2008/10/31  23:48 | 投稿者: 時鳥

数日前の週末、美篶堂ギャラリーで『鉱石アソビ』出版記念の個展を見る。
4畳間くらいの広さしかない部屋に、鉱物標本がころころと転がっている。
箱詰めではなく、瓶に詰められたり、本の上に載せられたりしている鉱石たちはおもちゃのようで、そして見るからにおいしそうだ。
尋ねてみると、まさに「おいしそう」というコンセプトの元に集められた石だそうだ。

転がっている中に、ちょっと妙な石があった。
水晶に似た白く透明な結晶だが、水晶にしては劈開の仕方がおかしい。
しかも、持ってみると水晶にしては軽すぎる。岩塩よりは重いけど。
ついでにこれのことも伺ってみると、氷砂糖だそうだ。なるほど。

鉱石の絵葉書を2枚買う。
1枚はうっすら黄色味がかった金米糖に似ている。魚眼石とのこと。
もう1枚はべっこう飴の色をした棒状の石で、こちらは方解石だそうだ。
言われてみれば断面が平行四辺形。

写真は手持ちの黒曜石。大きさは手前が約3.5cm。やや黒砂糖似。
クリックすると元のサイズで表示します
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2008/10/31  19:16 | 投稿者: 時鳥

展覧会情報を8件追加しました。
右の「展覧会情報」リンクよりお入りください。
追加した情報は下記の通りです。


クリエイションギャラリーG8
ガーディアン・ガーデン(新橋)
「福田繁雄 ハードルはkuguれ」
期:10/27〜11/21 11:00〜19:00 水〜20:30(土日祝休み)
 
たばこと塩の博物館(渋谷)
「近世初期風俗画 躍動と快楽」
期:10/25〜11/30 10:00〜18:00(月休み)
 
ガレリアセラミカ(京橋)
「矢本章子 陶 緑青の新化石」
期:11/7〜12/2 10:00〜18:00(日祝休み)
 
ギャラリー椿(京橋)
「桑原弘明展」
期:12/6〜12/20 11:00〜18:30(日休み)
 
国立近代美術館2階特集コーナー(竹橋)
「小松誠 デザイン+ユーモア」
期:10/28〜12/21 10:00〜17:00 金〜20:00(月休み)
 
出光美術館(有楽町)
「陶磁の東西交流」
期:11/1〜12/23 10:00〜17:00(月休み)
 
松下電工汐留ミュージアム(新橋)
「アーツ・アンド・クラフツ≪イギリス・アメリカ≫」
期:11/8〜1/18 10:00〜18:00(月、12/27〜1/5休み)
 
渋谷区立松涛美術館(神泉)
「素朴美の系譜」
期:12/9〜1/25 9:00〜17:00(月、12/29〜1/3休み)
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2008/10/30  22:40 | 投稿者: 時鳥

「切符はタテに入れて下さい」

自動改札機の挿入口にあった注意書きに、目を見張る。
横に入れる人が存在するらしい。
これまで考えたことすらなかった。
よほど慎重に入れないと外れてしまいそうだ。

別の駅で。
自動改札機から出てきた切符が斜めになっている。
どうやらローラーの回転のバランスが悪いらしい。
反対側に斜めに挿入することを瞬間的に検討し、即座に廃案にする。

それにしてもこのパソコン、自動改札機が2回も「児童改札機」に
変換されたんだけど、私にどうして欲しいのだろう。
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2008/10/29  23:09 | 投稿者: 時鳥

久々に大井町線に乗ることになった。
駅のホームに立って、急行が出来ていることに気づく。
数年前までは各駅停車しかなかった。

東急大井町線は大井町と二子玉川の間を走る電車で、駅は全部で15。
始発から終点まで各駅停車で21分かかったのが、急行では3分の1程度の駅にしか止まらずに、たったの19分で駆け抜ける。
計画段階の時分から話は聞いていたが、実現してみると更にしらけた気分になる。

