日1000円、前売700円
http://www.matsuya.com/ginza/topics/0924e_muttoni/index.html
*自動人形師ムットーニ 代表作50点を紹介。
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写真を見ると、早春に世田谷美術館で見たものがいくつもある。
撮影者が「川上弘美」になっているけど、作家のあの方だろうか。
ついでに、こんなのも見つけた。

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INAXギャラリー
「石はきれい、石は不思議 -津軽・石の旅-」
期:9/6〜11/24 10:00〜18:00(日祝休み)
http://www.inax.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_001039.html

ポーラ ミュージアム アネックス
「一号一絵!?展」
期:9/2〜9/27 10:00〜19:00
http://www.pola-ma.jp/schedule/index.html
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INAXギャラリーは、紹介ページの石の写真が本当にきれいで、見惚れる。
よく見ると川原に転がっているただの石なんだけど、別の方向からよく見ると、とても美しい。
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2007/8/29  12:55 | 投稿者: 時鳥

ある所でディアボロ・ジンジャーをご相伴にあずかる。
ウィルキンソンのジンジャー・エールに似た、辛味の効いた味で、ブランデー・ジンジャーなどにするとおそらく非常に冴える。
モスコーミュールにしたら、カナディアンドライのしか飲んだことのない人は間違いなく驚く味になると思う。

個人的にはディアボロと言えば、「フラ・ディアボロ」で、「岩にもたれた物凄い人」で、そうでなければ大道芸の中国独楽なんだけど、どれも一般には全く理解されなさそうだ。
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2007/8/28  23:34 | 投稿者: 時鳥

前項の「治まる」に関連して。
春や秋より、夏や冬の方がよほど気候は安定しているってことは、
季節は春と秋をベースに上ったり下がったりをしているのではなく、
夏至と冬至の二極で昼夜の綱引き、真夏と真冬の二極で寒暑の綱引きをしていて、
昼夜の力が釣り合う所が春分と秋分、寒暑の綱の中心が夏でも冬でもない所にあるのが
春と秋なのかもしれない。
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2007/8/28  22:15 | 投稿者: 時鳥

暑さがおさまる、と言う。
漢字変換をしようとして、どの字を使えばいいかわからなくなった。
辞書を引くと、こんな風に意味付けられていた。

収まる・・・きちんと入る、片付く
納まる・・・きちんと相手に渡る
治まる・・・静まる(乱の反対)
修まる・・・行いが正しくなる、悪いところが直る
(参考:『デイリーコンサイス国語辞典』三省堂)

もしも暑さが収まるのなら、収める箱のような、包む風呂敷のような何かがあることになる。
それは何だろう。
秋だろうか、秋風だろうか、でなければ、風のオルガンの片隅みたいな場所がこの世のどこかにあるんだろうか。

もしも暑さが納まるのなら、暑さは誰かが管理していることになる。
夏を過ぎると、暑さは管理者の手に引き渡され、ポケット灰皿のような専用ケースに居場所を定める。
そして、管理者は、次の夏まで暑さを懐で眠らせる。

もしも暑さが治まるのなら、暑いのは乱れている状態、ということになる。
でも、秋の涼しさや春の暖かさが夏の暑さに比べて静穏かと言えば、そうでもないように思う。
春も秋も、夏よりはずっと優柔不断で、四六時中ふらふらと態度を変える。

もしも暑さが修まるのなら、暑いことは間違っていることになる。
その場合、暑さは悔い改めて涼しさになるのだろうか。
何だか、ピカレスク・ヒーローが改心して幼稚園の園長さんになったよりもつまらない結末だ。

どれも間違っていないようだし、その一方で、決定的に正しいと思えるどれかもない。
ここまで書いて、頭に浮かんだイメージがある。
「収まる」イメージだ。

夏の暑さを、秋の涼やかな箱がしまいこむ。
秋の涼しさを、冬の冷えた箱がしまいこむ。
冬の寒さを、春の暖かな箱がしまいこむ。
春の暖かさを、夏の熱い箱がしまいこむ。

