2009/2/28  23:47 | 投稿者: 時鳥

上野の東京文化会館の4階資料室に行く。
目録カードをめくりめくって、ロッシーニ「ランスへの旅」、
ガーシュイン「ポーギーとベス」、オッフェンバック「パリの生活」、
ファル「ドルの女王」、ツェラー「小鳥売り」の5本を選ぶ。
悩んだ末に、「小鳥売り」を見ることに決める。

1998年のメルビッシュ音楽祭のライブ。
毎年夏、ウイーン近郊のメルビッシュで開かれる音楽祭で、
湖上の特設野外ステージで必ずドイツ語のオペレッタを上演する。
この音楽祭は音楽や舞踊の質が高いのはもちろんだけど、
特殊な舞台を生かした面白い演出が毎回あるので、それも楽しみのひとつだ。

「小鳥売り」は単独の曲としては聞いた事があるけど、全曲を聴いたことはない。
ばらばらの音楽として頭の中を漂っていたものが、一度、全体を観ると、
落ちつくべき所に落ちつく。
音楽は割と素朴で、民族色が豊かな感じがする。
舞台がドイツの山岳地帯、主人公がチロル出身の小鳥売りなので、
ヨーデルこそ出てこないものの全体的に山っぽい音楽のように感じられた。

オペレッタの登場人物は、原則的に駄目な奴ばかりである。
これは私の偏見だけど、おそらくさほど的を外してはいないと思う。
半分くらいは当たっているのではないだろうか。
「小鳥売り」もやっぱり駄目な人だらけの愛すべきオペレッタだが、
どうもその駄目さは、ヨハン・シュトラウスやレハールのそれとは
少々毛色が違う気がする。
ヨハン・シュトラウスやレハールのような、都会的で退廃的で、
明日に希望を持っていない駄目さではなく、今日一日を充実させることを
最重要課題とするあまり、明日の事すら考えずにひたすら突き進む、
いわば前向きな駄目さが漂っている。
妙にポジティブ。でも隙だらけではらはらする。

小鳥売りのアーダムと郵便配達人のクリステルは相愛の仲だが、
アーダムが浮草稼業なのがネックになって、結婚にこぎつけられない。
領主が猪狩りにこの地を訪れると知ったクリステルは嘆願書を書いて、
アーダムを動物を扱う専門職につけようとするが、種々の事情や
人々の思惑が複雑に絡み合って、こじれてしまう。
主人公アーダムの行動が釈然としない。
見るからにテノールなテノールで、女性の扱いにも慣れている様子なのに、
クリステルの件では異様に意固地になる。
これがちょっと頑固そうなバリトンだったら納得できたんだろうか。
クリステルはクリステルで、嘘はないんだけど言動が誤解を招きやすい。
確かに事実はそうだけど、そこ、ぼかすところだよね?
とか、
物は言いよう、女は度胸、馬鹿とハサミは使いようっていうのになあ、
とか思うところが随所にある。
クリステルがこういう人だから、アーダムが無駄に意地を張るのかもしれない。

しかし、夫の浮気を疑って、変装までして村に潜り込んだ領主夫人マリーは、
偽領主を暴いただけで本当に満足したんだろうか。
そもそも領主は用事あって村に来なかったわけで、だから偽領主が出てきた。
何か浮気の確信があるみたいだから、別のところでもう一度は
似たような事をするんだろう。

仕掛けでは、道楽者のスタニスラウス伯爵が乗り回す馬自転車が最高。
ブレーキと同じ位置にあるレバーを操作すると、馬が歯をむいてくれる。
生身の天使も人を食っていてよろしい。

「小鳥売り」ツェラー作曲 M・ヴェスト&L・ヘルト台本
指揮:ルドルフ・ビーブル
演出:ヴィンフリード・バウエルンファイント
伯爵夫人マリー:マルティナ・セラフィン
ヴェプス男爵:ヘルムート・ベルガー=トゥーナ
スタニスラウス伯爵:マルク・クレアー
アーダム:セバスティアン・ラインターラー
クリステル:ウーテ・グフレラー
アデライーデ:マリカ・リヒター
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2009/2/27  22:53 | 投稿者: 時鳥

