2010/9/30  22:15 | 投稿者: 時鳥

「犬馬之労」という言葉を目にする。
人のために力を尽くして奔走することだそうだ。
犬馬だと、奔走するのは犬や馬のほうだけど、これが「猫鹿之労」だと、奔走するのは人の側になる。

ニュースを読んでいると、「公務員ハンター」という文字が目に飛び込んできた。
ホームレス狩りの類かと瞬間、思うが、ハンター技能を持つ公務員のことだった。
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2010/9/28  23:40 | 投稿者: 時鳥

リチャード・コズウェイ(1806-12年・60代後半)
「あ、へんなひとだ」
一目見て、即座に思った。
キャプションを読まなくても、画家について何も知らなくてもわかる。
白いぴったりしたタイツにトーガをまとった美青年の全身像を自画像として描く人間が、まともなわきゃない。
美青年なのは実際にその通りだった可能性があるが、白いタイツの全身像は並の神経では描かないだろう。
キャプションを読んで、絵から受け取った印象以上に奇人だったことが判明する。当時、画家は60代後半。自意識の高さでは有名な人だったそうだ。

今更ながら気づいたのだけど、自画像の人物はこちらに明確に視線を向けている割合が非常に高い。絵を見ている側と視線の合う自画像って、全体の8割を超えるんじゃないかと思う。
画家が鏡などで自分を見ながら描くのだから、当たり前といえば当たり前なんだけど。

小特集:自画像
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2010/9/28  23:03 | 投稿者: 時鳥

ブロードバンド接続の案内がポストに入っていた。
いつもゴミ箱直行なのを、風の吹き回しで目を通す。
特典のひとつとして、対応テレビがあれば「家にいてもカラオケができる」とあった。
テレビやネットより前に、部屋がカラオケに対応しているかを問題にすべきじゃなかろうか。
普通のマンションの部屋は、カラオケをやっても隣に迷惑がかからないようには、残念ながらできていない。
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2010/9/27  23:34 | 投稿者: 時鳥

日曜日の朝、窓際でのんびり髪をといていた。
染めたり色を抜いたりはしていないのだけど、ひなたで見ればどうしても黒には見えない。かといって、茶色も焦げ茶もコーヒーもチョコレートもしっくりこない。

何かこんな色なかったっけ。

以前から何度も繰り返した問いをまた投げかける。
その時、突然、回路がつながった。

あ、しょうゆだ。

即座に実物を持ち出して比べる。
思うに、日本人の何割かは生来、醤油色と呼べる目か髪を持っている。
色を抜くと味噌に近づくみたいだけど。
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2010/9/26  23:49 | 投稿者: 時鳥

「自画像コレクション」で見た、4人の女性の自画像について。
見えるものが各人各様、面白いように違う。

ラヴィニア・フォンターナ(1579年・21歳)
小道具の力を借りて、精一杯背伸びして頑張っている。
絵を描いているところなのに、ありえないほど着飾っていて、周囲には本や彫像が配置されている。
教養のある優秀な画家であることを印象付けようとしている。

ティントレッタ(1580年頃・約30歳)
スピネットと言うのだろうか、足踏みオルガンくらいの小さい鍵盤楽器の前に立って、楽譜を手にしている。白いドレス、真珠の首飾り。
絵だけではありません、女性としてもそこそこのものですよ、と言いたげな絵。
本名、マリエッタ・ロブスティ。男装して、画家の父親ティントレットの仕事を手伝うこともあったというから、この絵の頃には画家としてのキャリアはもうそれなりにつんでいたのだろう。

アンジェリカ・カウフマン(1757-58年・16歳)
間違えないように何とか書き上げた絵。
スイスの民族衣装を着て、絵を描いているところを描いた。
表情に硬さが残っていて、証明写真みたいにぎこちない。
誇張していないか、砕けすぎていないか気にしているみたいに見える。

マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ル・ブラン(1790年・35歳)
「出る杭は打たれても出る」
立ち去り際に、そんな言葉が頭をかすめた。
目立つのが好きか、または、目立つのを恐れない人なんだろう。
「マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン」の題がついている。
黒い服の襟元と袖口からは白いレースがこぼれ、腰には真っ赤なサッシュを結んでいる。頭は白い布で包んで、顔立ちははっきりと美人。で、向かった画布にはマリー・アントワネットの顔がぼんやりと、でも明らかに誰かわかる形で、描かれている。
元々はマリー・アントワネットのお気に入りの肖像画家だったのだけど、フランス革命勃発で王の一家が囚われるとすぐにオーストリアに亡命し、亡命先でマリー・アントワネットの兄である皇帝に献上するために描いた自画像がこれだそうだ。
もはやあざといの域に達しているような。
慣習に重きをおかず、怖じることなくどんどん行動してしまう人みたいだから、敵も味方もたくさんいそうだ。波に乗れば強い。追いやられても人付き合いが上手そうだから、またぞろ人目につくところに上ってきそうな人。ハイリスク・ハイリターンな人生を送ると思うけど、そういう人生に必要なバイタリティは持ち合わせていそう。
「頑張ってくださいね」と、遠くから応援する。必要ないだろうけど。

小特集:自画像
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2010/9/25  22:17 | 投稿者: 時鳥

新宿の東郷青児美術館に「ウフィツィ美術館 自画像コレクション」展を見に行く。
フィレンツェのウフィツィ美術館には1000点を越える自画像のコレクションがあって、その中から選りすぐりの60数点を持ってきて展示している。
コレクションの最初は、メディチ家と縁続きのレオポルド枢機卿が集めた自画像コレクションで、枢機卿の死後、メディチ家が相続した。これをきっかけに本格的な自画像の収集をしていく。
収集方法は、市場に出ているものを買い集めるほか、画家に呼びかけて寄贈してもらった作品がかなりある。
その場合、大きく2つのパターンがある。ひとつは画家所蔵の旧作を出すパターン、もうひとつは寄贈のために新しく描くパターン。旧作と同じ構図の絵を新たに書き直すという折衷案みたいなパターンもあるけど、これは少数。

画家が寄贈のために描いた絵、というのは、見れば何となくわかる。
取ってつけた感じがあるのだ。
どうしてそう感じるのか、帰宅してからも考えて、やっと思い至る。
この人物がいなかったら、または、この顔が別の顔だったら、もっといい絵だったのに、と思わせる絵なのだ。
この顔は確かに私ですよ、と、作風で署名しているみたいなのである。
わかりやすいけど、つまらない。無駄にルビが振られていて読みにくい文章みたいな感じ。

寄贈ではないが、自己PRのために描いた絵、というのもある。
これも大きく二手に分かれる。自分がどんな人間かを示す絵と、自分がどんな画家かを示す絵だ。
後者の売り込み用と思しき絵はそれなりに面白い。
自分の得意技をこれでもかとばかりに盛り込み、顔も売る。
それを見て、こういう絵が欲しいと思う人がいれば注文が来る。一種のカタログ。
個展に行くと、会場の隅にクリアファイルが置かれていて、作品の写真がまとめられているけど、この絵もそれに類するものだろう。
「自分がどんな人間か」の絵は、話すと長くなりそうなので、別の機会に。

小特集:自画像
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2010/9/24  23:32 | 投稿者: 時鳥

傍に立つ人の携帯の画面が目に入った。
なにやら、ロールプレイングゲームで遊んでいる。上下左右にてくてくと進んでいくと、背景が流れる。

そうか、世界は自分中心に動いているのか。

唐突にそんなことを思う。
どんなに移動しようと、世界が変わろうと、自分が変わろうと、いつだって自分が中心にいて、世界のほうが流れていく。一人称のゲーム。
一人称があるなら、三人称のゲームというのもあって、こちらはゲームの舞台となるフィールドが最初から全部見えていて、固定されたフィールドの中を自分が移動していく。パックマンとかインベーダーとかがこのパターン。
二人称のゲームってあるだろうか。対戦ゲーム?

ゲームについては全然詳しくないのだけど、一番最初に出来た電子ゲームって、三人称型だったんじゃないだろうか。古い古いテニスゲームとかインベーダーとか、私の記憶にある古いゲームは舞台が移動しなかった。
プログラムを作る人間の感覚としても、三人称ゲームのほうが簡単に作れる。一人称ゲームは世界全体を動かさなければならないけど、三人称ゲームでは動くのは主人公だけでいい。
動く範囲も遥かに狭いから、起こりうる事態の幅も狭い。画面の枠が世界の枠で、行き止まりとも呼べないような絶対的な分厚い壁に囲まれている。そして、全部がその枠の中で収まりがつく。
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2010/9/24  0:13 | 投稿者: 時鳥

