2009/1/31  23:24 | 投稿者: 時鳥

大田区立郷土博物館へ「ぽち袋と袱紗」展を見に行く。
ぽち袋といっても、子供用のお年玉袋ではない。大人が大人に心づけを渡すために使う、小さな祝儀袋である。
主に遊びの場で使う、ちょっとした小道具。紙製で、誰でも作れて、簡単にしようと思えばいくらでも簡単に出来る一方、凝ろうと思えば際限なく凝れる。となれば、日本人が凝らないはずがない。
というわけで、ぽち袋会場となった一室には、際限なく凝り倒したぽち袋がわんさか並んだ。
こういう小さくて洒落たものを作らせると、本当にうまい。

大人の遊びと深い関わりのあるものだから、色っぽい題材も多い。
チラシには羽子板だの宝船だの干支だのと、人畜無害なぽち袋が載っていたが、
会場には「いろかるた」、「貝づくし」、「のろけたいづくし」、「ねむけぐさ」
などなど、セットの題名を聞いただけで方向性の見当がつく作品が並んだ。
この手のもので傑作だったのが「時計」シリーズで、5枚セットの各袋には
題名の通り、背景に時計が描かれていて、それぞれ20時、22時、0時、2時、4時を
指している。
そして手前には、足元から見たベッドの絵が描かれていて、二人分の足の裏が見える。
また、ベッドの下では猫が寝ている。
絵のタッチや絵柄だけ見れば、子供に渡しても何の問題もないぽち袋である。
問題は、時系列で並べると、足の裏の方向や位置の推移によって、
事の次第が見て取れることにある。
単独ではストーリーが見えないあたり、利きすぎるくらいに気が利いている。
これは受け取る側が楽しむより、贈る側が内心でほくそえむ種類の洒落だろう。
親戚の叔父さんが甥や姪のお年玉袋に使いそうだ。
贈る側は何食わぬ顔、受け取る側は何一つ気づかないけれど、その母親が
しばらく経ってから意味に気づいて、子供のいない場所で弟にきつく灸を据える。
そんなぽち袋。
何年かしてその子がこの袋の意味に気づいたら、もうお年玉からは卒業だ。
もしくは、もっとわかりやすい袋にバージョンアップするのかもしれない。
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2009/1/30  23:49 | 投稿者: 時鳥

豚に真珠、猫に小判。
頭の中で諺を玩んでいた。転がして、思った。
豚はともかく猫は、人間が小判に大変な価値を認めていることぐらい、
とうの昔に知っているのではなかろうか。
ただ、自分にとっては確かに価値のないものだから、
人間がどれだけ尊んでいようと、自身は全く無価値なものとして扱う。
無理して人間の価値観を自分の価値観と一致させようとはしない。

これらの諺は、ものの価値を理解していない人を馬鹿にするのが主な使用法だけど、
猫や豚が小判や真珠を尊ばないからといって、それを人間が馬鹿にするのは間違っている。
そういうことをすると逆に、小判や真珠を尊んでいるからって理由で、
猫や豚から馬鹿にされても文句は言えまい。

戯れに、真珠を持っている豚を仮定してみた。
その豚は、特に真珠に興味を持っていないし、価値も認めていない。
となると、誰かが真珠を欲しがれば、豚はあっさり譲り渡してしまう可能性が高い。
そこまで考えて気づいた。
面と向かって欲しがることができない、または、欲しがっただけじゃ
手に入らないことがわかりきっている場合に使われるのが、
「豚に真珠」や「猫に小判」なのかもしれない。
自分の方が欲しがっていたものが、別の誰かに与えられている。
入手したものの価値を理解していない誰かを、諺の力を借りて笑う。
でもその言葉は、まるで鏡のように、笑った本人の羨望を映している。
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2009/1/29  22:57 | 投稿者: 時鳥

5の1、と書いてある。
乗り込んだ電車のドア、5号車の第1扉という意味のラベルを眺めて、
これがある限り、この車両は5号車以外にはなれないのだと気づく。

途中駅で降りる。階段に向かう人の流れとは逆の方向に電車は滑り去る。
連結部分に近い窓の上に、「5」の文字が入っていた。
中から見ても外から見ても5号車だ。
これだけはっきり5号車だと、事情により来週から3号車、なんて事にはなりにくい。