風呂場の鏡を覗き込むと、目頭の皮膚が縮んでいるように見えた。
縮緬じわと言うものだろうか。好奇心とともに観察する。
部屋に戻るや否や机に向かい、縮緬について調べはじめる。
生地全体にしぼが寄っているため、肌触りがよく、しわになりにくく、
染めむらが目立ちにくいのが特長だそうだ。
ぽつりと思った。
これが特長になるのは、縮緬がほかの布のふりをしないからじゃないだろうか。
縮緬が羽二重やフリースを理想としていたら、先の特長は全部短所に直結する。
鏡のような平滑を求めて、縮緬の皺を無理やり伸ばす。
伸ばしきると、今度は染めむらに気づく。
さらに多大な労力を払って、均一な色合いを実現できたとしても、
それはきっと、物凄く無理のある、ぎこちない布になってしまうと思う。
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2009/2/27  21:12 | 投稿者: 時鳥

本屋に行く。
穂村弘の『現実入門』が文庫化しているのを見つけた。
帯に、「痛快!奮闘エッセイ!」とある。
痛快という言葉の意味と、以前読んだこの本の内容とを照らし合わせて、
しばし視線をさまよわせる。
「痛快」を「痛々しさが一種の快感」って意味で使っているとしたら、
語義としては間違っていても、この本の評価としては間違ってない。
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2009/2/26  23:59 | 投稿者: 時鳥

よし、「第三正規化」をしよう。

頭の中で言葉にして、不思議な気分になる。
約1か月前に受けた資格試験の勉強で、「第三正規化」について知った。
言葉としては知らなかったが、実際に行なったことは何度もある。
何故わざわざこんな耳慣れない言葉にするのかと、首を傾げながらもとにかく覚えた。

今、過去と同じ手順を実行している。
作業内容は同じなのに、言葉を知っただけで、手順が他から切り離されたような感覚に襲われる。
これまで大きなひとつとして捉えていたモノから一部分だけを取り出して、
「ここだけでもひとつのモノになるよ」と言われたような感じ、
または、小さないくつかだったモノたちをまとめて、
「これ全部でひとつのモノになるよ」と言われたような感じ。
いずれにしても、手頃な大きさに梱包された包みをぽんと手渡された気分になる。
ちょっと持ち上げて見ながら、簡単に別の場所に持っていけそうだ、などと考える。

身近なところで、豚汁用の人参を短冊切りにする場合で考えてみる。
「短冊切り」は豚汁製作の過程においては1工程に過ぎないし、
手順で考えれば、(1)人参の皮をむく(2)直方体に切る(3)スライスする、
の3つが合わさったものになる。
「短冊切り」という言葉を知らなくても短冊切りはできる。
でも「短冊切り」を知ると、「短冊切り」だけを取り出して別の料理に使ったり、「短冊切り」を「銀杏切り」に置き換えたりができるようになる。
持ち運び可能な包みとは、例えばこんなもののことだ。

定義とはきっと、境界線を引きなおす作業なのだろう。改めて思う。
既存の包みをばらしたり、まとめたりして、新しい包みを作る。
中身は元々あったものでも、梱包の単位を変えることで、同じ大きさの別の包みが見つかったり、梱包からすり抜けるものがことさら際立ったりする。
そしてもちろん、包みの中身にも多大なる関心が向かう。
よく知っているはずのものが、境界線を引きなおした途端、新しい意味を持って顕れる。
こんな面白いものにこれまで気づかなかったのがつくづく不思議になる。
そして、新しい包みを置く場所を探して、あたりをきょろきょろと見回す。
2

2009/2/25  21:53 | 投稿者: 時鳥

Aさんの要望とBさんの要望を比較吟味し、双方を満たす解決方法を考える。
無言でぼやく。
ある意味、とても似ているんだけど、パプリカとピーマンくらいの違いがある。
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2009/2/25  21:52 | 投稿者: 時鳥

フロアの隅の床に、こけしのようなものが立っていた。
よく見ると、折り畳み傘だった。
こけし型折り畳み傘のニーズについて考える。
あんまりない、と結論を出す。
そもそも、頭が丸いと持ちにくい。
犬型ぐらいにしておいた方が無理がないだろう。
持ち手が犬の頭部で、折りたたんでカバーをかぶせるとお座りした犬になって、
床の上に立てることができる傘。
ご主人の帰りを持つ忠犬みたいで、可愛いんじゃないだろうか。

(題は傘寿より連想)
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2009/2/24  23:04 | 投稿者: 時鳥

短い序章に、9つの短い話が連なってできた本。
有平糖みたいな味わいがある。
甘いのに、ちょっとだけひやりとしていて、ほのかに淋しい。
でも、その淋しさは不思議に懐かしく、手袋越しに手をつないだような温もりを感じる。