バレエの発表会を見に行く。見たのは、くるみ割り人形の第2幕と、白鳥の湖の第3幕。
いつもながら、何十人もいる生徒全員にそれなりに平等に、文句の出ないように役を振って、踊りと呼べるものを舞台に乗せる努力だとか労力だとかに深い尊敬の念を覚える。
お辞儀が出来るか出来ないかの4つ5つの子供にも踊れる踊りを振付けて、多すぎたり少なすぎたりする人材を按分して、極端に低い位置や高い位置に追いやられる人が出ないようにするのって、考えただけでも大変そうだ。
その苦労を考えれば、金平糖の精のバリエーションの後、コーダ無しでフィナーレに入ったとか、花のワルツの前に小行進曲が入ったとか、黒鳥の32回転が25回転しかしてなくて、1回転するごとに位置が移動していたとかは瑣末な問題だ。多分。ちょっとがくっときたけど。

プロの公演よりむしろ、素人の発表会を好んで見に行っている。
考える余地が多いところがいいのではないかと思う。
プロの公演では楽々とこなされるステップが、崩れたり、妙にたどたどしかったり、流れが不自然だったりする。それによって難しさに気づき、また、ひとつひとつのステップが逆に明確に見えたりもする。
群舞で、左右のバランスが悪かったり、明らかに上手い人が目立たないところにいたりすると、理由を考える。数人の踊りでは、プロの公演だと力量の差はあまりないか、あっても気に障るほどの差ではないけど、発表会の場合は、時々、同じ振り付けで踊っているのが不思議になることがある。
いい公演だと舞台ばかり見て、考え事は後回しになるが、多くの発表会では考えるのがもったいないほどの舞台には滅多に出会わない。
上手い人を見るのは楽しい。上手いほうが良いに越したことはない。
けれど、考える楽しみも手放すには惜しく、玉石混交の発表会をまた見に行く。
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2010/9/23  23:26 | 投稿者: 時鳥

最近学んだこと。
そばかすの部分を掻き壊したりすりむいたりしても、傷が治ればちゃんとそばかすも復活する。
前々から何となく、そうじゃないかとは思っていたけど、実際に体験したのは今年が始めてだ。
そうねえ。猫が怪我しても、模様が変わったりしないものねえ。
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2010/9/22  23:47 | 投稿者: 時鳥

中秋の名月。
雨は降らないものの雲が厚く、早い時間に雲の切れ間からちらりと見えただけで今年のお月見は終了。
暦の上では、今日は月見団子、明日はお萩を食べなくてはいけない。
この数日、和菓子屋さんは殺気立つような忙しさだろう。
夜になると涼しいが、日中はまだ真夏日が続いている。
明日からはがたんと下がると、天気予報は申しているが、本当とはなかなかに信じがたい。
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2010/9/22  0:31 | 投稿者: 時鳥

国勢調査のお知らせがポストに入っていた。
表紙に、調査員のスタイルが載っている。
男性の場合、首から顔写真入りのパスを下げ、左腕に腕章、左手に水色の紙袋、淡い灰色のジャケットは2つボタンのシングルで、ズボンは濃い灰色。黒い靴に白いワイシャツ、赤いネクタイに髪は七三分け。
ドアスコープから覗いて、これ以外の風貌なら開けなくていいのかしら。
自分でもまったく信じていない妄想が走り始める。
「ネクタイに柄が・・・」とか「それは七三でなくて六四・・・」とか「腕章が右腕・・・」とか、「ダブルのジャケットなんて認めない」とか、高校の風紀委員会よか厳しく服装チェックされる国勢調査員。ほぼ間違い探し。
何だか、オオカミと七匹の子ヤギみたいである。国勢調査員とはっきりわかるまで、フォアをあけない。もっとも、あの子ヤギらにそれくらいの底意地の悪さがあれば、ドア開けて食われるなんて間抜けな結果にならなかったはずだが。隠れる場所も選択が甘すぎるし。
表紙をめくると、国勢調査員を特徴付けるアイテムの図説が載っていた。首から青い紐でさげたパス、青紫の腕章、水色の紙袋がポイントだそうだ。
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2010/9/21  22:19 | 投稿者: 時鳥

大井町駅前にある品川区立総合区民会館「きゅりあん」の催し物案内をもらう。
本日の小ホールの催しは、「平成22年度電話応対コンクール東京南地区大会」だった。
世の中、いろんな人がいろんなことでしのぎを削っているものだ。
主催は、(財)日本電信電話ユーザ協会東京南地区協会。
来週には3日間に渡って「日本防菌防黴学会第37回年次大会」が開催される予定。
ちなみに、私の目当ては23日のバレエスタジオ発表会(当然、私とは縁もゆかりもない)と、24日の詩のボクシング東京大会。
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2010/9/20  23:42 | 投稿者: 時鳥

