2010/5/31  23:36 | 投稿者: 時鳥

「世界を変えるデザイン展」のすぐ隣の部屋で、口蹄疫について展示をしていた。
見入る。
この場で初めて知ったけど、口蹄疫はかかると必ず死ぬ病気ではないのだそうだ。子供だとそこそこ死亡率が高いが、成体では数パーセント程度だという。また、偶蹄目に対しては非常に感染力が強いが、それ以外の動植物には感染しない。
この1ヶ月で10数万頭の牛や豚が殺処分されている。その理由は、彼らがそういう、死なない可能性の高い病気にかかっている可能性がなきにしもあらずだから。
という風に、寡聞の耳には聞こえている。

本当にこれ、論議が尽くされたんだろうか。
何も知らないから、単純に疑問に思う。
現在、もう現象は起こっている。じっくり考え込む暇はなく、対策マニュアルに沿って行動するのが精一杯だろう。だから現象が起きる前、対策マニュアルが作られた時のことだ。
数百頭単位しか念頭においてなかったとか、40年前に作ったとかの理由があったのならこんな荒っぽい解決法なのも理解は出来る。納得はしないけど。
数年ごとに、まっとうな見識を持つ識者を各分野から集めて、少しでも被害が少なくなるように、一頭でも殺さずに済むように、本気の本気で考えて作ったら、こうも力任せなものにはならないんじゃないかと、素人は思うんだけど、そうじゃないんだろうか。

ちなみに表題は、『ベーコン随想集』の一説から。
「確かに、たとえ卵焼きを作るためだけであっても、家を燃やしかねないのが、極端な利己主義者の本性である。」
利己主義だ、とは全然思っていないけど、何となく連想したので。
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2010/5/30  23:33 | 投稿者: 時鳥

六本木で「世界を変えるデザイン」展を観る。
まだ考えがまとまらないのだけど、でも、ひとつの方向に安易にまとめてしまうと、取りこぼしが出てしまいそうだから書くのだけど。
デザインって再定義って意味もあるのだろうか。
何かの道具を形作る時、必ず使う場面を想定する。使う人、使わない人、使う目的と状況、製造上の技術、コスト、その他もろもろの条件がこね合わされた結果、目の前にある鍵だとかシャーペンだとかが出来る。長年見慣れて、この形以外はないものだと思い込んでいるけど、実は、原料となった条件をひとつ変えるだけで出来上がるものががらりと変わることがある。
デザインって言うのは、すでに存在するこの形が、本当にこれ以外ありえないのか、もっとよい形がないか、疑うところからスタートしているのかもしれない。
あとは、昔から存在するものを新しい組み合わせ方をすることによって、別の用途を持たせたり、パワーアップさせたりもしている。
新しいものは新しい材料から生まれることもあるけど、ありふれた古めかしい材料から生まれることもあって、多分、そちらのほうが多い。
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2010/5/29  23:16 | 投稿者: 時鳥

英国ロイヤルバレエ団の「コッペリア」の映像を観る。
ホームグラウンドのコヴェント・ガーデン王立歌劇場で、2000年にライブ収録されたもの。

スワニルダの友人6人組のひとりが、いくら見ても吉田都さんに見える。
スワニルダよりそっちにばかり気が行っていた。
特典映像についていた「デボラ・ブルの放送用解説」によると、この上演は当時、BBCテレビで生中継されたそうで、当初は吉田都がスワニルダを踊るはずだったが、前日のリハーサルで腰を痛めて降板し、代わりにリャーン・ベンジャミンが踊ったのだそうだ。
そういう人が友人役として出るはずはないのだけど、私の顔認識機能では彼女に見えたのだから仕方がない。
小柄で愛嬌があって、スワニルダ役の人より数段愛らしい。
たとえこの人が吉田さんじゃなくても、スワニルダはこの人に踊って欲しかった。
1幕の明るく活発で表情豊かな村娘も、2幕の人形の振りをしてコッペリウスをからかう場面も、3幕の結婚式も、どの場面をとっても素晴らしく魅力的な、痒いところに手の届くようなスワニルダになったことだろう。
ここで踊っているスワニルダが悪いわけじゃないけど、後ろにもっとスワニルダが似合いそうな人がいる。そういう人がいなかったら表立っては思わなかったはずのことをつい考える。
このスワニルダは悪くない。突然の代役ということも考えたら、いい方だろうが、でも、吉田都バージョンが残らなかったのはやっぱりつくづく惜しい。