羊の執事、満ちては欠ける街、月の離宮、そば屋の猫。
落ちついた語り口で語られる不思議な物語に、ゆったりと耳を傾ける。
するとだんだんに、ああ、そういうこともあるかもなあ、と思えるようになる。
不思議な事というのは多分、急いで考えると単なる異常や不合理に見えてしまうのだと思う。
理屈に合わなくて間違っていて、だから正さなければならない、と、思いつめる。
無駄な正義感は性急な解決を求め、失敗と苛立ちを呼び、結局は徒労と後悔だけを得る。
でも、ゆっくり考えるならきっと、物事はいつだって同じ、簡潔で平穏な場所に居場所を定める。
見たことも聞いたこともないけど、そんなことがあったっていいかもしれない。
知らないだけで、もうどこかにあるのかもしれない。
また、もし、どこにもなかったとしても、それはそれでありかもしれない。

時々、すとんと腑に落ちる一節がある。そのたび、空気も一緒に胸の奥に入る。
例えばこんな言葉。

自分だってあの猫たちと同じで、誰からも見えていないんじゃないか。(空に住む)

おかしいな。生き物たちは僕らの知らない大事なことを、たくさん知っていると思っていたのになあ。(鰯のお告げ)

匂いなんかなくたっていい。温かくなんかなくたっていい。(丘の上の自動販売機)

そうすれば多分、今までよりずっとはっきりとものが見えるようになると思うよ。(月白温泉深々記)

あれはあれで良かったのじゃないかしら。それに時間というものは、雲の中にでも吸われてしまうものかも知れない。(ニハチ)

不意を突かれて、少し目を見開く。
息をひとつ吸い込んだその口で、あ、そうね、と呟く。
呟きが溶けるや肯いて、口元を緩める。

図書館でこの本を見つけた。
目次と数ページを読んで、その場で蔵書検索をかけたが、ほかの著作は見つからなかった。
念のため、インターネットで調べると、ご本人のサイトが見つかった。
お好みに合いそうな常連さんが何人か頭に浮かんだので、ご紹介。
http://www.shiro-zou.com/
サイトの短編がお好みに合えば、おそらく、この本もお好みに合うと思います。

『白い象の街』浅岡鉄彦 講談社出版サービスセンター
 月の降りる階段(はじめに)
 白い象の街
 ゆらゆら羊亭
 魔法をかけられた犬
 猫のための物理学
 空に住む
 鰯のお告げ
 丘の上の自動販売機
 月白温泉深々記
 ニハチ
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2009/2/23  18:49 | 投稿者: 時鳥

展覧会情報を7件追加しました。
右の「展覧会情報」リンクよりお入りください。
追加した情報は以下の通りです。


ロゴスギャラリー(渋谷)
「フランスの古い紙広告」
期:2/20〜3/4 10:00〜21:00
 
府中市美術館(東府中)
「光と光とが出会うところ」
期:2/14〜3/15 10:00〜17:00(月休み)
 
五島美術館(上野毛)
「筆の美」
期:2/21〜3/29 10:00〜17:00(月休み)
 
大田区立龍子記念館(大森)
「革新の眼差し」
期:1/4〜5/10 9:00〜16:30(月休み)
 
山種美術館(半蔵門)
「桜さくらサクラ・2009」
期:3/7〜5/17 10:00〜17:00(月休み)
 
INAXギャラリー(銀座)
「チェコのキュビズム建築とデザイン1911-1925」
期:3/6〜5/23 10:00〜18:00(日祝休み)
 
杉並区立郷土博物館分館(荻窪)
「包装紙のなかの物語」
期:2/14〜6/14 9:00〜17:00(月、第3木休み)
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2009/2/22  22:11 | 投稿者: 時鳥

鴨居羊子の「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」と「わたしのものよ」の2編を収録。
「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」は、新聞社勤めをやめて下着屋になり、現在に至るまでを書いた自伝的な作品。でもたっぷりの脱線を含む。
「わたしのものよ」は子供の頃の記憶をたどるエッセイ集。

時は昭和30年。女性の下着と言えば色は白、素材は壁デシンかメリヤス、冬はボタンつきの分厚いメリヤスシャツに長ズロースと相場が決まっていた時代に下着メーカーを興し、カラフルで色っぽくって新鮮な下着を次々に考えて、作って、世に送り出した人。
この人が創業と同時に開いた初個展で発表したのがスキャンティである。
ペペッティ、クロスティ、ココッティ、チャービネーション、パチコート。
初個展のために考えた他の下着も、とても可愛い名前を持っている。機能も面白い。

