2007/9/30  23:03 | 投稿者: 時鳥

同じく松屋銀座、デザインギャラリー1953でレ・クリント社の照明を見る。
白い特殊プラスチックペーパー1枚から折り出す、曲線と直線。
優雅で複雑なシルエット。
幾何学折り紙のように理知的なくせに、サリーの襞のように自然でもある。
天井からは、シーナスラインシリーズのペンダント照明がいくつも下がっていた。
目で輪郭を追い、たまには触って確かめる。

会場の片隅で流されていた、製造過程の映像に見入る。
素晴らしい速さで動く指先が、数十の折り襞をあっという間に整える。
要所要所を輪ゴムで止めて、体重をかけて折り目をしっかりと付け、広げて端を合わせて端をミシンで縫って、また折り襞を整えると、放射状に広がるランプシェードが姿を見せる。広げた先を作業台に押し付けて押し付けて、くるりとひっくり返して出来上がり。
白一色のプラスチックペーパーに、折り目が陰影を作る様子は文句なしに美しく、折り目を作る指先の素早さ、的確さには陰影の美しさ以上に見惚れてしまう。
途中、スローモーションでもう一度再生してくれた場面もあったが、スローモーションでも立派に速い。
どうやらこの人たちの指先は、三倍速以上で動くらしい。
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2007/9/30  13:30 | 投稿者: 時鳥

松屋銀座の7階にある、ギャラリー和の座に足を運ぶ。
しばらく前に来た折、展覧会案内葉書が並ぶコーナーで1枚の葉書が目に留まった。
サボテンの花を水晶に閉じ込めたような作品に、心を惹かれる。
それが今回来た、「大鎌章弘 とんぼ玉と装身具展」の葉書だった。
副題に「ガラスの小宇宙」とついている。

ギャラリー和の座はエスカレーター前の小さなコーナーだ。
行ってみると、そこにとんぼ玉、ペーパーウェイト、マーブル、ペンダント、ネックレスなどの作品が隅々まで並べられていた。
腰をかがめて、1点1点をじっくりと見る。

ガラスの中にいろいろなものを閉じ込めているようだと思った。
たとえば、星雲、熱帯の蝶、藻に産みつけた魚の卵、廃墟の床のモザイク模様、刷毛から逃れた頬紅の粉、夜しか咲かない水中花。
そんなものを生きたまま封じ込めて、永久保存したような凄みがある。
可愛いというより綺麗だし、そして、少々恐ろしい。
保存も、実物そのものを保存したのではない。
原材料を多少煮詰めて、闇と幻の風味を効かせて凍結させると、少しは似たものが出来るかもしれないと想像する。
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2007/9/30  12:42 | 投稿者: 時鳥

INAXギャラリーのおよそ2軒隣にある甘味屋に入り、小倉アイスみつ豆を注文する。

待っている間、メニューを見る。
流石は東京銀座、汁粉は粒あんの田舎しることこしあんの御膳しるこに分かれ、栗ぜんざいと栗あわぜんざいには汁気がなく、こしあんがのっている。
しかしながら、セットについてくる冷やし白玉ぜんざいは粒あんで、汁気があるように見受けられるのは何ゆえか。
ひっくり返して、食事メニューの項目を目で追っていると、妙なものを見つけた。

餅入りラーメン

力うどんのラーメン版だろうか。
写真がないので詳細は不明だが、前後関係からすると、醤油ラーメンに角餅を入れているらしい。
餅は普通に考えれば焼き餅。
誰でも思いつきそうでどこでも見たことがないあたり、コロンブスの卵なメニューだと思う。
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2007/9/30  12:23 | 投稿者: 時鳥

INAXギャラリーで「石はきれい、石は不思議」展を見る。
展示室は手前と奥とに分かれ、手前が導入部、奥が本題といった体をなしている。
手前の部屋では津軽の海岸で採れた石が一山盛られているほか、カメラマンや建築家など、各分野で活躍している人が津軽に限らず、世界中の様々な場所で採取した石が、本人のコメント入りで展示されていた。

