2009/9/30  23:36 | 投稿者: 時鳥

午後、気付くとブラウスのひじが抜けていた。
さほど恥ずかしくはないが、気にはなるので、寄り道をせずにまっすぐ帰宅する。
脱いで調べると、左肘部分がかなり大きなT字形に裂けていて、指4本が付け根まで悠々と入った。
どこかに引っ掛けたのかもしれないが、寿命だった可能性が高い。
左右とも、ひじは布がしんねりとし、他の部位に比べて手触りが格段に頼りない。
寿命で穴が開いたブラウスは、今年2着である。
世代交代の時期なのかもしれない。
1着目同様、再利用の予定。洗濯に回す。

昨日、アスペクトを入手する。
隔月刊のPR誌だったが、今号からひっそりと季刊に変わっている。
カラーページもなくなったし、4ページだった連載が3ページになったりして、全体に薄くなっている。
そこはかとなく淋しい。
内容は、相変わらず生きる上で何の役にも立たない記事が満載で、心安らぐ。
力の抜けっぷりに内心で突っ込みを入れつつ笑う。
船越栄一郎バウムクーヘンだけで、間違いなく3日は心穏やかに暮らせる。
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2009/9/30  0:12 | 投稿者: 時鳥

「この製品は独特の香りがしますが、ドリアン特有の風味ですので、安心してお召し上がり下さい。」

ボトルに赤のゴシック体で注意書きがある。
そこまで言わしめる香りとはいかなるものか。
首を傾げつつキャップをひねる。炭酸の抜ける音がする。
「・・・・・・たしかに。」
開け切るまで持ち堪えられず、机に突っ伏して笑う。

一言で言うと、腐臭系。しかもかなり強い。
新幹線や飛行機の中では絶対に飲んではいけないレベル。
人前で開けたら半径1メートルの視線が集中することは間違いないし、下手したら異臭騒ぎになるだろう。
コップに注いで臭いを確かめる。
生ごみの腐ったような臭いの中に、刺すような臭いも混じっている。
アンモニア臭も含まれる。

勇気が必要な臭いだが、いざ口に含むと意外においしい。
腐ったような匂いが、口にした途端に熟れたような、とろりとした匂いに変わる。
華やかな香りが残って、後味も悪くない。
ちょっと癖になりそうな飲み物だ。
本物のドリアンは食べたことがないけど、話に聞くドリアンのイメージには合致している。
ある意味、傑作だし、作り上げた開発者は偉大だと思う。
この製品が完成するまで、開発者がどれほどの奇天烈な匂いにさらされ、鼻の鍛錬にいそしんだかと思うと、自然に頭が下がる。

事前の期待値が低かったせいもあるだろうが、飲み終えての評価は、個人的にはかなり高い。
ただし、げっぷに時々、腐臭が混じるのが難点。
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2009/9/29  21:17 | 投稿者: 時鳥

開けた瞬間、笑う。
トマトの匂いがする。
誰にともなく「ちょっとっ」と叫び、笑いながらグラスに注ぐ。
味はサイダー。そりゃそうだ、果汁は一滴たりとも入っていないのだから。
ちょっと青臭いような、あのトマト独特の匂いがする。

開けたり注いだりした瞬間は強く香るけど、持続性はない。
口にすると、そういえばトマトかな、くらいの感覚で、抵抗なく飲める。
褒めてるのか貶しているのかわからないけど。
味もトマトにするべく、トマトジュースで割りたいような気もするが、それは外道の所業というものだろう。
でも何かこう、突き抜けきれず、すっきりしない。
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2009/9/28  23:55 | 投稿者: 時鳥

コジ・ファン・トゥッテのDVDを観る。
2000年、チューリッヒ歌劇場での上演記録。

舞台はナポリ、二人の青年士官が友人の哲学者ドン・アルフォンソと賭けをする。
賭けの対象は、女性の貞節。
「女の貞節なんてアラビアの不死鳥のようなもの」とうそぶくドン・アルフォンソに、若いフェランドとグリエルモが「自分たちの恋人だけは違う」と反発したのが事の起こり。
かくして二人の若者はドン・アルフォンソの指示に従って、恋人を謀り、その貞節を量るのだった。