目には定かに見えないけれど、この世のどこかに存在するはずの、急行電車を待ち望んだ人のことを考える。
ふと思った。
その人は、早く到着したいのではなく、急ぎたい人なのではないだろうか。
目的地に早く到着できるかはさして問題ではない。
自分が急いだって事実さえあれば、実際が早かろうが遅かろうが満足が出来る。
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2008/10/28  23:19 | 投稿者: 時鳥

山手線の中で耳にした話。
確かアメリカだったと思うが、海外で医者にかからなければならなくなったのだそうだ。
病院に行くと当然ながら外国語の問診票があり、痛みの度合いを1から10の数値で書くようにとの項目があったのだそうだ。
日本だと擬態語で済ましてしまうところを、随分客観的なものだと感心しかけて、そうでもないかと思い直す。
その人がこれまでに体験した一番強い痛みが10になるわけだから、場数によって相当の個人差が出る。
でも多分、病気の判断に役立つのは事細かな痛みの強さより、痛みの性質の方だろうから、これはこれで問題はないのだろう。
そしてここまで聞いたところで電車を降りてしまったから、その後どのような処置をされたのかは今もって不明。
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2008/10/28  0:20 | 投稿者: 時鳥

法規に完璧に従った結果、出来てしまった不可思議な建築物たちを集めた図鑑。

街を歩いているとたまに、見る人すべての胸に「何だこれ」という無言の疑問がしんしんと降り積もる建築に出くわす事がある。
理由の一端は、どうやら法規にあったらしい。
このショッキングピンクの図鑑には、その手の大変変な建築も確かに載っているけれど、大多数を占めるのは「ちょっと変な気もするけど、まあ普通」の建築たちだ。
東京のあちこちに、ごく普通にあるビルや民家。
普段、何の気なしに通り過ぎているあのビルのあの屋根の傾斜が、実は法規のストライクゾーンをぎりぎりで突いた結果の産物だとはあんまり思っていなかった。
そもそも、それが客観的に見ると妙なものであることすら、この本を読むまで気づいていなかった。
確かに変だよなあ、まげビル。複眼バルコニー。スフィンクス・ビル。

この本ではそうしたビルや家屋を77例取り上げて、それぞれがどのような法規によって形を定められたかを解説し、図説している。
取り上げられているのは名のある建築物ではなく、東京のあちこちにあるごく普通のビルや家屋ばかりで、所在地や名称もほとんど明かされていない。
妙なのは個々の建築ではなく法規の側で、あの法規に沿うとこんな建築ができますよと言うサンプル集がこの本なのだ。
だから、本に載ったビルを探すより、類例を自力で見つける事の方が推奨される。

法規が込み入っているので、実際に類例をみつけるのは難しいかもしれないが、法規の側から建築や町を見ると、どう見えるかがわかって面白い。
ビルとビルの間の20cmの隙間や、縦長のバルコニーに「まじすか」と呟く。
本当に、見え方って視点によって変わる。

『超合法建築図鑑』吉村靖孝・編著 彰国社
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2008/10/27  22:08 | 投稿者: 時鳥

中黒と読点のどちらを打とうか一瞬だけ迷って、中黒を打った。
そういえば中黒と読点ってどっちが仲がいいんだろう。
唐突に疑問に思う。
「中黒の方が親しい関係」という結論に、約30秒でたどりつく。
すると次の疑問が浮かぶ。
句切り符号はほかにもいくつかあるが、それぞれどれくらいの親しさなんだろう。

というわけで、独断と偏見により、以下の9つの区切り符号の親疎について考えてみた。
基本的には数学的な扱いではなく、日本語の文書内での扱いを考えた。
一部、外れてしまったのもあるけれど。

A、B(読点)
広い意味での友達みたいな関係。
ほとんど同一と言っていいほど近いこともあれば、「、」が深い溝として働き、果てしなく遠い関係になっていることもある。