例えば9両編成とした時、一旦9両の組み合わせが決まり、号車番号が振られてしまえば、その組み合わせはきっと、何か特別な事がない限り変わらないだろう。
下手をしたら、一度5号車になってしまったら、一生5号車の可能性もある。
全く同じ型の車両として生まれてきたのに、片方はことごとく階段近くに止まる5号車で、もう片方は間の悪い位置にしか止まらない9号車ってこともあるはずだ。
そうなれば、一年間に乗せる人数にはかなりの開きが出るし、その違いはもしかしたら、傷や破れや曇りや荒れといった形を取った挙句、車両そのものの雰囲気となり、個性となって表れてしまうかもしれない。

そういえばこれ、例えば3号車が壊れたらどうするんだろう。
3号車だけ新しくするのか、それとも全体をばらして、まったく別の車両組みを作り直すのか。
1両だけ新しいってことは、他の車両が全部不調になっても、その車両だけまだ寿命が尽きていないってことになる。
その場合は、1両だけを残してあとは廃棄なのだろうか。
そうして集まった寡婦車両だけからできた、寡婦編成もどこかに存在するんだろうか。
謎は尽きない。
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2009/1/28  23:09 | 投稿者: 時鳥

奇数月の15日は、『アスペクト』の発行日である。
出版社のアスペクトが出しているPR誌で、およそ1年前から毎号愛読している。
本屋のレジ横などに置いてあるのだが、まず置いている本屋が限られる上、
15日にはまだこの世に存在しないのか、数日経たないと現物が見つからない。
今回も数日間通い詰めて、22日にようやく入手する。

持ち帰った冊子を机の上に無造作に置く。側には前号も置いてあった。
どちらも裏表紙が上を向いているのに気づく。
この雑誌は毎回表紙が補色関係と言うか、目に痛い色合いなので、
裏表紙を上に向けて置くのが、すでに習慣として身に付いている。
ふと、この裏表紙は広告媒体としてなかなか効果的なのではないかと思いつく。
最新号の裏表紙は、「コレジャナイロボ」の広告だ。

「欲しかったのは、これじゃなーい!!」
コレジャナイロボ、08年度グッドデザイン賞受賞(本当)。

コレジャナイロボのオリジナルは、手作りによる木製玩具です。どこにでもあるような木材とペンキを使用し、なんてこともない製法で丹念に作られています。高さは20cm。定価2940円(税込)

・・・思い返せばこの裏表紙の広告、割と変なのが多かった気がする。
試しに、手元にあった8冊を調べてみた。

07年11月号 日本科学未来館「地下展」
08年01月号 ホッピー
08年03月号 たちっぱなし(神保町の立飲み屋)
08年05月号 パルコファクトリー「ナンシー関大ハンコ展」
08年07月号 ペペ「おかげさま」(”受刑者のアイドル”のシングルCD)
08年09月号 MOTHERS(神保町のオーガニックスーパー&レストラン)
08年11月号 アイザック(外国語スクール)
09年01月号 コレジャナイロボ

アイザックが明らかに浮いていると思う。
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2009/1/27  22:26 | 投稿者: 時鳥

展覧会情報を3件追加しました。
右の「展覧会情報」リンクよりお入りください。
追加した情報は以下の通りです。


切手の博物館3F(目白)
「麗しき日本の絵葉書」
期:1/31〜2/15 10:30〜17:00(月休み)
 
シャネルネクサスホール(銀座)
「アリュール 内なる輝き」
期:2/5〜3/1 11:00〜20:00(無休)
 
ミューザ川崎シンフォニーホール企画展示室(川崎)
「古きよきパリの町並み 写真家アジェの仕事」
期:2/21〜3/15 11:00〜19:00(3/2休み)
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2009/1/25  23:21 | 投稿者: 時鳥

多分、屋上テーブルの紹介がメインの本なんだけど、そちらはあまり興味が持てず、むしろ屋上の分類や、東京の屋上コレクションの方を面白く読む。
これまでは何か目的のものが屋上にあるからって理由で屋上に上がっていたけれど、そうではなく、屋上は屋上ってだけで面白いもので、だから、屋上そのものを目的にして屋上に上がるのも、それはそれでありなのかもしれない。

『屋上喫茶階』川口葉子 書肆侃侃房
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2009/1/25  1:07 | 投稿者: 時鳥

閑猫さまの化け猫話の記事を読んで、『耳袋』という江戸時代の怪異集に載っているエピソードを思い出した。

ある日のこと、飼い猫が庭先で鳥を狙っていた。
飛び掛ったが仕留めそこない、猫は「しまった」と悪態をついた。
男が聞きとがめて、何故話せるのかと問い詰めると、猫は落ち着き払って答えた。
「猫は10年も生きていれば人間の言葉ぐらい覚えるものだ」
男の追及は止まない。
「でもお前は、5年ぐらいしか生きていないじゃないか」
突っ込むべき場所はそこではないと思う人、挙手。
「狐と猫の合いの子は、もっと早く話し始めるんだ」
天の摂理を説くが如き確信をもって猫は返答し、男は納得した。
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2009/1/24  23:38 | 投稿者: 時鳥