長調で紡がれる悲劇。
大半の曲が長調で、全体的な印象は、桃色や菫色の絹で仕立てられた夜会服みたいに優雅で美しい。
けれど、その内容ときたら絶望的に哀しく、結末では全員が傷を負う。
恋人に勝手に貞節を量られ、そうと知らずに苦悩するフィオルディリージとドラベッラの姉妹も、軽いゲームのはずが引くに引けなくなるフェランドとグリエルモの青年士官も痛々しいが、しかし何よりも、女性の貞節を信じないドン・アルフォンソと、男性の誠実を信じない小間使いデスピーナの一言一言が痛い。
軽やかに、ユーモアを交えて、何度も何度も、信じないと口にする。
言葉の裏側に、かつては信じていたことが透けて見える。
多分、ありがちなことだったのだろう。この人たちが見聞きし、あるいは体験したことというのは。
でも、一人で転ぼうが百人で転ぼうが、傷は傷で、痛いものは痛い。

ストーリーは完全に破綻している。
士官たちがアルバニア人の扮装をしただけで、姉妹は自分たちの恋人とわからなくなるし、姉妹はたった1日で心変わりし、ためらいなく結婚証明書にサインする。これらを筆頭に、全編至る所に突っ込みどころが存在する。
しかし、展開はこうも無茶苦茶なのに、恐ろしいことに瞬間は真実なのだ。

音楽は、一瞬一瞬の心の動きを的確に捕まえる。
恋人の不在を嘆き、無事を祈る。図々しい求婚者に憤る最中、ふと相手の顔立ちに目を留めて、「あら、結構いけてる」と思う。小間使いの恋愛観を表面上はけなしながらも、反面で傾きかける。崩れそうだから、ことさら頑なになる。
小さな揺れは余さず楽譜に留められて、舞台の上で非常な説得力を持つ。
全員が寄ってたかって間違った方向へと物事を進めていく。
流れの方向は明らかに間違っているのに、流れる水はどこも間違っていなくて、何をどうやって止めればいいかわからない。

終幕、登場人物が乾杯する頭上から、真っ白な紙吹雪が後から後から降ってくる。
結婚式なのに、葬送を思わせる場面だ。
この人たちは、この後、この組み合わせで何十年も結婚生活を送る。
試されたこと、試したこと、裏切ったこと、裏切られたこと。この実験のことは、生涯、誰一人、忘れないままに。
それはとても寒々しく、嫉妬に狂った夫が妻と間男を衝動的に殺す話なんかよりもよほど惨い悲劇のように私には思えた。

「コジ・ファン・トゥッテ」2000年 チューリッヒ歌劇場
作曲:モーツァルト 台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
指揮:ニコラウス・アーノンクール 演出:ユルゲン・フリム
フィオルディリージ:チェチーリア・バルトリ
ドラベッラ:リリアーナ・ニキテアヌ
フェランド:ロベルト・サッカ
グリエルモ:オリヴァー・ヴィドマー
ドン・アルフォンソ:カルロス・ショーソン
デスピーナ:アグネス・バルツァ
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2009/9/27  13:55 | 投稿者: 時鳥

東京交通会館の地下1階で地サイダーを探す。

しそサイダー紀州・熊野 200ml 250円 (有)熊野鼓動KS
熊野サイダーうめみかん 200ml 250円 (有)熊野鼓動KS

わかやま喜集館にて購入。
今気づいたけど、この店の名前って喜集と紀州を掛けてるのね。
ラベルに八咫ガラスが描かれていて、3本足のうちの1本でサイダーのグラスを持っている。

イチゴサイダー 300ml 126円 (株)友桝飲料
トマトサイダー 300ml 126円 (株)友桝飲料
ドリアンサイダー 300ml 126円 (株)友桝飲料

ザ・博多 有楽町店にて購入。
友桝飲料の所在地は、佐賀県小城市。
博多なのに佐賀なので、地サイダーかと悩まなくもなかったんだけど、ラインナップがあまりにも素敵過ぎて買わずにいられない。
ほかに、スイカサイダー、パインサイダーもあったが、重さの都合から一番気になるドリアンと次に気になるトマト、その場で飲むために無難なイチゴサイダーを購入。
いずれも無果汁、無着色。