英国ロイヤル・バレエ団「コッペリア」全3幕
2000年 コヴェント・ガーデン王立歌劇場
スワニルダ:リャーン・ベンジャミン
フランツ:カルロス・アコスタ
コッペリウス:ルーク・ヘイドン
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2010/5/29  21:58 | 投稿者: 時鳥

去年に続いて、今年も画廊の夜会に顔を出す。
銀座5丁目から8丁目の27画廊が、この日だけ21時まで開廊し、ちょっとした飲み物や食べ物を出してくれたり、この日だけ特別な展示をしたりしている。
今年のぞいたのは、次の5画廊。

ギャラリー真玄堂「水谷興志 かえるづくし」
ギャラリー広田美術「大島真由美展」
石川画廊「画廊秘蔵の作家展」
秋華洞「秋華洞 動物尽くし」
至峰堂画廊銀座店「忘れられつつある作家たちII」

その日の昼休みに案内に目を通して、行きたいところをチェックしたのだけど、
どうしても見たいと思うものがあまりなかったため、今年は控えめ。

石川画廊では、魔法使いのカタツムリなどの木彫作品が印象に残っている。
作家名を控えてくるのを忘れたのが痛恨事。

この夜は、至峰堂画廊にもっとも長居する。
木下藤次郎の水彩画は、しみじみとして、潤いがあって、大変美しい。
中川八郎の油彩画もとても好みの感じ。
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2010/5/28  0:16 | 投稿者: 時鳥

病院で風邪薬を出され、1日3回、食後に飲むように指示される。
これが眠くなる風邪薬で、飲むとその後、仕事にならない。
普段から、仕事に支障をきたさないように、平日の朝昼は少なめに、決してお腹一杯にならないように食べる習慣がついている。
となると当然、眠くなるとわかっている風邪薬は飲まない。
夜しか飲まないからか、なかなかすっきりとは治らない。
それでも一応、快方に向かっていて、咳に煩わされることも減った。

規則正しく薬を飲めば、さくっと治るのかもしれない。
仕事にならないのなら、休みを取って風邪薬を飲むという考え方もある。
しかし、「有休なんざあ、遊び倒すために取るもんだ」と信じているから、大して具合が悪くもないのに、風邪薬に付き合って終日うつらうつらするために有休をとるなんて、もったいないと思ってしまう。
だからと言って、普段こまめに休暇を取っているかとなると、基本が仕事好きで律儀なものだから、休みたいともあまり思わず、実際、あんまり休まない。
本気で具合が悪くて臥せっているなら否応無しに休むのだけど、元が丈夫だから、本気の病欠はめったにない。多くの場合、「頑張れば行けるんだけど、頑張りたくないから」休んでいる。が、その回数も年に3、4回あれば多いくらいだ。
結果として、年度末に有休が余って捨てている。
捨てるくらいなら風邪薬に付き合って一日過ごしてもいいようなものだが、何というか、釈然としない。考えただけで腹の底がもやもやする。
結論として、「それくらいなら風邪をひかないようにしよう」と決意する。

エッシャーの塔の絵みたいに、全体的に見るとどこかおかしいようだけど、部分的にはそんなに間違っていないように見える。
どこを直すのが解法として最上か、それとも、結論はこれでいいのか、自分でもよくわからない。
もう咳止め飲んで寝たほうがいいことは薄々わかる。
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2010/5/26  23:58 | 投稿者: 時鳥

拾った言葉。

「百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ」

ロシアの古いことわざだそうだ。
何とも力強いお言葉に、肩の力が抜ける。
そりゃそうだ。
百年やそこら学んだくらいで人間、そうそう利口になるもんじゃない。
でも、まあ、いいじゃない。そういう生き物なんだから。
結果とか成果とか考えないで、要るだけ欲しいだけ学べば。
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2010/5/25  22:16 | 投稿者: 時鳥