世田谷美術館で企画展「十二の旅:感性と経験のイギリス美術」を見た後、2階の収蔵品展示室をのぞく。
「難波田史男展」を開催していた。
何の予備知識もなく入った途端、「これ、いやだ」と思う。

78点のうち油彩は6点だけで、ほとんどはインクと水彩画だ。
インクの細い線がためらいなく走り、水彩がにじむ。子供のみるグロテスクな夢のような、不安定な世界が紙の上に現れる。
嫌いではなく、嫌だと感じた。どうしても直視して熟視することが出来ず、眉間にしわを寄せて視線をそらす。
眠る時、怖くて目をつむれなかった子供の頃を思い出した。あの頃は当然、部屋も明るくなければ眠れなかったから、明るい部屋で目を開いて、眠気がまぶたを落すのを待ち構えていた。
何がそんなに怖かったのか、今ではよく思い出せない。
でも、この人の絵を見ていると、その記憶や理由がよみがえって、また眠れなくなってしまいそうな、そんな不安におそわれる。
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2009/1/24  10:34 | 投稿者: 時鳥

朝一番で試験は終了。予定通り合格。
実のところ、落ちる心配はほとんどしていなかった。

時節柄か、待合室では使い捨てマスクが無償提供されていた。
試験会場に持ち込んでいいのは、ハンカチ、ちり紙、それから目薬。
耳栓、防音イヤーマフの貸与もしていたけど、あの静かな試験会場で何故必要になるかは謎。

一度帰宅し荷物を置き去り、心身軽く世田谷美術館へ出立。
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2009/1/23  22:42 | 投稿者: 時鳥

受験前夜。最後から2番目の追い込み中。
「ファントム読み取り」の概念をおさらいする。
次のような現象を表現する言葉である。

例えば、「ウ」で始まる動物のデータに対して、何やら更新をしなければならないとする。
まず検索すると、ウサギ、ウシ、ウマ、ウマオイ、ウミツバメ、ウミガメ、ウミネコの7件が集まった。
内容を確認して、じゃあ、この7件を更新しようと、再度、同じ検索をかける。
すると、確認をしている間に誰かが「ウナギ」を追加してしまったために、更新をかけるデータが8件に増えてしまった。

この場合の「ファントム」は、どうやら消える幽霊ではなく、現れる幽霊らしい。
同じ条件で絞っているのに、知らない間に1件増えている。

ここまで考えて、何かが引っかかった。
ずっと一緒にいたのに、いつの間にか1人増えている。
お互いに顔を見合わせても、違和感のある顔はない。
こと日本では、そういうのは幽霊とは呼ばない。
座敷ぼっこと呼ぶ。
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2009/1/22  20:00 | 投稿者: 時鳥

かぼちゃのいとこ煮コロッケを買う。
これを食べるたび、かぼちゃのいとこ煮でコロッケを作って、おかずにすることを考えついた人物に思いを馳せて、うなる。
普通に考えたらこの味は、おかずではなくおやつだと思う。
たこ焼きくらいの大きさに丸めて、お菓子にしちゃった方がメニューとして正しいのではないだろうか。
まあ多分、残り物のかぼちゃのいとこ煮を見て、「コロッケの種みたい」と思ってしまったのが発想の原点だったんだろうけど。

ご飯はどうしたって進まないので、パンにはさむ。
ほくほくとうす甘い。
おかずにならないのは承知の上で、何故か時々買う。
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2009/1/20  22:58 | 投稿者: 時鳥

「ちゃんぽんにする」という言い回しがある。
急に気になって、『たべもの日本史総覧』で「ちゃんぽん」を調べてみた。
ちゃんぽん
1.肉・野菜など、いろいろなものをいっしょに煮込んだもの。長崎料理。また、麺類の上に魚や野菜などいろいろのせたもの。
2.いろいろなものをまぜこぜにすること。

第一義の前半で言えば、ちゃんぽんより鍋物のほうがちゃんぽんであり、
第一義の後半なら、ちゃんぽんよりタンメンの方がちゃんぽんである。
また、第二義で考えれば、ちゃんぽんよりビビンバの方がよりちゃんぽんと言えよう。