イチゴサイダーは、無色透明にもかかわらず、味と匂いはイチゴシロップという代物。
むせるほどイチゴ。堂々無果汁。ここまで来ると清々しい。
果汁2%とか半端なことを言うくらいなら、潔く無果汁を貫こうとでも言うような。
残り4本はまだ飲んでいない。
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2009/9/26  23:59 | 投稿者: 時鳥

ハクトウワシの写真展を見る。
翼を広げると2メートルを越す大型の猛禽類で、アラスカやカナダの局地に住んでいる。
幼鳥は全身黒いが、成鳥は頭が白く、くちばしは黄色く、鮮やかなコントラストをなす。
従ってハクトウワシの世界では、「くちばしが黄色い」は一人前の大人と同義なのである。

写真展も終盤に差し掛かった頃、いきなり気づいた。
そうか、ハクトウワシにもメスはいるんだ。
考えるまでもなく当たり前のことなんだけど、あの風貌でこの攻撃的な性質だと何となく、血気盛んな若いオスしかいないような気がしてしまったのである。
この、生肉を奪い合って空中戦を繰り広げているハクトウワシたちの中にだって、メスが含まれている可能性がある。
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2009/9/26  15:29 | 投稿者: 時鳥

展覧会情報を14件追加しました。
右の「展覧会情報」リンクよりお入りください。
追加した情報は以下の通りです。


新宿歴史博物館(四谷三丁目)
「富士講の世界」
期:9/5〜10/18 9:30〜17:30(9/14、9/28、10/13休み)
 
東京大学総合研究博物館(本郷三丁目)
「鉄―137億年の宇宙誌」
「キュラトリアル・グラフィティ―学術標本の表現」
期:7/24〜10/31 10:00〜17:00(月休み)
 
江戸東京博物館(両国)
「よみがえる浮世絵〜うるわしき大正新版画〜」
期:9/19〜11/8 9:30〜17:30 土〜16:30(月休み)
 
神奈川近代文学館(元町中華街)
「大乱歩展」
期:10/3〜11/15 9:30〜17:00(月休み)
 
そごう美術館(横浜)
「エッシャー展」
期:10/10〜11/16 10:00〜20:00(無休)
 
ニューオータニ美術館(赤坂見附)
「浮世絵に見る江戸モード」
期:10/3〜11/23 10:00〜18:00(月休み)
 
三井記念美術館(三越前)
「夢と追憶の江戸−高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展−」
期:9/19〜11/23 10:00〜17:00(月休み)
 
天理ギャラリー(神田)
「ギリシアの古代美術〜西洋3000年の煌めき〜」
期:10/5〜11/28 9:30〜17:30 土祝〜16:30(日休み)
 
世田谷美術館(用賀)
「オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー」
期:9/12〜11/29 10:00〜18:00(月休み)
 
下町風俗資料館(上野)
「浅草オペラと昭和の芸能」
期:9/19〜11/29 9:30〜16:30(月休み)
 
虎屋ギャラリー(赤坂見附)
「お菓子も楽しい!虎屋・寅年・虎づくし」
期:11/1〜11/30 10:00〜17:30(無休)
 
新宿歴史博物館(四谷三丁目)
「林忠彦写真展 新宿・時代の貌−カストリ時代・文士の時代−」
期:10/31〜12/19 9:30〜17:30 11月金、12月木金〜20:00(11/9、11/24、12/14休み)
 
東京オペラシティアートギャラリー(初台)
「ヴェルナー・パントン」「奥山民枝」
期:10/17〜12/27 11:00〜19:00 金土〜20:00(月休み)
 
横浜ユーラシア文化館(日本大通り)
「EurAsia3000年 海と陸のシルクロード」
期:9/19〜1/11 9:30〜17:00(月休み)


個人的に一番楽しみなのは、オペラシティアートギャラリーの奥山民枝展。
収蔵品展だからチラシでも何でも前面には出ていないけど、あのなまめかしい太陽やら大地やらをまとめて堪能できると思うと嬉しい。
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2009/9/25  23:45 | 投稿者: 時鳥