気骨があって勘がよく、行動力、決断力もある非常に格好いい人だが、その一方で飛び切りチャーミングな人でもある。
いつも自分の見方で物事を見ていて、好き嫌い、快不快の判定は瞬間的、かつ容赦なく的確。
観察も鋭い。
実際の感覚に根を下ろした文章で、考えにしろ描写にしろ曖昧さがない。武田百合子の随筆に似た、率直さとたくましさがある。
とにかく、生命力のとても強い人だと思う。
新聞記者時代、不恰好なメリヤスの下着を嫌い、膝のところで切った黒タイツに白く光るビーズを縫いつけ、人前でわざと足を組む。その脚で「実用的なことが同時に美しいというわけにはゆかんものか」と考え、美しい下着を「お嫁に行くまでタンスにしまいこめ」と忠告する母親に反発する。会社設立直後は一坪の事務所にあらん限りを詰め込んで、一日中、新しい下着の理論を考える。

特に印象深いのは「ピンクのガーターベルト」の章、新聞記者時代の鴨井さんが心斎橋の舶来雑貨の店で、ピンクのガーターベルトを1500円で買い求め、自宅の鏡の前で身に付けてみる場面だ。
ピンクのガーターベルトと黒い靴下姿で鏡の前に立って、鴨井さんは考える。

下着によって変貌する女の魅力は、洋服を着たときとは全く異なった角度からみられる。それはセンチザシでははかられない。もしモノサシをつくるのなら海綿みたいな、またはマシュマロみたいなくらげみたいな素材のモノサシではからないといけない。

クラゲみたいなモノサシを考えて、うっとりとする。
その後の、ピンクのガーターベルトと過ごす毎日の描写も、読んでいて含み笑いが洩れるくらい楽しい。

『女は下着でつくられる』鴨居羊子 国書刊行会
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2009/2/22  20:25 | 投稿者: 時鳥

山吹色の壁がまず目を引いた。窓辺からは花や緑があふれ、住宅街の中でやや異彩を放っている。
近づくにつれ、横手に置かれた木製のオブジェが目に入った。
四本足で立派な角が生えているところを見ると、鹿らしい。ほぼ実物大だ。
さらに近づくと、ドアの上にもワイヤー製の鹿らしきオブジェが設置されているのに気づく。こちらは角が生えていない。
首を傾げて、さらに観察する。
ドアから数段の階段を降りた所に、縦書きで「はいしゃ」とだけ書いた看板が立っているのを見つける。別の所に「小林デンタルクリニック」ともある。
2.4歩、深閑と考え込み、がつっと振り返る。
シカかっ!
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2009/2/21  23:37 | 投稿者: 時鳥

新宿に行ったついでに、思い出横丁の表側のチケットショップをのぞく。
福澤諭吉展のチケットが200円で出ているのを見つけ、つい買い込む。
1月10日から3月8日まで、上野の東京国立博物館で開催している。
当日券なら1200円だし、東京国立博物館は常設展のみの観覧券でも600円だから、本館の常設展を見るだけでも十分お釣りが来る。

福澤諭吉展の広告は、しばらく前から電車や雑誌でしばしば見かけていた。
若き日の福澤諭吉が羽織袴に刀を帯び、いかにも武士らしい姿で写真に収まっている。
右手を台に預け、顔は心持ち左を向いている。
しゃんとした立ち姿にかぶせて中央に大きな白文字で「1858+150」の筆算が書かれ、答えの場所に「未来をひらく福澤諭吉展」の文字、また上部には小さく、「慶応義塾 創立150年記念」と入っている。
広告を見た時からずっと気になっていた。
ささいな事だけど、同じ事を考えている人はきっと私以外にも500人はいると思う。

それ、去年じゃん。

年度って言い張るならそれでも構わないけど、言い訳めいている。
そーゆーのって、イサギワルイってゆうんだよ。たぶん。
福澤諭吉の耳に入ったら、一喝されるかもしれない。
0

2009/2/20  23:14 | 投稿者: 時鳥

鼻パック用のシートを3枚もらう。
ある人は、使ったものの、全く角栓が取れず、つまらなくなってやめたと言う。
別の人は、角栓が取れて爽快な気分になったものの、詰め物がなくなった
毛穴が逆に穴として目立つようになった事に気づき、愕然としたと言う。
そんな話を聞いて、落語の頭山みたいになったらどうしよう、と不安を覚える。