津軽の海岸には、美しい石がたくさん転がっているそうだ。
話には聞いていたが、ケースにも入れられずにざらりと盛られた石を見て、それが本当に本当だったと納得する。
どの石も、千差万別の色や模様を持っていて、しかも乾いている時と濡れている時とでも表情が違う。
掌で転がしながら、どうしてこんな色や模様ができたのかと不思議に思い、そして、こんな不思議な石が海岸に何気なく転がっていることに胸を躍らせる。
これがごろごろしている環境に育てば、宮沢賢治でなくても石好きになろうというものだ。

そして、奥のメインの部屋では、津軽在住の石拾いの名人が長年かけて集めたコレクションの数々を展示していた。

奥の部屋で、ずらりと並べられた石の前に立った途端、目眩がした。
物語が結晶したような石。
結晶をほどいて言葉にしたら、どんな物語が語られるんだろうと想像して、陶然とする。
ただの物語じゃない。きっと神話だ。
辻褄や粗筋を軽く超えて、圧倒的な力が物語を前へ前へと押し進める。
輝かしく血なまぐさく、荒々しく妖艶で、かつ朴訥な、そういう物語だろう。
聞いたら最後、知恵熱でおそらく3日は寝込む。
でも、先をせがまずにはいられない、麻薬みたいな物語。
石から物語を抽出する機械が存在しないのは非常に残念だけど、平穏な日常のためには、その方がいいのかもしれない。
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2007/9/29  9:29 | 投稿者: 時鳥

二、三日前、愛用のカップを流しに落とした。
不思議な具合に、もともとひびの入っていた持ち手だけが取れて、本体は無傷だった。
だからまだ、何となく使っている。
今朝、手帳や資料をあわただしく繰って日中の予定を立てながら、何気なくシャープペンシルで紅茶のカップの脇腹を叩いた。
思いがけない高い音がして、とても驚く。
持ち手がなくなると、カップは身軽になるらしい。
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2007/9/28  19:49 | 投稿者: 時鳥

十五夜の頃のこと。
和菓子の店先では、お月見用にうさぎの形をした薯蕷饅頭を売っていた。
また、フリーペーパーの特集記事では、いろいろな和菓子屋のお月見菓子を取り上げていた。
そちらも、うさぎ形薯蕷饅頭が極端に多い。

どうしてこんなに薯蕷饅頭ばかりなのかと少々不思議に思っていたが、今日気付いた。
中秋の名月は、別名を芋名月、地方によっては月見団子と一緒に里芋の煮物を供える。
だから、芋の入る薯蕷饅頭なのかもしれない。

ところで、十五夜は旧暦8月15日だけど、旧暦9月13日は十三夜と言い、こちらも月見をする習慣がある。
今年の十三夜は10月23日、別名は栗名月、お供えは、月見団子の他、栗や枝豆だそうだ。
と、言うことはモンブランとずんだ餅か。

和菓子ならば栗鹿の子。
半月経てば旧暦10月、最初の亥の日は亥の子餅。
栗鹿の子と亥の子餅の間で、冬は立つ。
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2007/9/27  23:51 | 投稿者: 時鳥

凄いような満月。
再びグラスを片手にベランダに出る。
中身はやはりピーチツリー、ただし今夜はソーダ割り。
グラスを玩びながら月を見上げ、酔漢らしき声が近づくたび、その場にしゃがみこむ。
グラスが空になれば室内に戻り、外からの明りと液体の流れる音を頼りに、成り行き任せのお代わりを作る。

透明な液体を月明かりの下に引き出して、「やまなし」の終盤、水面に浮かんだ山梨から甘いもやが漂うシーンをふと連想する。

氷が溶けて、グラスが空いた。
カーディガンの裾でグラスの曇りを拭い、月を透かす。
芸大祭の露店で買ったグラスは形が少しいびつで、あちこちに予期せぬゆがみがある。
グラスを回すごと、月の形が、まるで身動ぎをするように縮んだり膨れたりした。

思いついて、光のスペクトル観察器を持ち出した。
組み立てて月を覗くと、予想通りで予想外な光景が目に入った。
月を中心に、プリズムの七色に見事に分光した光が8つ、花火のように光っている。
部屋の中から、缶に残った炭酸水がはじける音が聞こえた。
月に一番近いところが紫。青、緑、黄色と移って、最後が赤。
上空は風が強いらしく、紫煙のような薄雲が時折月をかすめて過ぎる。