連休中のある晩。
人から借りた『ジョジョの奇妙な冒険』第五部を読み始めたら止まらず、午前3時までかかって読み倒す。
読み終えて、ふと思う。
これだけのめりこんでおいて何だけど、野暮は百も承知だけど、それでも思う。
どうしてこの敵役たちは、常に一人か、多くても二人ずつで最大7人を襲いに来るのだろう。
曲がりなりにもチームを名乗っているんだから、束になって襲撃したほうがまだ勝率が上がるような気がしてならない。
まあ、それを言ってしまうと、特に第三部と第五部は話が成立しなくなるけど。
言わない約束なんだろうけど。
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2009/9/24  23:05 | 投稿者: 時鳥

ドラえもんの足の裏は、実は常に地面から1cmばかり離れている。
そんな話を聞いて、深く深く納得する。
そうか、だから彼は靴を履かないのか。
納得した直後、疑問が芽生える。
もしかしたら、あの白い足は靴下なのではないだろうか。
白い靴下を何枚も重ね履きしていて、家に上がるたびにこっそり一枚ずつ、超高速で脱いでいるのではないだろうか。
疑念が膨らむ。
それ、足だけだろうか。手も実はそうなんじゃないだろうか。
疑惑が暴走する。
顔パックして、ぺりぺりはがして、何かくっついてきたらどうしよう。
怖くなったので、その先は考えるのを止めた。
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2009/9/24  22:41 | 投稿者: 時鳥

イカノボリはあるのに、タコノボリがないのは何故だろう。
突如考え込んだ。
コイノボリもある。コイノタキノボリもある。登竜門。
辞書で調べたら、サルノボリもあった。さるぼぼのついた幟だそうだ。それは可愛い。
タコノボリはない。
しばらくして気づいた。
イカノボリは凧だった。
どうしてこんなことを真剣に考えているのか、自分でもわからない。
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2009/9/23  12:22 | 投稿者: 時鳥

アガサ・クリスティーかと思ったら、アイスランドの映画だった。
アイスランドの言葉はわからないけど、原題は多分、英語題名の"Children of Nature"に近いのだろう。何故こんな微妙な邦題をつけたのかは不明。

78歳のソウルゲイルは農夫であることに疲れ、首都レイキャヴィクに住む娘の元に身を寄せる。しかし、都会の生活に慣れられず、孫娘との折り合いも悪い。娘の計らいで老人ホームに入ることになる。ソウルゲイルはそこで、同郷出身の幼馴染、ステラと再会する。故郷に帰りたがるステラとともにソウルゲイルは失踪し、盗んだジープを走らせて、故郷を目指す。

この人は、どこまで覚悟して失踪に臨んだのだろう。
最初は、老人の最後の旅くらいに思っていた。しかし、旅が進むにつれて彩りが洗い流され、芯の部分が剥き出しになる。
彼らの選択肢には、常に死が含まれている。
ステラが故郷を渇望するのも、ゆくゆくは両親と一緒の墓に入りたいからだった。
ソウルゲイルは住み慣れた家を出る際、羊も愛犬も一切を始末し、トランクひとつと振り子時計だけを持って出る。
熱さはないが、冷えて堅牢な覚悟は揺らがない。黙々と鉋をかけて釘を打ち、土を掘る。当たり前のことを当たり前に行っているような揺るぎなさに圧倒される。
アイスランドの風土が果たす役割も大きい。
薄く澄んだ空、強い風の吹く丘陵地には、高い木がない。鈍い色合いの海、海辺の断崖絶壁。美しいと言うよりは、厳かで厳しい。草の影に無口な生き物が棲んでいて、辺りの静謐を保っているような、そんな不思議な静かさがある。
夢や希望の余地はある。けれどそれらですら、一片の真実を含んでいなければ存在を許されない。80歳目前の男女がそうした風土に分け入って、とうの昔に廃村になった故郷を目指す。そういう物語。

「春にして君を想う」1991年 アイスランド・ドイツ・ノルウェー
監督・脚本:フリドリック・トール・フリドリクソン
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2009/9/22  22:15 | 投稿者: 時鳥