「ちゃんぽんにする」の比較級は、どのようになるのだろう。
比較級を作ろうにも、展開の余地が多すぎて選ぶのが難しい。
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2009/1/19  21:21 | 投稿者: 時鳥

雑貨店。
猫の形をした皮製コースターが売られていた。
びくびくと近づく。
こそっと確認する。
牛皮だった。
胸をなでおろす。
猫の皮がこんなに厚いはずは、なかった。
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2009/1/18  23:00 | 投稿者: 時鳥

豊洲のUKIYO-e TOKYOに、千社札の展覧会を見に行く。
社殿に貼られた千社札や「千社札禁止」の注意書きはよく見るけれど、正直なところ、この展覧会に行くまでは千社札とは何か、よくわかっていなかった。
会場で仕入れた知識によると、千社札には「題名納札」と「交換納札」があるのだそうだ。
「題名納札」は屋号や姓名を記した札を寺社の建造物に貼ることで、札が貼ってある間は家内安全などの祈願が神仏に通じるとされた。あちこちの神社に札を納めて歩く札所巡りは大いに流行し、「千社詣の題名納札」を略して「千社札」と呼ばれるようになった。
札は最初は手書きだったが、次第に版木で刷られる様になり、黒一色だった印刷に朱が混じり始めた。となれば、次の展開はおおよそ予測できる。
ある日、誰かが言い出す。「どうせならデザインにも凝ろうよ」
書家が書体を創り、絵の得意な者が絵を描く。「連」と呼ばれる愛好会ができ、定期的に集まって交換会をしはじめる。
色数は2色3色とけち臭いことは言わずにフルカラー、題材は動物、美人画、神話伝説、俳句に都々逸まで何でもござれ、屋号や姓名は一応入ってはいるものの随分小さくなり、絵の邪魔にならない位置にバランスよく配される。
交換用に作られたこうした札を「交換納札」と呼ぶ。サイズは縦14.4cm、横4.8cmと規格が決まっているが、2枚から最大16枚の連続によって大きな画面を確保することも可能だった。
連続する一連の札に、今日の記念切手シートを連想する。全体がひとつの図柄になっていて、絵の一部分を切り取ると切手として使えるシート。もしくは、切手の図柄込みで封筒をデザインした絵封筒。

そんな「交換納札」や交換会の案内である「会触」を、かぶりつく勢いで見つめる。
明らかに、凝り方のベクトルが間違っている。
美しいから面白いまで趣向は様々、全般に洒落て垢抜けた雰囲気があり、細工は手抜き手加減なし。
歌川国芳門下の浮世絵師が腕を競ったシリーズだの、吉原や深川を背景にした美人画のシリーズだの、全く必要のない場所に無駄な労力を惜しげなく注ぎ込んだおかげで、恐ろしく面白い作品が出来てしまっている。
特に気に入った札が1枚あった。
画面の奥に松の絵があり、羽織姿で手前に座った者は手に筆を持っている。おそらく松の絵の作者なのだろう。だがそれが、見れば見るほど亀なのだ。
上部に、納札者を表す名前が入っていた。「外神田亀松」だった。盛大に噴出す。
図録を見て、この札を描いたのが河鍋暁斎だと知る。なるほど。

会場には何本もの柱が据えられ、「この柱には、お持ちの千社札を貼っていただけます」とあった。生憎、持ち合わせがなく、残念な思いをする。最近では千社札を貼れる場所が誠に少なくなっているようだから、愛好者には願ってもない申し出だろう。
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2009/1/17  23:51 | 投稿者: 時鳥

駅に停車しドアが開いて、女性が一人乗り込んできた。
コートの裾や襟元が何かの毛皮でふさふさしている。
もしかしたらこの人は、狐か狸が化けていて、毛皮は尻尾の名残かもしれない。
唐突に、根拠なく、脈絡もなく思う。
そして同じく唐突に疑問が浮かんだ。
そういえば狐が狸に化けたり、狸が狐に化けたりってしないんだろうか。
狐にしたら、人間に化けるのも狸に化けるのも手間としては変わらないと思う。
なら、世の狸の中には狐が化けた狸だっているかもしれない。
でも人間にしてみたら、狐が人間に化けたら一大事だけど、狐が狸に化けたって結局は狸だから、元が狐でも狸でも大して重要ではない。
だから、狸に化けた狐や狐に化けた狸がこの世にどれだけいようと視界に入らない。

もしかしたら今ごろ、狸の誰かが同じような疑問を抱えているかもしれない。
「狐って奴らは狸以外に化けるものがないのか」って疑問を。
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