分光器を携帯電話に持ち替える。
ベランダの壁に肘を付いて固定し、月を撮る。
待受画面の設定を変える。
究極的にシンプルな待受画面の完成。
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2007/9/26  1:03 | 投稿者: 時鳥

月見団子は円すい、三角すい、四角すい、いずれの形に積むものなのか。
もしくはトランプのピラミッド風に、横一列に並べたのを土台とするのか。
明日にも要調査。
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2007/9/25  23:29 | 投稿者: 時鳥

勤務先の建物を出た時、ちょうど雲が切れて月が顔を出した。
夕食の買い物をするついでに回り道して、和菓子屋を店の外から眺めて帰る。
生まれてこの方、十五夜に月見団子があったためしがないので、売っているのを見ても欲しいと思えない。
かわりにピーチツリーの水割りのグラスを手にして、ベランダで月を見上げる。
ピーチツリーのある十五夜を過ごしたためしもないのだけど、それは構わないらしい。

展覧会情報を、更新。
個人的には東大駒場博物館の「Musica ex Machina 機械じかけの音楽」がとても気になる。
中島信也さんは、日清カップヌードルの「Hungry?」を作った人だそうだ。
レクリントの照明は、もう見たけど、面白かったので掲載。
一枚の特殊プラスチックシートを折って作る照明で、幾何学的なのにナチュラルなシルエットがとても美しい。
たまたま、現地から来た職人さんが実演をしているところに出くわし、魔法を見るように見た。
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2007/9/24  23:58 | 投稿者: 時鳥

三鷹駅前の美術館で、市の平和・女性国際化推進係が出している『コーヒー入れて!』という冊子をもらう。
「三鷹市発、女と男の生き方を考える情報誌」だそうだ。
今号の特集は「男女のことわざ・慣用表現」で、女性に差別的なニュアンスを含むことわざや慣用表現、例えば「女々しい」や「男泣き」、「雌雄を決する」、「男は度胸、女は愛嬌」などを集めている。

でも、思うのだけど、「女々しい」や「男泣き」はむしろ男性に差別的なニュアンスがあるのではないだろうか。
雄々しい男性は確かにいる。
でも、雄々しい女性も同じくらいの割合でいるんじゃなかろうか、近頃。
同じように、雄々しくない男性も女性も、多分、同じ割合でいると思う。
男性ばかりが「女々しい」と責められるのは理不尽に思えてならない。

「雌雄を決する」の字面をまじまじと見つめていると、両性具有の生き物の性別が決まる瞬間を、顕微鏡をのぞいて観察している研究者の姿が頭に浮かんだ。
勝敗を決める、という意味ではなく、単に、白黒はっきりつける、という意味にしたらどうだろう。
字面を素直に読むと、ジェンダーやセクシャリティーをどちらかの性に固定するって意味に見える。

同じように、「男は度胸、女は愛嬌」を目にして、とっさに考えた。
女の度胸はどうせ勝手に身に付くものだから、わざわざ言及していないのでは?
まあ、人にもよるか。
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2007/9/24  23:26 | 投稿者: 時鳥

吉祥寺のユザワヤでエスカレーターに乗っていると、壁の案内が瞬間的に目にとまった。
次回休業日は、2月29日だそうだ。

来年2月と気付くまで、しばらく時間がかかった。
ほかの日なら見た瞬間、無意識に月と上中下旬を判断して、ざっと何ヶ月先かが分かる。
けれど2月29日だけは話が別で、何年何ヶ月先かと考えるように、もう頭の回路が出来上がっている。

後で調べたら、2月29日は金曜日だった。
曜日の面からも謎が多い。
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2007/9/23  23:35 | 投稿者: 時鳥