新聞の投書欄に、卵かけご飯のエピソードが載っていた。著者は初老の女性である。
彼女は子供の頃、卵かけご飯用の溶き卵を、兄弟2人で半分こしたのだそうだ。そして兄に丸め込まれて、いつも先に取らされた。
よく知られていることだが、溶き卵を半分こすると、先に取った方には主に白身が、後に取った方には主に黄身が来る。
かくして彼女は白身主体の卵かけご飯を食べることになり、悲しい思いをした、というのが投書の内容だった。
同じような話が向田邦子さんの随筆にもあった。彼女も白身主体の卵かけご飯を食べた口である。
彼女らの場合は主に経済的な理由だったろうが、物理的な問題として、子供のご飯茶碗の容積では卵1個は多すぎる。だから卵が安価になった今も、同様の事象は起きていて、今日もどこかで白身中心の卵ご飯に切ない気分を味わっている子供がいるのかもしれない。

不意に閃いた。
二人分のご飯をどんぶりに集め、卵1個で卵かけご飯を作ってからご飯を再分配すればよかったのではなかろうか。
気づいた瞬間、何とも悔しい。
80年前に日本国民全員がこの真実にたどり着いていれば、白身主体の卵かけご飯にため息を吐く子供は減っていたかもしれないのに。
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2009/9/21  23:32 | 投稿者: 時鳥

題名から、長いことラブコメを想像していたが、スリラーだった。
またしても一部屋、というか、一世帯内でほとんどすべてが展開する映画。

ある夕方、盲目の主婦スージー・ヘンドリックスは、カメラマンの夫が仕事に出るのをいつものように見送った。
一人、留守を守る彼女の元へ、夫の旧友を名乗るマイクがやってくる。
これが、彼女の長い一夜の始まりだった。
数日前、夫は空港で見知らぬ女性にオルゴール人形を託された。気軽に預かったそれは、実は腹中に麻薬が仕込まれていて、身の危険に気づいて逃げた女性はすぐに死体になって見つかった。彼女を殺した連中は人形の行方を捜し、スージーの元にたどり着く。マイクはその一味の一人なのである。

スージーの気づき加減と気づかなさ加減が絶妙だ。
スージーは数年前の自動車事故で失明した。
見えないので、部屋の隅で息を殺している悪漢には気づかない。けれど、頭も勘もいいので、来る人来る人が台所でブラインドをいじっているのにはちゃんと気づき、夜なのにどうしてだろう、と不思議に思うし、刑事を装った男が妙にあたりを拭いて回っているのにも気づく。
次々に訪れる悪漢が言動でスージーを揺さぶる。見えず、耳で聴く言い分に多くを頼らざるを得ない彼女はミスリードされかかるが、観察力が鋭いため、小さな綻びに気づく。重なる綻びに疑惑を抱き、同じアパートに住む少女グローリアの協力もあって、3人が悪漢であること、人形を狙っていることを知ったスージーは、暗闇で一人、悪漢と退治する。

全編、無駄なく、緩みなく構成されている。特にスージーが一人きりになってからは、目が離せない緊迫した状況が続く。
映画は女がカナダから人形を抱えて麻薬を密輸する場面で始まっているけど、原作となった舞台劇は、おそらく、スージーが夫を送り出す場面あたりから始まるのだろう。
張った伏線が出来すぎなほど見事に生かされ、展開に無理がない。見える側としては、ある場面では彼女が気づかないことを祈り、ある場面では気づくことを祈る。そして、予想外に気づかれて驚く。
主演のオードリー・ヘップバーンと、冷酷で不気味で得体が知れない悪漢ロートを演じたアラン・アーキンが特にいい。

少しだけ、妙だなと思ったのが、電話をかけるシーンだ。
マイクが警察に電話をかけると見せかけて、仲間の待機する公衆電話に電話をかける場面があるのだけど、警察の電話番号が279-0099なのに対し、公衆電話の番号は242-4598で、ダイヤル式電話でかけると番号が違うことが音で明らかにわかる。
もっとも、見知らぬ男に家捜しされた直後で動揺していたから、スージーが気づかなかったとしても無理はない。