季節は入れ子構造で、ある夏の暑さをぱかんと割ると、その断面にはそれより前の春、冬、秋、夏が無限の層を為している。
層は外側ほど分厚く、中心に近づくにつれて薄くなる。
中心のそれはきっと、雲母よりも薄く精密で、目には見えないかもしれない。
でも、たとえ目に見えなくても確実に存在する。
多分、そういうものだろう。
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2007/8/27  23:59 | 投稿者: 時鳥

朝定食といえばご飯なので、朝マックは趣味から外れている。
けれど、たまたまクーポンを入手したので、物は試しと近くのマクドナルドに行ってみた。
話だけ聞くマックグリドルというものにちょっと興味があったのだ。

注文したのは、マックグリドルソーセージエッグセット。
ハッシュポテトと飲み物がついてくるので、野菜ジュースを選択する。

問題のマックグリドルは、メープルシロップ風味のほんのり甘いパンに、目玉焼きとソーセージが挟まれている。
狙いは、あまじょっぱさ。
狙う方向は悪くないけど、いかんせん、ソーセージの塩がきつすぎた。
もっと繊細な調和を、と思って、それはマクドナルドの方向ではないように思えた。
やっぱり朝マック方面は、個人的には避けて通った方が無難らしい。
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2007/8/26  22:24 | 投稿者: 時鳥

あやめ草さんのところの話題に触発されて、カクテルの本をめくっていた。

ユニオンジャック、スターズアンドストライプス。
どちらも国旗の名前で、カクテルの色が国旗の色になっている。
日の丸ならどうなるのか考えた。
透明なスピリッツに、マラスキーノチェリーを叩き込めば終わりなことに数秒で気付き、幻滅する。
だから誰も考えないのか?
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2007/8/26  21:45 | 投稿者: 時鳥

夕食の支度をしている最中、ひとつ手順を間違えた。
頭のどこかがとっさに、コントロールゼット、とつぶやいた。
流石に現実でそれは無理だ。

本日の夕食は、厳石豆腐の煮物。
泡だて器ですった豆腐に鳥のひき肉とみじん切りのにらを混ぜ、塩と片栗粉を加えてスプーンで丸め、熱湯でゆでる。浮き上がったら器に取る。
ゆで汁をざるでこし、醤油と酒を加えて煮汁にし、冬瓜を煮る。
冬瓜が煮えたら団子を加えて、もうひと煮立ち。
もう一品はピーマンと若布のおひたし。わかめとゆでたピーマンを器に盛り、キャベツのうまたれをかけるだけ。ぽん酢でも可。
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2007/8/26  10:21 | 投稿者: 時鳥

招待券を貰ったので、国立新美術館で「日展100年」展を見る。
1907年の第1回文展から始まって、1980年までの作品、およそ170点が展示されているが、どの作家も1点か2点しか展示されてない上、どれもこれも展覧会向けの行儀のいい作品ばかりなのでつまらない。

ざっと見る中でふっと、白瀧幾之助の「老母像」の前で足が止まった。
1911年、明治44年の作品だ。
しばらく前にこの人の自画像を見たばかりなので、その印象と重ね合わせながら見る。

老女が籐椅子に腰掛けている。
着物姿の背筋は頑なにぴんと伸びて、籐椅子のゆったりした背もたれとの間に断裂した空間を作る。
空間を埋めるように、クッションを詰め込んでいる。
物理的には埋まっても、人間の眼には全然埋まっているように見えない。
小さくため息をつく。
クッションは、そういう使い方をするものじゃない。

江戸末期の生まれの小柄な女性なので、籐椅子から下ろした足が床につかない。
だから足台を置いて、身体が椅子に合うように仕向ける。
足台もそういう使い方をするものじゃない。

くつろぐはずの籐椅子の上で、老女がしゃちほこ張っている。
座る側、座らせる側、双方の無理が痛々しいほどに透けている。
この人はきっと、身動きの取れない狭い茶室で、次客として座っている時の方がよほどくつろいだ顔を見せるのだろう。
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2007/8/26  2:14 | 投稿者: 時鳥

犬と猿と雉は、桃太郎からきび団子を貰って家来になる。
そこだけ取れば同じだけど、それぞれの動物の性質からして、きび団子から家来までの心理的な道筋は、かなり違っているのではないかとふと思った。
以下は仮説のひとつ。本当はこんな感じだったのかもしれない。