昨日の晴天と高温とは打って変わって、今日は終日、涼しい曇り。
夜は半袖で外に出るのがちょっとためらわれる肌寒さ。

そろそろ夏掛けから羽毛布団に変えるべきかと、10日ほど前から思い続けながらも、ものぐさが災いしてまだ天袋を開いていない。

夏の衣替えは6月1日、冬の衣替えは10月1日という。
実際には、6月1日は夏物をまとうには寒すぎ、10月1日は冬物をまとうには暑すぎる。
あと半月以上は冬物、夏物で不自由しない。
学校の制服を着ていた頃からおぼろげに疑問に思っていたが、今日、ふと気付いた。
早すぎる衣替えは、怠けがちでいつまでも次のシーズンの服を出せない人の心を、叱咤激励してくれているのではないだろうか。
怠け者はそれでも数日遅れるだろうから、余裕をもって半月前に警告してくれているのかもしれない。
とりあえず、秋分の今日は天袋を開くことにしよう。
次に、干して布団カバーをかけるという関門が待っているわけだけど。
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2007/9/23  22:59 | 投稿者: 時鳥

アミュー立川で講演会・シンポジウム「一千年目の源氏物語」を聴く。
満席だったけど、大部分は予想外につまらない。
レジュメを作って筋道立ててさっさと話せば、半分の時間で終わったんじゃないかと疑う場面もあった。
以下、各氏の講演メモ。

大岡信「近江の君について」
・弘徽殿女御に遣った、歌枕ばかりの歌で露呈する無教養
・玉鬘のライバルとして登場し、いろいろの場面を経て、侮られる存在へと変わる。当人もそのことを自覚している。
・荒々しく登場し、徐々に滑稽な存在となり、やがて哀れな人物となる
・短編小説の登場人物のようで、点として全体を引き締める役割を担っている
(私見)
・そういえば、鬚黒大将も滑稽味のある人物だ。
・お話を伺いながら、脳卒中か何か患われたんだろうかと疑う

岡野弘彦「『いろごのみ』の女神と光源氏‐神話から物語へ」
・「女性が多様性をもって、生き生きと生きている物語」
・歌や物語は、古代にさかのぼるにつれて女性が大きな力を持つ
・ミツヤシゲマツ(漢字不詳)の説く「やまとだましい」について
 カラザエヲマネブ<->やまとだましいのあそび(精神を生き生きとさせる歌や遊び)
・折口信夫の語る「いろごのみ」について。
 「いろごのみ」の「いろ」は理想的な異性を指し(例:イロセ、イロモ)、「このみ」は、選ぶの意味。
 「いろごのみ」は、好色ではなく、理想的な異性を選ぶことを意味している。
・王氏の男女が中心的な役割を担い、他氏は周縁に追いやられる
・ヨモツヒラサカに立つイザナミと、六条御息所との類似性

丸谷才一「昭和が発見したもの」
・20世紀は革命と戦争の時代だったが、モーツァルトと源氏物語が再評価された時代でもある
・倫理的な問題を盾に、源氏物語は長年、一般には冷遇されていた。
 江戸時代には儒者が攻撃し、国学者が防戦し、明治に入っても例えば、森鴎外や夏目漱石は大変冷ややかな扱いをしてきた。その中で尾崎紅葉が源氏物語に触発されて「多情多恨」を書いたのは、大きな功績だった。
 1920年代、アーサー・ウェレーが源氏物語を英訳し、イギリスの読書家の間で大きな反響を呼んだ。正宗白鳥はこの英訳を読んで源氏物語を絶賛し、そのあおりを当時の中央公論社社長が受けて、谷崎潤一郎訳の出版へとこぎつけた。谷崎訳は好評をもって世に受け入れられ、「源氏を華やかに称えた時代・昭和」がここに出現する。
(私見)
・1900年当時の人口の一割以上に当たる人数が、20世紀の戦場で死んでいるそうだ。
 ということは、1900年に生きていた人間の10人に1人ぐらいは、死因が戦死だったってことになるんだろうか。
・どうしてこの人は30分の予定で1時間も話し続けるのか?なぜベル係がいないのか?