折り鶴は、何をしている鶴なのだろう。
例によって脈絡なく疑問は発生する。
空を飛んでいる姿ではない。空を飛んでいるなら、首は翼とほぼ水平になり、首とくちばしも水平になる。
立っている姿としてもおかしい。底が安定しすぎていて、足の生える隙が見つからない。
寝る時も立っているイメージがあり、座った姿はなかなか想像できない。
少し考えてたどりつく。
もしかしたらあれは、巣で卵を温めている状態なのかもしれない。
とすると、何に対して翼を広げているんだろうか。
もう少し調べて、また気づく。
そもそも、尻尾があれだけ長くて立っている段階で、あれは鶴ではない可能性が高い。
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2010/5/25  21:27 | 投稿者: 時鳥

こんにゃくゼリーの袋に。
「凍らせると硬さが増しますので、凍らせないでください。」
と、警告があった。
わざわざ書くということはそうして食べる人がいるというわけで、
そういう人がいるということはそうすると美味いのだろう、
と、考えて、凍らせてみる。

食べると、確かに常温より硬い。
しかし、常温のこんにゃくゼリーが「極度に不注意なら丸呑みすることもありえなくはない」硬さなのに対し、冷凍は「あえて事故を起こす努力をしなければ丸呑みできない」硬さとなっている。結果として、常温より安全性は高いような気がする。
こんにゃくゼリーのことを何も知らないで冷凍のものを口にした場合、人間がこれを丸呑みすることはほぼありえない。ゼリーだと知って食べて、ゼリーの柔らかさを期待して、自分の感覚を信用しなかった場合にやっと丸呑みがありえる。
こんにゃくゼリーで時々事故が起きるが、それはもしかしたら、こんにゃくゼリーをゼリーと思って、ゼリーとして食べるから起きる事故なのかもしれない。
「ゼリー風味やわらかこんにゃく」と名乗っていたら、人はこんにゃくとして食べ、ゼリーとしての事故はもしかしたら起きなかったかも知れない。
こんにゃくとしての事故は起きただろうけど。
フルーツ味のこんにゃくをおやつとして食べたがる人はあんまりいなさそうだから、結果としてすぐ廃盤になったかも知れないけど。
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2010/5/24  23:36 | 投稿者: 時鳥

少し前、「女は下着でつくられる」という映画を観て、「ティレジアスの乳房」を連想した。あらすじだけで、見聞きしたことはまるでなかったのだけど、その後、図書館でCDを見つけた。
映像はないが対訳がついていたので、見ながら聴く。

原作はギョーム・アポリネールが1903年に書いた。オペラはフランシス・プーランクの作曲で、1944年完成、初演は1947年。
しかし、とてもそうは思えない。今聴いてもストーリーが斬新過ぎる。
ある朝、テレーズという人妻が突如フェミニズムに目覚め、「もう亭主の命令には従わない」と叫んで胸をはだけると、乳房が風船になって空に舞い上がる。彼女がそれに火をつけて爆発させると、急にひげが生え始める。大喜びの彼女は、「これからはティレジアスという男性の名前を名乗る」と亭主に宣言し、自分は男装、亭主は女装させる。
普通に考えると、このあと、ティレジアスの冒険となりそうなところだが、そうは問屋が卸さない。
社会的地位を目指すティレジアスはとっとと退場して選挙戦だか何だかに繰り出し、残された亭主は女好きの憲兵に言い寄られる。憲兵には結婚を迫られ、周囲からは「もう子供はいらない」の大合唱が聞こえ、彼はやけになったように叫ぶ。
「女性が子作りを拒否するなら仕方ない、男が子供を作ればいい!
(中略)私ひとりで子供を作ります!」
結論、そっちなのか・・・。