「フィガロの結婚」のDVDを観る。
コンピエーニュ帝国劇場のフランス語版ライブ上演。
本来はイタリア語で、イタリア人のダ・ポンテが台本を書いて、オーストリア人のモーツァルトが作曲して、物語の舞台はスペイン。そして、原作戯曲はフランス人のボーマルシェがフランス語で書いているという、どこの国の作品かわからないオペラ。
ルノアールの絵のように、男女の視線がびしばしと交錯して、全編に色っぽい緊張感がある。特に第2幕が出色。「フィガロの結婚」なんて、ライブと映像を合わせれば20本以上見ているはずだけど、本気で伯爵夫人の貞操が心配になる第2幕なんて、初めて見た。ケルビーノをテノールが演じると、女装させたり部屋に入れたりすることの危うさや妖しさが明瞭に見える。
ちゃんと読んだことはないけど、ボーマルシェの原作の味わいに近づけているのだろう。
どうするとこんなに歌の上手い美男美女ばっかり集まるのか、訊きたいくらいの美形ぞろい。重唱は息が合っていて、誰かの声だけ浮き上がって聞こえるようなことがないし、独唱は世紀の名歌唱ではないにしても、「あれ?」と思うことはない。
伯爵夫人の描き方も秀逸。
信じて賭けてみたけど、もう、無理かもしれませんね。

「フィガロの結婚」1997年10月 コンピエーニュ帝国劇場
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2010/9/20  22:19 | 投稿者: 時鳥

試供品の化粧水を開ける。
使用法の説明を何となく読む。両手に取って、顔全体を包み込むようになじませましょう、小鼻や目元などの細かい部分も忘れずに、と、あった。
まあ、平たい顔族だから、顔全体に乗せれば細かいとこも勝手に入ってくんだけどねえ。
ぺたぺたしながら考える。
顔に山あり谷ありの白人だと、本気で塗り残しそうだ。
化粧水なら気をつけて塗れば済むけど、パックとかはどうしているのだろう。
シートパックを確認しに、ドラッグストアに行く。
1枚の平面のシートに、目鼻口用の切れ込みを入れてあるだけだった。
日本人の平たい顔だと、小鼻の辺りが少々足りないくらいで、後は何とか平面でカバーできそうだけど、白人だとどこかにダーツを入れなければかなりの不足が出るのではないだろうか。
そもそも、目頭から目頭までの実距離が日本人と白人では違うから、日本人用に目の位置を設定したシートだと、目の穴が鼻の一部にかかってしまうに違いない。
見た目は同じ大きさの顔でも、アップダウンが激しい分、白人の顔のほうが総面積が広いのだ。
もっとも、それを言うと、白、黒、黄の人種それぞれで顔立ちの平均値が相当に違うから、人種が混在している場所だと、何種類かのシートパックを作らなければならないんだろう。
もしくは、どの人種でも適合するようにフリーサイズにするとか。
靴の中敷を自分のサイズに合わせて切るように、シートパックも自分の顔立ちに一番合う切り取り線で目や口の穴を開けて、ダーツを折って使う。
足りない小鼻とかは切った破片をうまく使って補う。ちょっとした工作。
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2010/9/19  12:48 | 投稿者: 時鳥

雑草が芽吹いて、伸びて、花を咲かせて、種子を残す。
生れ落ちる場所は選べない。よりよい場所に移動することも出来ない。周囲には同種異種を問わず、ライバルがいるし、ライバルのいない場所は恐ろしく環境が悪い。
それでも、落ちたその場所で種子を残すと言う任務を果たし、種子がより繁殖しやすくなるように、風や鳥やその他もろもろの手段を使って、種子をばら撒く。
その工夫の数々が紹介されている。それでもきっと、ほんの一部。
弱いけどしたたかだなあ、と、感心する。
刈られたり踏まれたりの悪い環境を前提にするどころか、時には被害すら利用して繁殖する。
置かれた環境は悪いけれど、環境を変える力はない。それなら、その環境で生きられるように工夫するしかない。
「為すがまま」じゃなくて、「為るように為る」の生き方。

『雑草の成功戦略』稲垣栄洋 NTT出版
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