加賀美幸子「私にとっての源氏物語」
・音読の重要さ
・『更級日記』源氏物語読書場面、「薄雲」明石の上が姫君を手放す場面、「御法」紫上の終焉(萩の裏葉)場面、「紅葉賀」青海波の場面、『紫式部日記』清少納言評の音読
(私見)
・清少納言がよほど癇に障ったんだろうが、非難に余裕がなさすぎて、何となく負け惜しみめいた印象を受ける。

小特集:源氏物語
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2007/9/23  17:54 | 投稿者: 時鳥

図書館で『愛の妙薬』のCDを借りてきた。
ガブリエーレ・サンティーニ指揮、演奏はローマ歌劇場管弦楽団、1952年10月収録の盤。
実家にCDを置いてきたから、全曲を聴くのは3年ぶりくらい。
今回、聞いてて思ったこと。

アディーナ:マルゲリータ・カロージョ
本当に、ベルコーレと結婚する気があったんだろうか、このアディーナ。
注意がベルコーレに向かず、常にネモリーノに向いて見える。
妙薬のことで話が弾んだからいいようなものの、でなければ、式直前になって難癖つけて逃げたんじゃないだろうか。
まあ、実際、似たような結果になったけど。

ネモリーノ:ニコラ・モンティ
この、「待て」をされたらいつまでも待っていそうな忠実さがアディーナには鬱陶しかったのかもしれない。
例えば、パヴァロッティがやると、ネモリーノはもっと頭が悪そうにというか、隠し事が出来なさそうに、単純になる。
けれどこの盤では、純情かつ内気な印象が際立っている。
ちゃんと考えてはいるんだけど、タイミングを捕まえるのにいつも失敗するんだろう。

ベルコーレ:ティート・ゴッビ
ムダに精力的。
流石、スカルピアで名を馳せた人だ。
悪いことは言わないから、パワーに素直に圧されてくれる女性を選んだ方がいい。
アディーナみたいな歯応えのある人が好みかもしれないけど、長い期間だと食い合いになって、多分とても大変だと思う。

ドゥルカマーラ:メルキオーレ・ルイーゼ
クサい歌唱、でも、ドゥルカマーラに関しては、これも正解。
今ではこんなにコテコテに演じると非難が出そうなものだけど、インチキ薬売りなんだからこれぐらい胡散臭くてもよい。
惚れ薬を取り出す時のもったいぶった仕草と、その直後、実はこれは安ワイン、と横を向いて顔をゆがめる卑しさなど、絶妙のバランス。
もっともCDだから、どういう顔をしているのか知らないけど。
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2007/9/23  17:49 | 投稿者: 時鳥

大抵、本人が隠しているから気付かれないけど、そういう人って案外多いと思う。
欠損の程度は人によってまちまちで、薬指の第一関節から先だけがないレベルの人から、腕の付け根までごっそり欠けている人、見た目は何ともないけど麻痺して動かない人までいる。
薬指くらいなら隠せるけど、腕全体をカバーするのには途轍もない労力が必要になる。
「普通の感情」のガイドブックを作ったら、意外に需要があるかもしれない。
「人込みで知人に会ったら、嬉しそうな顔をする」とか、「何かが死んだら悲しそうな顔をする(泣くも可)」とか、「お祭りに行ったら楽しそうな顔をする」とかを箇条書きにして、システム手帳の体裁でまとめる。
これなら傍から分からないし、欠けている感情の大小や部位によってページの差し替えが出来る。
それに、部数が出れば、自分だけじゃないこともわかる。
何事も例外はあるし、まして感情なんて例外だらけだから、ガイドブックが役に立たない状況が嫌になるほどあるだろうだけど、一般的感情の法則までわざわざ個人が苦労して探し出さなくてもいいと思う。
どうせほかに苦労することはわんさかあるんだから。
巻末付録として、『人間失格』と『異邦人』の欠格事項一覧を付けようと思ったけど、これだけだと救いがないから、もうひとつ付けよう。
欠けたままで幸せになった登場人物のリスト。
補って幸せになった人は不可。
『高慢と偏見』の某牧師の妻とか、その牧師とか、『チョコレート工場の秘密』のウィリー・ワンカとか。
ロアルド・ダール作品では、ひどい目に会うのは必ず欠格している人だけど、幸せになる人は欠けているいないにあんまり関係がない。
あと、19世紀フランス文学にも、欠けてて幸せになっている人が結構いそうな気がする。
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