どうやってかは知らないが、一日で4万49人の子作りに成功する亭主。ちなみに、この亭主、名前はない。台本にはLE MARI(フランス語で夫の意)としか書かれていない。
こうして物語はもっぱら亭主の側から語られる。
まあ、考えてみれば、女性のほとんどが結婚して当たり前だった時代、参政権に興味を持つ女性がいるならその裏には似たような数の亭主が存在したわけで、中には、古くから女性の役割とされてきたことに女房が興味を示さないなら、俺がやってやる、と思った男性がいたとしてもおかしくはない。
でも、これ、どうやって落とし前をつけるんだろう。ティレジアスがテレーズに戻ってめでたしめでたしとか言われたら、超絶興醒めする。
しかし、聞いていると物語はそのように進んでいく。
怪しい占い師がヴェールをはずすと、そこにはイブニングドレス姿のテレーズが。
亭主はワイシャツを脱いでタキシード姿になり、二人でワルツを踊りながら愛を歌う。
えー、こんなのですか。

店先にあった風船をテレーズに贈りながら、亭主はささやく。
「愛しいテレーズ、これで色気を取り戻しておくれ」
受け取ったテレーズはぱっきり一言。
「事を複雑にしないで!」
で、風船を客席に放ってしまう。
またしても予想の斜め上を行く展開。

そして最後には、登場人物全員が「皆様、子作りに励みましょう」と合唱して終わる。
もう一度言おう。
結論、そっちなのか・・・。
とどのつまり、少子化対策だったんでしょうか、これ。
原作者も作曲家も、どこまで本気なのか見当がつかない。
音楽も全体的にアイロニーが漂っていて、あちこちひねりが効いている。
素直で美しい旋律でも、何となく、素直を演じているような印象を受ける。

喜歌劇《ティレジアスの乳房》
作曲:フランシス・プーランク
台本:ギョーム・アポリネール
1996年9月長野県松本文化会館
指揮:小澤征爾
サイトウ・キネン・オーケストラ
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2010/5/23  23:55 | 投稿者: 時鳥

ある日、天気予報を調べたら、「雨ときどきやむ」と出てきた。「雨ときどきくもり」ではないのに、ちょっと違和感を覚える。
曇りは時々、一人前の天気として認められないらしい。
空一面を雲が覆っている状態は同じでも、その状態が一定期間持続するなら「くもり」と一人前に呼ばれ、基本的に雨模様で一時的に降っていない状況の場合は「雨ときどきやむ」と呼ばれる。
後者の曇りは、雨粒が落ちていない雨といった認識なのだろう。
「晴れときどきくもり」は、晴れの空に時々雲が広がって邪魔をする状態。
「くもりときどき晴れ」は、日差しが雲を切り裂くならこれでいいけど、実際には雲が自主的に切れたところから勝手に日差しが割り込んでくる状態なので、「雲ときどき切れる」のほうが正しいかもしれない。
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2010/5/23  0:08 | 投稿者: 時鳥

2004年、中国映画。
雲南の山村に暮らすターシャン夫妻に、ある日、県の役人から羊が一組贈られる。
高地で土地がやせていて、農作にはあまり向いていないこの土地で、牧畜を産業として興せないかと役人たちは考えた。そこで、上質の羊毛がたくさん取れる外国産の羊を輸入し、モデル事業としてターシャンに預けて育てさせようとする。
外国産のその羊は、一頭およそ5000元。普通の羊が200元くらいで売り買いできるのに比べると、まさにお羊さまである。
そういう事情でそういう羊なので、失敗するわけにはいかない。かくして、ターシャン夫妻と村長はお羊さまのために東奔西走するのであった。
寒がりの羊のために、室内に柵をこしらえて飼い、専用のストーブを入れ、人間がジャガイモを食っている横で、羊は市場で買ってきた燕麦を煮炊きしたものと時には卵を混ぜたものを食う。青い草を食べさせるために遠くの山まで数日がかりで羊を連れて行き、また、別の時には夫妻がかごを背負って草を刈りに行く。
黙々と食ったり食わなかったり自然に振舞う羊と、その一挙手一投足におろおろする人間たち。
正直に言おう。天然の贅沢者の羊より、純朴なターシャン夫妻のほうが私にしてみたらよほど可愛い。
羊はあるがままに振舞っているだけだから、責める気は毛頭ない。責められるのは村の事情も羊の事情も対して知りもしないで導入してしまった役人側だ。で、羊が子供を産まないとターシャンたちを責めるのだから、救いようがない。
上質な羊毛がたくさん取れる羊がそんなに簡単に育てられるのなら、世界中でもっと大量に飼われているはずなんだけど。何で希少なのか、少しでも考えてみたらすぐに想像が出来そうなものなんだけど。
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2010/5/22  22:56 | 投稿者: 時鳥