A。B(句点)
AとBの間には断絶がある。Bが追い、Aが逃げ、間に障害物を置いていく。

A,B(カンマ)
「、」とほぼ同じだけど、そこそこ親しい関係のことが多い。

A.B(ピリオド)
「。」と同じ。
ただし個人的には、「テーブルAの項目B」にしか見えない。

A:B(コロン)
BはAが何者かを語る。Aは一方的に評価される。

A;B(セミコロン)
BはAに付かず離れずついていく。人込みだと大体、間に4人ぐらい他人をはさんでいる。

A・B(中点)
AとBは同列、もしくは同じ物が「・」でぶった切られている。

A_B(アンダーライン)
本当は間に空白を置きたいんだけど、空白が許されないのでアンダーバーを置いている。
そこまでしてでもくっつきたくない関係。

A‐B(ハイフン)
全然違うもので敵対することが多いが、敵の敵は味方理論により手を組むこともある。
じっくり追い込んで絞り込む。
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2008/10/26  23:26 | 投稿者: 時鳥

80分しか記憶を保てない数学者の「博士」と、彼の世話をする家政婦の「私」、それから私の10歳の息子「ルート」。
3人で過ごした半年間の日々が、淡々と、かつ、瑞々しく綴られる。

この人は本当に覚えていなくて、私は本当に覚えているんだろうか。
読んでいてふと、そんなことを思った。
私は記憶を元にして色々な事を決めたり行動したりしているつもりだけど、本当に元になっているのはむしろ、記憶にないことの方なんじゃないだろうか。
だってこの博士は、覚えていないけれど知っているように見える。
記憶された経験や体系化された知識よりも、明確な記憶としては残っていないけど、身体や無意識が断片を抱え込んでいるもの、そういうものの寄せ集めで、もしかしたら自分は、人間は、出来ているのかもしれない。

博士という人は、この世のすべてを数学というレンズを通して見ることが出来る。
本人にとってはそのレンズは持っていて当たり前、というか、持っていない自分を想像できないくらいに基本的なもので、絶対音感のある人が喫茶店のBGMを聞き流せないように、博士も数字を見逃せず、数字を見れば必ず何らかの意味を付けずにはいられない。
おそらく、記憶に問題のない時分からそうだったのだろう。
その頃は自分の頭の中だけで処理していたものが、記憶に障害を抱えてからは口に出して積極的に使わざるをえなくなった。
記憶に問題がなかった頃から、数学レンズを通して見た世界がこの人にとっては普通の世界で、意識しないとそのレンズは外れなかった。
記憶が80分しか保てなくなってからは、不安もあって、ますますレンズは外しがたい。

それにしても、博士のレンズで見た世界は何と不思議に見えるんだろう。
のぞかせてもらった「私」と「ルート」が魅了されるのも無理はない。
博士は自分の特技を指して、「世間の人たちには何の役にも立たない」と自嘲する。
これは数学の事を指しているわけじゃないけど、友愛数だって双子素数だって別に何の役にも立ちやしない。
でも、そこらへんに無造作に転がっているものに実はそんな面白い秘密があることを知ると、それだけで世界は面白く楽しく興味深いものになるし、そして、世界が誰かにとって興味深いものに見えるってことより役に立つことって、ほとんどないと思う。
世界が興味深いと思えなかったら、役に立つことを発見する気にすらなれない。

『博士の愛した数式』小川洋子 新潮社
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2008/10/25  23:59 | 投稿者: 時鳥

この世に心残りがある死者のもとに「とりつくしま係」が現れて、何か好きなものに取り付いていいと言う。
死者は選んだものに取り付き、懐かしい人の元に戻る。
もっとも、物でしかないので生きている人に働きかけることはできない。
出来るのは、ただ見守ることだけ。
息子が野球の試合で使うロージンバッグ、妻の日記、居間の隅のマッサージチェア、それぞれの「とりつくしま」を巡る話が10篇と、番外編が1篇。