桜桃を種ごと食べた男の頭から桜が生え出し、花見客が集まり、
わずらわしくなった男が木を抜くと、そこが池になり、釣り客が集まり、
さらなる煩わしさに耐えかねた男は結局、池に身投げして死んでしまう話。
鼻の毛穴だと、小さな穴が数多くあるから、木よりも草花に向いているかもしれない。
野菜でもいい。
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2009/2/19  23:18 | 投稿者: 時鳥

先週末頃から、花粉が飛び始めたのを感じる。
それに伴って街中に急にマスク姿が増えた、ということはない。
どうやら風邪マスクがそのまま花粉マスクに移行したらしく、マスク人口は対して変わらない。

午後、部屋の隅のゴミ箱を開く。
予想外の真っ白なかたまりに眼を射られ、頭が真っ白になる。
45リットルのゴミ箱の半ばまでがティッシュペーパーで埋まっていた。
間違いなく、同じ部屋にいる誰かの仕業だが、不思議な事に、鼻をかむ音を聞いた記憶がまったくない。
近くの人にも尋ねたが、やはり聞いていないという。
首を傾げつつ机に向かい、そういえばあれ、燃えないゴミ箱だ、と気づく。
小謎追加。
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2009/2/18  23:11 | 投稿者: 時鳥

池と沼の違いを論じたテレビCMがあるという。見たことはない。
しばらく考えて、両者の違いは水と泥のどちらに重点を置いているかに
あるのではないかと思いつく。
まず泥があって、そこに少々か大量の水が混じったのが沼で、
逆に、水がまずあり、泥や石は水を囲むための脇役になっているのが池。
また、個人的には、沼の水は地面から湧き出すもので、
池の水はどこか上の方から流れてくるものといった印象もある。
要するに、沼は主に固形物で構成され、池は主に水分によって構成されている。
と、いうことは。
蛤の吸い物は池的であり、豚汁は沼的であるということだ。
蛤の吸い物が澄みきった汁の中にすべての材料の味わいを溶け込ませた様子は、
鏡のように澄んだ池が空を映し、光を反射させ、水底を透かせる様子に似ているし、
いかなる材料も頓着なく受け入れる豚汁の度量の広さは、
淀んだ沼が一個の生命体のようにひそかに息づいている様を連想させる。
連想しなくてもすることにしよう。いや、してください。頼むから。

さて、蛤の吸い物や豚汁では誰の意見もおおむね一致しそうなものだが、
これが豆腐と若布のみそ汁になると、各人によって意見の相違が生じる。
私個人は、豆腐と若布のみそ汁は池的、じゃがいものみそ汁は沼的だと思うが、
逆にとらえる人もいるだろう。
オニオングラタンスープは当然、池的、クリームシチューとお汁粉は沼的。
ポタージュをどちらに含めるかはやや難しい。
粉砕されたとうもろこしやかぼちゃを具と見なすなら沼的だろうが、
汁と見なすなら池的にもなりうる。
カレーはタイプによって沼的だったり池的だったりする。

汁物を片っ端から頭に思い浮べて、沼、池、ヌマ、イケ、と、勝手に分類する。
ひらめく。
そういえば、沢煮って料理があった。
柴田書店の料理百科事典を見ると、こんな説明があった。
「煮ものの一種。新鮮な各種の材料をあっさりした味つけで、たっぷりの汁で煮たもの。」
池的と考えていいものか、沢的というカテゴリーを新たに設けるべきか、悩む。

参考:
(株)柴田書店 - 料理百科事典 日本料理 さ行 沢煮
http://www.shibatashoten.co.jp/modules/xwords/entry.php?entryID=1549
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2009/2/18  0:05 | 投稿者: 時鳥

「Mです。マクドナルドのM」

受話器に向かっての説明を聞き留めた。
なるほど、エル、エム、エヌ、エフ、エスは聞き違いを起こしやすい。
Mがマクドナルドなら、ほかはどうなるかと考えた。
NはNHKですぐに浮かぶが、Lで考え込む。
しばらくたって、エルボードロップが浮かんだ。それはLではない。
その伝だと、Sは差し詰めエスカルゴ、Fはエッフェル塔になる。

また、別の考え方では、マクドナルドのMは文字ではなく、
手の仕草をあらわしている可能性もある。
だとすると、ウルトラマンがLになる。
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