咳が止まらず眠れない。しかも痰が絡んだような咳になってきた。また前後して、目やにがひどくなってきたような気がする。
自家療法ではもう無理なようなので、仕方なく病院に行く。
風邪薬と咳止めとトローチを出される。
診療のついでに目やにについて聞いてみると、目鼻の辺りはつながっているから、そういうこともあるのだそうだ。
そうか、目やにとは目の痰であったか。
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2010/5/21  20:11 | 投稿者: 時鳥

薬の箱書きの注意欄を読む。
こんな人は医師か薬剤師に相談するように、とあった。
「体の虚弱な人(体力の衰えている人、体の弱い人)」
体力が衰えているから薬を飲むのだけど。
まあ、ここで聞いているのは長患いで体力が落ちているとか、現代の一太郎坊ちゃんと呼ばれているとかの絶対的なレベルでの虚弱なんだろう。
こういう薬は基本的には普段健康な人が風邪を引いた場合を想定して作っているはずだから。
ある程度、健康でないと、うっかり薬も飲めないらしい。

本人の相対評価としては衰えているけど、風邪薬に負けるほどではない。
気兼ねなく飲む。
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2010/5/20  22:25 | 投稿者: 時鳥

相変わらず咳が止まらない。
咳が出る風邪はめったに引かないので、効きそうな薬の持ち合わせがない。ドラッグストアに漢方薬を探しに行く。
大抵の風邪は葛根湯と小青竜湯で直してしまうんだけど、たまには違うのを探してみてもいいはずだ。

効能書きを見比べて、最終的に「銀翹散」を選ぶ。銀の羽という妙に美しい名前がついているが、別に名前で選んだわけではない。由来は、金銀花と連翹が使われているかららしい。辞書で「金銀花」を調べたら、スイカズラのことだった。
この2つのほかにも、成分を眺めると、妙に花のイメージが強い。
以下、量の多い順から。

1.キンギンカ、レンギョウ
3.ハッカ、キキョウ、カンゾウ
6.タンズシ、ゴボウシ
8.タンチクヨウ、ケイガイ

季節は違うけど、上位5つを集めると花束が成立する。
忍冬の白、連翹の黄色、薄荷の白、桔梗の紫、甘草の淡い紫。
連翹の長い枝やスイカズラの蔓が大きく空間を取って、緑の多い花束になるだろう。
見た目の想像も面白いが、匂いを想像しても面白い。
甘い香りのスイカズラとハッカが混じった匂い。
ついでに、飲み込む前に確かめた味について言及しておくと、ハッカの清涼感とカンゾウのほのかな甘みがある。でも、基本的に薬の味。薬としてはまずくないほうだけど、あくまで薬にしたらというレベル。
効き目に付いてはまた明日。
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2010/5/19  23:01 | 投稿者: 時鳥

先週末からこちら、風邪をひいている。
のどの痛みから始まって、次に熱が出て、今は熱は引いたものの昼夜を問わず咳が出て声がほとんど出ない。
咳の出る風邪は滅多にひかないので、最初は少しだけ珍しかったが、丸一日もすると飽きた。
くしゃみほどではないが、咳もかなり体力を削る。でもこの二つでは削り方はかなり違う。
くしゃみは、ボールに例えるとバスケットボールくらいの大きさのものがひとつ、遠くからゆっくり飛んできて後頭部にぶつかるような感じがする。
咳の場合はもうちょっと小さく、硬式テニスのボールくらいのものが必ず3個から5個のセットになって、小刻みにバウンドしながらやってきて肋骨に当たる。
あるいは、銃に例えてもいい。それだと、ライフルと散弾銃の違いになる。
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