犬の場合は、きび団子を貰う時に、犬が自分から家来になりたいと言い出す。
家来になった時点で桃太郎をボスとして認めるから、桃太郎が窮地に陥っても立場を変えない。

猿の場合は、きび団子と引き換えに家来になるよう、桃太郎の側から言われる。
で、自分と桃太郎の力量を比較して、今のところは家来になっても悪くないと考えて家来になる。
そういう訳なので、もし桃太郎が窮地に陥ったらあっさり見捨てるか、でなければ、弱味に乗じて下克上を狙ってもおかしくない。

雉の場合も、やっぱり桃太郎の側から家来になるよう持ちかけられる。
特に逡巡することなく家来になるけど、実は、家来になるということがよく分かっていない。
行くところに付いて行けばいいのね、と勝手な納得をしている。
だから、あまりにも勝ち目のない場面になると、え、聞いてないよ、そんなの、とばかりに、さっさと飛んで逃げてしまう。
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2007/8/25  12:18 | 投稿者: 時鳥

扉を閉めて鍵をかける瞬間、聴覚に神経を集中させて、錠のおりる音を記憶する。
目より指先より、耳で戸締りを確認すると、外出先で鍵の掛け忘れを心配することが少なくなるのに、最近になって気付いた。
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2007/8/25  1:01 | 投稿者: 時鳥

登場人物たちが酒を飲みながら手持ちの材料を提供したり、推量を組み立てたり、論理の穴を指摘したりしながら結末に向かうあたりは『麦酒の家の冒険』などと似ているけど、この話では推理の材料となる記憶が全然信用ならず、二転三転する。
4段目まで組み上げたところで、1段目に重大な錯誤が見つかって、また1段目から組みなおしってことがしょっちゅうある。
最後には一応、真相らしきものにたどり着くけど、でも、本当にここで終わり?
あと200ページあって、これまでの事実やら結論やらが根こそぎひっくり返っても全然驚かないんだけど。
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2007/8/24  23:58 | 投稿者: 時鳥

ファーストフード店でポテトをかじっていると、近くの席の人が手話で話しているのに気付いた。
凝視しないように気をつけて観察する。

2人がボックス席に向かい合わせに座っている。
食べながら話すことはもちろん、聞きながら食べることもしていない。
必ず相手を見る。
会話の途中、片方の携帯電話にメールが来た。
気になるメールだったらしく、受けた当人は、ちょっと待って、と、会話を止めてメールを確認していた。

当然だが、聞く時は必ず相手を見る。話す時も相手を見る。
むしろ、話す時のほうが真剣に相手を見ているように見えた。
私は手話は全くわからない。
けれど、二人の話すスピードが明らかに違うことは分かった。
片方はおそらく、長年手話を使っているネイティブ話者、もう片方はここ数年で手話を使うようになった人なのだろう。
遅い側が話す時、速い側はもちろん相手を見ているが、時々、一瞬のさらに数分の一ほど、視線がほかに逸れる。
速い側の人にとっては、時々見なくても聞き取れるスピードらしい。
相槌は基本的に頷きなどの身振りで、音やはっきりした手話ではなされない。
でも、手話のように相手に注目することを大前提にしている会話では、相手に向けるべき視線、つまり、注意をほかに向けること自体が一種の相槌になっているように見えて、少し怖くなる。
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2007/8/23  23:41 | 投稿者: 時鳥

朝方、粗い雨がざっくりと降る。
久しぶりの雨。
国道沿いを歩きながら、ざらめのような大きな雨粒が傘に当たる音に、耳を澄ます。

夕刻の日差しは、数日前に比べると確実に力を失っている。
ガラス越しに眺めて、少々切なくなる。
夜は満月には3割方足りない月が、秋の顔をして濃い目の光を投げる。
夜に鳴く虫の声は、蝉から蟋蟀へと成分を変えている。

少し前の、精力的かつ猛烈かつパワフルな暑さは何だったのだろうと思う。
無理をしすぎて、いきなり息切れしてしまったんだろうか。
自分も気をつけよう。
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