切ない話になりそうな設定なのに、そこはかとなく薄気味悪い。
死んだ人は物にとりついて、家族や友人や知人を見ることになる。
私にとって物凄い違和感があったのは、物になって見た周囲の人々が、生前にその人が思ったとおりの振る舞いを基本的にはするということだ。
例えば、行きつけの図書館で親切にしてくれた司書の名札にとりついた人がいる。
その人が名札になって見た彼女は、やはり親切で働き者である。
裏の喫煙所で煙を吐きつつ、迷惑な来館者を毒づいたりは決してしない。
生きている人の口から死者の悪口が出ることもないし、死者を決定的に裏切ることもない。
人物像だけでなく話の展開も、大抵が死者の望んだり考えたりするところとそれほど隔たりのない推移をたどる。
ある人といる時の顔と、別の人といる時の顔と、一人でいるときの顔は、誰でも違うのが当たり前だと思う。
なのにこの作品では生きている人は皆、死者の思ったとおりの人で、思いがけない側面を見せる人はいない。
そして死者も、残してきた身近な人々がひょっとしたら別の顔を持っているかもしれないとは疑いもしない。
その根拠のない信頼と言うか進行が不自然で、妙に薄気味悪い。

そういうわけで、いかにもしみじみとした結末を迎える話より、どことなく後味の悪い話のほうが好みに合う。
「トリケラトプス」の彼女の勝利感にうっすらとぞっとし、「青いの」でジャングルジムになった幼稚園児の無邪気さに、荒涼たる気分になる。

ジャングルジムの男の子は、雪の中で友達やママが来るのを無邪気に待つけれど、幼馴染はすぐに成長して公園には来なくなるし、ママだって用がなければ来ない。
周りは年をとるのに、この子はジャングルジムが朽ち果てるまでずっと幼稚園児で、待っても待っても待っても、待ち人はほとんど訪れず、そして誰も、あの子がジャングルジムになったとは気づかない。
これを絶望的な未来と言わずに何と言おう。

『とりつくしま』東直子 筑摩書房
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2008/10/24  23:56 | 投稿者: 時鳥

雨がばさばさと降っている。
窓際に置かれたテレビのアンテナに目をとめる。
ステンレスの色のアンテナは丸められて、円から2本の先っぽが触覚のように突き出している。
まるでかぶりもののようだと思う。

仏像は、しばしば後光を背負っている。
あれは実はアンテナで、数限りない衆生の声を拾っているのかもしれない。
あの後光の数からして、チャンネル数は非常に多いものと考えられる。
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2008/10/23  23:30 | 投稿者: 時鳥

微熱があるような気がして、体温計を出す。
測りながら、自分は何のために熱を測っているのかと疑う。
微熱があったところで風呂を取りやめるわけでも、今晩、明朝の行動の何かが変わるわけでもない。
少しして、熱が何度か知りたいのは、何か有益な目的のためでなく、単なる好奇心だと気づく。
知らない言葉を辞書で調べるのと、感覚的にはあまり変わらない。
私は調べるのが楽しいけど、それなら、計測するのが楽しい人がいてもおかしくはない。
計測が趣味の人がいたら、その日常生活はどんなだろうと考える。
何かを測るのが好きな人だから、自宅には大小の巻尺、電動、手動の血圧計、体重計、体脂肪計、キッチンスケール、温度計、湿度計、その他諸々の計測機器が揃っている。
職業は測量士だろうか。
ぼんやり考えていると、体温計が鳴った。6度3分。

ついでに、2週間ほど前、十三夜の夜に見つけたお月見ビルについて、固有名詞を書いていなかった。
新宿センタービル53階。
レストラン街の一角が無料の展望テラスになっている。
南東から南西にかけて視界が開けているので、月を見るにはよい。
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2008/10/22  23:57 | 投稿者: 時鳥

早手回しに、来年の手帳とカレンダーを購入する。
手帳は去年と同じで、できるだけ小さく軽く、メモ欄の多いものを選んだ。
手帳は、使う前にカスタマイズをする必要がある。
まず使わなくなった名刺を丸めてペンホルダーを作り、表表紙の裏に張り付ける。
同じく古名刺を切り貼りしてメモポケットを作り、裏表紙の裏に張り付ける。
ここには、電車の路線図やちょっとした備忘メモを収めておく。
最後に、二十四節気と十五夜と十三夜と旧暦の一日を調べて、日付欄に書き込む。
印字済みの六曜はどうせ使わないから、その上から赤ペンで書き込むと具合がいい。