「暗くなるまで待って」1967年 アメリカ
監督:テレンス・ヤング 製作:メル・ファーラー
原作:フレデリック・ノット 音楽:ヘンリー・マンシーニ
スージー:オードリー・ヘップバーン
ロート:アラン・アーキン
マイク・トールマン:リチャード・クレンナ
カーリノ:ジャック・ウェストン
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2009/9/21  21:32 | 投稿者: 時鳥

前項続き。再び問答形式について考える。

不自然であることがあの教科書の問題なのではないと気づく。問題は、不正確であることだ。
件の教科書が教えるのは、ある物を呼ぶ言葉だ。
でも、教えるのが言葉であるなら、その内容は、ある言葉が呼ぶ物について、であるはずだ。
ある物をどんな言葉で呼ぶか、と、ある言葉がどんなものを呼ぶか、は違う。
例えば、伯母は英語でauntだけど、auntは伯母と叔母と小母の意味を含んでいる。
ある概念を呼ぶのに2種類以上の言葉を使うこともあれば、ある概念を呼ぶ言葉はひとつだけど、その言葉が別の概念も呼んでいることもある。
意味と言葉は、あるいは言葉と言葉は、いつだって大きさが違っていて、合わせてみるとどちらかが足らず、どちらかが余る。
足りない部分を別の言葉で埋めようとすると、埋めた言葉がはみ出して、はみ出した部分をまた別の言葉で埋める。埋めた言葉がまた余って、そうして言葉がつながっていく。

国語辞書の説明は、ひとつの言葉の意味範囲を別の言葉で規定する試みだ。
そのために、たくさんの言葉を重ねる。
言葉ひとつひとつが持つ意味を、重ねることで限定したり拡張したりをして、説明したい言葉の意味範囲にぴたりと収めるよう、調整する。

数日前、駅のトイレから流れているアナウンスを耳にした。
「男子トイレの左が女子トイレです。」
足早に通り過ぎたので、前後にどんなアナウンスが流れたかは知らない。
この音声の流れている場所が男子トイレ、というアナウンスがあるのなら、問題ない。
男子トイレにも女子トイレにもたどり着ける、正しい説明だと思う。
しかし辞書の場合、そもそも男子トイレがどこにあるのかをすっ飛ばした説明が、しばしば、平然と、なされる。
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2009/9/20  22:13 | 投稿者: 時鳥

印刷博物館に「近代教育をささえた教科書」展を見に行く。
東書文庫という、教科書専門の図書館が持っている資料を中心に構成されていて、江戸時代の往来物から戦前の国定教科書、掛け図などを展示している。

特に、明治初期の教科書がバラエティに富んでいて面白い。
寺子屋で使われた往来物とは違う、近代国家にふさわしい教科書を、と思っている人はたくさんいるんだけど、じゃあどんなのを作ればいいのかとなると、誰も正答を持ち合わせていない。おそらくその正答は未だに持ってる人がいない。
それぞれが自分の考えで教科書を作るものだから、極めて個性的な教科書がぞろぞろ出現する。その有様と言ったら、まるで教科書の戦国時代。外国の教科書を翻訳翻案してみたり、科学知識を盛り込んでみたり、問答形式にしてみたり、実験的な試みがあちこちでなされている。
特に凄いのが問答形式の1冊で、「父の姉を何と言いますか」「伯母と言います」のような問答が1冊、延々と繰り返されているらしい。見開き2ページ分しか見てないから定かではないけど。
外国人に日本語を教えるならありな教科書かもしれないけど、生まれたときから日本語を話している子供に教えるには、会話があまりにも不自然だ。伯母という言葉の意味を問う問答にした方がまだ自然なのではないだろうか。

明治36年から、文部省が国定教科書を作るようになり、全国で同じ教科書が使われるようになった。
しかし、この時代の教科書は妙につまらない。昭和20年にこの制度が終わるまで、数度の改定があり、第1期から第5期まで5種類の教科書があるのだが、いずれも何だか、片目しか使わずに物事を見ているような、平板な印象を受ける。教科書の内容が悪いとは、一概には言い切れない。問題は、唯一であること、国が作っていることにあるのではないかと思う。
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