以上で、自分にとっては満足できる手帳ができあがる。
足すのは自力で出来るけど、引くのは自力じゃ出来ない。
足りないものは自分で勝手に補うから、小さく軽くシンプルに作ってくれれば、何よりだと思う。
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2008/10/21  22:12 | 投稿者: 時鳥

「ベジャール、バレエ、リュミエール」(2002年スイス)を見る。
振付家のモーリス・ベジャールが新作「リュミエール」の初日を迎えるまでのドキュメンタリー。
「リュミエール」は「光」の意。

野外ステージでの本番までにすべきことは山積している。
鏡の前で動きながら振り付けを考え、ダンサーに振りうつし、記者会見、試演会の準備、その他諸々を精力的にこなすベジャールを、カメラは密着して追いかける。
その密着振りたるや、時には「そんなにくっつかれちゃ踊れない」と文句を言われるほどだ。

稽古場で振り付けが生まれる。
稽古場でのやり取りの後、実際の舞台の映像が挿入される。
生まれた瞬間、振り付けは紛れもなくベジャールのものなんだけど、舞台に乗るとそれは、ダンサーのものにもなっている。
稽古場のあれが、ダンサーによってどんな風に消化されたかが見えて、興味深い。
難点を言えば、稽古場の場面でカメラがベジャールばかりを追いかけているのを、やや見難く感じた。
せっかくだから、周囲のダンサーをもっと写して欲しかった。
ダンサーの肉体と動きにこちらの目が釘付けになっているのに、カメラはあっさりと離れて、丸いベジャールについていく。
フレームから外れた部分を惜しみ、もう少し引いてくれればいいのにと、つい恨んでしまう。

「一番無益に見えるものが実は一番有益である」
食堂の壁にあったベジャールの言葉だ。
読んだ瞬間にすんなり納得する。
数学みたいなものだろうか。
即座に目に見える形で役に立つわけじゃないけど、長い目で見ると絶対的に有益な、美しいものたち。
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2008/10/21  21:25 | 投稿者: 時鳥

2003年のフランス映画、「スイミングプール」を見る。

英国人の推理作家サラは、新作を書くため、出版社の社長の別荘にしばらく滞在する事にした。
南仏の別荘をサラはいたく気に入り、静かな生活を楽しんでいたが、そこにある日、社長の娘を名乗るフランス娘ジュリーがやってくる。
奔放なジュリーに生活リズムを崩され、サラは苛立つが、次第にその言動を興味深く観察するようになる。
新作の題材という名目で、ジュリーの私生活を奥深くまで観察するサラ。
視線に気づき、外出時には私室をのぞかれていることに気づくジュリー。
2人の間の危うい均衡は、夜のスイミングプールの事件をきっかけに大きく変容する。

こっちにきたか。うーん。
サラがジュリーに苛立つのは分からなくもないけど、これは明らかにやりすぎ。
隣人になって欲しくないって意味では、どっちもいい勝負だと思う。
ゴミを出す日や分別マナーを守らないのがジュリーなら、ゴミを開封、分析して、出した人を突き止めるのがサラ。
そういう2人が一つ屋根の下で同居しているんだから、何か起こらないはずはない。
でも、この結末には肩すかしをくらった。

監督・脚本は「8人の女たち」のフランソワ・オゾン。
「8人の女たち」と違い、こちらは社長や別荘の管理人、ジュリーの相手などの男性も出てくる。
男性が画面に写っている時間はそこそこあるんだけど、基本的に影が薄い。
女が何を考えて何をするかってことに重点をおいて撮られた映画で、男性は単なる刺激にすぎないんじゃないかと思う。
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2008/10/21  13:00 | 投稿者: 時鳥

勤務先の人と連れ立って、品川の鮨屋に行く。
中の一人が現在、新橋で働いているという話になって、
別の一人が、だったらキソジにすればよかった、と言い出す。
木曽路?全員が首を傾げる。
それはまた、魚の少なそうな。
よくよく聞くと、築地だった。

木曽路はすべて山の中、築地はいつも海のそば。
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